公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜 -97ページ目

公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

仕事も家族・友人との私事も楽しみながら、魂を燃やして挑む“志事”で社会を変えていきたい! 地方公務員として働きながら、NPO活動、講演、執筆、ワークショップデザイナーなどに取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”として活動しています。

 

 

一昨日、6月16日(金)に公表したブログ記事「公務員になるというリスク」ですが、Facebookで投稿したところ、色々なコメントをいただきました。

 

 

 

ちなみに、記事を自分でシェアしたFacebookの投稿がこちら。

https://www.facebook.com/masashimada/posts/1345287942214529

(コメントも読んでいただきたいので、記事そのものではなくFBでの投稿のURLを貼り付けます)

 

 

 

その投稿でのコメント欄でのやり取りの中で、少しだけ、当該記事を書いたときには感じていなかったことを感じ、考えていなかったことまで考えることができました。

 

 

 

やっぱり、ブログとSNSの組み合わせってすごいです。

 

 

 

まだ内容としてまとまったものにはなりませんので、今回のやり取りを踏まえての「公務員になるというリスク」の続編というか、バージョンアップ版というか、そういった記事はまた別途書くことにしますが、そのときのために、今回の主にFacebook上でのやり取りで感じたことをツラツラと何点か書き残しておこうと思います。

 

 

 

まず、当該記事「公務員になるというリスク」の本旨、書きながら私が主に考えていたことは、端的にいえばこういうことです。

 

 

 

短期的な雇用関係の強固さだけをもって、自分の能力開発や働き方・生き方に主体性を発揮する必要がないかのように「錯覚」し、その結果、漫然と横並びで「大した実力のない中高年」になりながら、なぜか将来に大した不安も抱かず過ごせる職業であることが、即ちそこにぶら下がる個人を不安定にしているのではないか。

 

 

 

人生におけるキャリアデザインという点で、公務員は特に能力開発の観点で他の職業に劣ることはあっても、勝る点は少ないにも関わらず、「安定している」という評価を根拠に、主体的に自分の働き方・生き方を組み立てていく必要がない職業であるかのように考えられていることに危機感を覚えるんですよね。

 

しかも、その「安定」も雇用関係に大きく依存しているとすれば、自分たちがどう働くかの結果ではなく、政治の風によって左右される「安定」です。

自分以外の何物かに委ねられた「安定」って、本当に安定しているって言えるんでしょうか?

 

 

 

 

facebookのコメント欄でいただいたコメントの中を拝見して思ったのは、やはり公務員という職業のどの部分に注目して「安定」と評価するかは、色々な考え方があるんだなということ。

 

 

やはり雇用関係は強固だよね、という話もあれば、産休・育児休暇など働きやすさの観点、自治体であれば転勤が無いことなど条件面での話題もありました。

 

そういう点を評価して「安定」と考えることもできると思います。

 

 

また、キャリアパスで考えても、様々な部署を経験することを通じて、社会で活躍する上で本質的な考え方や能力を身につけることもできるのでは、といった評価も。

 

 

あと、これは私もそのとおりだと思うのですが、行政である以上、決まったルールに則った仕事が多く、そこで何か身に付くとか身に付かないとか言ったって仕方がないでしょ、というご指摘。確かにそうですね。

 

 

 

 

本当に色々なご意見があります。

 

 

 

 

今一度、私が記事を書いた本旨を更にコンパクトに言えば

 

錯覚し、怠ることによる不安定さ

 

です。

 

 

 

公務員は身分保障があり就職さえできれば安泰だと「錯覚」し、そのため自ら主体的にキャリア=働き方について考えることも、自ら主体的に能力開発について考えることも必要は無いと「錯覚」し、大過なく勤め上げて無事に定年退職し後は年金暮らしをしていれば成功だと「錯覚」し、その都度考えるべきことも、ちょっと背伸びして努力することも「怠る」ことが恥ずかしいことではなくごく当たり前だとされ、実際に怠ることで、その個人が不安定な状態になるのではないか。

 

 

 

 

今回のコメント欄でのやり取りを通じて、私自身はこの中でも特に、自ら主体的にキャリアについて考える必要が無い、という「錯覚」に強く違和感を感じることが分かりました。

 

 

 

なので、次の課題は

 

「現時点で身分保障があるとされる公務員にとって、自ら主体的にキャリアについて考えるというのは如何なることか」

 

について考えることです。

 

 

 

その問いに島田は答えられるのか、他者にキチンと説明できるのか、それができるように、今一度自分の中を掘り下げて考え、色々な人の意見にも耳を傾けたいと思っています。

 

 

 

おかげさまで(?)

今朝(6/16朝)、アップしたブログの記事がFacebookを通じて、ちょっといつもよりも大きな反響をいただきました。

もちろん、賛否両論。

 

 

 

ちなみに、記事を自分でシェアしたFacebookの投稿がこちら。

https://www.facebook.com/masashimada/posts/1345287942214529

(コメントも読んでいただきたいので、記事そのものではなくFBでの投稿のURLを貼り付けます)

 

 

 

共感するというコメントもあれば、「いやそんなことないっしょ」という方向のコメントも。

 

まずもって、ブログを読んで「いいね!」をしてくださったり、コメント(賛否どちらでも!)をくださった皆さんに、お礼を言いたいと思います。

 

 

 

私のブログは、自分が思ったことを、基本的に思ったままダラダラと書くだけの記事なので、日頃はそれほど多くの人に読まれてはいないと思うのですが、時折、Facebookで反応していただいて、アクセスが伸びたりすることがあります。

 

 

 

ここ数ヶ月で憶えているのは、以下のような記事でしょうか。

 

公務員として身につけた知識や能力、技術は誰のものか?

http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12266598232.html

 

公務員の「自主研」って人事当局的にはどうなのよ?

http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12257991392.html

 

課外活動やってる暇があったら、本業を頑張れ!と思う人にぜひ知って欲しいたった1つのこと

http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12242653239.html

 

 

 

 

そういう時は、今回もそうですが、やはり共感する声もいただければ、「いやいや、島田、それはちょっと違うっしょ」という声も同時にいただきます。

 

それこそが、ブログで自分が考えていることを、自宅のノートの片隅にそっと書き続ける行為とは異なる意義なのかなと、ブログを書き始めて記事が200~300本くらいになった頃、少しずつ実感するようになってきました。

 

 

 

 

実を言えば、怖いなって思うこともあります。

 

 

 

 

誰に相談することもなく、素っ裸の自分の考えを、ポンと公衆の面前に差し出す行為は、時として人の注目を集め、そのありようによっては多くの非難もいただくことになります。

 

 

 

今日のブログをFacebookでシェアした後も、徐々に伸びていく「いいね」と賛否両論のコメントに、多少胃が痛いような気になったのは、恐らく錯覚ではないはずです。

 

ホント、私はそんなにハートが強いわけじゃないんです。

 

 

 

 

 

でも、書きますよ

 

 

 

 

色々とムフフニコニコなことも、色々とムムムガーンなことも、全部引き受けながら、書いて、公表して、また書いて。そうやって続けていくんだろうな~って思います。

 

 

 

それによって、これまで出会えなかった人とも出会えるし、見ることができなかった景色も見えるようになることを知ったから。

 

 

なりたい職業ランキングや子どもに就かせたい職業ランキングで常に上位になる公務員。

 

 

 

公務員になりたいという人や、子どもが公務員になったらいいのにと思う親は多いと聴きます。

 

 

 

理由は様々でしょうが、よく聞くのが、公務員は安定しているという評価。

 

 

 

でも、私は公務員を安定した職業だとは思っていません。

 

 

 

そもそも、安定した職業を考えるときの、その“安定”ってなんでしょう?

身分保障のことでしょうか。所属する役所という組織が潰れないということでしょうか。

 

確かに今の公務員はそう簡単にクビにはなりませんし、役所という組織は企業が倒産するように潰れることは、ほぼ無いでしょう。(夕張市の例をどう評価するかは様々ですが、組織としては倒産せずに再生しています)

 

 

しかし、そう遠くない将来、公務員の身分保障は緩和または廃止されるのではないかと、私は感じています。

 

 

 

AIの登場を待たずとも、公務員に任せるべき仕事は日に日に減っています。どんどんと外部委託が進んでいるのに加え、そもそもの業務の見直し、自助共助の文脈で市民に自ら担ってもらう役割も増えていく一方です。

 

いずれ、今の270万人以上いる地方公務員の全員を食わせるだけの仕事を、役所は維持できなくなります。

 

 

 

身分保障が緩和または廃止されて、公務員から他の仕事へと転職する可能性が増えたとき、公務員の転職市場での戦闘力の弱さは個人の努力でカバーするしかありません。

 

 

 

そこに私は大きなリスクを感じます。

 

 

 

また、仮に身分保障が保たれた状態だったとしても、自分のキャリアデザインを考えたときに、自分の関心や適性、将来的な生き方を考えたときに、他の職業に転職できるようなスキルや専門的な知識が高まらない職業というのは、自由度が低くしなやかさに欠け、即ちレジリエンスが欠如していると思うのです。

 

さらには、仮に現役時代は公務員として勤め上げても、退職してから30年の人生が待っています。30年間ずっと年金に頼って、自宅でテレビを見て過ごすことはできません。

でも、公務員だけをずっとやってきた人が、60歳や70歳になって、一体どんな価値を社会に提供できるのでしょうか。無自覚に公務員を続けているだけでは、これからの100年人生において、後半の20年、30年を活き活きと過ごせるかどうか、という点でも公務員という職業にはリスクがあります。

 

 

 

他の職業で通用するようなスキルも専門知識も高まらないまま歳を重ね、これまで自分たちを守ってくれると思っていた身分保障も怪しくなりつつある職業。しかも、100年人生の後半の選択肢が狭くなりがちな職業、それが公務員です。

 

 


かくいう私は、公務員を安定で9時5時だという点に魅力を感じて入ってしまったクチです。

ただ、私が幸運だったのは、入ってみて仕事が楽しくて、職業としての公務員を好きになることが出来たことです。もしそうでなかったら、ちょっと悲惨だったかもしれません。

 

 

 

だからこそ、公務員を目指す人は、本当に“公務員という仕事”に就きたいのか、“安定や9時5時といった表面的な魅力”だけに惑わされているのか、しっかり自分に問い直すことをおススメします

“君の夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで走ってきた”
(『Funny Bunny』/ the pillows)


 

私が好きな歌の歌詞です。

 

 

 

一昨日のブログでも書きましたが、ワークショップデザイナー育成プログラムで6月11日(日)は全体の中間報告的な発表の場。

自分たちの作ったワークショップを実際に体験してもらい、それに対して色々な人からフィードバックをもらう日でした。

 

 

 

その日は、青学のキャンパスの中のとある校舎の2フロアを使って、メインとなる講義室では、たくさんのチームが順番を待ちながらギリギリまでワークの内容や進行を確認し、一方で、ワークショップ本番の会場となる各講義室では、同時並行で各チームによるワークショップと参加者によるフィードバックが。

 

 

 

受講生は、自分が企画者として実施するワークショップの会場と、メインとなる待合室的な講義室と、自分が参加者として参加するワークショップの会場とを慌しく行ったり来たり。

 

 

 

その、なんというか、みんなが行きかう様子や、講義室で熱心に打ち合わせる様子、試してみたワークショップに対する講師からの指摘を真正面から受け止めるしんとした表情だったり、そういったことを見ていたら、ちょっと、ジーンときちゃいました。

 

 


 

 

 

みんなワークショップデザイナーになりたくて、チームメイトと睡眠時間も削って一緒にワークショップを企画して、それを一所懸命にファシリテーターとして進行して、参加者や講師のフィードバックから精一杯学ぼうとしている姿は、とても素敵だなって思いました。

 

 

 

 

 

そして、この記事の冒頭の歌の歌詞を思い出しました。

 

 

 

 

 

“君の夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで走ってきた”
(『Funny Bunny』/ the pillows)
 

 

 

 

きっとみんな、自分の向かい風の中を走ってる。

 

 

 

 

 

今度の土曜日はこの講座を一緒に受けている25期生が一緒に対面講座に集う最後の日。少しでもたくさんの同期生と出会っておきたいな。


楽しい。

 
 
 
 
先日終了した連載のことを振り返って書いた記事の第2弾です。
ちなみに、第1弾の記事はこちら。
 

連載を書いてみて分かった 3つのこと(連載の総括①)

https://ameblo.jp/shimada10708/entry-12278814706.html

 

 

 

 
書くことはやっぱり楽しい。
 
 
でも、依頼されて書く原稿は、楽しいだけじゃなくて、悩み苦しむことも多いのが実際のところです。
 
 
 
それでも、全部総合して考えたら、やっぱり楽しい。
 
 
 
じゃあ、こうやって原稿を書くことを職業にできるよ、っていう事態になったら「やったー!ぜひ!ぜひ!」と思うかというと、それはちょっと違います。
 
 
 
それは書くだけでは月に必要な生活費を稼ぐことはできないから、という現実的な問題もさることながら、一番の大きな理由は
 
書くことが主たる仕事になったら、
書くことが無くなるから。
 
 
 
原稿を書くのって、ホント雑巾を絞るような作業だなってよく感じるのですが、それは水をたっぷり含んでいるから絞れるわけです。
 
 
 
今の私は、公務員の仕事をやり、他にもいくつかの課外活動(志事 "こころざしごと")をやっているから、そこで経験したり感じたりすることをどんどん書きたいと思います。
 
仕事も志事も、もちろん家族や友人との私事も、書くという行為からそれらの活動や人との交流を見てみると、それらは日々、とても大切なインプットの数々をもたらしてくれています。
 
 
書くことが主たる仕事になったら、
書くことが無くなる。
 
これは、そういったインプットが無くなったら書きたいと思うことは激減してしまうという意味です。だから、きっと書き続けることも大変になる。
 
私が書くことにたくさんの時間を費やして、公務員の仕事も課外活動もしなくなったら、書くために絞っていた雑巾を、水に濡らすのを止めて絞る動作ばかりすることになってしまいます。
 
 
 
雑巾はカラッカラなのに。
 
 
 
でも、おかげさまで今は仕事でも課外活動(志事 "こころざしごと")でも色々な人に関わって、刺激を受けるので書きたいと思うネタはたくさんあるんですよね。
 
 
 
だから、ブログが活きてくるんだと、連載などちゃんと依頼を受けて書く経験をして自分の生の感覚として感じることができました。
 
 
 
 
 
仕事や課外活動(志事)や私事
 ↓
ブログに書いて発信
 ↓
ブログなどをきっかけにした
新たなつながり、活動の拡がり
 ↓
たまに依頼されて執筆
 ↓
仕事や課外活動(志事)や私事
 ・
 ・
 ・
 
 
 
今の私は、様々な活動とブログでの情報発信とが、いい感じでリンクし、循環し、でも、時には循環から飛び出して、といい感じです。
 
例えば、仕事や課外活動で見聞きしたこと、考えたことなどをブログで発信します。
すると、今後はブログを読んで新たに繋がってくれる人がいたり、その新しいつながりが新しい活動のきっかけになったりと、ブログが活動を拡げるきっかけになっています。
そして、活動が拡がれば、益々ブログで書きたいことの幅も拡がり、中にはより深く書けることも出てきます。
それを読んでくれた人と、また新しく繋がれて、その中には雑誌などへの執筆を依頼してくれる人も出てきたりして・・・。
 
 
 
今はこの循環の中をうまく泳ぎながら、時々ちゃんとした記事を書かせていただく場もいただけるという、私にとってはとても理想的な状態みたいです。
 
 
 
 

受験ジャーナル連載の話はこちらの記事もご参照くださいニコニコ

 

1(ご報告)連載開始「公務員のリアル」@公務員受験ジャーナル

右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12214179817.html

 

2連載第2弾は内閣府への派遣について!
右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12231473335.html

 

3化学技師のリアル!?(受験ジャーナル連載中)

右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12242760049.html

 

4“自主研”のリアル(受験ジャーナル連載中)

右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12250789287.html

 

5“残業”のリアル(受験ジャーナル連載中)

右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12260589335.html

 

6“新プロジェクト”のリアル(受験ジャーナル連載中)

右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12268973648.html

 

7“人事異動”のリアル(受験ジャーナル連載中)

右矢印http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12278772141.html