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普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年1月29日(火)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、15:50~鑑賞。

「タレンタイム」

作品データ :
原題 Talentime
製作年 2009年
製作国 マレーシア
配給 ムヴィオラ
上映時間 120分

マレーシア公開 2009年3月26日
日本公開 2017年3月25日

2009年に51歳の若さで亡くなったマレーシアの女性監督ヤスミン・アフマド(Yasmin Ahmad、1958~2009)の遺作となる青春群像ドラマ。多民族・多宗教で構成されたマレーシアの国情を背景に、高校の音楽コンクール“タレンタイム”に臨む高校生たちが周囲と織りなす恋と友情、家族との葛藤と絆を瑞々しいタッチで綴る。ドビュッシーの「月の光」、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」などのクラシックに加え、マレーシアの人気アーティスト、ピート・テオ(Pete Teo、1972~)が作曲したオリジナル曲「I Go」、「Just One Boy」、「Angel」など、多彩な音楽が物語を彩る。

ストーリー :
ある高校で、音楽コンクール「タレンタイム」(マレーシア英語〈タレント+タイム〉で、学生の芸能コンテストのこと)が開催される。
ピアノの上手な女子学生ムルー(パメラ・チョン)は、裕福なムスリム(イスラム教徒)家庭の娘。父はマレー系と英国系の混血者、母はマレー系。2人の妹、マワールとムラティがいる。また、家族同然の中国系のメイド、メイリンがいる。タレンタイムのリハーサルのためにバイクで送迎してくれるマヘシュに恋をする。
マヘシュ(マヘシュ・ジュガル・キショール)は、耳が聞こえず(聴覚言語障害者)、手話で会話する高校2年生(最終学年)。インド人ヒンドゥー教徒で、母と姉バヴァニの3人家族。幼い頃に父を亡くし、母方の叔父ガネーシュに可愛がられている。ムルーのバイク送迎を仰せつかり、いつしか彼女に恋をする。
ハフィズ(モハマド・シャフィー・ナスウィップ)は、マレー人のムスリム。転校生(高校2年)で、学業優秀、歌もギターも得意。たった一人の家族である母は、末期の脳腫瘍で闘病している。自分で作った曲でタレンタイムに挑戦する。
二胡を演奏する優等生カーホウ(ハワード・ホン・カーホウ)は、ハフィズのクラスメイトで中華系。父に学校で一番の成績を取るよう厳しく言われている。転校生のハフィズに成績トップの座を奪われ、彼と打ち解けることができない。

ヒロインのムルーは最初、マヘシュが聾唖であることに気づかず不愛想な態度に怒るが、やがて誤解が解けて互いに惹かれるようになる。ムスリムであるムルーの家庭はマヘシュに寛大だが、ヒンドゥー教徒であるマヘシュの母は息子の恋人がムスリムと聞いて激怒し、交際を禁ずる。中国系のカーホウは、口には出さないが、密かにムルーへの恋心を抱いている。敬虔なムスリムのハフィズは、入院している母を毎日のように見舞い、ムルーとマヘシュの橋渡しをしてやる優しい男だ―。

マレー語・中国語・タミル語・英語など言語も複数飛び交う多民族国家マレーシア。マレー系、インド系、中国系など、民族や宗教の違いによる葛藤を抱えながら、彼ら若者たちはいよいよタレンタイム当日を迎える…。

▼予告編(「I Go」&「Angel」2バージョン連続版)

2019年1月22日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、17:25~鑑賞。

Foxtrot

作品データ :
原題 FOXTROT
[「フォックストロット(FOXTROT)」は、1913年にボードビルのコメディアン、ハリー・フォックス(Harry Fox、1882~1959)が自らの名を冠して披露したダンス。後にアメリカで人気を博し、現在もスタンダードなアメリカンスタイル社交ダンスの1種目として踊られている。多くのバリエーションがあるダンスであるが、そのステップは全て「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ」という具合に、スタート地点に戻って来る。ミハエル&ダフナ夫妻、そして息子ヨナタンを待ち受ける運命は…。「人は運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う」(ラ・フォンテーヌ)]
製作年 2017年
製作国 イスラエル/ドイツ/フランス/スイス
配給 ビターズ・エンド
上映時間 113分


第74回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)に輝いたヒューマンドラマ。息子が戦死したという誤報を受けた夫婦と、前哨基地で戦闘のない日々を送る息子の運命を描く。メガホンを取るのは、デビュー作『レバノン』で第66回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したイスラエルの名匠サミュエル・マオズ。『オオカミは嘘をつく』のリオル・アシュケナージ、『ジェリーフィッシュ』のサラ・アドラーらが出演する。

ストーリー :
イスラエルのテルアビブ。ミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)夫妻には、息子のヨナタン(ヨナタン・シライ)がいた。ヨナタンは軍役に就いており、イスラエルの軍事当局はヨナタンが戦死したことを伝える。
だが、その数日後、ヨナタンの死は誤報であり、戦死したのは同姓同名の別人であるとミハエルたちは知らされる。ミハエルは軍への不信感から激昂し、早急に息子を帰還させるよう要求する。「もう一日たりとも息子を危険な戦地には置いておけない」 彼は自身のコネを使い、すぐにでもヨナタンを呼び戻すことにする。
イスラエル北部国境付近。何もない土地にぽつんとある補給路の検問所を、駱駝(らくだ)が通過する。ヨナタンはこの戦場の緊迫感からは程遠い配置先で、同僚の兵士3人と共に、警備・監視を担当していた。来る日も来る日も同じ単調な任務の繰り返しだった。
ある日、検問所に若い男女4人を乗せた車がやって来る。いつも通りの簡単な取り調べが終わって、兵士の一人が間延びした表情で、「ドアからスカートが…」と助手席に座る女に話しかける。女のスカートが車のドアに挟まれていたのだ。女が慌ててドアを開けた瞬間、何かが兵士の足元に転がり落ちる。兵士が叫ぶ、「手榴弾だ!」 条件反射的に銃を連射するヨナタン。冷静になって仲間の足元に目を向けると、そこには空き缶(ジュースorビール?)が。車内から白煙と血が静かに流れ出てくる。4人全員が死亡。
大型レッカーがその現場に到着し、車ごと彼ら4人を土の中に葬り去る。ヨナタンたちに向かって、上官は言う。「我々は紛れもなくここで戦争をしている。戦場では何でもありうる。起きたことは仕方ない。この一件は、最初からなかったことにする」
その後、帰還命令が出て、軍用車で帰路に就くヨナタン。テルアビブへと向かう途中、一本道を走る車は、駱駝を避けようとして横転し、崖下に転落、ヨナタンは死亡してしまう…。
息子の実際の死に直面し、父親は悲しみのあまり自分を罰しようと熱湯を左手の甲にかけて火傷し、母親も食器洗い中に無意識にタワシで左手を異様に擦(こす)って手の甲をひどく傷つける。ミハエルとダフナは仲が冷え切って別居に及ぶ。
ミハエルが荷物をとりに自宅に戻ったとき、母であり妻であるダフナの本音が露(あら)わになる。人前では立派に“頼れる男”を演出しても、その本質的弱さは見え見えだったと、ミハエルを責め立てる。息子の訃報は誤報だった。ヨナタンは生きていたのだ。それで十分だったのに、即時帰還を要求した夫のエゴ!その結果、何が起きたか?「あなたが強硬に“今すぐ連れ戻せ”と。息子を殺すことになるとは知らなかったとしても、もうあなたとは寝られないし、生きられない」「子供が生まれる喜びは、やがて薄れてしまうけれど、失った悲しみは、永久に消えないわ」
ヨナタンの死後から半年ばかり…、ミハエル&ダフナ夫妻と娘のアルマ(シラ・ハース)は3人で一緒に暮らしている。アルマは「ふたりとも、一緒が一番似合っているわ」と言う。娘がその場を去った後、無神論者と嘯(うそぶ)いていた夫が、フォックストロットのリズムを妻に踊ってみせる。「知ってるかい、こんなダンスを」「前へ前へ…」「分かるか?どこへ行こうと、必ず同じ場所へ戻って来る」 それが、運命というものなのか?そのステップを何度も繰り返してみせるミハエルをそっと抱きしめるダフナ。互いの左手の傷を、重ね合わせる(結婚指輪を嵌めているのはミハエルのみ!)…。

▼ “運命のステップ”シーン→予告編



クリップ cf. “生々しく流れる人間の感情”(「京都新聞(夕刊)」2018年10月6日) :
「運命は踊る」

◆◇ サミュエル・マオズ監督(שמואל מעוז‎、1962年5月23日イスラエル・テルアビブ生まれ) インタビュー :
・インタビュー① (クリスチャン新聞オンライン-2018年9月13日)
――本作『運命は踊る』の原題は『FOXTROT』ですね。1910年代はじめにアメリカで流行した、4分の4拍子、2分の2拍子の社交ダンスステップで、“前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ”と元の場所に戻って来る。どうあがいても、いくら動いても同じところへと還って来ることを暗示しているような本作を撮った動機は何ですか。
マオズ監督 私と長女の経験が一つのきっかけでした。長女には遅刻癖があって、いつも学校に遅刻しそうだと言ってタクシー代をねだりました。ある朝、私は叱って強引にバス通学させました。30分後、ニュースサイトで彼女が乗車したであろうバスが市内で爆破テロに遭ったと報じました。いくら携帯に掛けても連絡が取れません。ところが、1時間後に帰ってきたのです。なんと、そのバスにも乗り遅れたと言ってね。私にとっては人生最悪の1時間でしたが、彼女の遅刻癖はその経験をしても直りませんでした(笑)。私はその経験を掘り下げてみたかった。自分でコントロールできるものと、できないものがありますが、その細事とどう対峙していくか。アルベルト・アインシュタインがいった「偶然は匿名の神の御業である」などいろいろ哲学的なことも考えました。それが、この映画の核にあります。たくさんのヴァリエーションがあってもすべて出発点に戻るフォックストロットは、人間が運命と踊るダンスのように思えたのです。

――前作「レバノン」、そして本作でも共通して反戦へのメッセージを感じさせられますが、そのような意図はありますか。
マオズ監督 はい、勿論です。ただ“戦争映画”という括り方とは違うだろうなと思っています。戦争というモチーフを使って極限状態に置き、そこから“生命とは”とか“正義とは”“自由とは”など人間が持つ基本的な価値観を試す映画になっていると思います。私が描く戦争は、善人と悪人に分かれるということはありません。みんなが戦争の犠牲者であり、みんなが負けるということを描いています。

――本作が公開されたとき、イスラエルのスポーツ・文化大臣が「イスラエルにとって有害な映画である」と批判し、右翼寄りからも非難されたと聞いています。どのようなシークエンスが問題視され。何が問題だったのでしょう。
マオズ監督 端的に言えば、イスラエル軍を批判するようなシークエンスがあるからです。イスラエルでは軍部への批判はタブーなのです。しかし、どのような人間社会であれ、より良いものを目指さなければいけないし、そういう“あがき”は大事だと思っています。その“あがき”の必要最低条件は、自己批判能力を持つことだと思います。本作では、兵士宿舎のコンテナが一日1ミリずつ傾いていきますが、社会批判した人を社会の裏切り者としてしまうのは、真実が沼にずぶずぶと引き込まれていくようなもので、いつしか自分たちも埋められたものなってしまいます。私がイスラエル政府を批判するのだとしたら、私に限らず芸術家はそうだと思いますが、そのように埋もれていくことが心配だからであり、社会が心配であり愛しているからなのだと思います。
ただ、映画作家として思うのは、ドキュメンタリーを撮っているわけではないので、客観的な事実を淡々と述べるのが私の仕事だと思っています。真実はドラマの中にあり、そこにある真実を描く、芸術の中から映し出されてくる真実というものを描くのがアーティストとしての仕事だと思っています。そもそも映画の役割というのは人々を挑発することだと思うのです。映画で社会を変えるのは難しいことであるかもしれないと分かってはいますが、少なくとも最初の一歩は踏み出したいですよね。そうするためには、みんなを刺激して言論とか論争とかに火を点けなければならないのです。まさに挑発する、そして映画を観る者の感情を揺さぶるということをしなければならないのだと思います。だから、怒らせ、喜ばせ、エキサイトさせるという、観る方に衝動を作らなければならないと思っています。

――父親が、母親からホロコーストを生き延びてきた家に代々伝わる聖書を「絶対に売ってはいけない」と言っていたのに、書店でアメリカのポルノ雑誌と交換してしまっい、その雑誌を息子のヨナタンに引き継がせたシークエンスが挿入されていますが、どのような意図があったのでしょうか。
マオズ監督 映画ですのでいろいろな解釈がなされてよいと思います。私自身の意図について話しますと、あの小話は、宗教というものは文化の領域に属するべきものであって政治色を帯びさせてはならないということの象徴なのです。本来、宗教は敬意の念をもって愛すべきものですが、いまは人々に拒絶されているように思います。それははなぜかというと、精神世界である文化・宗教が、政治色を帯びると、政治家の利益追及や目的達成のために宗教本来のメッセージを捻じ曲げて悪用しているからだと思うのです。ですから、拒否反応のようなものが出てくる。そういうことの象徴なのです。
聖書は何世代もの間、家族をつないできましたが、その間、ユダヤ人は実存的な脅威にさらされてきました。でも今は、イスラエルという国があり、国情も安定してきています。ですから、聖書は聖書でリスペクトして文化的な何かとして捉え、解釈も教条として誰かに植え付けられるのではなく、自分自身の答えを導き出せるものして付き合い、生かされていけばよいと思います。ただ、いまはそれが捻じ曲げられているように思います。そのようなアレゴリーなのです。

――息子ヨナタン戦死の誤報を受けて従軍ラビが軍の葬儀を家族に説明するシークエンスがあります。イスラエル軍は、国民をユダヤ教徒と見做しているのでしょうか。
マオズ監督 イスラエルは、れっきとした宗教立国ですからね。私が気になるのは、様々な律法学者や宗教家たちに宗教の真実が捻じ曲げられているということです。
軍部に関して言うと、イスラエル軍は自らを長い歴史のなかで実存的な脅威にさらされてきたユダヤ民族だが、国が建国され、自国のイスラエル軍はそのような実存的脅威からユダヤの民を救済した天使たちであるとする見方が軍部にはあった。そのような軍部を私は批判してしまったわけですから、とんでもない批判を浴びたわけです。でも、批判の声が届かない人たちというのは、やはり腐敗していくし信条が揺らいでいくのでしょうね。今のイスラエルを見ていてそう思います。

・インタビュー② (映画ログプラス-2018/9/28)
Q.家族の不慮の死に向かい合うことが、最も耐え難い苦痛だと思いますが、映画は、主人公に息子の戦死の報せが告げられるシーンから始まりますね。加えて、空き缶が落ちたり、名前を間違えたり、ほんの些細なことが死に繋がる印象を受けました。無益な争いをすることに意味があるのかという監督からのメッセージに感じました。
その通りです。細部に拘って描くタイプです。ディテールの積み重ねが大事で、どのシーンにも意味があります。息子の訃報を聞いたあと、主人公の兄がノートパソコンで葬儀の式次第を見ているようなシーンがありますが、その隣にはボールに入ったオレンジが置かれています。これはイスラエルをひと言で表現したフレームなんです。イスラエルは4つの単語で表現でき、“Dead soldiers and Oranges”つまり、イスラエルは死んだ兵士とオレンジの国であると言われています。見事にシンボライズさせているシーンです。
そういうものを積み重ねて映画を作っているのです。そもそも自分がアイディアを思い浮かべる時はたいていビジュアルです。言葉ではなく映像なんです。例えば、息子の死を知らされ、母親が倒れるシーンで後ろ側に絵画が映し出されています。これは父親ミハエルの心を表している絵なのです。幾何学模様の抽象画ですが、妙に整理整頓されたカオスが、ブラックホールの中に誘うという絵です。
そのように表現するのは、私の映画が事実をありのままナチュラルに描くのではなく、観客にとって体験であって欲しいと思うからです。そのためにビジュアルで語ることが、私の映画作りの大切な柱となっています。

Q.空に鳥が舞うシーンも不吉な感情を抱きましたが、これも観客に体験して欲しいと?
はい、その通りですね。そんなに複雑なメッセージを伝えているわけではないですが、きちんと効果的に伝わっていますね(笑)。
要するにパズルなんです。“運命とは?”という非常に抽象的なコンセプトを探ろうとしている映画だから(ビジュアルにこだわっている)。この作品は、父と息子の物語でお互いに物理的には遠く離れているのに、お互いの運命を左右してしまうということを描いています。

Q.『運命は踊る』という邦題ですが、人間が楽しんで踊るわけではなく、無益な争いに踊らされているというメッセージにも感じます。監督にとって“戦争”とは、“争い”とは何なのでしょうか。
結論から言うと、残酷なトリックだと思います。自分自身の体験ですが、私はレバノン戦争(1982年6月に始まるイスラエルのレバノン侵攻ー引用者註)で従軍していました。それは前作『レバノン』に描かれているわけですが、私も砲撃手としてまさにあのようなビジュアルを体験しました。照準を合わせながら、スコープを通して戦地を見ていたビジュアル、同時に二十歳そこそこの私の精神状態も描きました。それまで全く暴力とは無縁に生きてきたのに、ある日突然戦地へ行き人を殺めているわけです。殺すか殺されるかの状況で、「お前は死にたいのか」と追い込まれた中で、殺しを行う。それでも人間なので戦地から帰ってこれても変な責任感や罪悪感に苛まれました。一種のトラウマというか、トラウマというほどの病理ではないものの、静かな罪悪感を抱えたまま生活していく状態が続いていました。
確実に言えるのは、戦争というのは人を殺す場であるということ。これはまがいもない事実です。そしてなぜ人を殺すのかと言えば、理念があるからとか指令が下ったからとかいうものではなく、戦地では体と直感と衝動が人間をそうさせるのです。
戦地に送り込まれて24時間あるいは48時間が経てば、生き残りたいという衝動が働きます。それが自分の体と判断を司るようになるので、殺し合いをするようになるんです。だからこそためらったり、モラルが介在するような余地はなくて、究極の集中力を持って戦っているので、体中の全細胞が生き返ってくるような感覚になるのです。戦地に48時間もいればそうなってしまいます。戦争とは一種のドラッグなんです。中には戦地から帰ってきて、もう一度戦地に行きたいという人間もいて、これは完全にアディクト(中毒状態)されているのです。体が直感により、究極的にコントロールされている状態なんだと思います。
私自身レバノンで経験しましたが、街中の住宅はシャッターを閉じていますが、シャッターの裏には武器を持ったテロリストが控えていて、2軒に1軒はテロリストだと刷り込まれるわけです。すると2軒に1軒は普通の家族でも、いちいち調べることはできませんから、撃つしかない。そういう変身が起きるんです。平時においては軍人が民間人を助けることはありますが、有事の時にはモラルが介在する余地なんてゼロなんです。これが僕の戦争観です。
もう一つ加えるとすると、善悪などなく、みんな戦争の犠牲者なんです。恐怖とかではなく、衝動がアクティベート(活性化)されてしまうのが戦地で、問題はそこから還ってきたときで、色々な問題が浮上するんです。自分がしてきたことを振り返って、なんてことをしてしまったんだという想いに苛まれるのです。

Q.映画の中では家族愛という誰もが感じる感情が描かれていますが、一方で戦地では別世界ですね。ミハエルの言葉にもありましたが、日常の幸せを感じて生きるということが大切だと改めて感じます。
『運命は踊る』が戦争映画と括られることは無理のないことだと思いますが、そうではない。戦争映画というのは勝利を描いたり敗北を描いたりしています。
同じ土台に乗せるのはおこがましいことなのですが、『地獄の黙示録』(1979年)ですとか、ベトナム戦争帰還兵を描いた『ディア・ハンター』(1978年)もそうだと思うのですが、『運命は踊る』にしても、『レバノン』にしても極限状態の中から出てくる人の魂とか心の在り様とか基本的な価値観とか、人間を描いているんだと思います。その視点でみると、いわゆる戦争映画とは違うのかもしれません。
本作は、ミハエルという一個人に焦点を当てたストーリーでありながら、イスラエル社会全体を集合的な社会として描いています。家族が離散し、再び結ばれるヒューマンドラマであり、愛と罪悪感とか、とてつもない苦しみとどう人間が対峙するか、そして愛がどのようにそれを救うのかということを描いているのです。

■私感 :
前掲のインタビュー②で、『地獄の黙示録』と『ディア・ハンター』が引き合いに出されている。本ブログでも以下のごとく、都合4回、この2作が取り扱われた。
・本ブログ〈September 16, 2016〉
・本ブログ〈December 24, 2018〉
・本ブログ〈December 31, 2018〉
・本ブログ〈January 01, 2019〉

私がここで自覚的に掘り下げたのが、現実再構成の想像力の観点に立った、具象と抽象の兼ね合い(緊張関係)の問題である。この問題に立脚するとき、私にとって本作『運命は踊る』は優れた作品ではあるものの、少なくとも『ディア・ハンター』のように何度も鑑賞したくなるほどに魅力あふれる作品ではない。

本作は重苦しいテーマ~ホロコーストのトラウマを抱えた国家の、痛々しい運命の悲劇~を三部構成(第1部「ミハエル」→第2部「ヨナタン」→第3部「ダフナ」)で展開する。全体を通して台詞はギリギリまで切り詰められ、終始収まりの悪い不穏な空気が漂っている…。
私は思う。イスラエルという戦争が日常となった国の“闇”を浮き彫りにするためには、大胆なビジュアルによって作り込まれた画面のもと、ギリシャ悲劇を思わせるこの種の三部構成が最適な形式だったのだろう、と。
しかし、本作における物語の展開は抽象に過ぎる難点がある。本作はもともと、戦争の悲惨さや過酷な現実を直接描くのではなく、誰にでも共感できる普通の家族の日常を通して、戦争という得体の知れない巨大な化け物に翻弄される人々の姿を描き出そうとするものではなかったのか。それにしては、映画全体が哲学的パズルと化し、あまりに観念的な押し付けが目立つ。
そもそも問題視すべきは、同じ(ヨナタンを乗せた)軍用車が走るオープニングとエンディング。この両シーンにこそ、本作の全てが集約される。そして、その間に展開する三つの物語…。この観念的な“凝縮”作業は、実に凝った趣向ながら、何とも危なっかしい技巧の成せる業ではないのか!?そこでは果たして、観念と現実に起こる問題がどこまで折衷され、彫琢されたのだろうか。
本作は鑑賞後に、その削ぎ落された要素による緻密な物語構成と画面設計を、頭の中でいろいろ深く考え、自分なりに再生すべき佳作ではある。しかし、私自身が本作をもう一度、映画館で観るかと問われれば、今のところ、その気が起こらないと答えざるをえない―。
2019年1月22日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、14:55~鑑賞。

「華氏119」

作品データ :
原題 FAHRENHEIT 11/9
[タイトルはドナルド・トランプの米国第45代大統領当選が確定し、勝利宣言をした2016年11月9日に由来。マイケル・ムーア監督の代表作であり、当時のジョージ・W・ブッシュ政権を痛烈に批判した『華氏911(原題:Fahrenheit 9/11)』(2004年)に呼応するものになっている。]
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 128分


アメリカの銃社会に風穴を開けた『ボウリング・フォー・コロンバイン』や医療問題を取り上げた『シッコ』など、数々のドキュメンタリー作品でアポなし突撃取材を敢行し続けるマイケル・ムーア監督が、ドナルド・トランプ大統領を誕生させたアメリカ社会に鋭くメスを入れる。第43回トロント国際映画祭ドキュメンタリー部門オープニング作品、第31回東京国際映画祭正式出品作品。

ストーリー :
2016年11月7日、投票日前夜、アメリカの人々は初の女性大統領の誕生を確信していた。だが、11月9日、当選者として発表されたのは、民主党のヒラリー・クリントンではなく、「あり得ない」はずの共和党のドナルド・トランプだった。大方の識者が予想できなかった驚きの結果だったが、大統領選さなかの2016年7月、マイケル・ムーアは「大統領選でトランプが勝利する5つの理由」いうエッセイを書き、変人扱いを受けながらもその予測を的中させた。
「僕らはどれだけ彼を知っているだろう?」と、ムーアは問いかける。娘のイヴァンカを異常なほど溺愛し、人種差別を堂々と表明し、独裁者など強い男が大好きで、女性にはセクハラ三昧。誰もが知っているそんなスキャンダルはしかし、トランプというモンスターの爪先ほどの情報にすぎなかった。
時は2010年にさかのぼる。トランプと旧知の大富豪で共和党のリック・スナイダーが、ムーアの故郷であるミシガン州の知事に就任した。権力に目が眩(くら)んだ知事は、緊急事態管理者法を成立させて市政府から権限を奪い、代わりに自らの取り巻きを送り込んだ。2013年、スナイダーのもとを訪れたトランプは、友人が支配する街を見て、羨ましそうに「次に進むためなら仕方ない。国も同じかも」などと発言。さらにスナイダーは金儲けのために、黒人が多く住むフリントという街に民営の水道を開設するが、水源をヒューロン湖から汚染された川に切り替え、住民に鉛中毒などの深刻な健康被害をもたらした。市民の抗議に対し、当局は汚染の事実を示す調査結果を隠蔽および改竄。知事は頑として問題ないと主張し続ける。
時は再び選挙運動の真っ只中へ。そもそもアメリカは左寄りの国で、トランプの支持率は元々低い。リベラルな民主党が常に高い支持率を誇り、大統領選の得票数も、ヒラリーがトランプより300万票多く獲得した。では、いったい何があったのか?ムーアはこの国の根深い問題である、ひとり1票ではない〈200年以上も前からの〉“選挙人制度”と無投票数が絡み合い、トランプを支持する少数派がアメリカ全土の意志へと変わってしまう、恐ろしい“からくり”を明かしていく。
さらにムーアは罪はトランプだけではないと、勝利だけに走り民主党のハートを失くしたビル・クリントン大統領の時代を問題視し(潤沢な企業献金で選挙戦を戦う共和党に勝つため、民主党は共和党のような政策を進めた!)、また労働者階級や若者から絶大な人気のあったバーニー・サンダースを降ろしてヒラリーを代表にするために、民主党が使った禁断の手を紐解いていく。
カメラは一転、腐敗した権力と闘うために、立ち上がった人たちを追いかける。フリントの汚染水問題に抗議する地域住民、「誰もやらないなら私がやろう」と下院議員に立候補した、1年前まではレストランで働いていたアレクサンドリア・オカシオ=コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez、1989~)、ウエストバージニア州で〈全55郡の〉公立学校教師の低賃金(全米50州中48位!)に抗議するために決行された2週間(2018年2月下旬~3月初め)に及ぶスト、フロリダ州パークランドの「マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件」(2018年2月14日、生徒や教職員17人の命が奪われた!)で生き残った高校生エマ・ゴンザレス(Emma González、1999~) の銃規制への訴え…。
2016年5月、激しくなる一方の抗議に追いつめられたスナイダー知事は、当時の大統領オバマに助けを求める。オバマとの対話集会が開かれ、市民は“私たちのヒーロー”が助けてくれると歓喜するが、あろうことか彼は壇上で水を飲むパフォーマンスを行ない(事実上の水の安全宣言!)、人々を心底ガッカリさせる。市民の期待を裏切って知事の見方をしたオバマもまたトランプに道を開いた一人だ。
再びカメラがトランプに戻り、ムーアはヒトラーが暴走する前のドイツと今のアメリカとの共通点を挙げる。トランプは自分を嵐に譬(たと)える。かつて嵐を生み出したのはヒトラーだ。ヒトラーは“ドイツ・ファースト”を掲げて人気を博した。トランプは今、2期目への選挙運動を始めている。「4年、8年、16年だっていい」などと口走りながら。
偉大な「自由民主主義」の国だったドイツで、なぜヒトラーが権力を掌握したのか?歴史に学び、トランプを大統領にした腐ったシステムを一掃し、民主主義を再び市民の手に取り戻す必要がある。取り返しがつかなくなる前に、今すぐ―!

▼予告編

2019年1月22日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、12:15~鑑賞。
「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」
作品データ :
原題 Анна Каренина. История Вронского
英題 Anna Karenina:Vronsky's Story 
製作年 2017年
製作国 ロシア
配給 パンドラ
上映時間 138分


ロシアの文豪トルストイの『アンナ・カレーニナ』(1877年)にヴィケーンチイ・ヴェレサーエフ(Vikenty Veresaev、1867~1945)の日露戦争の体験記(“In the War”〈1906〉)を取り入れ、ヒロインの死後の物語を描いたドラマ。軍医のセルゲイ・カレーニンは、幼い自分と父から母を奪ったアレクセイ・ヴロンスキーと出会い、母の真実を聞かされる。監督は『ゼロ・シティ』『蒼ざめた馬』のカレン・シャフナザーロフ。出演は『提督の戦艦』のエリザヴェータ・ボヤルスカヤ、『オーガストウォーズ』のマクシム・マトヴェーエフ。

ストーリー :
日露戦争が勃発した1904年の満州。軍医として戦地に赴いていたセルゲイ・カレーニン(キリール・グレベンシチコフ)のもとに、患者として一人の大佐が運ばれてくる。彼の名は、アレクセイ・ヴロンスキー(マクシム・マトヴェーエフ)。名を聞いて、セルゲイは凍りついた。
この男こそ、幼い自分と父から母を奪い、さらには母が自ら命を絶つ原因となった人物だった。一時は殺意を抱くほど憎んだ相手だが、年齢を重ねた今、母の真実を知りたいと願うセルゲイ。その問いに答えて、ヴロンスキーは言った。「人は記憶を捏造する。愛の真実は無数にある」と。そして、彼にとっての真実を話し始める。
1872年の冬。母親を迎えるためにモスクワ駅を訪れたヴロンスキーは、政府高官アレクセイ・カレーニン(ヴィタリ―・キシュチェンコ)の妻アンナ・カレーニナ(エリザヴェータ・ボヤルスカヤ)と出会う。後日、舞踏会で再会したアンナとヴロンスキーは、急速に親密になっていく。二人の関係はたちまち世間の噂となり、アンナの夫カレーニン伯爵の耳にも届く。やがて、夫からヴロンスキーとの関係を問い詰められたアンナは、彼への愛を吐露してしまう。さらに、アンナはヴロンスキーとの子を身籠っていた。だが、世間体を気にするカレーニン伯爵は、離婚を認めなかった。そんなアンナの周りからは次々と友人たちが去り、ヴロンスキーと暮らすことのできない彼女には、嫉妬や猜疑心が芽生え始める。紆余曲折を経てヴロンスキーの子を出産したアンナは、ついにカレーニン伯爵と離婚。だが、夫が手放さなかった息子セルゲイ(マカール・ミハルキン)とは別れることに。娘のアーニャが生まれながらも、セルゲイと会えないことに苛立つアンナは、密かに息子の誕生日にカレーニン伯爵の屋敷を訪問。再会したセルゲイに、善良で立派な父を愛するよう泣きながら訴える。その一方で、罪悪感に苛まれたアンナは、ヴロンスキーとの間に生まれた娘を愛することができずにいた。ヴロンスキーはそんなアンナを持て余しながらも、社交界から距離を置き、家族で田舎へ移る計画を立てるが…。

▼予告編

2019年1月18日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、14:45~鑑賞。

作品データ :
製作年 2019年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 133分


「マスカレード・ホテル」

東野圭吾の同名ミステリー小説を実写映画化。連続殺人事件を解決するため、ホテルに潜入した刑事とホテルマンがタッグを組み、事件の真相に迫っていく。主演は木村拓哉&長澤まさみ。共演に小日向文世、松たか子、菜々緒、橋本マナミら。『HERO』シリーズの鈴木雅之がメガホンをとり、『ライアーゲーム』シリーズの岡田道尚が脚本を担当。

ストーリー :
都内で起こった3件の殺人事件。すべての事件現場に残された不可解な数字の羅列から、事件は予告連続殺人として捜査が開始された。警視庁捜査一課の刑事・新田浩介(木村拓哉)は、その数字が次の犯行場所を示していることを解読し、ホテル・コルテシア東京が4番目の犯行場所であることを突きとめる。だが、犯人への手掛かりは一切不明のため、警察はコルテシア東京での潜入捜査を決断する。新田はホテルのフロントクラークを装って犯人を追うことになり、優秀なフロントクラークの山岸尚美(長澤まさみ)が彼の教育係に任命される。刑事として「犯人逮捕を第一優先」に掲げ、次々と現われる素性の知れない宿泊客たちの“仮面”を剥がそうとする新田と、ホテルマンとして「お客様の安全が第一優先」のポリシーから、利用客の“仮面”を守ろうとする山岸はまさに水と油。お互いの立場の違いから事あるごとに衝突を繰り返す新田と山岸だったが、潜入捜査を進める中で、共にプロとしての価値観を理解し合うようになっていき、二人の間には次第に不思議な信頼関係が芽生えていく。そんな中、事件は急展開を迎える。追い込まれていく警察とホテル。果たして、仮面(マスカレード)を被った犯人の正体とは…。

▼予告編

2019年1月16日(水)新宿武蔵野館(東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F、JR新宿駅中央東口から徒歩2分)で、16:55~鑑賞。

「未来を乗り換えた男」⑵

作品データ :
原題 TRANSIT
製作年 2018年
製作国 ドイツ/フランス
配給 アルバトロス・フィルム
上映時間 102分


「未来を乗り換えた男」⑴

『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』のクリスティアン・ペッツォルト監督が、ナチスによる悪夢的史実と現代の難民問題を重ね合わせたサスペンス・ドラマ。台頭するファシズムの中で祖国ドイツを追われた男が、南仏マルセイユで繰り広げるサバイバルの行方を、偶然出会ったミステリアスな美女との皮肉な運命とともにサスペンスフルに描き出す。ドイツの作家アンナ・ゼーガース(Anna Seghers、1900~83)が亡命時代に執筆した小説『トランジット』(Trandit、1944年)を、舞台を現代に置き換えて映画化。主演は『ハッピーエンド』のフランツ・ロゴフスキ、共演に『婚約者の友人』のパウラ・ベーア。

ストーリー :
現代のフランス。ファシズムが吹き荒れる祖国ドイツを逃れてきた元レジスタンスの青年ゲオルク(フランツ・ロゴフスキ)は、ドイツ軍に占領されようとしているパリを脱出し、南部の港町マルセイユにたどり着いた。ひょんなことから、パリのホテルで自殺した亡命作家ヴァイデルのトランクを預かったゲオルクは、遺品の書類を利用して彼に成りすまし、海路でメキシコへ亡命する計画を立てていた。そんな時、誰かを必死に捜し回っている黒いコート姿の女性マリー(パウラ・ベーア)とめぐり合う。美しくもミステリアスな雰囲気を漂わせる彼女に心奪われていくゲオルクだが、それは決して許されず、報われるはずのない恋だった。なぜなら、マリーが捜し求める相手は彼女自身の夫であり、その夫こそ誰あろう、ゲオルクが成りすましているヴァイデルのことだったのだ…。

▼予告編

2019年1月16日(水)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、14:25~鑑賞。『500ページの夢の束』12:35~と2本立て上映。

「マイ・プレシャス・リスト」

作品データ :
原題 CARRIE PILBY
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 松竹
上映時間 98分


天才だけどコミュニケーション能力に乏しいヒロインの幸せさがしの悪戦苦闘をユーモラスに描いた青春ラブ・コメディー。主演は『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』のベル・パウリー。共演に、『プロデューサーズ』のネイサン・レイン、『サン・ルイ・レイの橋』のガブリエル・バーン。監督はプロデューサーとして『さよなら、僕らの夏』などを手がけ、本作が長編初監督作品となるスーザン・ジョンソン。

ストーリー :
ニューヨークのマンハッタンで暮らすキャリー・ピルビー(ベル・パウリー)。ハーバード大学を飛び級で卒業したIQ185の才女だが、友達も仕事もなし、コミュニケーション能力に欠け、引きこもり気味で、読書ばかりしている屈折女子だ。そんな彼女の話し相手は、セラピストのペトロフ(ネイサン・レイン)だけ。ある日、彼はキャリーに6つの課題が書かれたリストを渡し、それをすべて大晦日までにクリアするように告げる。「ペットを飼う」、「子供の頃好きだったことをする」、「デートに出かける」、「友達を作る」、「一番お気に入りの本を読む」、「誰かと大晦日を過ごす」。なんてことない課題のように見えても、キャリーにとってはどれも難しいものばかり。「この6つの課題をこなせば幸せになれる」と言うペトロフに、キャリーは「何のために?」「それで問題はすべて解決するの?」と半信半疑ながらも、まずは金魚を2匹飼い始める。そして、昔好きだったチェリーソーダを飲み、新聞の出会い広告でデート相手を探し…と、ひとつずつ課題を片づけていく。やがて人と関わり、打ち解けたり傷ついたりする中で、徐々に自分自身の変化に気づいていくキャリー。果たしてリストの全課題をクリアし、幸せを手にすることができるのか…。

▼予告編

2019年1月16日(水)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、12:35~鑑賞。『マイ・プレシャス・リスト』14:25~と2本立て上映。

作品データ :
原題 PLEASE STAND BY
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 キノフィルムズ
上映時間 93分


「500ページの夢の束」

ダコタ・ファニングが『スター・トレック』(Star Trek)~1966年に始まったアメリカのSFテレビドラマ/映画の一大シリーズ~が大好きな自閉症の少女を演じる愛とユーモア溢れるロードムービー。『スター・トレック』の脚本コンテストに応募するため、愛犬を連れて初めての一人旅に出た少女が、旅先で出会う人々との交流を通して、成長していく姿を描く。共演にトニ・コレット、アリス・イブ。監督は『セッションズ』のベン・リューイン。

ストーリー :
『スター・トレック』が大好きで、その知識では誰にも負けないウェンディ(ダコタ・ファニング)の趣味は、自分なりの『スター・トレック』の脚本を書くこと。自閉症を抱える彼女は、ワケあって唯一の肉親である姉オードリー(アリス・イブ)と離れてベイ・エリアの自立支援ホームで暮らしている。ソーシャルワーカーのスコッティ(トニ・コレット)の指導を受けながら、昼間は“シナボン”で働いてもいた。ある日、パラマウントピクチャーズ社の『スター・トレック』脚本コンテストが開催されることを知った彼女は、渾身の作を書き上げる。ところが、その時すでに締め切りは目前。郵送では間に合わないと気付き、愛犬ピートと一緒にロサンゼルスのハリウッド目指して数百キロの旅に出ることを決意する。500ページの脚本と、胸に秘めた“ある願い”を抱えたウェンディの旅の行方は…?

▼ Trailer :



▼ ダコタ・ファニング(Dakota Fanning、1994~)インタビュー映像(→予告編) :

2019年1月11日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:40~鑑賞。

「アイ・フィール・プリティ! 」

作品データ :
原題 I FEEL PRETTY
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 REGENTS
上映時間 110分


『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』の人気コメディエンヌ、エイミー・シューマー主演で贈るロマンティック・コメディー。ぽっちゃり体型で容姿にコンプレックスがあり何事にも消極的なヒロインが、転倒して頭を強打したのをきっかけに、自分を絶世の美女と思い込むようになり、ポジティブになって周囲に大騒動を巻き起こしながらも思いがけず人生が好転していくさまをコミカルに描く。ヒロインの上司を『グレイテスト・ショーマン』のミシェル・ウィリアムズが演じ、エミリー・ラタコウスキー、ナオミ・キャンベル、ローレン・ハットンらが共演。監督は『25年目のキス』『そんな彼なら捨てちゃえば?』などを手掛ける人気脚本家コンビで本作が長編監督デビューのアビー・コーン&マーク・シルヴァースタイン。

ストーリー :
レネー・ベネット(エイミー・シューマー)は、ぽっちゃりでサエないルックスを気にして、自分に自信が持てず、仕事も恋愛も積極的になれない。ニューヨークの高級コスメ会社リリー・ルクレアのオンライン部門に勤めているが、美しい社員たちが勤める華やかな本社ではなく、チャイナタウンの地下の小部屋に追いやられ、サエない毎日を送っていた。ある日、彼女は一念発起し、スリムになろうとジム通いを始める。しかし、トレーニング中にバイクから転落!その勢いで頭を強打し、失神してしまう。目が覚めたとき、レネーは自分の異変に気づく。何とスーパーモデル体型の超絶美人に変身しているではないか!しかし、それは彼女の全くの思い込みであり、実際は何一つ変わっていなかったのだが…。レネーはそれを境にして、超絶ポジティブな性格に生まれ変わる。彼女はすっかり自信に満ち溢れ、仕事も恋愛もすべてが絶好調になっていく…。

▼予告編

2019年1月8日(火)新宿バルト9(東京都新宿区新宿3-1-26 新宿三丁目イーストビル9F、JR新宿駅南口徒歩5分)で、15:15~鑑賞。

「ワイルド・ストーム」

作品データ :
原題 HURRICANE HEIST
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 クロックワークス
上映時間 104分


『ワイルド・スピード』『トリプルX』のロブ・コーエン監督が超巨大ハリケーンの襲来を利用した強盗を決行する犯罪集団と、その阻止に奔走する主人公たちの決死の攻防を描いた異色のディザスター・パニック&クライム・アクション・ムービー。主演はトビー・ケベルとマギー・グレイス、共演にライアン・クワンテン。

ストーリー :
アメリカ西海岸に史上最大規模、カテゴリー5の巨大ハリケーンが迫り、住民たちは避難していた。そんな中、大災害の混乱に乗じて6億ドルにも及ぶ現金を強奪しようと、武装集団が財務省の紙幣処理施設を襲撃する。施設のセキュリティを担当するケーシー(マギー・グレイス)は、最強の性能を誇る災害用特殊車両“ドミネーター”を操る気象学者のウィル(トビー・ケベル)と協力し、猛烈な嵐が吹き荒れ、銃弾が飛び交う過酷な状況下、前代未聞の犯罪計画阻止のために決死の大勝負に出る…。

▼予告編