仏教の心理学
貪欲に気付き易くするために、貪欲にどんなものがある考えてみましょう。
欲求は、適度に焦らされながら繰り返し満たされると、簡単に貪欲化します。関連記事:執着や依存症のできる仕組み
ですから、欲求はなんでも貪欲化する可能性があります。
その中で、私達が影響を受けやすいのに気付きづらい貪欲に「刺激への欲求」と「承認欲求」があります。
今日はそれらについて、お話します。
刺激への欲求
私たち人間は、刺激が大好きです。
- 辛いものや炭酸などの刺激のある飲食
- スマホやテレビ
- 音楽や仲間とのワイワイ・ガヤガヤ
- ペン回し (手への刺激です)
- パズル (思考への刺激です)
などです。
これらが貪欲化すると、以下のようになります。
- この食べ物、なんか物足らない
- 気付くとスマホを操作してる
- なんとなくTVがついていないと落ちかない
- 音楽がなってないと落ち着かない
- 退屈がイヤでたまらない
- 思考が止まらない
これらは、思い当たる人は多いと思います。
このような貪欲でも、前の記事に書いた貪欲の悪影響を受けて、建設的に幸せに向かうことを阻害します。
もったいないと思いませんか?
これらが貪欲化していることに気付いたら、その欲求が消えるまで、欲を満たさないようにすると消えていきます。
※詳しいコツは、あとで記事にしますね。サティ(マインドルフルネス)が関係します。「三毒:心を苦しくするもの (仏教的な心のとらえ方)」 で紹介した本にも掲載されています。
承認欲求
承認欲求は仏教の中でも詳しく検討されています。むかしから多くの人が苦しんでいたということです。
承認欲求というのは、以下のような欲求です
- 自分を理解して欲しい
- 褒めてもらいたい
- ダメな自分を見せたくない
- 仲間に入れて欲しい
- 尊敬されたい
これが貪欲化すると以下のような考えや言動につながります。
- ウケを狙おうとする
- 誰かに迎合する
- 他人との関わり減らす
- 誰かに遠慮する
- 人を批判する
- 傲慢になる
「わかってくれない!」というのは、貪欲化した承認欲求の典型です。
SNSで「いいね」が欲しくなったり、気になってしかたがないというのも、承認欲求の貪欲化が関係します。
人間関係を難しくしているのは、この貪欲化した承認欲求が大きく関係します。
承認欲求から解放されれば、人間関係の悩みから解放されます。
解放の前に…
「人を批判する」「傲慢になる」が、どのように承認欲求と関係しているか、分かりづらいかもしれませんね。
これを理解するには、「妄想を使って自分で自分を承認する」という構造に気付く必要があります。
仏教では慢と言います。
慢(まん)
慢というのは、承認欲求と以下のような妄想が結びついた状態です。
- 私は正しい。あいつは間違っている
- 私は頑張っている。あいつは分かってない
- 私だけは許される。おまえがやっとけ。
- 私がなんとかしなきゃ。あいつに任せておけない。
これらの妄想は、「自分が優れている」というニュアンスがあることがわかると思います。
本来「他人から認められる快」で満たされる承認欲求を、「自分で認める快」で満たすことで貪欲化したものです。
自分で認めても気持ちが良いので、適度に誰かに反発されながら(気持ちよさを焦らされながら)繰り返すと、自分で自分を認めるという承認欲求は強く貪欲化していきます。
慢が進むと人の意見に耳をかせなくなったり、横柄な態度を取るようになり、人間関係を壊してしまいます。
しかも慢の状態の人は、妄想にどっぷり浸かっていて、自分の状態に気付きづらくなる特徴もあります。
モラハラ
モラハラなどのハラスメントでは、加害者にも被害者にも承認欲求が関係しています。
モラハラ被害者に向けた以下の本では、被害者のどのような態度や言動が加害者の攻撃欲を引き出すかのメカニズムと対応のコツが書かれています。
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離れたくても離れられないあの人からの「攻撃」がなくなる本
1,430円
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この本で、私のどのような考え方や言動が元妻の攻撃欲を引き出していたか、より具体的に理解できたように思います。
軽いタッチの表紙ですが、とても興味深い内容です。
この本では、被害者の承認欲求や慢という切り口では深く書かれていませんが、この本でやめるように指示している態度や言動は慢によるものです。そして攻撃されることで、被害者の慢がより膨らんでいく構造が見えてきます。
この構造を理解できると、モラハラだけでなく会社などで無理を押し付けられやすい人や、人間関係で損をしていると感じている人の改善にも役立ちそうです。
ただいまは研究中なので、いつか記事にしたいと思います。