おはようございます。

momokoです。


先日、ママ友ゼロながら、持ち回りのクラス委員に晴れて(?)なった話をシェアしました👇



今回はその続きです✨



先日、各学年でクラス委員になった人たちは参加必須のPTA総会に参加してきました。


総会ではクラス委員の人たちで、さらに係決めをするとのこと。


もともと「どこかの自治体のように昭和の遺物のPTAは解散したらいいと思う…」と思っている私。PTA総会めっちゃ緊張🫨


でも!意外なことに学年全体の保護者会より居心地ラクだったんですよ。これには驚きました。私が保護者会で異様に疲れる原因と対策もわかりましたので、これはまた別記事で書こうと思います。



私は今回とある係になって、その中で書記を自分から引き受けたのですが、その後の動き方で、正直ものすごくパニックになりました😂


なんか思ってた書記のイメージと違うんですけど。これ、負担多いよ?😅と決まってから仕事の内容を知る私。でも手をあげたのは自分。



「じゃんけんで負けて部長になるのは避けたい!と思って書記に手を挙げたけれど、蓋を開けてみたら……こっちの方が大変そうだったというオチでした(笑)小賢しいことは考えてはいけませんね(笑)



前任の方から「あなたの方で割り振っていいから」と言われた言葉を、あまり深く考えずにそのまま鵜呑みにしてしまい皆さんに伝えたものの、


「もしかして反感を持たれたかも?」


そんな不安で、心がいっぱいになりました。


わーなんか仕切ってるって思われてるだろうなぁ。

いや、なんで事務苦手なのに手をあげた?


帰ってからで「あれも決めてない、これも決めてない」と氣づき、


「私はなんて仕事ができないんだろう」

「私が下手に出しゃばってしまった」


と、何度も自分を責める言葉が浮かびました。


消えてしまいたい。

最低だ。


そんな思いが、ぐるぐると胸の中に渦巻いていました。


なんと、極端な…😅って思いますよねぇ。

全然見守れてないって👀💦


でもね、これ避けちゃいけないやつ🫩

ごまかさずにこの感情を感じたいって思いました。


この浮き上がってきた感情を感じて手放すために

起こったのが今回の出来事。


実質、出来事は関係ありません。


自分を閉じて目をつぶって、ただそこにいる。


ヒーリングを提供しながらも、こんな小さなことで動揺している恥ずかしい自分と一緒に座る🧘



この居心地の悪さとともにいる。

消そうとしない。



呼吸を続けていくと少し楽になっていました。



少しずつ落ち着いてきた後に、ある言葉をネットでみて、それがすごく響きました。



「そんなにがんばってたのに、

どうしてそんなひどいこと、自分に言うの?」



ああ、私は、

ただ必死だったんだ。


スマートじゃなかった。不格好だった。

でも、私は、一生懸命だった。


それを、きっとスマートに立ち回れる人たちからは「キモイ」「うざい」と思われたとは思う。(被害妄想?)


まずは私が、自分にそう言ってあげよう。

そう思えたとき、

ほんの少しだけ、ほっとしました。


そもそも、「自分はできる」って思ってるから落ち込むっていう話ですよね😅あぁ恥ずかしい。


ヒーリングを提供しながらも、こんなにも自分の不器用さに苦しんだこと、正直、情けないなぁ…とも思います。


でも、「至らない自分から逃げずに、そっと待ってあげる」それもまた、癒しの道の一部なのかなと、感じています。


ここまで読んでくださった方、

本当にありがとうございます☺️💓



もし、今、自分を責めたくなる瞬間があったら、

そっと心に置いてみてください。


「そんなにがんばってるのに、

どうしてそんなひどいこと、自分に言うの?」



私も、至らない自分でまた一歩ずつ、歩いていきます〜🚶‍♀️‍➡️


あなたも、どんな自分とも仲良くなっていけますように✨



総会の時に土砂降りの雨でしたが、会が終わったら晴れてました☀️綺麗なお日様でした✨




追記

“恥を感じたときこそ、自分の一番大事な願いに気づけるチャンス。”


【なぜ「恥」は表面的なのか?】


「恥ずかしい」という感情は、ほとんどの場合、

「他人からどう見られたか」という外側の基準によって生まれます。


つまり

•ちゃんとできなかったかも

•失敗したと思われたかも

•頼りないと思われたかも

•でしゃばったと思われたかも


「自分がどう感じたか」よりも、

「他人がどう思ったか」に意識が向いている状態。


だから、「恥ずかしい」という感覚はすごくリアルに感じるけれど、それは実は、他人基準・外側基準に自分の感情をゆだねたときに表面に立ち上がる感情。



【でも、その奥にはもっと大事なものがある】


「恥ずかしい」の下に隠れている本当の感情は

•本当はうまくやりたかった。

本当は認められたかった。

•本当は受け入れてほしかった。

•本当は誰かと繋がりたかった。


こういう、ものすごく純粋な願い。


そしてこれは、
他人からしてほしいことじゃなくて、

•自分で自分を“よくできた”って思いたい
•自分が自分を認めたい
•自分が自分を受け入れたい
•自分が自分と繋がりたい

といった
自分が自分にしてほしいことなんですよね。




つまり、「恥ずかしい」は、このピュアな願いに傷がついたときの、表面的な痛み。


恥ずかしさを感じたとき、その奥にある「私は本当はどうしたかったのか」を見てあげると、本当の自分にすごく深く触れられます



どんな感情の奥にも、

大切な「本当の願い」が隠れています。

それを静かに見つけていくことが、

自分を大切にする小さな一歩になるのだと思います。

私も偉そーに書いてますが、つい体が反応してしまうこと多数!
少しずつ向き合っています♪



momoko

はじめましての方はこちらもどうぞ虹自己紹介





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