ストレングスコーチのちしきです。
最近の当ブログの検索結果を見たら、5名の方が「共感性」というキーワードで訪れてくれていました。
自分にはない資質なので、あまり書いてはいないはずなんですが。(^_^;)
ということで、今回は「共感性」について書いてみたいと思います。
私自身は、会社員時代「共感性」ないなぁ…とつくづく実感していました。
あまり、人の気分というものを察知することができないのです。
同じフロアで働いている人が、例えば何かしら事情があり落ち込んでいるとか、体調が悪くて調子悪そうにしているとかの状態にあってもなかなか気づけなかったのです。
基本、「責任感」「アレンジ」の実行力で一人で集中して何かをやっていたり、「内省」で自分だけの世界に篭っていることも多いのもあるとは思うのですが、一人ひとりの気持ち、気分に対してはあまり注意が向きません。
なので、上に書いた少し普段とは違う状態の人がいた場合、そこに気づくのは他の人の言動からです。
例えば、
「◯◯さん、調子悪そうだけど、大丈夫?」
という具合に誰かが声を掛けるのを見て、
「あっ、◯◯さん体調悪いんだ…」
と初めて気づけるという具合です。
なんて冷たいやつだ!と思われるかもしれませんが、だってわからないものは、わからないんだもの。(^_^;)
「共感性」の資質を持つ人は、一人ひとりの気持ち、気分、感情に知らず知らずにアンテナが立っていて、敏感にその変化を感じとることができます。
そして、いつもとは違うその人の状態を放っておけずに声を掛けます。
ちなみに、私も「調和性」という同じ人間関係構築力の資質をコアな資質として持っています。
「調和性」と「共感性」の違いは、場の空気を察知するのか、一人ひとりの気分を察知するのかの違いです。(もちろん、両方持っていれば両方察知してしまいますね。)
「共感性」上位の人は、一人落ち込んでいる人がいると、その人のことが心配となり寄り添おうとします。
でも、「調和性」上位の人の場合は、その落ち込んでいるという状態がその場にそぐわないと感じる場合は、その人に対して若干ネガティブな感情が湧きます。
例えば、何かのお祝いごとの集まりで皆が楽しそうにしている時に、一人ぽつんとうつむいて寂しそうにしている人がいる時、「共感性」上位の人であればその人のことが心配で声を掛けるでしょう。
こういう場合「調和性」が上位だと、状況次第ではありますが、そういう人がいること自体でその場の雰囲気が壊れてしまうことの方が気になってしまうのです。
「せっかくのお祝いごとなのに…」と。
やっぱり、冷たいやつだなぁ。(^_^;)
「共感性」を持っている人が気をつけた方が良いのは、相手の気持ちを汲み取るあまりに相手のネガティブな感情を増幅して受け取りがちだということです。
相手は大して気にしていないのに、何か自分の言ったことが相手を不快にさせたのではないかとか、傷つけてしまったのではないかと勝手に想像してしまいがちだと思います。
特に「内省」を併せ持っていると、くよくよがぐるぐると回りやすいと思います。
なので、「共感性」を上位に持つ人は、周りの人と適正な心の距離を置くことも必要かもしれません。
一方、「共感性」が上位にありながら、その自覚のない人もたまにいます。
そういう人は、自分の「共感性」が働くとしんどいことが多くて意識的にそのアンテナをしまい込んでいる場合があります。
相手の心には踏み込まずに、距離を置くことを意識しているといった具合です。
もし、そうであれば、それ自体が「共感性」が働いていることを示唆しています。
なぜならば、「共感性」を上位に持たない人は、そもそも他者との心の距離とかを気にすることはないからです。
私のように「調和性」「自我」で優しい人と見られたくて優しい人を演じている(笑)のと違い、「共感性」上位の人は心からの思いやりで優しい人だと感じます。
空気のように漂っている人の気持ちを感じ取ることのできる才能は、後天的には決して得られないものです。(元々赤ちゃんの時は誰でも持っていたものが、多くの人は成長の過程で失っていくとの説もあります。)
是非その才能を大切にしてください。
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