楽園 | 思考の散歩道

思考の散歩道

毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

今日も昨日につづいて昔の本をご紹介します。


後藤静香(ごとうせいこう) 著  楽園  昭和34年初版発行



Shimeのブログ


この人はわが国点訳奉仕運動最初の提唱者として、多くの点訳者を育成し、日本点字図書館の開設に貢献した人だそうです。


楽園  逆境には三つの功徳  より



逆境が与える第三の教訓、それは「奥行きのある人間をつくる」ということである。

親切で、やさしくて教養もあり、常識もゆたかな人でありながら、長くつきあっていると何か物足りない人がある。

いざというとき、一生の運命にかかわるような事件にぶつかったとき、何もかも打ちあけて、よりかかる気持ちになれない。何がわるいというのでもなく、ただ「人間に深みがない」からである。


自分の修養で、ある程度の奥行きは出来ようが、私の体験では、逆境の経験にまさるものなしという気がする。


以上のように話すと、貧乏よし、病気よし、失敗よし、生別、死別すべてよしというようにきこえるが、これは早がてんである。


「逆境が恩寵に変わるためには弾力がいる」


実業界の成功者として、また人格者として知られた初代森村一左衛門翁の言葉に、「人間はゴムまりのようなもので、強くたたきつけるほど高くはね上がる」


という名言がある。私は翁の宅にたびたび訪問し、いくたびかじかにこの言葉をきいた。


逆境を活用して、突ったち上がるためには弾力がいる。弾力は発奮である。「なあに、このくらいのことで負けるものか」という気概である。逆境を踏み台にして、一段一段昇ってゆくだけの意気がなければ、叩かれ損である。


この意気地なしが、二度三度と、かさなる逆境に叩きのめされると、投げやりになる、やけになる、そうして救いようのない破滅をまねく。


空気のぬけたゴムまりが、叩きつけられて、そのままびしゃげると同様の醜態である。



中略


物質の面だけではなく、あらゆる面に、この弾力がいる。


弾力がいる、はね返る気概がいる、と、いっただけでは、何となく心配である。


ガーンと叩きつけられた、その反動ではね返る。はね返ったはいいが、いきよいがよすぎて破裂した。これでは元も子もない始末に終わる。

弾力は時限爆弾のように、時を見はからって、実力を発揮せねばならぬ。


弾力に時の力を加えたものが、堅忍持久である。世の中のことは一時的発奮よりも、辛抱強い堅忍持久の方が効果をあげる。



ふまれても根づよく忍べ道芝の


やがて花さく春は来ぬべし



引用以上



堅忍持久・・・つらさや苦しさに耐え、我慢強くもちこたえること。





厳しい環境の中で弾力を維持し続けるのは大変なことです。


そのために必要なことは・・・・余裕


やはり何事においても余裕が必要です。


では、余裕はどこから生まれるのか。


それは、毎日の積み重ねにより準備したという自信ではないでしょうか。


そのために我々はまだ環境が厳しくない時に準備を着々と進めていく必要があります。


お金を蓄える、人脈をつくる、体力をつける、忍耐力をつける・・・・・・


皆さんやられていますか?



もうひとつ、弾力を発揮する時期を間違わないこと。


そのためには時を待つという強さが必要です。


僕自身が病気で苦しんでいたときの経験をお話しすると、辛く苦しい状態がいつまでも続くと心が乾いてきます。

つまり弾力がなくなってきます。

だから、忍耐ではなく辛抱するのです。

病気に振り回されず、苦しみや痛みは自分の内に納めていま自分のやるべきことをしっかりとやる。


辛抱しているとやがて『その時』がやってきます。


そのときこそ、「人間はゴムまりのようなもので、強くたたきつけるほど高くはね上がる」が最大限に効果をあげるときなのです。



しかし、古い本でいまも受け継がれているものは本質が書かれていますね。

スピリチュアルのようなフワフワしたものが一切ない。


最近の世の中がスピリチュアル系のフワフワした感じに満たされているのでこれくらい現実的なものを読むのがちょうどいいのかもしれません。