アメリカ大統領に似ていることから時の大統領に臨時でならされた人物デーヴがいて、そのすぐあと当の大統領が倒れ意識不明になってしまう。ひきつづき偽の大統領として任務に就くことになる。
身代わりになる人が存在するのだろうか。よほどのことがない限り、別人を仕立てることの方が危険だ。それも現在の世の中、テレビカメラは正直に写しだす。これが武田信玄の影武者というなら、いても不思議はない。だからこの映画は現代のメルヘンと考えてみればいい。もし、こんなことに普通の人が巻き込まれたら、どうするだろう、どうなるだろう、と。
デーヴ・コーヴィックが大統領の身代わりを勤めることになる。だがそれはほんの数時間だけのはずだった。彼の役目は何の言葉も発する必要はないのはもちろんのこと、部屋から出て、車に乗ればOK、というものだった。それがその車の中から家に帰れるはずが、家は家でも大統領の家、ホワイトハウスへ心ならずも帰ることになってしまう。
その事実を知っている人間は彼を含めて三人だけ。ただ、大統領には妻がいて、彼女の存在は無気味である。それは彼女が妻というごく近い関係から彼がにせものであることはすぐに分かってしまうに違いないからだ。近頃、二人の間がさめていたにしても。
「メジャーリーグ」では、大勢の人から声援を受ける快感を感じ、この映画からは、大きな権力を持った時、どんなことでも出来てしまうのではないかという錯覚におちいる瞬間を意識した。アメリカの大統領だもの、何でも来い、と大見栄を切ってもみたくなるじゃないの。そう、私だったら、まず核兵器をなくす。世界の憲兵の地位から下りる。アメリカが潜在的に持っている強力な経済をうまく活かすことに全力を上げる。軍隊を解散し、武器を捨てる。したがって、個人所有の武器の携帯も禁止する。無駄なことへの予算が福祉とか弱者へ向けられるから、みんな幸福、にこにこ顔になる。と、こんな風に事がうまく運べば言うことないが、そんな一人の努力も大きな抵抗にあうだろう。
政治の仕組みがどうの、政治家がどうの、といっても結局それを作っている単位が国民の一人一人なのだから、個人の意識の変化を待つしかない。でも、それでは何百年かかっても世の中良くなりはしない。意識的な誰かが強引にでも進める何かに乗っかって、少しづつ動かしてゆく。だから、この映画のような奇跡が起こるのを望むことも一つの方法である。デーヴがミッチェル大統領と入れ替わって、人々に好かれる政治を推し進めることは不可能なことではない。アメリカも案外こんなふうに変化していくかもしれない。
政治の世界が複雑かつ巧妙になってしまっていて、その病巣の治療は出来そうにない、とほとんどの人は諦めてしまっている。いや、出来るだろうという幻想に取り付かれていると言ってもいい。見かけだけ、口先だけの政治家にだまされてばかりいて、いつになったら目が覚めるのだろう。もう人間はどうしようもない馬鹿でのろまで、愚か者ばかりなのだろうか。普通の人の感覚で政治を動かすのは間違いなのか。失業者をなくすのがおかしなことなのか。全能の神みたいな大統領の権力をまともに普通の人が普通の感覚で遂行したら、きっと素晴らしいアメリカが生まれるのではないか。一般人が政治家になって何が鈍るのか、何に毒されてしまうのか、とてつもないしがらみにがんじがらめにされてしまうのか。実際はそう簡単なことではないのかもしれない。それは分かる、人間の欲の深さに溺れそうになっても、普通人の感覚を時々思い出せば、もうちょっとましな政治を行なってゆけるのではないか。個人の欲望と確執、こんなことが政治の世界にあることからして、変なこと、より高い位置での営みが彼ら政治家に課された仕事だ。
こういうことを考えるにつけ、思い起こされることがある。中学一年の時だ。フレッシュマンの先生がいた。彼はこれから始まる学校生活をとうとうと話し、理想に燃えた目をしていた。ところが一年たったら、他の先生と同じ目の鈍ったただの職業先生になっていた。がっかりしたね、そして世の中そんなものか、と思った。中学一年生にそんなことを思わせるなんて、ひどい先生だ。理想主義は多少浮ついているかも知れないが、とても大事な考え方だと思う。それを見事に自分でつぶしてしまった◯◯先生(名前忘れた)、一生恨むぜ。
この映画をクリントンも見たというが、どう思っただろう。彼も理想に燃える目を持っていそうな姿勢は見せていたが、この頃の言動を聞くにつけ、どうしようもない深い井戸から這い上がれないでいる蛙を思い浮かべた。アメリカの権力の頂点が深い井戸の底なのだから、さらにその下に位置する者に何を期待すればいいのだろう。そりゃあ、こういう映画が作られるのだから、一概に希望を持てないなんて言ってはいけないかも知れないが、なにしろ国民は数億人いて、彼らの全てに周知させる困難さの方が先に立つ。
私個人としては理想に生き、理想を追求していきたいとは思っている。でも、誰もがそうするとは限らないし、そうはならないだろう。どちらかというと、ペシミスティックに考えている。生物としての人間には将来はごく限られたものであろうこと、これは確実だ。人口問題がすでに今でも最大の危機だ。人口と食糧のバランスが取れているとは思えない。なのに、どんどん人口が増えている。エネルギーも問題だ。石油は近い将来底をつく。原子力は危険過ぎる。風力、海水、地熱、今出来る安全な発電に切り替えないと、別な危険が待ち構えている。今世紀から来世紀にかけては人類が滅亡するか、長く生き延びられるかの最後の勝負時だ。首尾良くエネルギー問題の解決をみれば、愚かな人間たちも後数百年は生き永らえるのではないか。まあ、人間がいなくなっても地球にとってはまったく影響がないばかりではなく、むしろ人間以外の生物にとっては大いにありがたいことだろう。それでも地球は動くのだから。
監督 アイヴァン・ライトマン
出演 ケヴィン・クライン、シガニー・ウィーヴァー、フランク・ランジェラ、ケヴィン・ダン、ヴィング・レイムス、ベン・キングズレー、チャールズ・グローディン、フェイス・プリンス、ローラ・リニー、ボニー・ハントパーリー・ベア、ステファン・ギーラッシュ、アンナ・ディーヴァ・スミス、ラリー・キング
1993年