和光市世代間交流会

和光市世代間交流会

人から人へ伝えていく思い、世代から世代へ受け継ぐ生きることの価値・・・関係性を再構築していくために、地域でささやかな活動を続けています。

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今、和光市では社協の地域福祉活動計画策定が進んでいます。その中で、地域住民による3回のワークショップが開催され、地域の高齢者の会の方たちとお話する機会がありました。

私たちの地域の会は、自治会内の組織としての「老人会」ではなく、任意サークルの形をとって自由な運営が行われています。その中で、なかなか新たな会員が増えていかない悩みを聞きました。住民は年々高齢化していますし、新たに入居してくる高齢者もいるわけですが、なかなか新入会員が増えないなかで、会員数が減少するとともに、メンバーの高齢化がどんどん進んでいるようです。会員20名のうち、70代はたった4人。そのわずかな70代の方たちが、世話役を引き受けるのだけれど、負担が重すぎて、役を引き受けた方が退会してしまうという事態も起こっているそうです。

このような現実を、話をうかがうまで、私はうかつにも知りませんでした。

また、一人暮らしになった高齢の方たちが、住まいを整理して高齢者施設に移らざるをえなくなる現状もうかがいました。近隣関係が希薄な中で、支援があれば一人暮らしも可能な方たちが、長く暮らした住まいをあきらめて移っていかれる話は、聞いていて切ないものです。「終の棲家と思ってきたけれど、ここは終の棲家にならないのよね・・・」という言葉に、胸をつかれる思いがありました。

地域で子どもたちを見守っていただくことや、地域子ども教室のサポートなど、仕事から引退された年代の方たちには、いろいろな支援をいただいています。一方で、高齢の方たちが安心して外に出て、季節折々を楽しむことができるようにより若い世代ができる支援をしていかなければいけないなあと、思いました。春の花、秋の紅葉、世代のちがう人たちが集まって一緒に楽しんだら、もっと楽しみは幅広く豊かなものになりそうです。

仕事柄、小中高校生と接する機会もあり、大学生と話す機会もあり、また活動の中で自分より若い人たちや年上の方たちと一緒にさせていただく機会も多いのですが、いろんな世代の人たちと話をすることは、楽しいですよね。地域でも、もっといろんな世代の人たちが交じり合って、融合していくことが必要なのだと思います。

何とか時間を作って、できることをしていきたいな・・・。

坂下湧水公園

11月22日、第三回公園調査を実施しました。今回は、世代間交流会のメンバーに加えて、おなじみ・ふるさと民家園の井上さんと、市の渡邉さん、中岡さんも参加してくださって、総勢9名で調査に回りました。

出発は朝9時。坂下公民館からスタートです。お天気も最高で、もとより外歩きの好きなメンバーは、皆にっこにこで歩き始めました。

緑と鳥の声に包まれた坂下湧水公園を出て、次の予定地までの間に、予定になかった公園があり、そこに代休で学校お休みの小学生たちが、大きな木の下に自転車を並べて集まっていました。「あ~! いのうえさんだぁ ♪ 」 「ほんと~だ! いのうえさ~ん ♪」 さすが古民家の井上さんは、子どもたちの間でも"顔”です。  「この公園、何ていうの?」 「てんじんがやと、だよ!」 ん・・・? どういう字?

ああ、天神が谷戸 ね。 山田さんは、早速子どもたちの間に入って、聞き取り調査をしています。

天神が谷戸

公園調査で、子どもたちに会ったり、お年寄りにあったりすることは、残念ながら少ないのです。けれども、そこに子どもたちがいただけで、公園全体がひだまりのような、明るくてあたたかい場所に見えることに気がつきました。

誰もいない緑豊かな公園の静けさも捨てがたいのだけれど、やはり公園は、そこでくつろぐ人がいたり、子どもたちの声がこだましたりしているのがいいなあ・・・。これで、ひだまりのベンチに、お年寄りや、赤ちゃんをつれたお母さんや、犬をつれたおばさんや・・・いろんな人がいたら、もっとすてきなんだけど・・・。

坂下湧水公園の鳥のさえずり、宮ノ台児童公園のずっと前の子どもたちが作った石のモニュメント、天神が谷戸の子どもたちの笑顔・・・いつも公園調査は楽しいですが、今回のコースはとりわけ充実していた気がします。

天神が谷戸公園

そして、20年近くも和光市に住んでいるのに、フィールドに出るたびに知らない町並み、初めて発見するすてきな場所に出会います。公園から公園への道のりも、いろいろな楽しみがいっぱいです。

関心を持ってくださる方は、一緒に歩きませんか? 楽しいですよぉ♪


きょうは、世代間交流会としての活動ではないのですが、NPO法人こども・みらい・わこう として主催した「子どもたちを虐待から守る地域ネットワーク学習会」について書いてみたいと思います。

この学習会は、3週間続けて3回にわたり開催するものですが、11月13日(月)に、第1回 『子どもを虐待から守るために地域にできること』 を、国立保健医療科学院・中板育美先生を講師に迎えて行いました。

この講座では、こどもの虐待に対処するために知っておくべき基礎的な知識と、実働的なネットワークを構築していくために必要なことを、豊富な事例を交えて話していただきました。

中板先生のお話を聞いて、胸にずしりと受け止めたことは、いくつもありました。

私が乳幼児を育てていたのは、もう10年以上前です。2歳違いの男の子3人(下が双子)の子育てでしたが、正直なところ、つらかったという感覚はあまりありません。けれども、今子育てをしているおかあさんたちの閉塞状況は、多少なりとも理解できるし、親がどう変わったかということよりも、今の子育ての現実に寄り添うしかないのだと思います。子育て支援は、母親(父親)としての’あるべき’論を提起することではないし、どうすべきかを説くことでもなく、「決して責めない人、裏切らない人、安心できる人、見捨てない人」 としてそこに自分を「差し出す」ことなのだと、肝に銘じなければならないと思いました。

「どんな親であっても、最初から子どもを虐待しようと思う親はいない」 「親も変わっていける。どんな親であっても、子育てを通した自分らしい豊かさを感じることができるためのチャンスが保障されている環境を守ること」 ・・・行政・専門職・住民それぞれの立場で、できることをしていく実働的なネットワークが、この環境を支えていくということなのです。

これは、本当に重く困難な課題です。それぞれの立場で、覚悟を決めなければならないと思います。本気で、支えていくために必要なことの出来る人を見つけて、つないでいかなければなりません。形式的なネットワークでは役に立たない。「対応しました」ではダメなのです。

この課題を胸に重く受け止めて、帰宅したら、またもや虐待のニュースが流れていました。保育園に迎えに行けば、嬉しそうに駆け寄ってきた我が子、手をつないでしばしば散歩をした我が子を、暴行し瀕死の状態にして水路に遺棄した事件です。幼い子どもの最期の思いがどんなだったのかを思うと、本当にやるかたない気持ちになります。このような事件に接すると、それでも、人は変わっていけるだろうか、そのために地域にできることがあるのだろうか・・・と暗澹とした気持ちになってしまいます。中板先生の深く重い提起をしっかりと受け止めるためには、もっと多くのことを知り、感じ、考えなければならないと思っています。

けれども、虐待する家庭から子どもを分離して、当面の命の危機からは救えても、それだけではその子を本当に救ったことにはならないということは、理解できます。それぞれのケースで、とるべき道も違うでしょう。

中板先生のお話を聞いて、もっとも感銘を受けたのは、多くの悲惨なケースを見てこられた先生が、なお「人は変わってゆける。親も成長する。分離するだけでなく、たとえ低空飛行でも、親と子が一緒にいることを喜びとできるように地域で支えていくこと」を提唱されたことです。根源的な人間への信頼があり、そこにまた、この社会に生きる希望もあると思いました。


きょうは、私たちの今している活動、公園調査についてのインフォメーションです。

市内の公園を、足で歩いて調査しています。こういう活動は楽しくて、私たちの会のメンバーが好きな種類の活動です。

なぜ公園調査!? それは、公園が世代を超えてシェアできる場だからです。

今、児童館でも小学生の利用時間帯と中学生の利用時間帯を分けたり、世代別・立場別?に集まっていることも多いのですが、

幼い子どもたちと高齢の方たちは、時間の流れを共有することのできる’ともだち’ではないかと思います。

高齢の人たちが、「楽しいね」と言って、まちのそこここに出てきてくれる・・・そんなまちにしていくために、ちょっと一休みできる公園を、もっともっと人の集まる公園に、住民に大事にされる公園に、して行きたい。

そこで、市内の公園を異世代共生の大切な場と位置づけて、安全で、かつ子どもも高齢者もつい足を運びたくなるような場所に

していくために、積極提案しよう! と、まずは実態把握のために、みんなでてくてく歩くことになったわけです。

第1回目はすでに終わっていますが、歩いていたら何人もの知った顔に会って、やっぱり楽しかった! けれども、公園にはほとんど人がいなくて、ちょっと淋しかったなあ・・・。


2日目以降の予定を書いておきますので、お近くでお時間のある方は、一緒にいかがですか?


  ○第2回 11/8(水) 午後1時 広沢原公園集合 (広沢原公園、鈴森公園、本町児童公園、土橋児童遊園地)

  ○第3回 11/22(水) 午前9時 坂下公民館集合 (坂下湧水公園、谷中児童遊園地、東妙蓮寺児童遊園地、宮ノ台児童 遊園地、谷戸島児童遊園地)

  ○第4回 12/4(月) 午前9時 集合場所未定 (旧白子川児童公園、市場児童公園、南市場いこいの森、市場峡公園、

市場下公園)

  ○第5回 1/15(月) 午前9時 集合場所未定 (チビッコ公園、せせらぎ公園、緑の公園、ワンパク公園、浅久保児童遊園

地、あさかわ公園)


きょうは、町田市社協が主催する地域福祉フォーラム「異世代交流をすすめよう!」 に行ってきました。

「場の交流から伝える交流へ」 というテーマで、お話をさせていただきました。

私は、地域で活動する一住民ですから、会場で話を聴いてくださった方たちと同じ立場です。

一定の方向性を指し示すような話はできませんので、日々活動してきた中で得た気づきや、視点を提起しながら

会場の皆さんと、思いや課題を共有し、また明日から元気で活動しよう! と思っていただける話がしたいと思いました。

終わってみれば、活動のあれもこれもと、ちょっと盛り込んだ話題が多すぎて、いずれも掘り下げ不足、

ポイントが絞りきれなかったな~と反省しきりです。

主に活動している方たちが参加されていたので、’世代間交流を進める’ところから一歩踏み込んで、

異世代協働の可能性を、具体的に考えあうこともできたんじゃないか・・・とか、

考えるといろいろあるのですが、きょう学んだことは次に生かしたいと思います。


講演会などに参加して、人の話を聴くことは、大変勉強になります。

そして、自分が話す立場になると、これもまた大変勉強になります。

これは、なかなか厳しい勉強なのですが、自分なりに活動してきたことを

整理する作業の中で、また当日話をしながら会場の方たちの反応を肌身で感じる中で、

学ぶことが本当に大きいです。


きょうは、町田市で地域子ども教室を運営されている’レコパン’と、相原郷土芸能連合会から代表の方たちが事例発表を

されました。やはり、自分の時間と労力を注いで活動している人たちの言葉は、とても力があります。

お話の中で、レコパンの槻木さんが、「地域の学校の入学式などで、レコパンに来ている子どもたちの成長した姿を見ると

私たちが育てた子どもがこんなに立派になって・・・と思う。それはレコパンに関わったスタッフの共通の思い。そういう人が

ひとりでも多く増えていくことが、まさに地域で子どもを育てるということではないか」 という趣旨のことを言われていました。

本当に、地域にそういう大人が増えていけば、子どもたちにとって安全で安心な地域にもなっていくし、多くの大人が

関わる中で子どもたちは育つことができるのですよね!


活動する者同士がつながることのできる、こういうフォーラムは、参加していて楽しいです。

町田社協の皆さん、会場にいらした皆さん、ありがとうございました。


年初に「地道に活動していきます」 と抱負を述べたきり、更新しないまま盛夏を迎えてしまいました。この間、活動はそれなりに地道に行っていましたが、深く関わっている’子どもたちを地域で守る活動’に関連してNPO法人の立ち上げなどがあり、目の回る忙しさで、更新しないまま半年以上の月日が飛び去ってしまっていたのです・・・と、これは言い訳ですね。


さて、8月2日から5日まで開催された世代間交流国際フォーラム(NPO法人日本世代間交流協会主催・早稲田大学国際会議場)-世代をつなぎ地域を再生するために-および国際研究集会が無事に終了しました。

私も、3日・4日の国際フォーラムに参加しましたが、期間中ほとんど受け付けにはりついていたため、残念ながらあまり多くの話を聴くことはできませんでした。どうしても聴きたかった惣万佳代子さんの話を聴けたこと、受付にいたためお会いしたかった多くの方々に会えたこと、そして発表させていただいたテーブルディスカッションで密度の高い意見交換ができたことが、私にとっては収穫でした。

フォーラムには内外から著名な研究者が数多く集まり、ネットワークが生まれたという点で大きな意義があったと思います。ただ、集まった人たちの多くが研究者や学生であり、実践活動者はすでに全国版になっているような著名な方々が多かったように思います。「地域を再生するために」 とテーマを掲げたフォーラムであれば、より多くの市町村から、地域で草の根の活動をしている人たちが集まる会になれば、いっそう魅力的だと思います。

こども環境学会に参加したおりに、学会でありながら多様な実践者が数多く集まっていることに驚きました。発言も多様な立場からなされて、現場の多彩な課題が話題になっていました。

私たちは地域で活動しながら、「世代間交流というけれど、これでいいのかしら?」「この場だけの交流に終わらせずに、地域に広げていくためにはどうすればいいのか?」と、日々小さな違和感やためらいを持っています。その小さな違和感を、私は大事にしたいと思っています。私たちは、「活動としての世代間交流」って何なのか、という素朴な疑問を時間をかけて議論する場もほしいのです。学術的に、ではなく、体感的に。現場でぶつかっている生の課題を出し合い、共有して、議論しあう中で、現場の知も生まれてくるのではないかと思うからです。そういう現場の知恵と、研究者の知見とが融合するところに新たな希望が生まれてくるのだと思います。

子どもたちを守る活動の中でも、世代間交流は大きなテーマです。昨日、千葉大の中村攻先生の講演を聴きました。その中で、中村先生が言われていたこと-子どもたちを守るためには地域の高齢者の存在が大きな力になる。けれども、パトロールや子どもの見守り隊に高齢者を駆り出すのではなく、高齢者が「楽しいね」と出てくるまちを、どのようにつくっていくかが課題だ。-

そうなのです。私たちがやっていきたいのは、高齢者も子どもも、そしてあらゆる年代の人たちが、「楽しいね」と出てくるまち、「楽しいね」と集まってくるまちなかのスペースをつくっていくことであり、世代間交流は「まちづくり」なのだということです。

9月に、縁あって町田市の社会福祉協議会の世代間交流フォーラムに参加させていただくことになっています。そのような場で、地域で活動する者のひとりとして、生の課題を出し合って本音で意見を交し合う交流をしていけたらいいなと思っています。そのようなネットワークを、少しずつ広げていきたいです。

    明けましておめでとうございます。

今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

            さて、きょうは、今年の初会合。

出席率もよくて、話がはずみました。


世代間交流の場は、数多くあります。

けれども、「場」の交流がなかなか広がっていかなかったり、決まった人しか参加しなかったり、人を集めるのに苦労していたり:::と課題が多いのも現状です。

プログラムとしては、高齢者が子どもに何かを教える、たとえば竹とんぼの作り方を教えて一緒に作って遊ぶなどといったものが多いのですが、そのとき「竹とんぼ」は交流のためのツールであって、上手な竹とんぼを作ることが目的ではないわけです。ところが、高齢者が子どもを見ないで「竹とんぼ」を見てしまうと、何とか満足な竹とんぼを作らせようと躍起になってしまったりして・・・そうなると「交流」は双方にとって楽しいものではなくなるかもしれません。

どうしたら、高齢者も子どもも楽しめて、満足度が高く、また参加したいと思う活動になるのか、そして互いに幸せな気持ちで帰ることができるのか。そんなことを話し合いました。

結局、交流の場にきた子どもがどのようにふるまったとしても、また高齢者がどんな雰囲気だったとしても、参加する人たちに何かを強いたり、教えさとしたりするのではなく、その場の状況に応じてよい雰囲気に持っていけるコーディネーターの役割や資質がとても大事なのではないかという話になりました。

交流の場にも、また地域にも、コーディネーターの資質を持った人をたくさんつくっていくこと、それは世代間交流に限らず、人と人との絆を結びなおすのにとても大事な役割を担う人材ということになります。それこそ社会資源だと言えるのではないかな・・・。

現場に足を運んで、現場の課題や悩みを汲み取り、ひとつひとつ打破する方法を考えていくような活動を今年は積み重ねていこうと、みなの意見は一致しました。

今年も地道に、がんばります!



和光市内にも、さまざまな世代間交流事業があります。

主に、社会福祉協議会がやっている高齢者と子ども、あるいは幼児&母親と高齢者の交流の場であるふれあいサロン、長寿あんしん課でやっている福祉交流室を活用した児童と高齢者を中心とするふれあいプラザなどです。また子育て支援センターの事業として、次世代の親となる中高生と赤ちゃんのふれあい事業も始まっています。


和光市世代間交流会の活動は、これらの交流事業を応援しながら、”場”の交流を地域に広げていくことをめざしています。12月3日に開催した「異世代友だちづくりフォーラム」 では、会場に和光市世代間交流マップを掲示して、参加者に世代間交流事業が行われている場所を広報しました。

また、世代間交流は、こうした市や社会福祉協議会の事業の場だけではなく、伝統まつりや団地、子ども会などのコミュニティのまつり、伝統芸能の継承、スポーツ大会や国際交流、おいもほりや川祭りなどのイベントなどを通しても行われています。


世代間交流は、もちろん特別なことではないのです。

けれども、フォーラムの会場からのご発言にもありましたが、さまざまな活動が同年代、同質の仲間で行われていて、それぞれの活動はさかんなのだけれど、なかなか横のつながりが広がっていかないのが現状です。ちょっと異質な人や異年代の人が混じると、何となく’場ちがい’と感じさせてしまうような雰囲気はないでしょうか。


シンポジストの渡辺美恵子さんがお話になったエピソードにありました。高齢者向けの集まりと若いママたちの集まりを曜日をちがえて同じ会場でやっているので、時々曜日を間違えて、若いママたちの日に高齢の方が来られることがある。せっかく足を運んできてくれたのだから、そういう時に渡辺さんは、「きょうはちがいますよ」 とは言わずに、「どうぞー」と入っていただくそうです。でもしばらくするとやっぱり居心地がよくないのか、早々にお帰りになると・・・。


地域のまつりなどの場では、高齢者と子どもたちが自然に交流する姿が見られます。けれども、”場”の交流では、きょうは違う世代の人同士の交流ですよ、と設定されないとなかなか交流できないというのも、不思議なことですが、やはり現実のようです。


今、中高生の「居場所づくり」 という言葉をよく聞きますが、ことさら「居場所」 をつくらなければ、まちや家庭に居場所がない現実を映し出しているようにも思えます。それと似通ったおさまりの悪さが「世代間交流」というときにあるような気がします。


世代間交流を広げていく活動をしていながら、矛盾しているようですが、この「おさまりの悪さ」をどこかで感じながら活動していくことが、必要なことでもあるような気がしています。


今年度最大のイベント 異世代友だちづくりフォーラム は、本日無事終了しました。

会発足後はじめてのイベントであるにもかかわらず、シンポジウムという難しい形に取り組んでしまい、いろいろと不手際があったことと思いますが、とにかくシンポジストの方たちが「世代間交流から考えるまちづくり・地域づくり ~場の交流から地域の日常へ~ 」 というテーマを、四人四様の多彩な切り口から、中身の濃~いお話をしてくださったので、とても充実した会になりました。

会場に足を運んでくださった方たちは、まちを愛し、自分にできることをしていこうという意識の高い方たちばかりで、大変熱心に聴いてくださっていました。


会の様子やお話の内容、皆さんの感想など、随時掲載していきたいと思います。

とりあえずきょうは、終わった~~~! というところで、無事終了のご報告のみ。

お疲れ様でした!

ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

 わこう子育てネットワーク主催の講演会で、日本冒険遊び場づくり協会の天野秀昭さんのお話を聴きました。冒険遊び場は、こどもがやりたいと思ったことをやれるような遊び場であり、禁止事項のない遊び場です。天野さんは、羽根木プレーパークの初代有給プレーリーダーとなり、その後全国の住民による冒険遊び場づくりを支援してきた方で、せたがやチャイルドラインの運営にもあたっておられます。

 12月3日の私たちの会主催のシンポジウムに出演してくださる渡辺美恵子さんのNPO法人「おばちゃんち」が今夏行った子育てサポーター養成講座でも、天野さんの講演が組まれていたのですが、そのときはどうしても予定のやりくりがつかず残念な思いをしたので、今回の講演会はとても楽しみにしていました。

 天野さんのお話の中から、いくつか心に刻んだことを記してみます。( ※天野さんのお話の要約ではありません。私が受け止めたことを思いつくままに記したものなので、天野さんが使われた言葉の通りではありません。 )


☆以前、住宅地の児童公園で一日冒険遊び場をやり、好評だったので再度そこでやろうとしたら、自治会の許可が下りなかった。理由は、「子どもたちが集まって遊ぶとうるさいので、苦情が出た」から。子どもの3大形容詞は、あぶない(A)、きたない(K)、うるさい(U)=AKU(悪) 今の社会は、子どもならではのこれらの要素を許容しない。このような子どもを見る目線の上に、「子どものため」が乗っていたのでは、大人が子どもたちのためにと言ってやることのほとんどは、子どもをだめにすることばかり。


☆子どもたちの’AKU’を社会が許容すれば、どれほど子育ては楽になることか。今は、「迷惑をかけない子どもに育てる」 ことが重要視されているが、人に迷惑をかけずに生きることは不可能だ。人は「お互い様」とたがいの迷惑を許容しあわなければ、生きられないし、それを許容しなければ互いの関係性を切っていくしかなく、ぎすぎすした人間関係になっていく。しかし、かけてはならない迷惑もある。かけてはならない迷惑と、互いに許容しあえる迷惑を分別していくことができるのは、子どものときに迷惑をかける体験を積み重ねて覚えていくからだ。迷惑をかけることを許容されず、大人の期待にそう「いい子」=小さな大人 として育っていくと、かけてはならない迷惑との距離感をつかめず、時にはいきなり取り返しのつかない「迷惑」行為をしてしまったりする。 (「心の闇」はあって当然であり、誰にでもある。闇の部分と輝きの部分があるからこそ鮮やかさがある。心の闇のコントロールのしかた、付き合い方を覚えるしかない。そのためには、「闇がある」ことを見ないようにするのではなく、子どもが闇をひた隠しにしなくていいようにする。)


☆大人が自分の思い通りの子ども像に近づけようとすることにより、同じ子どもが見る人によって、「すばらしい魅力的な子ども」 にもなり、「問題児」 にもなる。「問題児」とは、大人が思い通りにならない子どもに対して作ってしまう概念であり、大人の目線の側の問題。


☆子どもは本能的に自分の命を支えている大人に愛されよう、気に入られようとする。(そうしなければ生きられない。) 大人が思い通りの子どもにしようとすれば、そのニーズにそって、求められる形を作ろうとして生きる。その結果、器用な子どもは「小さな大人」 としての形を整えるが、やりたいことを自分の力でやろうとする力が育たない。ある年齢になると、みんなに愛されている(と思ってきた)自分と、本当の自分のずれに気づき、張子状態の中にある空虚さに気づいてしまう。その結果自傷に走る子どももいる。器用でない子どもは、大人のニーズに応えようとして応えられないので、自分はだめだという不全感を持っている。


☆小さな子どもが、プレイパークの小屋の屋根から跳び下りる年長の子どもたちをじっと見ていて、あるとき決意して自分も跳んでみる。「やってみたい」 という情動により、決意して限界に挑戦し、勇気をふるって跳ぶ。このような体験は、自分の限界を知る訓練であり、人の限界を侵さないことを覚える機会でもある。子どもの育ちにはリスクはつきもの。しかし、決意してやることで大きな怪我をすることはほとんどない。このような経験は、何が本当に危険なのかを見分ける力をつけ、また勇気を持って乗り越えることで子どもの自信になる。


☆善悪の判断は価値観に基づくものであり、価値観は視点や時代により変わりうる。しかし、「やってみたい」こと(情動)は本人にしかわからないものであり、また時代や文化を超えるものである。この子どもたちの情動を大人が受け入れられないのだ。


☆子育て支援が親の支援という目線に傾くことに危うさを感じる。子育て支援者は、子どもとの関係性を築く当事者としての視点が必要。


 世代間交流についても、ヒントがありました。たとえば、高齢者と子どもが花作りをともにすることにより、交流するという例を挙げ、そこに「花作りを通じて命の大切さを教える」 というような、「教育」が入り込むことにより、交流はだめになる、という指摘です。竹とんぼ教室で、高齢者が子どもたちに竹とんぼというものを教えるんだと思うのではだめ。なぜならそれは、子どもを見ているのではなく、竹とんぼというものを見ているから・・・。花や竹とんぼを使って、互いにふれあうことそのものを大事にできたら、「場」の交流も意味があるということなのでしょう。


 日頃感じていたことが、自分の中にすとんと落ちてくるお話でした。期待通りで、参加して本当によかった!と思えた講演会でした。けれども、そこで持ち帰った課題は大きいのです。私たちの会の今後の活動の中で、忘れてはならないことがたくさんあると思いました。

『不求 不急 遊悠 不休』 -買い求めた天野さんの著書の扉に、天野さんが書いてくださった言葉です。

                                                  (文責 : 待鳥 美光)