■私感 ② :
前回の「私感①」終盤で、『ディア・ハンター』の主人公マイケル・ヴロンスキーにおける、自らの〈個〉の特殊的現実と格闘する思想的・生活的な構えを明らかにした。
今回は、マイケルのその構え方を〈一定限度〉可能ならしめた背景として、彼がロシア系移民の町クレアトンで暮らす、ロシア系移民の青年である問題を様々に深追いしてみよう。
遠山純生編著『マイケル・チミノ読本』(boid、2013年)によると、「合衆国ペンシルヴェニア州クレアトンは、実在する町である。けれどもマイケルやニックら主要登場人物たちが住んでいる、映画のなかに登場する小さな鋼鉄生産町クレアトンは、…実在しない場所だ―つまり、全部で七つの町を使って撮影した素材を編集で組み合わせて一つの町に仮構したものなのだ。というのも、映画が必要としている教会、スーパーマーケット、ボウリング場、製鋼所等すべてを兼ね備えている町が見つからなかったからである。」(同書32頁)
本作では、クレアトンはロシア革命時に亡命してきたロシア系移民の町であり、このクレアトンで生まれ育ったマイケルらロシア系3世のアメリカ人がベトナムの戦場に行き、そして皮肉にも<ロシアン・ルーレット>の餌食となる戦慄の場面が展開される―。

ロシア系アメリカ人はロシアに出自を持つ米国市民である。民族的なロシア人以外に、ロシア国内で生まれたユダヤ人、ウクライナやベラルーシにルーツを持つアメリカ人もこのグループに含まれる場合がある。
在米ロシア人移民史を概観すると、その第1波は1881年から20世紀初頭(第1次大戦前)までに起こった。この間、ロシア帝国からの移民は300万人前後と推定され、アレクサンドル3世による“虐殺”(「ポグロム」=ユダヤ人に対する集団暴力行為、1881~84年)から逃れて来たユダヤ人が中心であった。第2波は、ロシア革命とそれに続く干渉戦争の数年間(1917~1922年)に起きた。この間、多くの亡命者が続出し、大多数はヨーロッパ、主にフランスとドイツに定住したが、約3万人が赤十字国際委員会の後援などで米国にやって来た。その後、第3波(第2次世界大戦直後の1945~1950年代初め)、第4波(1970年初め~1980年代後半のペレストロイカ)、第5波(1991年12月のソ連崩壊後)が続く。1980年のアメリカ国勢調査(センサス)によれば、ロシアないしソ連からの278万人が米国に住んでいる(全人口約2億3千万人の1%強)が、民族的なロシア人出自の米国人に限れば約75万人にすぎない。2000年のUSセンサス(census)によれば、2,652,214人の米国人がロシア系であることを主張(自己申告)している(全人口281,421,906人の0.9%)。


移民人口比率(外国生まれの人口の比率)は、19世紀後半から1910年までは14%台という非常に高い水準を維持している(ピークは1890年の14.8%。その後、現在に至るまで14%台には達していない)。
1875年に売春婦・犯罪者の入国禁止を主な目的とする、最初の移民法が制定された。
やがて新旧移民の間で軋轢が高まったため、1924年に成立した移民法(ジョンソン・リード法〈Johnson–Reed Act〉)は、いわゆる「新移民」を国別に厳しく数で制限し、さらに「日本人移民」を禁止した(⇒当時の米国人口の圧倒的多数を占める西欧・北欧諸国以外からの移民を事実上消滅させた)。これをもって「自由な移民の国アメリカ」が終わったといわれる。その後は、移民人口比率も低下に転じ、1940年には10%を切る。
第2次世界大戦後、公民権法成立の翌年1965年、「移民の出身国別割り当て制度」を撤廃した新移民法(ハート・セラー法〈Hart-Celler Act〉)が制定された。人種や国籍を問わず、西半球出身者と東半球出身者という大枠で移民の数が決められ、特別な技能を持った人材が積極的に受け入れることになった(⇒日本人移民禁止も解除された)。
このため、移民人口比率は1970年の4.7%をボトムに上昇に転じ、その後再度大きく上昇して、2016年には13.5%と過去のピークに近づいている。
移民の出身地の推移を見ると、1960年の段階では欧州・カナダからの移民が、以前に引き続いてアジア、中南米からの移民を圧倒していたが、その後次第に、アジア、中南米、特にメキシコ出身の移民人口が大きく増えてくる。
また、近年の移民流入者の構成を見ると、中南米からのヒスパニック系を中国、インド、フィリピンなどのアジア系が上回るに至っているのが新しい動きである。2013年に、中国、インドからの移民はそれぞれ14.7万人、12.9万人と、従来アメリカへの移民の最大の流入元であったメキシコの12.5万人を超えた(同年の移民総数120.1万人)。

“移民”とは、米国商務省センサス局によれば、「出生時に米国民でない者で、合法もしくは非合法に米国に存在している者」。慣例的には、外国生まれの米国居住者である。
他方、“September 11 attacks”以後に設置された米国国土安全保障省(DHS)の市民権・移民局によれば、移民とは「外国生まれの合法的な永住者」であり、厳密には移民は帰化市民(naturalized citizens)、「永住権」(グリーンカード)取得者、難民および亡命者からなる。非合法に居住する人々を除く合法的入国者の総数である。移民に対して、“非移民”とは、観光客や留学生などアメリカに定住する意思を持たず、期限付きで自国に帰ることを前提としている外国人を指す。米国に入国する場合、家族に米国の市民権や永住権保有者がいない者は、非移民外国人として入国することになる。一般的には旅券(パスポート)及び査証(ビザ)の発給を受けた上で入国する。渡航目的により、取得するビザは異なる。ここで問題となるのは、合法的ではない方法(密入国)で入国した外国人、あるいは観光目的で入国した外国人が、就労ビザなしに不法に米国内で就労していることである。定住する意思はあるが、永住権を持たないこれらの外国人を、一般的には非合法移民ないし不法移民(illegal immigrants)と称するが、今日的な定義上、厳密に言えば彼らは移民ではない。この“非合法的移民”が増加し始めたのは、1970 年代中頃以降であるが、その増加が米国民の不安を高めたのは1990年代に入ってからでる。2014年には、非合法的移民の数は 1100~1200 万人であると推定されている。

米国は英語圏であるためにイギリス系が多いと思われがちだが、ここで最も多いのはドイツ系(17.1%)で、その次がアイルランド系(12.1%)、3番目にイングランド系(9.0%)となっている。スコットランド系やウェールズ系なども含めたイギリス系アメリカ人は13.0%を数え、ドイツ系、アイルランド系、イギリス系で全人口の4割以上を占めている。
ところで、この2010年「人種」別集計では、ヒスパニック系アメリカ人(Hispanic American)~スペイン語を母語とする中南米出身者やその子孫で米国に居住する人々~の全体がそれぞれの人種項目に分散している。
ラテン語のヒスパニクス(Hispanicus)由来の「ヒスパニック」は、スペイン人、スペイン語またはスペインの文化に関連のあることを示す形容詞または名詞。米国ではヒスパニックはメキシコ、キューバ、プエルトリコなどのラテンアメリカ出自の人を指し、ヒスパニック系アメリカ人またはラテン系アメリカ人と表示される。留意すべき点は、ヒスパニックが実際上は「人種」概念ではなく、人種(≒身体的形質)的には白人、黒人、インディオが様々な割合で混じり合った人たちから成ること。それは、自分あるいは先祖がスペイン語圏のラテンアメリカ出身であるという血筋・伝統・文化を表わす表現として、自らの存在の本質的自己規定=アイデンティティーに関する概念である。
米国センサスでは2000年までは、ヒスパニック系(Hispanic or Latino Origin)と人種(Race)がまとめて集計されていたが*、2010年のそれでは、人種とは別の範疇「エスニシティ(ethnicity)」(=所与の集団成員を他の人々から区別する文化的価値や規範)としてヒスパニック系か否かという項目が立てられ、ヒスパニック系自体が集計されている**(一般的に言えば、生物学的特徴に基づく人口の区分を人種的区分といい、これに対してエスニシティとは文化的側面である言語・文化様式による人口区分である)。
米国は連邦憲法の規定に従って10年毎にセンサス(国勢調査)を実施する。第1回センサスは1790年に行なわれた(2010年センサスは23回目)。スペイン語を母語とする人々の統計を取り始めたのは、1940年のセンサス以降のこと。また、「ヒスパニック」に関する本格的な集計は1980年のセンサス以降のことで、ヒスパニックという分類で米国の建国期からの統計を見出すことはできない。しかし、国別では1820年以来、移民統計が取られている。
* 【2000 US Census】 :
Total US Population. . . . . . . . . . . . . . . . . . . 281,421,906人(100.0%)
One race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 274,595,678人 (97.6%)
White . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 211,460,626人(75.1%)
Black or African American . . . . . . . . . . . . . . 34,658,190 人(12.3%)
American Indian and Alaska Native . . . . . . . . . 2,475,956人 (0.9%)
Asian . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10,242,998人 (3.6%)
Native Hawaiian and Other Pacific Islander. . . . . 398,835人 (0.1%)
Some other race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 15,359,073人 (5.5%)
Two or more races . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6,826,228人 (2.4%)
Total US Population. . . . . . . . . . . . . . . . . . . 281,421,906人(100.0%)
Hispanic or Latino. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 35,305,818人(12.5%)
Mexican. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 20,640,711人(7.3%)
Puerto Rican. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3,406,178人 (1.2%)
Cuban . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1,241,685人(0.4%)
Other Hispanic or Latino . . . . . . . . . . . . . . . 10,017,244人(3.6%)
Not Hispanic or Latino . . . . . . . . . . . . . . . . . 246,116,088 人 (87.5%)
White alone . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 194,552,774人(69.1%)
** 【2010 US Census】(Total Population:308,745,538)におけるヒスパニック(HISPANIC OR LATINO)VS〈非〉ヒスパニック(NOT HISPANIC OR LATINO) :
《ヒスパニック系》の人種構成〔Total Number:50,477,594(Percent:100.0)、Percentage of US population:16.3〕
One Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 47,435,002人(94.0%)
White . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26,735,713人(53.0%)
Black or African American . . . . . . . . . . . . . . . . 1,243,471人(2.5%)
American Indian and Alaska Native . . . . . . . . . . . 685,150人 (1.4%)
Asian . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 209,128人(0.4%)
Native Hawaiian and Other Pacific Islander . . . . . .58,437人(0.1%)
Some Other Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 18,503,103人(36.7%)
Two or More Races . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3,042,592人(6.0%)
《非ヒスパニック系》の人種構成〔Total Number:258,267,944(Percent:100.0)、Percentage of US population:83.7〕
One Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 252,301,463人(97.7%)
White . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 196,817,552人(76.2%)
Black or African American . . . . . . . . . . . . . 37,685,848人(14.6%)
American Indian and Alaska Native . . . . . . . . 2,247,098人 (0.9%)
Asian . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 14,465,124 人 (5.6%)
Native Hawaiian and Other Pacific Islander . . . . . 481,576人(0.2%)
Some Other Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 604,265 人 (0.2%)
Two or More Races . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5,966,481人(2.3%)
2010年の人口調査では、ヒスパニック系米国人が5048万人、全人口の約 6分の1の16.3%を占める。その約5千万人の内訳は、「白人」2674万人(53.0%)、「黒人」124万人(2.5%)、「その他」1850万人(36.7%)、「混血」304万人(6.0%)等。 また、非ヒスパニック系については、「白人」1億9682万人(全人口中63.7%)「黒人」3769万人(12.2%)、「アジア系」1447万人(4.7%)、「混血」597万人(1.9%)等。
ヒスパニック系が全人口に占める割合は、2000年の人口調査で12.5%、“非ヒスパニック系黒人”(ヒスパニック系ではない黒人)の12.3%とほぼ同じだったが、2010年段階にいたって非ヒスパニック系黒人(12.2%)を抜き、全米最大のマイノリティー・グループ、つまり“非ヒスパニック系白人”(ヒスパニック系ではない白人、63.7%)に次ぐ単独2位の集団(16.3%)となった。米国全ヒスパニック人口のうち6割がメキシコ系で、プエルトリコ系が1割、キューバ系がそれに次ぐ。
アメリカ国勢調査局(Bureau of the Census)では、非ヒスパニック系の白人をマジョリティー(社会的多数派)、それ以外の人種や民族【ヒスパニック系+非ヒスパニック系の非白人(黒人/アメリカ先住民・アラスカ先住民/アジア系/ハワイ先住民・太平洋諸島系/その他の人種/混血)】をマイノリティー(社会的少数派)と定義している。2010年の調査では、全人口の63.7%を占める非ヒスパニック系白人がマジョリティーであり、残りの36.3%を占める“ヒスパニック系+非ヒスパニック系非白人”(=“非ヒスパニック系白人でない者”)がマイノリティーであった※。
※ マイノリティーとは、一般に「社会的少数者」・「社会的少数派」を意味し、その対義語が「マジョリティー(majority)」=「社会的多数者」・「社会的多数派」である。マイノリティーは往々にして社会的な偏見や差別の対象になったり、少数派の事情を考慮していない社会制度の不備から損失を被ったりする。ただし注意すべきは、必ずしも数の多寡にかかわらず、そこに「社会的弱者」/「社会的強者」という、“差別的構造により社会的に著しく不利な/有利な-弱い/強い立場に置かれる人々”の問題が複雑に絡みあってくる点である。例えば、数の面では人口の半数近くを占める女性や、人口では多数派である南アフリカの黒人や20世紀初頭の米国南部の黒人のように、人口の割りに社会における機会が著しく制限された層が、「社会的弱者」という意味でのマイノリティーとされる場合がある。逆に、数としては多数でなくともその集団が強い立場にある場合には「社会的強者」という意味での「マジョリティー」とされることがある。例としては、征服王朝の支配階層、植民地における宗主国出身者、ラテンアメリカ諸国における白人層、アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国における白人層などを挙げることができる。
アメリカ合衆国は移民により成り立った、世界でも有数の多民族国家である。同国の人口は1915年に1億人、1967年に2億人、2006年に3億人に、それぞれ達している。国勢調査局の推計では、2043年には4億人に達すると見られている。この超大国アメリカと言えば、人種も民族も多様で様々な言語が使われてはいるものの、これまで基本的に≪英語を話す“白人”の国家≫というイメージを持つ人が多かった。しかし、第2次大戦後~特に1965年の「移民法」(発効は1968 年)以降~、マイノリティー(少数派)・グループの増大に伴い、その具体的なイメージが崩れ始めている。
米国の人口増を支えているのは、何を措いてもヒスパニック系の移民の多さと、その高い出生率である。ヒスパニック・アメリカンは20世紀末頃から非合法を含め流入が活発化し、2000年からの10年間に約 43%の人口増加率を示し、カリフォルニア州、テキサス州で州人口の 3分の1以上に達するなど、西南部諸州を中心に急増した。
そして、米国の人口構成の大きな変化に照らすとき、強く注目されるのが「アジア系アメリカ人(Asian American)」の存在である。米国では、大々的なヒスパニック化の裏側で急速なアジア化も進行してきた。
アジアから米国への移民は、1965年以前に約2万人だったが、1970年には10万人を超え、2014年には41.9万人(同年の移民総数101.6万人の41.2%)を数える。他方、ヒスパニック系移民は1965年に約13万人、2014年に38.2万人(移民総数の37.6%)である。アジア系米国人(Asian alone or in combination:「民族的にアジア系である、または祖先のいずれかにアジア系を持つ」)は、2000年から2015年にかけて、1190万人から2042万人へと72%もの増加率で急増した。これは同時期(2000年/3531万人→2015年/5650万人)におけるヒスパニック系米国人の60%という増加率を上回っている。中でも、ブータン系、ネパール系、ミャンマー系が2倍以上に増えた。全体の勢力バランスとしては、2015年で中国系(24%、490万人)、インド系(20%、400万人)、フィリピン系(19%、390万人)が三大勢力である。それに、100万人以上のベトナム系、韓国系、日系が続くという形になっている。
米国の人口増加に大きく寄与してきたヒスパニック系移民とアジア系移民であるが、ここで指摘すべきは、近年ではヒスパニック系移民の増加傾向に陰りが見えていること。
最も大きなヒスパニック系移民の流出元だったメキシコの場合、2014年を見れば、米国ヒスパニック人口5528万人の64%(3532万人)を占めた(Total:318,857,056)。ヒスパニック人口におけるメキシコ系の割合は、2006年以降は60%台を維持してきた。しかし、過去に70%以上の割合を占めた時期と比べると、低下の傾向が出ていることは否めない。
実は、メキシコ系移民は2005年以降に、一方で米国への新規流入が(合法・非合法移民ともに)減少し、他方で逆に米国からの流出~つまり、米国から母国に戻る~が増加している。特に2009~2014年ではその「流入者」より「流出者」の方が14万人も多くなっているように、メキシコ系米国在住者が母国に帰国する傾向が明確になっている。この問題状況を呈するにいたった背景としては、米国での雇用状況の悪化や国外退去措置の厳格化~1990年以降顕著になった非合法滞在者に対する厳しい制裁~や国境警備の強化などが考えられるが、いずれにせよ米墨間の人の移動の潮流に大きな変化が生じてきているのは間違いない。
こうした状況下、米国におけるメキシコ系移民の「外国」~メキシコ~生まれの割合は、2000年の41%から、2013年の33%へと減少。また、米国へのメキシコからの移民総数のうち、在米10年以下の移民の割合は、50%(1990年)から23%(2013年)に低下。逆に同期間に在米20年以上のメキシコ系移民が19%から42%に増える。そして、メキシコからの移民の年齢の中央値を見ると、1990年に29歳だったのが、2013年には39歳に上昇。他方、18歳以下のメキシコ系移民は15%だったのが、2013年には6%に低下。
メキシコ系移民(米国在住者)にあっては、移民1世が高齢化するとともに、1世よりもその子供(2世)と孫(3世)である現地(1世の移住先・米国)生まれの世代が増加している。米国メキシコ系の人口増加は現在、基本的に移民の新規流入よりも米国内の自然増加~メキシコ系米国在住者の出生数~に依存する傾向を強めている。
移民国家アメリカで、今一番人口が増加しているのはアジア系移民である。今後は、アジア系の存在力がヒスパニック系(中南米系)と同等かそれ以上に強まっていくことだろう。
ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center、ワシントンD.C.を拠点とするシンクタンク〈米世論調査団体〉)の人口動態統計に基づく予測では(Source: Pew Research Center 2015 report, ”Modern Immigration Wave Brings 59 Million to US, Driving Population Growth and Change Through 2065”)、米国の移民(外国生まれ)構成上、2055年にアジア系がヒスパニック系を抑えて最大の移民集団となり、2065 年には全移民に占めるアジア系の割合が38%、ヒスパニック系が31%、白人系が20%、黒人系が9%になるとしている。そしてまた、米国の人口構成上、2043年にヒスパニック系とアジア系を中心とする“非白人”~ヒスパニック系+非ヒスパニック系非白人~が、“白人”~非ヒスパニック系白人(Non-Hispanic White)~を超えて過半数を制するようになり、2065年には総人口に占める“白人”の割合が46%、“非白人”が54%(ヒスパニック系24%+アジア系14%+黒人系13%+All other 3%)になるとされている。
アメリカ合衆国は現在、歴史上の大きな転換点に立っている。
1960年の米国は、総人口の85%が白人(ホワイト)で、圧倒的に白人国家ほかならなかった(黒人は10%、ヒスパニック〈中南米系〉は2.6%)。しかし、1965年の「移民法」を経て、1980年以降の三十数年間にヒスパニックおよびアジア系が著しく多数化する一方で、白人が8割から6割まで減少し(白人比率:1980年/79.6%→1990年/75.9%→2000年/69.1%→2010年/63.7%)、黒人の人口比が不変であった(黒人比率:1980年/11.5%→1990年/11.6%→2000年/12.3%→2010年/12.2%)。そして、少子高齢化し、人口的な優勢が揺らぐ白人が、いよいよ2040~2050年の間に~2043年説が強い!~、人口全体の過半数を割ってしまい、”マイノリティ”になるのに対し、かつてのマイノリティーである非白人(ノンホワイト)が大勢(マジョリティー)を占めるにいたる―。
〈白人〉VS〈非白人〉の人口構成が大規模に変化すると予想される中、アメリカ〈社会‐国家〉は今や、建国以来の自らのアイデンティティーの転換期を迎えていると言わねばならない。

既述した米国商務省センサス局による定義によると、ロシア系移民(米国人)は決してマイノリティーではない。他のヨーロッパ諸国からの「白人」移民ともども、アメリカ社会のマジョリティーである“非ヒスパニック系白人”として分類されている。
しかし、“白人”~「非ヒスパニック系白人」という一つの人種・民族集団~などという大雑把な概念をもっては、アメリカ移民史(Immigrants in American History)のダイナミズムに真正面から向き合うことは、もとより望むべくもない。人種・エスニシティと国家統合の関係を見るとき、「非ヒスパニック系白人」という分類自体が適切なものであるかが不断に問われざるをえないだろう。


第1期の「外国」移民は、西欧・北欧系が主体であり、特にWASP(ワスプ)※と言われるイギリスからのアングロ・サクソン系白人のプロテスタントが中核を形作っていた。1790年の第1回センサスによると、米国の全人口約393万人〈3,929,214人〉のうち、ヨーロッパ系白人が約81%(約320万人)がであり、その民族別内訳ではイギリス系(=イングランド系47.5%+スコッチ・アイリッシュ系8%+スコットランド系4%+ウェールズ系3%)が62.5%(約250万人)と圧倒的に多く、ドイツ系が7%(28万人)、アイルランド系が5%(20万人)、オランダ系が2.5%(10万人)、フランス系が2%(8万人)、スペイン系が0.5%(2万人)、スウェーデン系(とその他)が0.5%(2万人)と続き、そして全人口の残りが白人以外のアフリカ(黒人)系19%(75万人)、ネイティブ・アメリカン(先住民)1%(5万人)で占められている。
※ WASPとは、「ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)」の頭文字をとった略称。アングロ・サクソン人とは、イギリス民族の根幹をなす人々の呼称で、厳密に言えばドイツ北西部のサクソン地方からイングランドに移住した人々をさす概念であるが、現在ではイングランド、スコットランド、ウェールズなどの諸島に住む多様な出自の人々の総称になっている。さらに、WASPと言う場合には、今日ではイギリス系の移民に限らず、西欧系や北欧系の移民も含めて、アングロ・サクソンとみなしていることが多い。
1880年代から次第に移民の中心は、西欧・北欧から東欧・南欧に移る。特に19世紀末~20世紀初頭に、ロシアやポーランド(当時ロシア領)などの東欧と、イタリアやギリシアなどの南欧からの「新移民」が急増した。第1期の100年間には、約1500万人の旧移民が流入したのに対し、第2期ではわずか40年の間に2250万人の新移民が流入している。
宗教的にはポーランド人とイタリア人はカトリックを、ギリシア人はギリシア正教会を、ロシア人はロシア正教会を信仰し、またロシアからの移民の多数を占めたユダヤ人はユダヤ教徒である。WASPによって形作られた社会に、それとは異質の集団が入りこめば、摩擦と対立は避けられなかった。旧移民の中でも、カトリックのアイルランド人たちは19世紀前半にWASPの差別・排斥の対象とされていたが、彼らはアメリカ社会に溶けこむように努め、次第に社会的地位を向上させていく。ところが、新移民は概して貧困で文盲率も高く、知性と文化の面で欧州北部・西部の人々より劣るとされたため、アメリカ社会への適応ないし同化もかなわず、都市の一画に独自の閉鎖的なコロニーをつくることが多かった。特に彼ら(出稼ぎ型の非熟練労働者)が就業する低賃金労働は、旧移民を中心とする組織労働者の反発を買ったが、本来新移民と関係のない貧困の増大や都市問題まで、彼らの責任と考えられるようになった。そして、旧移民と新移民の人口比率が逆転した1890年代半ば以降、移民制限~質的制限(犯罪人・売春婦・伝染病患者・無政府主義者・乞食などの入国禁止)から量的制限(国別移民割当制)へ~に関する移民法を要求する声が一段と高まった―。


東欧・南欧系の移民は、故郷で土地を購入するために、およそ5倍の賃金が得られるアメリカへ出稼ぎに出かけた。彼らはいったん故郷に戻るが、家族を連れてまた渡米する者が続出する。故郷で得る賃金の数倍とはいえ、米国では格段に低い所得しか得られない彼らは、同様の境遇の者同士で共同生活することを余儀なくされた。この共同生活の中で、彼らは多文化に触れながら、自身のアイデンティティーをより明確にしていく。しかし、第1次大戦と1920年代の移民制限法制定によって移民の流入が抑制されると、帰化する者が増え、この種の祖国への帰属意識も変化していった。それでも、同じ祖国の者から結婚相手や政治家を選ぼうとする傾向は残り、民族的なコミュニティーは滅亡の危機を逃れた。
東欧系~代表格はロシア移民~と、南欧系~代表格はイタリア移民~の多くは、こうしてアメリカ社会の底辺に近い“マイノリティ-”だったことは紛れもない歴史的事実である。
しかし他方で、非WASPである東欧・南欧系は、旧移民のアイルランド系がそうであったように、その社会経済的な地位を少しずつ上昇させていく。米国では拡大する経済の中で、最も遅く同国に移住した層が主に肉体的な労働に従事し、従来の肉体労働者の層が管理する側に徐々に代わっていくという、移住した順番で社会的・経済的地位がある程度定まる「セニオリティ(seniority)」の現象が成立してきた。この社会的可動性のゆえに、東欧・南欧系が「優勢集団(dominant group)」の一部と考えられる面も見られるにいたる[東欧系‐ユダヤ系には実業界で成功した人も多く、またイタリア系では芸能関係で成功した人物(フランク・シナトラ〈Frank Sinatra、1915~98〉など)が多い]。そして、東欧・南欧系の“エスニック・ホワイト”に代わって肉体労働的な仕事を担ったのが、その後の移民であるアジア系やヒスパニック系にほかならなかった。
移民に対するアメリカ国民の世論は歴史上、今日に至るまで常にアンビバレント(両義的)な姿勢を保持してきた。そこでは、経済的にも文化的にも積極的に移民を受け入れようとする動き~多様性を是とするプルーラリズム(pluralism、多元主義)~がある一方で、時代の社会情勢~特に経済的苦境~に絡んで、ネイティヴィズム(nativism)と呼ばれる偏狭な移民排斥運動が繰り返し続いている。

※ 本作では1世の移住時期が判然としないが、前後の文脈上、前述した在米ロシア人移民史の第2波の「ロシア革命」時と推断される。また、その1世が広義のロシア人(旧ロシア帝国の住民or東スラブ人)であるにせよ、狭義のロシア人(中央ロシアに住むロシア語を母語とする大ロシア人)orベラルーシ人(白ロシア人)orウクライナ人(小ロシア人)かは、はっきりと見分けられない。ただし、スティーブンとアンジェラの結婚式がロシア正教会で挙げられているように、少なくとも彼ら1世→2世→3世が、“ユダヤ系”ロシア人でないことだけは確かだろう。
彼ら移民3世(1世の孫)は、米国へと移住してきた1世と異なり、米国で生まれ育ち、米国籍を持っている。ロシア系移民第1世代は、英国系や北欧・西欧系のグループ(支配的な多数派)とは社会経済的地位などで明らかな格差が見られた。しかし、第2世代→第3世代の場合、その格差が次第に縮減し、やがて社会移動を通じて社会的階梯を上り、ゆっくりと何とか“白人”主流社会に参入(仲間入り)しつつあった…と思われる。
問題は1世に比べて2世→3世がたとえ徐々に貧困や低い教育程度が改善され、暮らしこそ向上はしても、往々にして受け入れ文化(米国)と母文化(ロシア)という二つの異質文化の狭間に立って揺れ動き、心理的な葛藤に苦しむ嫌いがあること。
それは、個人差の大きい資質や努力が作用するとはいえ、基本的に“マイノリティ-”なるがゆえの生きにくさにつながる問題である。移民第2世代→第3世代は、好むと好まざるとにかかわらず、何よりも言語・家族観・結婚・料理など、日常的な生活様式については“母文化”を捨てきってはいない。そんな彼らだからこそ、自らのエスニシティと異なるアメリカ主流社会への同化(⇒アメリカ化)に努める一方で、しばしばエスニック・アイデンティティー・クライシス(ethnic identity crisis)~「自分はロシア人かアメリカ人か?」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること~に見舞われてしまうのだ。
想像するに、少なくともマイケル、ニック、スティーブンの3人にとって、この屈折した心理機制のもとでは、米兵としてベトナム戦争に参戦することが、さしせまった必要事だったのかもしれない。自らの”帰属意識”に関わるエスニック・アイデンティティーを確立するために、国家間の戦争に乾坤一擲(けんこんいってき)の“愛国心”~社会共同体or政治共同体としての米国に対する愛着感~を賭けることこそが、避けて通れぬ関門だったのだろうか。この点、本作劇中で、3人の同僚で髭面の大男アクセルが「膝さえ悪くなければ…」とベトナム戦争に出征できないことを残念がるシーンや、ベトナム・サイゴンの陸軍病院でニックが「ロシア系か?」と問われ必死に「アメリカ人だ!」と即答するシーンが、それぞれに印象深い(ちなみに言えば、マイケルたち3人のベトナム戦争への出征は、徴兵されてのものか、それとも自ら志願したものか?これは微妙な問題だが、私としては前記の思想的文脈に沿って、彼らは志願兵であると解釈したい)。
ただし、ここで注意を要するのは、本作がこのエスニシティの“スティグマ”化の問題をことさらにテーマに据えているわけではないこと。
なるほど本作の場合、マイケルたちの故郷クレアトンを、ロシア系移民からなるコミュニティー(生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体)として描写してはいる。しかし、そこではアメリカの建国神話を牽引してきたWASP的共同体の優越性に起因するところの、心の痛みを伴う何らかの「スティグマ(stigma、傷)」(=他者や社会集団によって個人に押し付けられた負の表象〈ネガティブなレッテル〉)を負わざるをえないロシア系アメリカンの内的世界がリアルに前景化(問題化)されているわけではない。
本作がクローズアップする主立った登場人物は、町の中心たる製鋼所で汗まみれになって働き、仕事を終えれば馴染みの酒場で杯を酌み交わす彼たちであり、あるいは共同体にとっての社交場としても機能するスーパー・マーケットに勤務し、静かに日々を送る彼女たちである。彼らこそ、まさしく米国のどこにでも見出せるような「社会の片隅でさりげない日常生活を営む一般人(庶民)」であり、そうした意味合いで、総体的な国民共同体としての米国を提喩的に表象=代表しえる社会的存在にほかならない。本作では、基本的に劇中人物の庶民性⇒一般性をその重要な拠りどころとして、〈ロシア系移民の共同体〉こそが米国全体を代表する機能を果たす形で、〈米国VSベトナム〉の非日常としての戦争が、<ロシアン・ルーレット>を強要する戦地としてのベトナムの“狂気性”が鮮烈にあぶり出されていく―。
マイケル、ニック、スティーブンの3人~幼馴染みの間柄で、同じ製鋼所に勤め、鹿狩り仲間でもある、ロシア系アメリカ人の若者たち~は、ベトナム戦争へ出征する。
マイケルは冷静な判断力と卓抜した度胸の持ち主で、指導者的資質に恵まれている。ニックは内省的で、山や木を愛する繊細で心の優しい男。マイケルが鹿狩りへ行く時は必ずニックを相棒にする。スティーブンは素直で人懐こい愛すべき人物で、出征直前にアンジェラと結婚式を挙げる。実は、アンジェラは別の男の子供を孕んでいたが、スティーブンはそれでも彼女のことを愛していた…。
3人は戦場の地獄に叩き込まれた結果、それぞれに身体的・精神的な傷を負う。スティーブンは下肢を失い復員軍人病院に引き籠もっている。ニックはサイゴンで失踪し、ベトナムにとどまっている。ひっそりと帰還したマイケルは、故郷コミュニティーのなかで孤立し、帰還後も軍服を身に着けたままでいる…。
やがて、その不安定な精神状態を克服して“自律性”を取り戻すマイケル。病院に傷心のあまり引き籠もっていたスティーブンを家族のもとに連れ戻し、ニックの救出のため再びベトナムへと向かうのだった…。
話の焦点は、マイケル・ヴロンスキーの場合に絞られる。ここで私としては、(「私感①」で既述した)彼自ら切り開いた境地、つまり<受苦的⇒情熱的>な“個”におけるデュナミス(→エネルゲイア)の地平を思い合わせてみたい。
彼マイケルは悲惨な戦場体験を経て、 あくまでも“個”に徹し、よってもって個々の〈異質なもの〉の中に〈共通性=普遍性〉を認める豊饒な視線を培うにいたった。そこでは、あらゆる人間の心に潜む「自分以外の誰か(他者)を〈劣った者〉とすることで自分の優越性を感じる」という心の動きこそが否定的に克服されていく。それは本来的に、白人/非白人の人種・民族差別構造はもとより、自らの特定のエスニシティにこだわるエスノセントリズム(ethnocentrism、自民族中心主義)をもじっくりと乗り越えていく思想的・実践的構えそのものである。