仏教の心理学

 

 

さて、まず仏教が「妄想」をどのようにとらえるか整理してみましょう

 

仏教では、判断基準、予想、過去の思いなど、考えの全てを妄想ととらえます。

 

では、この妄想がどのような時に毒になるか?

そして、考えとどのように向き合うのが良いのでしょうか?

 

 

 
考えは不確かなもの

 

価値観や信念などの、判断基準はおかれた状況などによって、適切な場合も不適切な場合もありますし、時代とともに変わる不確かなものです。

過去の思い出も、将来の予測も、思い込みに影響を受けているので、ホントかどうか不確かなものです。

 

だから、特定の「考えにしがみつくな」と教えます。

 

少し極端かもしれませんが、

  • 人を殺してはいけない
  • 家族を守らなきゃ

といった、「当たり前」と思えるような価値基準にも、しがみつくなということです。

 

私たちは日々妄想にしがみついた生き方をしています。

  • お金を稼がなきゃ
  • 他人と仲良くしなきゃ
  • あいつのせい、こな辛い思いをしている

このような思いの背景には、価値基準や状況認識という妄想が隠れています。

 

そのように、しがみついた妄想が現実と軋轢を生んだ時に、私たちは苦しんだり、うまく人生が回らなくなるわけです。

 
なぜ、妄想にしがみつくのか?

 

では、なぜ私たちは考えにしがみつくのでしょうか?

ここで、貪欲(欲求)、怒り(感情)が関係してきます。

  • 「もっと、もっと」という欲求が、しがみつかせる
  • 「自分が正しい」と主張することで、承認欲求を満たそうとする
  • 怒りの理由を外に求める

詳しくは、貪欲、怒りでお話をしますが、これらが妄想にしがみつかせるのです。

 

逆もあります。

誰かから教えられた考え(妄想)が、貪欲や怒りを刺激する場合です。

  • xxすれば、もっと幸せになれる
    (CMなどでも頻繁に刺激されています)
  • xxするのが悪い
    (報道などで日々目にします)

刺激された貪欲や怒りが、その妄想にしがみつかせます。

 

 
「正しく考える」ということ

 

仏教では「正しく考える」というのがあるのだそうです。

  • 現実をありのままに受け入れた上での考え
  • 誰かの幸せにつながる考え

こう書くと簡単そうに見えますが、実際はとても難しいことです。

 

感情の影響を受けていないクールな状態になる必要がありますし、貪欲の一つである承認欲求(自分を良く見せたい)で現実をゆがめて理解していることが多いからです。

 

そもそも、ほとんどの人は練習しないと、多くの妄想から影響を受けていることに、気付いていません。

 

お坊さんたちは、正しく考えられるようになることを目指して修行しているのだそうです。

 
妄想が建設的に考える余地を奪う

 

妄想に気付かないと、貪欲と怒りと合わさって、増殖していきます。

私たちは、なんの結果にもつながらない

  • ああ、もっとxxだったらよいのに
  • あいつは、間違っている!

といった思考でいっぱいになることが沢山あります。

 

これによって、幸せに繋がる建設的なことを考える頭の中のスペースが減っていきます。

 

 

そんなのイヤよね?

解消法は、もう少し三毒を知ってから考えることにしましょう