コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方 2018.11.30 シアター・イメージフォーラム1 | ギンレイの映画とか

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 コスタリカに軍隊がないことは知っていた。それは素晴らしいことだと思っていた。スイスが永世中立国で他国の戦争には加担しないのと同様な感じで、自国に軍隊を持たないことが戦争に関わらないことに等しいと考えた。だが話を聞いてみないとわからないものだ。

 

 永世中立と軍隊を持たないのとは意味が違う。自国を守るための軍隊があれば、攻められたら軍隊は戦う。しかし軍隊がないので戦えない。もしもの場合は臨時に民兵を集めることになるようだが、常備軍はないし、軍艦も戦車も戦闘機も武器もないから、実質武器を持って戦うことができない。

 

 また中途半端な軍隊では簡単に負けてしまう。より強い軍備への道を進まざるを得ない。こうして軍備の陥穽にはまってしまう。持つか持たないかの二者選択しかない。

 

 さてそこだ、世界中のほとんどすべての国が規模の大小はあるが軍隊を持っている。特定される敵の有無がハッキリしてなくても軍を持っている。

 

 一番知っている日本を例に挙げてみよう。現在の日本に攻め込む国があるかどうか。中国、韓国、他のアジア諸国、ロシア、アメリカ、オーストラリア、はたまたヨーロッパの国々。いろいろ考えても今の日本の何を得ようとするのか。資源があるでなし、地震はあるし原発は怖いし、取れるものがない。

 

 強いてあげればアメリカが日本をアメリカの一州にする位だ。これは半ば成功しているようなもので、あえて軍隊で攻める必要はない。第一アメリカはそういう戦争はしない。

 

 憲法で軍隊を廃止したのは、コスタリカばかりではない。日本はどうだ。憲法に戦力は保持しないと書かれてある。これは世界に誇れるものである。憲法を読む限り、どんな武器も持たないことは明白だ。

 

 いっぽうコスタリカはどうだろう。アメリカ本土に近い分、アメリカからの圧力が強い。また近くの国からの干渉もある。ただ一国で独立を守るのは大変だ。

 

 アメリカのやってきたこと、やっていること、やろうとすることを見れば無法の乱暴者である。南アメリカ諸国及び中央アメリカ諸国を、自国に従えさせようと画策した。方法は、直接手を下すのではなく、アメリカの傀儡政権を作り、政府高官に甘い汁を吸わせ、国としての発展を阻害する。いつまでも貧しいままの国民は捨て置かれる。麻薬のマフィアやギャングがのさばる。少しでも歯向かうような政権はひっくり返す。この連続だ。だからいつまでたっても安定する国にならない。ずっとそうされてきた。

 

 その中コスタリカは圧力や干渉に耐えてきた。不断の努力は必要だった。前半明るい国情をうたいあげる画面が続くが、そういう明るいばかりではない現状が後半に紹介される。

 

 いくつかの項目に沿って紹介される歴史。国は一国で成立していない。周りの国や他の国に認められ存在する。人が1人で生きられないことと同じだ。個人個人を見ると善良で正直な人が多いのに、国単位になるとそうでもないのはなぜだろう。

 

 社会を動かす見えない大きな力がある。それが空間を飛んで影響を与えてゆく。空気のようなもの、姿の見えないもの、だけど強力なもの。ブラックマターのような正体不明なものが世界を支配している。わからないけれど一応安定した秩序がある。それが一体何なのか、まだわかっていない。

 

 アナログがデジタルで解析できるように、人の気持ちも分解して解説できるものか。物理現象が絶対的であるように、人間に未来も決定されたことなのか。

 

 アメリカと言う最悪の国家は自分のことを理解していないことが、彼らに不幸をもたらしている。それは日本でも同様だ。日本と言うアジアで最悪の国家が、自分を省みる事なく、我をはり続けている。歴史を学ぶことをしないままでは先を見通せない。

 

 憲法という看板には軍隊はないことになっている日本。決めたことをきちんと守っているコスタリカ。外からの圧力に弱い日本。アメリカに負けないコスタリカ。軍隊のある日本のほうが弱いのって?

 

監督 マシュー・エディー マイケル・ドレリング

出演 ホセ・フィゲーレス・フェレール オスカル・アリアス・サンチェス ルイス・ギジェルモ・ソリス クリスティアーナ・フィゲーレス

2016年