ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

飯田橋にあるギンレイホールにデジタルシステムが入ったと聞き、まだやる気があるのを知って、又ギンレイ・シネマクラブに入ろうと決めた。
これを期に、最近つとに怠けていた感想文という駄文をつけてみることにした。

 自閉症がどういうものか、身近にいないのでわからない。知っていると言えば鋭い感覚を持っていて芸術的センスがあるくらいか、それも映画からだ。

 

 原案と脚本の山野海さんをはじめ、エンドタイトルにも関係者の協力があって、きちんと実態を把握した上で作られている。観客に誤解されることのないようになっている。これは大事なことで、私のようなに簡単に短絡してしまう者にはいくら丁寧に作っても良い。言葉や行動について逐一説明をされているようになっていた。実際私だったらどんな失礼なことを言ってしまうかと見ていて心配になった。

 

 当事者と寄りそう人は常に気を張っているだろうし、と言って彼の言動がもたらす全てに責任があるわけではない。これは振り返れば自分のことでもある。他者にどう思われているかを気にしているようで、無意識に酷いことになっているかもしれない。迷惑をかけるな、という言葉はよく言われるが、迷惑をかけないではいられないのが人間だ。誰もが誰かの助けがあって生きている。重みや力量は違っても助け合っている。出来ることと出来ないことは補っていけばいい。

 

 兄の大貴は自閉スペクトラム症でサポートを受けながら清掃の仕事に就いている。兄妹はそれぞれ独立して暮らしているが、連絡は密にとっていた。

 

 日向希は田澤雅也にプロポーズされて結婚モードに入る。互いの両親に会いに行く。結婚の了解は極端に言えば電話で済む話だ。挨拶に行くのは礼儀だろう。そこには問題がある。兄の存在だ。兄のことは知ってもらいたい。新たな結婚生活に兄の存在を無くすわけにいかないことを。

 

 希の母は亡くなり父とは疎遠になっている。こちらの側はあてにできない。兄と妹は離れ離れになるかも知れない。この問題の解決を早急に出すことはない。でもなんとかする、なんとかなる、明日のことはわからない、それは誰でも同じこと。

 

監督 小林聖太郎

出演 安田章大、のん、伊島空、高山トモヒロ、谷村美月、福田転球、芦川誠、早織、久保田磨希、河野咲良、高田幸季、武藤凪、林英世、神野三鈴、菅原大吉

2026年

 おもちゃを作る工場がまるでおもちゃ、なのは楽しい。もちろんそれを創造する人はおもちゃみたいである必要がある。夢の工場であるハリウッドが夢見がちな大人たちの集まりであるように、そこに邪悪な人間の入る余地はない。

 

 そういうのって理想ではあるけれど、商売ともなればそうばかり言ってはいられない。金儲けが悪いことではないが、そればっかりになる傾向が良くないことなのだ。いわく資本の論理に照らして、どんな手を使っても金になりさえすれば何をやっても良いことになりかねないからだ。そして残念なことにこの世の中、そうなっているようなのだ。

 

 子供向けのおもちゃを人殺しの道具にしようという考え方がそう突拍子もないことでもないのが恐い。兵器の対極にあるようなおもちゃからの発想であるから、そんなひどいこと、と思うかも知れないが、船とか、車を作っている会社が武器を作るのは現に行なわれているし、思いっきり変な感じはしない。でも、誰が何処で作っても、人殺しの道具は平和を作らず、争いを拡大させるものでしかない。

 

 工場で生産されたものが何処かで使われなくては、作った甲斐がない。それが武器、兵器となると、世の中が平和だと使う必要がないから、世界のあちこちに火種を作ってむりやり兵器産業を栄えさせようとする。どの産業に限らず資本の論理は働き、消費を無理強いする。宣伝をばんばん打って物を買わそうとし、借金しても手に入れないと満足出来ない人間が溢れている。買い物も店に行って買わなくても済むようになった。

 

 人を幸福にする物を作るのだったら悪くはない。元来、人が働くのはそのためなのだ。それがなぜか変な方向に行っちゃって、こんなおかしな世の中になってしまった。全ての物事に白黒つけることは出来ないが、好き嫌いは言える。不景気になった時に真っ先に締め付けられる、あってもなくても良いようなものが、実は大切なものなのだ。自分のやりたいことをし、好きなものを集める。他人がどう思おうが好きなんだから構わないじゃないか。

 

 ロビン・ウイリアムズがこの映画ではとてもいきいきしている。彼はきっとどんな映画でも、かなり押えられていると思うが、この映画ではそれがないようだ。だから、思い切りアドリブをかましてるんじゃないかと思う。彼をそういうふうに自由にさせるとまとまりのないものになるから、今までの映画ではそうさせていなかったのだろうが、この映画では雰囲気にぴったりはまって彼以外にはこの役は考えられない。きっと彼を想定して書かれた役なのだろう。

 

 少し大き目の服を着て、カラフルな工場内を巡る時、アイデアがひらめく時、新しい製品を会議にかけるとき、彼の表情豊かな顔がめまぐるしく動き、口を開けば、言葉が溢れる。そんなにこやかな顔が怒りに燃えることになる。

 

 父である社長が亡くなり、新しく叔父が社長に就任し、ひそかに工場の一部を使って、何かを作り始め、それが何なのかが分かり始めた時、戦わざるを得ないと覚悟した。新しい社長は軍人だった。しかもとびきり軍国主義者で、武器にできるおもちゃを作ろうとした。将来的には軍需産業に進出するつもりだ。軍国主義対平和主義の争いが開始される。

 

 見始めたとき、これは90年代の「チャンス」になりうる映画かな、と思ったのだけど、その域には達さなかった。それは、おもちゃの反撃のアイデアがまともすぎること、相手と同じ手で攻めたのでは平和的解決にはならない。どうすれば良いのか、私の頭では考えられないが、何かあっと言わせる大団円だったら、どんなに良かっただろうに。

 

監督 バリー・レヴィンソン

出演 ロビン・ウィリアムズ、マイケル・ガンボン、ジョーン・キューザック、ロビン・ライト、L・L・クール・J、ドナルド・オコナー、アーサー・マレット、ジャック・ウォーデン、デビー・マザール、ウェンディ・メルヴォイン、ジェイミーティーフォックス

1992年

 戦争を始めるに際して、こんなプロジェクトがあったのは信じられなかった。戦争は個人の気まぐれから始まるものと思っている。最近の実例ですぐに挙げられる。プーチンといいトランプといいネタニヤフといい、さらに戦争に加わりたい日本の総理といい、一人の突出したバカものが始めるものだ。これは言いきっても間違えではないだろう。特にアメリカは戦争したくてウズウズしてる。テロをでっち上げて攻撃するし、煙の立ってないところにも攻める。作った武器は使わなければ無駄になるから使う。最悪核兵器が使われれば人類の滅亡だ。

 

 そんな国々に比して日本がこのような企みをした。よくやってくれた。日本で行われたことが日本らしく思えないのは、日本は表面上のきれいさや正しさの建前を日本人が公認しているからだ。しかも戦前、今より旧癖な考え方だったにも拘らずだ。としてみると現代は戦前よりも遅れているってことか。タモリの言った戦前よりも完全な戦前ってことか。どっちにしろ戦争前夜あるいは開戦前夜くらいの違いか。

 

 ここに集められたのは選ばれた人たち、軍人以外は帝大卒ばかりなのを見て、基準がそれかい、と笑ってしまう。まあ優秀なのでしょう。頭脳明晰、今で言えば学術会議会員のような、と言っても誰彼は不明。彼らと私、あまりにもかけ離れすぎていて想像できない。

 

 結論はやる前から出ていたようなもの。誰が見ても、よほどの日本狂でない限り日本の負けは歴然としていた。戦争は物量比べだ。武器石油食料、最後に武士魂、神風もあった。精神力で勝てるんなら、初めっから神頼みのみでやればいいんです。神様が助けてくれるんだから、心配せずに突き進めばいいんです。

 

 ところが原人神の天皇がアレだからあてにならない。戦争責任をとらされなかったし、言葉のあやとか言ってごまかしたし。

 

 行き当たりばったりの軍人に任せておけば早晩破滅するに決まってる。このプロジェクト「総力戦研究所」は創設そのものが、間違いだったのではないか。あるいは自己満足で結果を待つ。でも戦争がシュミレーションだけなら良かったけど、じっさいに戦争があって、予測されたような結果があった。彼らはサディスティクな研究家でしかない。

 

 妄想を映画にすることはあるが、事実を作り話のように映画化したのは画期的である。もともとNHKの制作で、NHKはドキュメンタリーやドラマは頑張っている。ニュースが政府寄りで酷いが。

 

監督 石井裕也

池松壮亮、仲野太賀、岩田剛典、中村蒼、三浦貴大、二階堂ふみ、杉田雷麟、北村有起哉、嶋田久作、中野英雄、渡辺いっけい、別所哲也、松田龍平、奥田瑛二、國村隼、佐藤隆太、江口洋介、佐藤浩市

2026年

 アメリカ映画はひとくくりには形容できないバリエーションがある。それはアメリカ人を単色には表現できないのと同じ意味で、万人に楽しんでもらおう、という欲張りな企画でないと、アメリカでは受け入れられないからだ。だから大味でつまらないこともあるのは仕方ないことで、半数はそういう映画だ。

 

 それにしても、映画のアイデアは尽きない。この映画がどういう経緯で作られることになったかは知らないが、きっと主役のウーピー・ゴールドバーグに合わせてストーリーを組み立てていったのだろう。彼女の人を食ったような、それでいて憎めない人柄、達者な歌や踊り、派手な顔立ち、これをまるで合わないとんでもない所に置いたら、と考えたのだろう。

 

 アメリカには彼女のような芸達者がきっと五万といるのだろう。そのほとんどがしがないバーで歌っていたりする、この映画の彼女のように。彼女のボスが手下を殺したのを目撃したことから、どこかに隠れなければならないようになってしまう。ハーベー・カイテルのボスが案外臆病で、みずから手を下さない。これが後に彼女にとって幸運に働く。だからあの時逃げ出さなかっても殺されることにはならなかっただろう。

 

 警察は彼女の裁判に於ける証言が欲しかったのだから、警察に駆け込まなかったら裁判になることもなかった。警察が用意したうまい隠れ場所が修道院であり、彼女はそんな所ではきっと死んだも同然になるに違いないのに、あえてそんな所にしたのは映画だからだ。どこか遠くの街に行けばアメリカは広い国だもの、そうそう見つかることもない。

 

 さて、彼女のために用意された女の園は彼女にとって、水と油の場所だった。清らかな水にちょっと汚れた油が浮かぶ様子が見える。人里離れた山奥にある修道院ならいざ知らず、街のどまんなかにある教会に何人もの処女が戒律を守って暮らしている。キリスト教も所変わればなんとやらで、柔らかいのや、親しみやすい風になっているのもある。残念ながら、この教会は堅い修道女のおかげで荒れすさんだ近所からはかけ離れた存在になっていた。身近なところから味方につけて行かなくちゃいけないのに。

 

 物騒だからといって手を差し伸べないのはキリスト教の教義に反する。はじめは水の上に浮かんでいた油が次第に混ざり始め、見事に同化する。その触媒は歌で彼女が聖歌隊の指揮を努めるようになって、聞くに耐えなかったコーラスが耳を傾けるに値するようになり、彼女流の指導によって、見違えるような進歩を遂げ、教会の堅い扉も明け放たれるようになる。

 

 神のありがたい言葉を伝えさえすればよいのだから、効果的であればそれに越したことはない。生まれ変わった教会が近所の人々を引きつけ、旧態依然としていたものが蘇った。そしてカトリックの長である法王に拝謁されることになる。それはとても名誉なことなのだろう。いわば御墨付きを貰ったようなものだから、彼女は大いに働き、その日を迎えることになる。だが、ついに居場所を知られてしまった彼女の運命はいかに。もちろん、めでたしめでたし。これは続編きっと作られますね。

 

監督 エミール・アルドリーノ

出演 ウーピー・ゴールドバーグ、マギー・スミス、ハーヴェイ・カイテル、キャシー・ナジミー、ウェンディー・マッケナ、メアリー・ウィックス、ビル・ナン、ロバート・ミランダ、リチャード・ポートナウ、ローズ・パレンテイ

1992年

 

 

 小説は登場人物が少ないと読みやすい。多いと誰が誰だか分かりにくいし、そんな時は人物名をメモしながら読んでいく。これなら分かりやすくなる。映画では俳優の顔を見ていたので戸惑うわけもない。大いに特徴ある三人、見間違えたくてもできないもの!

 

 映画は見た。ついこの間のことだ。なにか物足りない気がした。小説を読んで、その気持ちが埋まった。

 

 ものごとを始めるのには準備が必要だ。サチエが食堂を、しかも異国フィンランドで始める手はずが詳細に書かれてある。そうだこれが映画にはなかった。

 

 ガッチャマンのミドリの日本での生活も書かれていて、それはそれで胸打たれる話で、これも省いちゃってる。映画は省くばかりだ。3人目のマサコはロストバゲージで動きがとれない。バッグは戻っていのこることになる。

 

 食堂を3人で考え考えしながらやっていく過程は映画と同じ。映画監督の荻上直子は脚本も担当している。彼女は映画化にあたって枝葉末節を切り取った。登場人物の日本生活は無しと。そう決めたのならいいでしょう。それで面白ければいいのだから。

 

 だけど裏側を知ったら突きたくなった。あれら全部取り込んでも良くないかな。作者の意図と映画監督の意図がずれてしまってる感じがある。

 

 映画の上演時間が3時間を超すことが増えた。以前は2時間半でも一部と二部に分けたりした。それが今や途切れることなく3時間。「国宝」がそうだった。観客としては同じ料金で長く見られるのは得した気がする。映画は1時間半から2時間の中に収まるのが標準であった。100分が最適。逆に80分とかだと時間的に損した気がした。基本中身の問題だが、楽しみは長く味わいたい。見てて時間を感じさせるのはたいくつってことで、時間を意識せずに終わってしまうのが良い。ああもう終わり、もっと見たかった、こうありたい。

 

 映画は鑑賞時間を縮めたり伸ばしたりできない。小説は読む人が自分で調整できる。勢いですっと読みとばしたり、じっくりと味わえる。それができる読書の方に軍配をあげよう。

 ロンドンからパリへ旅行したマリア(マレーネ・ディートリッヒ)は、パリで出会ったハルトン(ルヴィン・ダグラス)と恋に落ちる。帰国後、夫バーカー卿(ハーバート・マーシャル)は妻のパリ旅行を知り、ハルトンとマリアの関係を疑う。最終的に、バーカー卿はパリで二人を目撃し、マリアは夫の後を追う。

 

 ディートリッヒのイメージが、戦う女性というものが私にはあるので、どうしてもこのような映画を見ても、彼女何か言い出すぞ、みたいな構えが解けないで困った。

 

 この映画は恋愛遊戯とでも呼べるような甘ちゃんの映画で、私の彼女のイメージが実際にはこの映画の後に出来上がったものなのに、当時まだそうなってはいない人を当てはめることのおかしさに気づかなければいけない。

 

 昔の映画を見るとこういうおかしな事態が生じることがあることがわかった。それは一種タイムマシンの矛盾に似ている。理屈で割り切れそうでいて、そうならない。ロシアの皇帝の娘が出てきたり、ああいう社交界が実際にあってもはるかに縁遠いし、まして、彼らがどう工面して恋愛をしようと、どうなろうとどうでも良いみたいに思うしかない。ごく単純に楽しむには世界が違いすぎる、ということ。こういう映画に慣れてないのかな。大人のお伽話のようだ。

 

監督 エルンスト・ルビッチ

出演 マレーネ・ディートリッヒ、ハーバート・マーシャル、メルヴィン・ダグラス、エドワード・エヴェレット・ホートンローラ・ホープ・クルーズ 

1937年

  不動産会社に勤めているマリオン・クレーン(ジャネット・リー) は入金された金を横領して逃げた。これだけ明瞭な事件なのに被害者の温情で事件にならない手筈になった。金を返せば警察沙汰にしない、という。しかしその恩恵を受ける前に事件は凍結された。

 

 私はこの映画をテレビで見た覚えがある。前半のマリオンがモーテルに着くあたりでやめた。有名な映画で結末を知らない。テレビで見る映画ではない。そのうち巡り会う機会はあるはずだ。そういう思いでいる映画は多い。これはその筆頭にあった。

 

 シネマイクスピアリは突然こんなのをやる。映画好きがいるのだろう。映画館にはマニアが住む。むしろ棲んでいる。ここに来る人は映画が好きなはず、来る人も来てもらう人も映画好き。画面の片隅にいるヒッチコック発見。

 

 1939年アメリカに招かれ「レベッカ」をはじめイギリス時代からサスペンス映画を作り続けた。そのピークと言える今作、どんな具合か楽しみだ。

 

 マリオンが泊まったモーテルはたまたま見つけたところだった。嵐のような天候でよく確かめることなく空室ありだけで決めた。

 

 それが運の尽きだった。金品横領のしっぺ返しではないが、これも何かの縁だ。彼女の犯罪は確信犯だったが、彼のは病気? なんらかの情状酌量の余地はあるのだろうか。今なら裁判まで描いてくれたかもしれない。無罪!

 

 画面の全てに緊張が走り、ひとときも休ませてくれない。これじゃ居眠りもできない。

 

監督 アルフレッド・ヒッチコック

出演 ジャネット・リー、アンソニー・パーキンス、ヴェラ・マイルズ、ジョン・ギャビン、マーティン・バルサム、ジョン・マッキンタイア、サイモン・オークランド

1960年

 フィラデルフィアに住む12歳のジェンナーロは、映画館『ラ・パロマ』に入る25セントが欲しくてたまらない。祖父のガエタノ(アル・パチーノ)は、自分が死んだら25セントやるという約束をジェンナーロとしたが、ジェンナーロは大好きな祖父に死んでもらいたくない。

 

 アル・パチーノは見逃せない。彼が死にゆく者に見えない、それは精力的な力強さが彼全体から輝きだしているからだ。だからこの役にはぴったりというわけではないが、それを彼はうまさでカバーしている。冒頭のタイトルの後ろは古今の映画が流れる、ということはこれはよくある映画好きの映画かな、と思ったがそうでもなかった。

 

 ジェンナーロが入場料の25セントを得ようとする一日を描いている。それが彼の祖父の最期の日と一致しているからドラマとなる。祖父は一見精力的ではあっても、心臓が悪いのでは仕方ない。彼の最後の望みを孫が叶えてあげる。それは彼の若かりし頃のあやまちの清算であった。わだかまりを抱えたままで死にたくないものね。そう普段考えていても日々の生活のあれこれで忘れているうちに、死が先に来てしまったりする。そう考えると彼は幸いな人だ。最大の懸念が晴れたのだから。

 

 アメリカの南部の夏のある一日を丹念に描いていて好感が持てる。時代色もよく出ていたし、少し出来すぎた話ではあったが、印象に残る映画だ。原題のTWO BITSは映画館の入場料25セントという意味。

 

監督 ジョゼフ・ステファノ

出演 ジェリー・バローン、メアリー・エリザベス・マストラントニオアル・パチーノ、パトリック・ボリエロ、アンディ・ロマーノ、ドナ・ミッチェル、メアリー・ルー・ロサト、ジョー・グリファシー、ローズマリー・ド・アンゲリス、ロナルド・マクラーティチャーリー・スカリーズ、ジョアンナ・マリーン、ジョフリー・ピアソン

1995年

黒髪

 

 立身出世はいつの時代もあった。方法は時代によって変わってきた。江戸時代は仕官することであったが、彼はそれを飛び越えて高貴な家柄に頼った。政略結婚のようなことだが、彼のほうが下だ。なぜ彼の申し出を受け入れたのかはわからない。相手にされた女性は迷惑だったに違いない。望まぬ結婚に我慢できず夫を愛する気もない。かたや望みの立場を手にした武士は愛情のない結婚生活に嫌気がさした。捨ててきた妻が恋しくなったのだ。妻の長い黒髪にまた触れたい。京の古屋に帰ると妻は機織りをしていた。長い黒髪もそのままに愛しい妻はいた。一夜を共にし朝が来た。妻はそばで寝ている。黒髪が見える。ところがその、、、。

 これは映像で見せられるとよけいに怖い。

 

 

雪女

 

 雪女の話は知っていても、こうして見事な映像で見ると寒さが見にしみ、さらに裏切られた女の表情の変わりようは、まさに怪談だ。秘密は他人に話したくてたまらない。言っていいことと悪いことの区別はつく。しかし言ってはいけないと口止めされると、よけい話したくなる。

 

 彼は油断した。心地よい宵のひと時、ふと10年ほど前の雪の夜を思い出し、話しだす。雪女との邂逅を。今の暮らしが幸せすぎて、あの約束を破ったことにも気づかない。女はむしろ幸せを壊した男を呪った。復讐はどんな形で来るかわからない。

 

 

耳無芳一の話

 

 芳一が毎夜現れる武士の誘いに従い、連れられていく屋敷で語る壇ノ浦の戦いが、実演で見ているような壮絶さが伝わる。

 

 揺れる船上で刀で切りつけるのは剣道のような美意識はない。力まかせに振りまわされる刀は腕を切り顔をたたき首を切り落とす。多勢に無勢、平家は風前の灯、女こどもは海に飛び込み果てる。

 

 この世は無常、驕る平家は久しからず。勝った源氏も永遠ではなかった。幽霊としてなら永遠の命がある。この世の恨みつらみは霊になってから考えよう。

 

 

茶碗の中

 

 茶碗にうかぶ顔が何を表しているのか、八雲の小説で結末を記してないらしく、ここでもはっきりと終わりにしていない。この映画全体の終わりとしては、このくらいがいい。厳しい結末はいらない。

 

 茶碗で水を飲もうとする。水の表面に人の顔が見える。自分の顔ではない、見ず知らずの顔だ。

 

 一つ顔を片づけると三人の武士が現れる。どうやらあの顔の復讐らしい。身覚えの薄いのにとまどう。切っても切っても現れる。退治しようにない。手応えのない勝負になった。

 

 勘右衛門のとぼけた様子で終わらせるのでちょうど良かった。最後の顔にはびっくりさせられた。

        

 

 豪華な俳優陣は作られた頃の最高を取り揃えている。また名前は知らなくても見知った顔ばかりで、当時の充実さを現している。キャストを挙げてみて、どれだけ知っているかはクイズになる。わたしのばあい、約半数を知っていた。

 

監督 小林正樹

出演 新珠三千代、渡辺美佐子、三国連太郎、家田佳子、月宮於登女、田中謙三、中野清、石山健二郎、赤木蘭子、北原文枝、松本克平、

仲代達矢、岸惠子、望月優子、菅井きん、千石規子、野村アキ子、浜田寅彦、浜村純、中村賀津雄、丹波哲郎、志村喬、林与一、村松英子、田中邦衛、北村和夫、中谷一郎、友竹正則、花沢徳衛、夏川静枝、龍岡晋、北城真記子、桑山正一、鶴丸睦彦、谷晃、近藤洋介、山本清、小美野欣二、中村敦雄、関口銀三、宮部昭夫、永井玄哉、内田透、神野光、福原駿雄、阿部希郎、八木俊郎、阿部百合子、佐藤ユリ、佐藤京一、相川延夫、児玉泰次、前田信明、柴田光彦、梶春雄、義那道夫、田部誠二、成田光子、三倉紀子、長山藍子、中畑道子、

中村翫右衛門、滝沢修、杉村春子、中村鴈治郎、仲谷昇、宮口精二、佐藤慶、奈良岡朋子、神山繁、田崎潤、織本順吉、小林昭二、青木義朗、天本英世、玉川伊佐男

1965年

 横浜の黄金町が本当にこの映画に出てくるような場所だとしたら、あまり近づきたくない。昔の姿だとしても、今でもその名残があるはずだから、あんがい面白いかもしれないが。横浜は行っても中華街、ここは行く必要がないから、たぶん足を運ぶことはないと思う。

 

 原作のエド・マクベイン 『キングの身代金』を読んだ。そしたらあんがい多くの部分が映画に使われていて、それがしっかりとした芯になっている。映画だから視覚上で高台の邸宅を下から見上げるという形になっているが、基本は同じだ。製靴会社の主導権争い、間違えられて誘拐された子供、それでもなお身代金を要求する犯人。後半の金の受け渡しとなると、相当違ってくるが、本も悪くない。主犯だけが捕まり、従犯の二人は捕まらないという結末は快い感じさえした。

 

 さて、かなり前に見た時の印象が強かったので、ほとんどの部分は覚えていたが、前半の部分が思っていたより短くて、後半の犯人を追いつめていく部分が多かった。それは身代金の受け渡しのくだりの面白さが、私の中で拡大されて時間も長く感じられていたのだ。後半というのは、犯人の動機に関わってくるところで、これはかなり細密に描かれている。また、犯人がインターンであり、そこからモルヒネが手に入る状況であることが分かるし、とにかく理詰めで押してくるので、こちらとしてはなるほどと納得するしかない。

 

 モルヒネが持つ効果が実際にあれほどのものがあったのだろうか。薬としてのそれだけでなく、むしろ中毒者を事件に引き込むまでの力があったのかどうか、これは疑問だ。ただ麻薬が切れた時の苦しさは相当なもののようで、そんな時ならどんなことでも頼める。その弱みをついた犯人。

 

 動機はあった。インターンである犯人が持つに足る動機であったか。世の中には彼よりずっと恵まれていない人はいるのに、なんで彼が、と思ってしまう。だが、彼は彼なりのいじけた思いがあって、そんな計画をしたのだ。この点は原作の方が上だ。でも、映画は勢いで見せてしまうし、あまり理屈を考える間もなく、ああ面白かったとなる。それだけのパワーがある映画だ。

 

監督 黒澤明

出演 三船敏郎、仲代達矢、香川京子、三橋達也、佐田豊、石山健二郎、木村功、加藤武、山﨑努、田崎潤、中村伸郎、伊藤雄之助、島津雅彦、 江木俊夫、志村喬、藤田進、土屋嘉男、名古屋章、宇南山宏、牧野義介、鈴木智、田口精一、山本清、児玉謙次、伊藤実、鈴木治夫、加藤和夫、千秋実、三井弘次、北村和夫、近藤準、山茶花究、浜村純、西村晃、東野英治郎、藤原釜足、清水将夫、織田政雄、松下猛夫、清水元、沢村いき雄、清村耕次、大村千吉、田島義文、菅井きん、小野田功、冨田恵子、渋谷英男、松井鍵三、中西英介、葵正子、田英夫、八代美紀、小沢経子、清水由記、草間璋夫、熊谷卓三、生方壮児、堤康久、橘正晃、天見竜太郎、大滝秀治、梅野泰靖、武内亨、日野道夫、岩崎トヨコ、鈴木和夫、宮田芳子、田村保、常田富士男

1963年