皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






~ 道 ~
 
 
平成十四年十一月号
 
    うぬぼれと 増上慢は 魔の餌食
     我も気付かず 人も気付かず   弘
 
                  
 
心を開く
 
 
心行
心行は宇宙の神理、人間の心を言霊によって表現したものである。
それゆえ心行は、拝むものでも暗記するものでもなく、これを理解し行うものである。
正法は、実践のなかにこそ、生命が宿ることを知れ。
 
・「心行は 宇宙の神理」
まず、このように書き出されています。この宇宙とはどのようになっているのか、どのように存在しているのかということを書いていただいているのですね。
・「人間の心を 言霊によって表現したものである。」
私たちの心を言葉として書き表していただいたものですから、
「拝むものでも 暗記するものでもなく これを理解し行うものである。」正しい教えと言いますものは、
・「実践のなかにこそ 生命が宿ることを知れ」
 実践がなかったら、どんなによい教えを受けましても、これはただ知識に終わってしまいますから、冒頭にこのことが書かれてあります。いろいろな宗教の勉強をなさった方もあると思います。
この正法に心から帰依して、今日ここに来ておられる方もあれば、私はある信仰を持っているのだけれど一度聞きに行こうかと思って見えた方もあるとおもいます。しかし本当の正しい法、正しい教えとは「その実践の中に生命が宿る」という点については、どの宗教においても間違いのないところです。
 その実践の如何によって、教えの功徳が変わってきます。素晴らしい教えを説いておられる宗教がありますが、その実践になりますと、教えと食い違っている場合があります。
 例えば、「お金を上げなさい、主人に内緒でお金を上げなさい」と教える宗教があり、もっとひどいのになると「サラ金で借りてでも上げなさい」と言って促し、こんなことを実践しますと、必ずその家庭が破壊に向かっていきます。夫婦の中で主人に内緒事をしなさい。或いは奥さんに内緒事をしなさいと説きますと、この実践は大変恐ろしい実践です。なぜなら、それは家庭の崩壊に繋がっていくからです。表面の教えでは親に孝行しなさい。ご先祖を大事にしなさいと説きながら、実践面では親が反対してもこの教えを広めなさいと説く宗教もあります。表面の教えで親を大事にしなさいと親孝行を説きながら、実践面で親にさからう親不孝をさせていることになりますから、これでは破壊の実践となり、幸せには繋がりません。
ですから正しい教えというものは、その教えそのものではなくて、日々の生活の実践の中にその功徳があり、生命が宿るということですね。
 
 どんな宗教も、宗教と名の付くものは全部、いいことを教えます。夫婦は仲良くしなさい。親に孝行しなさい。ご先祖を大事にしなさい。確かにこれはいいのですね。ところが、仏壇の中にご先祖様が止まる位牌、つまりご先祖様の止まり木をつくらなくてはいけないと教える宗教がありますが、これは先祖供養の本当の意味が理解されていないのです。もし私たちがこの世を去りまして、仏壇の中の位牌の様なところに止まってしまいますと、成仏できません。止まり木、そんなところに止まらされたら大変です。私たちは素晴らしい光り輝く天上の世界、光明燐然と輝く喜びと安らぎと調和に満たされた世界へ帰ってこそ、本当の成仏が出来ます。それはこの三次元の世界とは全く質と次元の違う世界です。 私たちはその世界から、この地上の世界へ自分の魂の修行に出させてもらっているのです。ですから先祖供養と言えば、「拝みなさい。ものを供えなさい。護摩を焚きなさい。いい戒名を付けなさい。」と教えられますが、これはあくまでも供養の手段でしかないのです。
では、目的は何かということですが、先祖供養の目的は、ご先祖様にあの光り輝く極楽の世界へ帰って頂くことです。この世に思いを残しますと、その思いによって自分の心がその場所にとどまります。私は死んだら仏壇の中に祀ってもらおうとか、お墓の中に入れてもらおうと思っておりますと、必ずその場所に行ってしまいます。
 その場所は極楽とほど遠い場所です。極楽とは素晴らしい世界であり、その世界へ帰って頂くのが、私たち先祖供養をさせて頂く究極の目的であるはずです。霊を慰める「慰霊」、魂を鎮める「鎮霊」また「淨霊」などがありますが、「救霊」つまり魂を救い上げると言う言葉はあまり聞きません。
 どの宗教でもあまり説いておられませんが、この魂をすくい上げてしまうのが本当の供養の目的です。それが分からなかったから、やれ拝みなさい。供えなさい。祀りなさいと教えられるままにしてきたのです。
 あるところに寄せていただきますと、大きなお仏壇の前の枠取りに湯飲みが40個も供えてあるのです。その中にお茶を一杯入れて毎日供えているそうです。またあるお宅へ行きますと、大きな丼鉢に何杯もお茶を供えてあるのです。丼鉢にです。
「これは何をしているのですか」
と訊きますと、「ご先祖様にお茶を飲んでもらっています」とのこと。なるほど大きな丼鉢、或いは四十個の湯飲みをずっと並べまして、お茶をなみなみと注いでいるのですけれども、私たちのご先祖様はそんなに少なくないのです。というのは、私には私のお父さん、そしてお母さんがいてくれました。そのお父さんお母さんには、またそれぞれのお父さんお母さんがおられるはずですね。そのお父さんお母さんにも、またお父さんお母さんがおられます。
 そのようにして三代、四代、五代、六代と三十一代も遡りますと、十億からのご先祖様になるのです。わずか三十一代前で十億を超えるのです。今、自分が在らせていただくということは、わずか三十一代前で十億を超えるご先祖様のご縁をいただいているのですから、遠く遡ればもう何十億になるか数え切れないほどのご先祖様になって、いくら大きな丼鉢を持って来ましても、とても足りません。
またどれだけ大きな丼鉢にご飯を盛ってお供えしましても、膨大な数のご先祖様には一粒ずつさえ当たらないのです。そして肝心なことは、そんなお茶やご飯を供えることによって成仏できないということです。
 
 以前に、800年も地獄に迷っている方が出てきました。その方に「800年の間に、あなたの子孫の方はあなたにどれほどの経文を供養しましたか。800年間、なたはどれほどの経文の供養を受けましたか。それによって救われなかったのですか」
と訊きますと、その霊が言われましたね。
「あれは何にもならんのう」と。
「どうしてですか」と訊きますと、「意味が難しくて訳が分からない」
 すなわちお経の意味が分からないとおっしゃったのです。だから、いくらお経をあげても何にもならないのです。またお茶についても訊きました。
「あなたが所望されたら、子孫はどれほどのお茶を献じましたか。お茶によって救われましたか」と言いますと、「いや、救われない。満たされることが出来ない」と答えられます。それは、いくら供えてもらっても満足できないのです。そのとき、「ああ供えてくれたなあ」と言う一時の心の納得というか、供えてくれたという思いはあるのですけれども、いつまでたっても満足を得ることは出来ません。
 また供物についても訊いてみました。「今日までどれほどの供物を子孫の方はあなたに捧げましたか」しかし、供物によっても満足は得られなかったといわれます。戒名などはなお傑作です。
「良き戒名を付けてもらったでしょう」と訊きますと、「あれは何にもなっておらん」「どうしてですか」と尋ねますと、「わしが死んだ後のことはわしゃしらん」と、こういわれました。強固の会場にはお坊さんはお見えになっておりませんね。お坊さんの営業妨害になると叱られますので。「戒名」について、昨夜のテレビで言っていましたね。「お寺さんの戒名がいくら、お布施がいくらと決めるのは、これはちょっと宗教上おかしい。だから宗教法人への税金を考えなくてはいけない」と言うようなことがニュースとして出ていましたね。まるで商売です。
 
 ある方は言われました。「お寺さんへ行きますとまるでメニューみたいです。この戒名だったらいくら、こちらの戒名だったらいくら、どれにしますか、と言って見せてくれます」ということです。「戒名のメニュー」です。しかしいくらいい戒名を付けても、亡くなった方には何の関係もないことだそうです。亡くなった後では分からです。
 その証拠に、私があの世の霊の方と数え切れないほどお会いしてお救いさせていただきましたとき、霊の方は皆異口同音に「戒名は何にもならない」とおっしゃいます。霊を呼び出すとき戒名で呼ぶと出てきません。自分のことだと分からないんですね。俗名を呼んだら出てきます。「おいはっつぁん」或いは「熊さん」と言うと、「へーい」と出てきます。常に一番親しい自分の呼び名を覚えているのですね。
 ですから戒名なんか呼んでも出てきません。そのようになっております。まず「心行」の冒頭には実践がいかに大事であるかということが説かれてあります。
 
長尾弘先生著 「心行の解説」 講演集上より
 
 

引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






~ 道 ~
 
 
平成十四年十月号
 
    内奥の 神の御心 罪深き
     この身を通し 示し現す   弘
 
                  
 
心を開く
 
☆神とは               
   神とは無限の生命意識、唯一無二,無限者、愛、宇宙大創造主である。
悟りとは、人間の感官の迷いの外なる心であり、小我、偽我の心から本来の自己である真の我、大我であり普遍者である全一体の神我を知ることである。神の子神我は天上地上の全権能いっさいの力である。神我は大自然の法であり、全てを支配するいっさいの力であり、神の創造意識であり、神の力が流れる媒体である。
 また神の創造原理の力が機能する経路でもある。神と神我は同一であり一体である。
 神我の力に到達することが、本来人類の目的である。有限必滅の地上界において、久遠不滅の真我、神我、大我である久遠の生命に至ることが人類の本願である。
 悟りとは全一体の自己の実相を悟ることである。解脱とは現象界における心のあらゆる制約より心を解放することである。神我は神全体と一体であり、神の最奥意識で純粋であり、精妙そのものである。
 神の分霊の中に分霊意識の顕現が神我であり、全ての生命意識である。人類が肉の世の地上物質化現象世界に生きる意義と目的とは、人類自身の存在に至った本源と実相を悟り、認識し理解し受け入れることである。
 自他分離と時空感覚、自己保存、自我我欲を消滅させて解脱し、自由自在になることである。
 このことが神のご意志が成就し給うご意志である。
 自他分離の隔てこそ我欲自我でありカルマでもある。五官の示唆を鵜呑みにして心の中に壁を創り出し、分離感覚、時空感覚を信じる想念の隔壁である。心の内奥は普遍意識の偏在の大我である。
  「心行」の解説上より
 
 
☆ 誤った信仰の恐ろしさ
 
 或る時、大阪でやはり正法の神理を伝えている方があるのを知りました。
この方は、過去世の言葉をペラペラと喋り、そのグループの方も過去世の言葉を喋ります。 「高橋信次先生が亡くなられた後、また、こういう方が現れて下さって有難いことだなあ」と思って、一度お話を聞きにいったのです。
初めてお会いしますと、私のことはよく知っておられて、「よくきてくれました」と合掌して迎えてくれ、「まあどうぞ前に座ってください」と言って、私のことを褒めてくれるのです。「私は神に祈ります。私は何の力もありません。しかし、祈ることによって神はその御業を現して下さいます」というお話をさせてもらったのです。
すると、その先生が、「長尾先生は祈るという言葉をよく使われますな、生年月日はいつですか」と聞かれるので、それを言いますと、「アガシャけいですなあ、アガシャ系の方が祈るというのはおかしいですなあ」とおしゃるのです。「先生はどうされるのですか」と聞きますと、「私は神と一体です」と言われるから、「こりゃ偉い人だなあ」と思ってびっくりしました。その後、二回目にお会いいたしました時に、ある方に光を入れておられたのです。「大宇宙、大神霊、仏よ、当体の骨髄を通し、当体の意識に光をお与え下さい。天上界の諸如来諸菩薩、光の天使よ、どうぞ光をお与え下さい」と、一生懸命祈っておられるのです。
「一つも祈らないと言われたのに、私よりもたくさん祈っていられるなあ」と思ったのです。
私は「神よ、光をお与え下さい。どうぞ神のご意志を、調和と安らぎをお示し下さい」とお祈りするだけですのに、その先生はそれを三回も五回も祈られるのです。それでも、病気はちっとも治らないのですね。それで、そうゆうところから疑問を抱き、「これはおかしいのではないか」と思ったわけです。
 おん自ら、イエスを名乗っておられました。その他にも、いろいろ面白いエピソードがあるのです。
 
 ある方が「長尾先生の光の近くに寄せてほしい」と言って、家を売り払ってこの忠岡に引っ越してこられたのです。私は「来たらいけません。光は近くの者にも遠くの者にも関係ないのです。心さえこちらに向けてもらったら、それでいいのです。来るのは止めなさい」と言っているのに、とうとう引っ越してこられました。
 それで私も放っておけないので、どんなに忙しくても一週間に一度は必ずお訪ねしていました。というのは、その方のお母さんはリューウマチで娘さんがお世話なさっているのです。こちらに移ってくると聞きました時、私は周囲の者に、「あの方はこちらに来ても、」どれだけ私が尽くしても、必ず私の悪口をそこらじゅう言って歩くから見てなさい」と言っておいたのです。それが私には分かるから、その方の為にできるだけのことをさせてもらって尽くしました。
 
 一週間に一度は必ず行って光を入れたり、治療をさせてもらったりして、その方の為に尽くさせてもらっていたのです。こちらに越してきてしばらくしてから、その方は先ほどお話しした大阪の自称イエス・キリスト様に縁ができたのです。そして、私の所からそちらへ替わって行きました。そうしますと、私の悪口をいっぱい言ってくれるのですね。前もって私が予測していた通りにしてくれます。
ある時、そこの研修会だと言って、動けないリュウマチのお母さんを一人放って、娘さんと息子さんが三泊四日の研修会に行ったのですが、私には何とも言ってくれないので私が訪ねると、お母さんは一人で食事もできないでいますから、私は朝、昼とお弁当を買いに行って食事を運んだのです。私は無精で自分のご飯だったら、一度や二度は食べないのですが、人の食事でしたらそうゆうわけにもいかないから、お弁当を買ってきて運んでいました。
 そうしているうちに、その方は完全に私の所から離れました。というのは、その方は、夢の話をよくされるのです。高橋信次先生が夢の中に出てくれて、こうこうおっしゃいましたとか、弘法大師さんが出てこられてこうおっいましたとか、いろいろ言われるのです。 私は、「また夢のことを言っているのですか。人間は目覚めて活動する日々の生活の中で魂の修行をしているのであって、夢の中で修行はできません。ちゃんと目覚め、この五官をもって魂の修行をしているのですから、夢に囚われるよりも、起きている時にしっかり法を行じなさい」と、そういう指導しかしませんでした。
 
 ところが、そちらの先生の所に行って、「夢の中に高橋信次先生が出てくれました」と言うと、その先生が、「ちょっと待っていなさい。それはいつのことですか」と聞かれるので「何月何日」と答えると、「ちょっと天上界へ行ってしらべてきましょう」と言って、その先生が天上界へ行ってこられたそうです。そして、ポッと戻ってきて言うことに、 「あなたのその夢はほんとうですよ。その日は天上界で高橋信次先生は留守でした(大笑い)。
だから、あなたの所に来ていただいたのはほんとうです」。すると、まあその方が喜んでしまったのです。そこで、私が「それでは弘法大師さんが来て下さったのはどういうことですか」と尋ねましたら、その方の腰巾着のようについて歩いていたkさんという方があって、もう五、六年前からその方は離れているのですが「k先生はお大師様の生まれ変わりです。だから、なたをここに導く為にk先生の霊が導きにいっていたのです」と言われたというのです。
 私の指導は、「夢に囚われてはいけません。現実に生きなさい」と言いますから、頼りなかったのですね。その方は、「高橋先生の夢も、弘法大師さんの夢も、私の謎を全部解いて下さいました。こんなに偉い先生はいない」と言って、そちらえ行きますと、「あんな長尾先生はしょうもない」ということになって、いっぱい悪口を言うのです。又、その先生は「あなたの光は長尾先生など足下にも寄りつけない光です」と指導しますから、その人は今まで先生、先生と言っていたのが、急に長尾さんと呼んでくれます。私たちが禅定させてもらっているいることについても、「あんなことをしても駄目、あれは正座と静座の間違いを犯している。せい座というのは正しく座ることとは違う、静かに座ることが静座だ」と言われます。
 私の所では、一時間座って反省しますが、私は正座の方が楽だから、正座して座ります。皆さん、座るのは自由です。しかし、この場所を見ずに、ただ非難中傷をされて、それをまたいちいち私に報告してくれるのです。
そういうことをしていますと、だんだんとお母さんの調子が悪くなってきて、十月頃になって弱りきってしまったのです。その先生にお伺いを立てますと、「来年二月十五日までの命です」とのこと。偉い先生と信じている方の予言だから、もうみんなで信じて、お母さんの枕元で、あと四ヶ月先の葬式の相談をする始末、お母さんも落ち着いて生きていられません。あと何日と数えて暮らして、ちょうど後二週間と言うときに、その娘さんが、「お母さんが死ぬまでに、もう一回先生の顔を見たいと言っています」と言って私を呼びに来たのです。
 
 そして私に、「その先生は偉いのです。私の夢の謎を全部解いてくれました」と言いますから「そんなに偉い先生だったら、その先生に救うてもらいなさい。あなたは向こうで駄目だと言っている私の所なんかに頼みに来るのはやめなさい」と言ったにです。「いや、あの先生は心は治してくれるけど、肉体は治してくれないのです」と言いますから、そこで私は「もう行く気はありません。行けば、またあなたは私の悪口を言うて歩くでしょう。行きたくないのです」と言って断りました。
それでも、死ぬ二週間前になっているから、なんとか来てほしいと言われるので「では行きましょう。でも私は行ったとは思いません。一陣の風が吹くように、スッと行ってスッと帰りましょう。あなたもまた来てもらったと意識してはなりません。来てもらったと思えば、またなんとかかんとか言わなければいけないから」と言って訪ねたのです。
 するともう骸骨に布を張ったようで、完全な死相を現した死人同様です。身動きもできない有様です。
「私は、あなた達親子さんに対して、どれほど忙しくても週に一回は必ずお訪ねしたはずです。そして、私のできる限りのことをさせてもらいました。しかし、私は何を求めましたか。一切の求める心はなかったはずです。びた一文出せと言いましたか。また助平根性を出しましたか。たださせていただく神の御心を私が現しただけです。この身を持って神の御心を具現していたのです。その思いを仇で返すことをしてはいけません。私は何とも思っていません。しかし神はそれをご存じです。だから今、神の神様に対して、「「私たちの犯した罪をお許し下さい」」と行って祈りなさい」といいました。そして、「神よこの者達の罪をお許し下さい。神の慈悲と愛をお示し下さい」と祈りましたら、お母さんはいっぺんに生き返られました。
 今まで身動きできなかった方が、そばにあるティッシュを引っ張り出して「もう、あきません。このティッシュ一枚ちぎる力がないんです」と言って、ティッシュをいっぱいちぎっているのです。こんなにちぎってあんな嘘を・・・・・(大笑い)。そして生き返りまして、神の許しを頂きました。それから四、五年経ちますが、まだ生きていられます(一同笑い)。
 その先生が、また講演の中でおっしゃっているそうです。「あの人は二月十五日に死ぬという命を、私が神に交渉して延ばしてあげました」と。誠に口は便利なものです。「口では大阪城も建つ」です。ところが、本当の神の許しを頂いたら、その場で生き返りました。それを今度は、「私が命を延ばしてやった」と言います。間違った指導者の教えを信じてしまうと、とんでもない不幸になります。悪くいけば、命さえ失います。
 誤った信仰を盲信、狂信すると、その言葉の力をより強く受けます。その恐ろしさを体験させてもらいました。これと同じようなことが、いろんな宗教でおきます。
 偉い人だと信ずれば信ずるほど、その人の言葉は力を現します。ほんとうの正しい教えならば、人の命などを予言はしません。神のみがお知りになることであって、私たち人間が「人の命」を予言することは、人の道にはずれていることですね。或るいは自分に縁のある方を取られまい、離すまいとして、私から離れた者は罰が当たるとか、私から離れた者は抹殺するということを、口に出したりします。それは自分から逃げられたら困るからです。
 
長尾 弘先生著「愚か者の独り言(三)」より



引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~








~ 道 ~

 
平成十四年九月号
 
    実体の なき世に生きて
     あるものと 思い苦しむ
          愚かなる我     弘
 
 
心を開く
 
☆ 神とは
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。
・大宇宙、大自然、天体のいっさいは愛なる神の中にあって、完全なる調和の中に運行される。(神の直属)。
神の子人間は、完全なる自由意志を与えられ、人類の真の我こそ神我であり、神我は大自然の法自身であり、法は永遠に正しく完全な調和と宇宙渾然一体であり、神の愛といっさいの力である。
人間自らが調和から外れた分だけ、自らが補うものである(原因結果の輪廻)(因果応報)(煩悩の火)。
・無限生命意識からの流れが大生命意識となり、神全能者意識から神または絶対者即ち大生命、全能なる神ご自身となり給う。
 いわゆる無限生命神ご自身の表現である。大生命、全能の神が、神ご自身の中に、神ご自身を意識的に神の分霊として表現され給うたのである。神の分霊が、ありとしあらゆる形態を通して、生けるそのすべてを創造し給うた父なる神である。
底知れぬ海の底も、雲の上の峰も神の御手によりて成る。神の御手によらぬものは何一つない。神の分霊成る父なる神がありとしあらゆる魂に個別的に機能する生命意識としての顕現が普遍的神我である。
 
                                「心行」の解説上より
 
 
☆ 泥棒の幸せを祈る
 
 先日、丹後のほうに招かれて行ってきました。その時寄せていただいたお宅では、ご主人が信仰を持っておられて、こういう話はあまり好きではなかったのですが、4回目になるその時、初めてご主人も聞いて下さったのですね。
話が終わりまして夜「先生、本当にいいお話を聞かせていただいて、私はもう涙が止まりませんでした」と感激していただきました。
その話といいますのは、実は丹後に行きました前夜のこと、私の家に泥棒さんが入ってくれました。ウイスキーの大瓶三つほどに「私達よりもまだ不幸で恵まれない方のために」と、皆さんから十円、百円と気持ちだけ入れてもらっては、一杯になれば寄付させてもらっていたのです。
その大瓶は、一杯詰めますと、二十万円くらい入ります。それを三つとも持って行かれました。それと、私の所の道場は三十畳くらいあるのですが、毎月第四日曜日のお話会に百二、三十人来られると一杯になるのです。
もう、一膝前に詰めて下さい。もう一膝といって座ると、足を崩す場所もないくらいになり、それでは狭いので、裏にある空き地に二十畳ほど出させていただいたのです。それを建てるお金として、大工さんに支払う二百万円をおいておきましたら、そのお金も、そのまま持って行かれました。
 正法、正しい教えを実践しており、自分が正しい生活をしているから泥棒は入らない。今まで私は、家に泥棒は入りませんと言ってきたのです。もう、十五、六年、戸締まり一つしたことがなく、お金も治療室においたままでした。正しい生活をしておりましても、やはり表を開けっぱなしにしておりましたら、泥棒は入ります。
だから、どんなに正しい生活をしておりましても、すべき事をしないと、例えば、正しい生活をしたら病気にはしないか、苦しみは来ないかと言いますと、やはりその面で欠けた所に苦しみは現れます。
ちょうど宮津のほうで皆さんが待ってくれていますので、泥棒が入ったからと言ってかまっている暇もなくて、私が出かけてから警察へ盗難届を出すようにお願いをして、家を放ったらかしにして行ったのですね。
 
道中、私は祈りながら行ったのです。目に見ることはできませんが、私達を生きさせてくれている大自然がありますね。この自然の力こそが、本当の神様の力です。
お祀りした神様、形のある神様とはまったく次元の違う真の神様、万生万物を生かしていただいている自然の力、その神様に対して、道中、
「どうぞ私の罪をお許し下さい。私がきちんと戸締まりをしていなかった為に、盗む人に罪を犯させました。家においてあったお金、瓶の中にあった皆さんの尊い愛の塊を持っていった人には、必ず良いことは起きません。
 多くの方の愛の塊、又道場を建てるための資金、これも私の懐から出すものであっても、皆さんのために使わせていただく尊いお金であり、それを無断で持って行けば、その人には必ず良いことは起こりません。ですから、どうぞあの泥棒に罰を当てないようにして下さい。罪を軽くしてやって下さい」
と祈りながらこの丹後にやってきた……と話させてもらったのです。
 それについてご主人が「自分のものを盗んだ泥棒に対して、罰を当てないように祈られる先生の気持ちが、有難くて涙が止まりません」と言われるのです。「先生、もしその泥棒が捕まったらどうされますか」と言われるので「警察に行ったら、どうぞ罪を軽くしてやって下さいとお願いします」と話したのです。
泥棒が入りますと、家中を荒らして、箪笥から戸棚まで全部開けて行き、お仏壇の引き出しまであけています。まあ、プロの仕業ですね。このことに対して、「泥棒に入られた、また入られるのではないだろうか」とか「憎い、こんな大金を盗んで……」と、思いをその方に向けますと、自分自身が苦しくなります。
泥棒への恐怖、怒り、返ってこないものへの執着、それらによって自分自身の心がひどく苦しくなります。しかし「相手の罪を軽くしてやって下さい。罰を当てないようにして下さい」と祈らせてもらったら苦しみはありません。もし捕まった時には警察にお願いに行くような気持ちでおります。
 なるほど、お金は確かに被害を受けましたが、心には何ら被害は受けておりません。今後の生活で戸締まりはきちんとしなさい。日頃の生活に細心の注意を払っていきなさいと、教えていただいたという感謝に変わります。
 これはついこの間、泥棒さんを通じて学ばせてもらったことです。何かにつけ、自分にとって憎い人、都合の悪い人の幸せを祈らせてもらうです。その時自分の心は非常に楽になります。
 
 
☆ 地獄の時間は長く天上界ほど短い
 
 質問 地獄に落ちた場合は、もう世界を替わることはできないのでしょうか。
 先ほども話しましたように、八百年も地獄におられる場合もあります。地獄に落ちた場合、地獄では時間が非常に長いのです。ピラミッドのように底が広がっていますので、下の世界は時間が長いのですが、天上界にあがって行くにつれて時間が非常に短くなってきます。
光の大天使がおられる場所などは、一瞬という短さです。時間そのものは、つまり時計がコチコチと動く長さとしては同じ事ですが、この時間は心で変わるのです。
 例えば、若い時に好きな方があって、その方と会っている場合は「もうこんな時間か、早く経ったな」と吃驚するほど、時間が経っていたという経験がおありでしょう。家に帰って叱られて、今まで何をしていたと言われても、何も話していないのに時間が過ぎてしまったなあということがあります。
 逆に、憎らしくて、嫌いな人とここに一時間になさいと言われたら、それはもうたまりません。
 十分間でも何十時間にも感じられます。又熱い夏にストーブをたいて、その中に十分間いなさいと言われた場合も、その十分間は大変長い時間に感じられて「早く経たないかな」と思われます。そのように時間は、意識によって、長くも短くもなります。
辛い中では時間はものすごく長く感じられますし、喜びの世界にいたら、あっという間に時間は経ってしまいます。だから地獄の世界に落ちたら、無限に長い時間に感じてしまうのですね。
 この地上界の八百年というのは、地獄界の何万年、何千万年にも相当します。幸いこういうご縁をいただきましたら、地獄に落ちている人でも上に上がっていただけますけれど、なかなかこういうご縁はいただけないですね。私にご縁のありました皆さんは、ご先祖様に語りかける言葉をお仏壇の前で唱えて下さい。
 
 
☆ ご先祖様に語りかける言葉
  ご先祖供養は、まず自分自身が救われて、自分の幸せな姿を見てもらうこと、幸せな姿をご先祖様にお供えするのです。「本当に幸せに暮らさせていただいております。お金たくさんありませんけど、貧乏はしておりません。身体もおかげさまで健康でございます。いつも感謝に満たされております」
と言うようにご先祖様の前で言ってご覧なさい。ああ安心だと喜んで下さいます。その上で、ご先祖様にお話しさせてもらうのですね。
 
 「もし、このお仏壇の中に、又お墓の中に思いを残しておられ、まだ暗い悲しい苦しい世界におられるご先祖様がおられましたら、私の話をお聞きになって下さい。おかげさまで私はこんなに幸せです。しかし暗い世界に何故おられるのでしょう。あの世においても、この世においてと同様、暗い世界におられるには、結果となる原因が必ずあると言うことです。
原因を作ったら必ず結果が現れるのがこの世の定めですですから、もし暗い世界におられましたら、その原因があったはずでございます。その原因はこの世に生活された時に、真の神の子としての道を果たされなかったからです。心の底から人々に慈悲や愛をお与えになりましたか、又自分にとって都合が悪い時、人を恨んだり、腹を立てたり、愚痴を言ったり、板ない取り越し苦労をしたり、
余計な心配やら、不安、恐怖、貪欲に悩むなどなさいましたでしょう。それらは皆、暗い世界の原因になっております。
 しかし本当の神仏は、私達に対して『いとしきわが子よ、いとしきわが子よ、そなた達は幸せに生きよ、健やかに生きよ、自分自身を苦しめることなかれ、己を大切にして、己を大切にするが如く他を大切にせよ。汝の苦しみは我が苦しみなり、汝らに喜びは我が喜びなり、自らの心に目覚め、心の曇りをはらして私の胸の中に入りなさい。私の意識の中に帰りなさい』と仰せられます。
 
 自分の心を苦しめることは、本当の神様の御心に背くことです。神様の御心に背いては何者も救われることはできません。この過ちに気づけば、今、心を素直にして、この地球上の生活をよく振り返り、自分で作ってしまった心の過ちを本当の神様にお詫びして下さい。このとき皆様の心は必ず安らいで参ります。そして、あの光の世界に昇ることができます。
また、この地上界への一切の思いを捨てて下さい。思いを残すと、その思いの場所に自らが縛られます。どうぞ自分の人生を振り返り、反省し、自分で作った過ちを神仏にお詫びしてみて下さい」と、お伝えするのですね。
 ついでに、もう一つご先祖様に気づいていただくことは「私のように幸せでございましたか」と尋ねてみると、成仏しておられないご先祖様は、「しまった、私は幸せではなかった」と気づいて下さいます。幸せでないから、成仏できないのです。
 
                                     長尾弘先生著「愚か者の独り言(1)」より
 
                          
引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






~ 道 ~

 
平成十四年七月号
 
 父母に 大恩受けし 我なるに
    報い切れなき 我が身悲しき    弘
 
 
 
心を開く
 
☆ 神とは
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。
・神は始めなく終わりなく無限であり給う。
 神の中には時空なく、宇宙無限に偏在し給い、宇宙すべてに神のおわしまさぬ所はない。
・神は分け隔てもなく、距離なく時間なく、無欠であり完全調和そのものである。
・神は全宇宙唯一無二の生命意識であり、神の御属性は一切が無限であり給い、
大生命なる宇宙は無限大生命一柱の神のご自身であり、二柱の生命二柱の神はなく、生命の宇宙には死のあることなし、また停止というものもない
・神の中には善悪なく、健康、不健康もなく、分離なく自他もなし。
 過ぎ去りし過去もなく、未だ来ぬ未来もなし。久遠の今から今の中に生き生き端々しく、凛々とした唯一の生きる実在こそ神ご自身である。
 過去、現在、未来永劫に神ご自身のみが実在されているのである。
・我実在なり、我生命なりと悟るべし。
 内なる偏在者が外なるものとなり、外なるものが内なるものとなることを知ることが完全な悟りである。
 
 
「心行」の解説上より
 
 
☆ 内なる心は神理を知る
 
 ここに来て、寒い戸外で一晩待っていただいた方とか、始めてお会いしたのに、涙が止まらなくなるという方などがよくあります。年配の方もそうです。若い方もそうです。
 ある奥さんですが、環境が厳しくて、おじいちゃん、おばあちゃん、そして気難しいご主人という家庭で、結構なお宅だけに重荷が大きかったのですね。
どんなことがあっても、泣いてはいられないと必死に生きてこられたという方とご縁があって、訪ねて見えました。
 すると、ここに入ってこられるなり、泣けて泣けてどうにもならなかったそうです。
まだ私の顔は見ていないのにです。ただ座られただけで、もう泣けてきて、「先生、恥ずかしいです」と言って、泣いていられるのですね。「私は涙のない人間かと思っていました」と言われますが、それは耐えて耐え抜いて生きてこられたからです。それがこの場所に入ってこられると、突然安らぎに包まれたのですね。
「恥ずかしいです」と言って、泣いていられますので、お話しさせてもらいました。
「いや恥ずかしくありません。それは法雨です」と。先ほど、皆さんが流された涙も、お互いの心の中にちゃんと自覚しているからこそ、こみ上げてくるのです。
それを教えてくれる人がいなかったのです。
 ですから、私たちは、尊い使命を頂いているのだと自覚してもらって、一人でも多くの方に幸せになっていただくように頑張っていかなくてはなりません。
使命を持っているからこそ、こうして集えるのです。
 私のテープを初めて聞いて、泣きながら聞いて下さる方が多いですね。なぜ、私の話を涙を流して聞いていただけるのかというと、それは内なる心を知っているからです。
皆さんと何ら変わらない、皆さんよりなお至らない未熟な私ですが、そんな私のとりとめのない話で、同じことを何度も話していると思いますが、神理は一つだということです。神理は変わってはならないから、同じことをしゃべるより他ないですね。
高橋信次先生のテープも、何回も聞いてみますと、みな同じことをおっしゃっています。
ですから、話は一回で良いのですね。
それを、「どのテープがよい、四国での話のテープはよい」と言ったりしています。
初めての所へ行きますと、安心して同じことをしゃべっております。
 
 
  ☆曇りない幼子には神の光が見える
 
 今日お見えになっているAさんが、今負ぶっていられるのが生後10ヶ月の赤ちゃんです。
「神よどうぞこの新しい赤ちゃんに光をお与え下さい。祝福をお与え下さい」と、祈っておりますと、誰も教えていないのに、ちゃんと正座なさって合掌されたのですね。
何とも清らかな赤ちゃんのお姿です。その写真がここにありますから、あとで見せてもらって下さい。本当に仏様ですね。
 こういう幼い子は、神の光を見ることができるのです。それは心に曇りがないからです。
 今おいでいただいているY先生のお孫さんも、幼い頃に、「ああ光ってる、光ってる。お母ちゃん見えないの?」と、言っていました。お母さんには見えないのですけど、幼い魂は神の光をちゃんと見ておられるのです。
窓も天井も畳もみんな光っていたのですね。家でおじいちゃんがどんな色だったかと、金や銀の入った色紙を買ってこられて、その光と同じのがあるかと尋ねられたら、金色の紙をさして、「この色だ」と言ったのですね。
おじいちゃんは理科の先生で科学者です。
 だから、暗示を与えてはいけないので、この中にその色があるかというように尋ねたら、「これだ」と指したそうです。
金色に光り輝いているのですね。すばらしい一つの現象です。
 
 
☆ 迷わず己を確立する
 
 このAさんのお父さんは、私と共に学んだ仲間だったのです。そのころ、私は高橋信次先生ご生存当時の会の名もない一会員でした。
私が今この様に法をお伝えさせていただいていることは、まったくご存じなかったそうです。「長尾さんは、一緒に学んでいた仲間だから、そんなに偉いことはない」とおっしゃっていたのですね。
不思議なことに、やはり九州で神理を説いていられる先生の事務局長さんから、Aさんに電話があったそうで、「あなたは岸和田の長尾先生の所へ行って学びなさい」ということで、私のほうへ電話をくれたのです。
その間、十年です。迷うておれば、十年たっても百年たっても、迷います。私は幸い迷うことなしに、自己の心を確立させてもらいました。
そして、誰を頼ることもなしに自らを頼りとし、法を頼りとして生きていくべきであると思い、高橋信次先生がお亡くなりになって以来、誰方にも頼ったことはありません。
どこへも行きませんでした。
 
 
☆ 法に背いて法を説いても駄目
 
 一番悲しいことは、高橋信次先生が地獄に落ちられたと言ったり、極端な場合は、先生を悪魔呼ばわりしている方があることです。しかも、自らは正法を説いていると思っています。
そのような方は、昔から言いますように、人を阿呆だというのは、言うその人が阿呆なのであり、人を悪魔という人は、その人が悪魔なのです。
人が地獄に落ちているかどうかの真偽もわからないで、もし人の前でそういうことをおっしゃいますと、その方は必ず地獄へ行きます。これは避けられません。
「霊的に、私が地獄を見てきたら、先生がいた」と言う方がいますが、そんな話は当てになりません。何人の証明者がいるでしょうか。その方ただお一人の自分の感じです。
他に証明者のいないことを信じてはならないと聞きましたね。又、「私は先生の弟子だ」と言いましても、「私は先生のただ一人の弟子である」と、人に高言を吐きましても、人の悪口をいっぱい言っておりますと、それは弟子とは違います。
先生はおっしゃいました。「自らを正当化するために、他を避難してはならない」と。
 
 この教えに背き、法に背いて法を説いても駄目です。自らを正すことですね。
まず自分を正して、自分が法を実践させてもらい、そして、その結果を皆さんに報告してこそ、法は広がっていきます。
 自分が苦しんでいながら、人様にどんないい話をしても、それは駄目です。先生は、まず自分が幸せになれとおっしゃいますね。
先生の声が、ちゃんと意識の中にも聞こえてきます。先生の思いになって先生が一番喜んで下さる行為をしたとき、先生の意識はちゃんと伝わります。
背いている者にどうして伝わるはずがあるでしょうか。伝わるわけがありません。
「私の悪口ばっかり言っている。私が地獄に落ちたと言っている」と、先生は笑っていられます。
 そんなことはないはずです。そして、地獄に落ちていられるなら、自分がお救いさせてもらったらいいのです。
ところが困ったことに、「私が先生を天上界に上げてやった」と、何人もの人が言うのです。先生が何人いられるのかわかりませんが、これはとんでもない間違いだと思います。
 それよりも自分が地獄に落ちないように、しっかりすることですね。
 
                      長尾弘 著「愚か者の独り言(3)」より
 
                          
引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



昨日のブログに書いた通り、長尾弘先生が配布されていた「道」(ホームページに公開されていた文章)をシェアさせて頂きます。




内容は、講演会の文字起こし、喜びのお手紙がメインです。
その中でも霊的なお話が目立ちますが、恐怖を与えるためのものではありません。
霊とは、わたしたちの本質であって、正しく理解することが目的です。
霊的な悩み(霊障)がある方は、真理を学ぶと改善することがあるようです。
もちろん苦手であれば、無理する必要はありません。
ご自分のペースで楽しく穏やかに学んでいきましょうキラキラ



長尾弘先生の浄心庵ホームページに掲載されていたコンテンツ



シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていたままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






~ 道 ~


平成十四年六月号
 
四六時中 休むことなし 我が行は
      父との誓い あればこそなり   弘
 
 
 
心を開く
 
☆神とは
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。
 大宇宙には、唯一無二の生命意識があるのみである。生命は、始めなく終わりなく永遠無限である。
無限の大宇宙は、無限に存在し給う生命意識、無限に偏在する神の最奥意識体である。 唯一無二の生命体である宇宙には死の部分は皆無である。ただ生命エネルギーの移り変わりがあるのみである。
 人類の外なる心、外なる意識のみが神の純粋なる意識から遠く引き離している。
 外なるものは肉であり、肉にまつわる五感の感官であり、この五官こそ悪魔の心を秘めている。
・自他、善悪、分別、分離の心は五官に支配された人間の心である。
・宇宙唯一無二の無限者である神は御霊にして、御霊は意識であり、意識こそ生命であり、この生命が唯一無二の神ご自身であられる。
 神は慈しみと愛そのものであられ、慈悲が神の全存在である。
 
 
                            「心行」の解説 上より
 
 
☆仏壇には感謝の心を供える
 
 お仏壇についても同じことが言えますね。仏壇にお供えをした後お下がりをいただきますが、ご先祖様の好物であっても、 それが自分の嫌いなものであれば、お供えはしないものです。自分の好きなものを買ってきてお供えします。
本当のお供えというものは、たとえ自分の嫌いなものでも、ご先祖様の好まれるものを差し上げることでしょう。
もしご先祖様が召し上がったらかなわないし、また文句を言うかもしれませんね。
供えるというのは、ご先祖様へ自分の感謝の心を供えるのです。
「ご先祖様、今日もこうしてご飯を炊かせて頂きました。これもご先祖様のおかげです」
と言ってお供えする、その心ですね。またお茶を沸かしたときに、日に一度お供えして感謝するのです。
 
 先祖供養について、供養の最終目的というのは、亡くなられたご先祖様が極楽に救われてくださることです。仏壇の中にいてもらうのが最終目的とは違います。
或る宗教ではお位牌を作って、これをなんとご先祖様の止まり木だと言っていますが、こんな位牌に止まられたらかないません。小鳥みたいなものです。
では極楽に成仏して頂くためにはまず喜んでいただかなくてはなりません。安心していただかなくてはなりません。
たとえば親の立場として、孫を授かれば祖父母の立場になりますが、もし自分の子供が苦しい思い、悲しい思いをしておれば、親としては本当に辛いのです。
代われるものなら代わってやりたい、何とか幸せになって欲しいと思うのは親心ですね。
おじいちゃん、おばあちゃんもそれ以上の思いです。
またひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんは余計にいとおしいのです。
私たちに対してね。
 
 仏壇の亡き人の前で、日頃よく過ちを犯している人がいます。腰が痛いのでなおしてくださいとか、夫婦仲が悪いから仲良くなるようにしてくださいとか、 また夫の根性が悪いからなおしてください、といって拝んでいる場合があります。お嫁さんがお仏壇の前で主人の悪口を言っては行けません。 そこのご先祖様が怒られます。
何を言っているのか、家に嫁にきて、うちのかわいい孫に対してなんということを言うのか、というわけで、お嫁さんはもう失格ですよ。
私たち子供らが、亡くなったお父さんお母さんに、私たちはおかげでこんなに幸せに暮らしています。夫婦仲良くしております。 或いは、子供はこんなに健やかですといって、娘や息子が挨拶してくれたら、本当に嬉しいです。 ああ、有難いなあ、もう何も思い残すことはないと喜びます。
反対に、私達辛くてたまりません、何とかして欲しいと子供達が言ってきたとしたら、難儀だなあと思いますね。
 近くの人で息子さんが半身不随なのですが、その大きな邸宅に招かれて座敷に通されますと、隣の仏間でその家のおばあちゃんがお祈りをしておられるのですね。 このおばあちゃんは健康だけど足が痛いのです。
「ご先祖様、私は足が痛くて難儀しております。どうか私の足の痛いのをなおしてくださいな。息子はこんな不自由な身体ですのでどうぞ守ってください。孫の誰々は何々ですからどうか守ってください」
と言って、なんと一時間も拝んでおられます。
もう八十近いおばあちゃんですから、そんな風に拝んではいけませんよと言ったのですが、ここのご先祖様はさぞや苦しくて悲しまれることでしょう。
 宗教の中には「ご先祖様は子孫のことを思っているのだから、精一杯無理を言えばいい」と教えているのがあります。 しかしご先祖様に対しては絶対に頼み事を言ってはいけません。
貧乏でお金がないから、サラ金で借りたなどと言ってご覧なさい。親もどうしたらいいかと悲しみます。 姿があればまだ何とかしてやることもできますが、死んでしまったら、もうどうすることもできませんね。
 仏様の前でお願い事をしたら絶対にだめです。不幸です。親不孝であり、先祖不幸です。
 
 
☆経文の意味がわかってこそ有難い
 
 私の家の檀那寺の院主様が私の父の法事に来て下さいまして、たまたま一緒に食事をいただきました。
その院主様は大変偉い方で本山の館長をされ、八十歳を過ぎた方です。私達の幼い頃は道で会いますと、気をつけをして最敬礼しました。 すると、おおえらいのうと頭をさすって下さったものです。
緋の衣を着てたいへん位の高い院主様です。その院主様に「今、あげて下さったお経は何というものですか」と尋ねますと、「あれは三部経というものだ」 「三部経というのは有難いお経ですか」「ああ、有難いぞ」
 かねて私は三部経というのは有難いと聞いていましたので、「先ほどから三部経を聞いていて、どこか有難いところはないかと一生懸命拝聴しておりました。しかしどこ一つ有難いところはありません」といったのです。
 すると「それはそうや、お経というものはな、わかるように言ったら一つも有難いことはない。わからんように読んで有難いように唱えるのが坊主の腕や」と言われます。
「では院主様のご存じない他国の言葉で××寺の院主は阿呆、××寺の院主はドアホウと有難そうに唱えたら、有難いですか」といいましたら、 「こら!そんなことを言ったら許さん」と叱られたのです。
 それと同じ事でして、言葉の意味がわからなければ何を言っているのかわかりませんから、いくら有難そうに唱えて下さってもいっこうに有難いことはありません。 ただ、有難そうだなあ、と思うだけです。
「般若心経」も有難いと言いますけど、あのお経の意味をちょっと説明させてもらったのです。
「摩訶般若波羅蜜多心経」は「マーハー パニャーパラミターストラ」と言い、その意味は「心の奥底に内在されている偉大な知恵に到達する心の教え」ということです。
 摩訶はマーハー、偉大、般若とはパニャ、知恵です。波羅蜜多は「腹を見た」というのではなく、パラミター、到達するという意味、心経は心の教えです。
「観自在菩薩」とは過去・現在・未来を見通す能力を持たれた仏を目指して修行をなされるお方のこと、 そのお方が正しい生活を日々行じられたとき「行深般若波羅蜜多」なのです。
「照見五藍皆空度」の照見とは照らし見ること、ブッダは人間を観察し、人間を五つの部分に分けられました。
色(肉体)、受(感覚)、想(表象)、行(意志)識(判断・理性)色は人間の肉体、つまり物質的要素で、受想行識は精神的要素、心の作用でそれらはみな、空なり、つまり実体がない、と説かれております。
 
 その話をちょっとしますと、院主様は突然ハッと正座されまして、「先生は一体何年修行されたのですか」と今までとはうってかわって急に先生と言われたのです。
「いえいえ、私は何も修行はしておりません」と言いますと、
「恥ずかしいことだが、私は坊主をして八十年になるけれど、先生が今説いて下さったことは知らなかった」とおっしゃるのです。
寺門のプロのお坊さんがそれを知らないで素人の私が知っていると言うことは、これは不思議ですね。
日々の暮らしを正しく行じますと、こういう事は習わなくても勝手にわかってくるのです。
 
 
☆内在された知恵
 
 今日のようなお話会も、本当にあちこち招いていただきますが、今日はこの場所でこういう話をさせていただこうとかは一切私は思って来ません。
まったく何も考えないで来ます。そして長いときは、朝八時からお昼までと、会場は変わりますが、午後一時から夕方五時までと、その後夜七時から十一時までというように、日に三回お話をさせていただきます。 (今現在は、そのようなことはしておりません)
 この会場から次の会場へ行かせてもらう道中は、皆さんと楽しい話をしながら行きます。
何も話すことについては考えません。皆さんの心の段階に応じた話が自然と出てきます。
 これは内在された知恵ですね。そういうことが自然にわかってくるのです。
 
                            長尾弘 著「愚か者の独り言(一)」より





資料にもしてみました



引用元 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1180/(閉鎖されています)



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



昨夜、色々整理していたら2002~2006年まで運営されていた長尾弘先生の浄心庵ホームページのURLを発見しましたびっくり



下矢印こちらに載せたホームページは、2006~2007年に運営されていたものです




そう言えば何年か前に見たような記憶がありますが、そのときは見ただけだったのかな?

まだ持っていないお写真や資料をたくさん保存させて頂いた中で、当時配布されていたフリーペーパー「道」もいくつか公開されておりました。

また長尾弘先生シリーズとしてシェアさせて頂きますので、皆さんの心(真理)の学びに活用して頂けましたら幸いです。






長尾弘先生、有志の皆さん、10年前に皆さんが心を込めて作られた素敵なものにまた出会ってしまいました。

「一人でも多くの人が健康で幸せになってほしい」・・・と、休むことなく愛の実践をされた長尾先生をどこまでも尊敬いたします。

長尾先生の想いや素晴らしさを、若い世代やまだ長尾先生を知らない方々へと繋いでいきたいです。

ご縁ある皆さんと共に真理を学ばせて頂くため、資料等をシェアさせて頂くことをどうぞお許しください。
たくさんの方々の健康と幸せに繋がっていると強く信じております。

微力ながらも頑張りますので、今後とも見守ってくださいね。
いつもサポートして頂き、ありがとうございますキラキラ



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんおはようございます、Maryですニコニコ



3月に入りました桜
新しいことにチャレンジしたくなる時期、長尾ヒーリングと心のお話会で元気に羽ばたきませんか?

これまでの自分の中にあった常識がガラガラ~ッと崩れるかも知れません。
また、ずっとモヤモヤしていたことがハッキリと鮮明になるかも知れません。
これまでとは違った刺激がほしいな~という方にも、きっと良い機会となりますよ。


そして、これまでにご参加くださった皆さんは、癒しを受けられて「痛みから解放された」「心も体も元気になった」「歩くとき膝がつらかったけど、楽に歩けるようになった」と喜びを感じられたかと思います。


そのご自身に起きた奇跡のような出来事は
周りの方々の希望の光キラキラ
となっています。






誰かの背中を押していたり、笑顔と感動を与えたり・・・と、誰かの光になっているなんて素晴らしいと思いませんか?照れ

また、自分自身には奇跡のような出来事が起きなかったとしても、そこで誰かの奇跡的な瞬間を見たならば「わたしは凄いものを見たぞ!」と喜んでください。

それは「見せて頂いた」からです。

わたしたちは日々色んな経験をしますが、観察者と言う立場もあるのです。

これは癒しの会だけじゃなくて、たった数分でもその場にいる必要があったり、損をしてでもそれを経験する必要があったりします。
それは、わたしたちはいつもどこかで何かを得たり、何かを手放したりして日々変化しているからですね。

なので、ピンひらめき電球ときたものがあれば、自分にとって必要な何かがそこにあるかも?と思ってみてください。

と言っても、いちいち期待し過ぎも良くないのですが「そこに行くことは運命だ」と捉えると人生がより面白くなるものですクローバー



と言うわけで!

少しでも癒しの会にご興味がありましたら4/9(日)東別院会館にお集まりくださいニコニコ
スタッフ一同、お会いできることを楽しみにお待ちしております!





ご案内ページ
ホームページ


YouTube





※YouTubeについて
撮影協力OKしてくださった方のみ撮影させて頂いておりますお願い
お話会って1時間ぐらいありますが、数日経てば内容を忘れちゃうんですよね~
それだけ現代人は忙しいってことですが、しばらくして動画を観てもらうと「あ、そうだったそうだった」となって身に付くのです。
ご参加された方にとっても復習になりますし、ご自身の霊性進化のためにも配信を楽しみにしてくだされば嬉しいです!



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~ひまわり爆笑
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



※とても大切な内容なので、定期的に再アップしていきますね!


長尾弘先生のホームページに掲載されていたコンテンツをシェアさせて頂きます。

シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






【生活目標】


何をすればいいのかわからない方
よく腹を立ててしまう方
一緒に少しずつ心の重りを取り除いていきませんか?
一つ目標を定めて、そうあるようにと努力することは、良い修行になると思います。


目標


◆増長慢にならないようにしましょう
・謙虚であること
・威張らないこと
・自慢しないこと
・稲穂のようになりましょう
   →実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

◆柔和
・にこやかでありましょう
・和やかでありましょう

◆作善止悪

◆実践
・考えているだけでは前進できません。
 いかに行動に移すか、それが問題なのです。

◆欠点を見つけて書き出そう
・自分の悪いところを見つけるところから始めましょう。



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~ひまわり爆笑
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



※とても大切な内容なので、定期的に再アップしていきますね!


長尾弘先生のホームページに掲載されていたコンテンツをシェアさせて頂きます。

シリーズとして右矢印こちらのカテゴリーにアップしていますので、良かったらご覧ください音譜

文章については、掲載されていた文章をそのままコピペさせて頂きます。
長尾先生と有志の方に感謝いたします。

イイネと思ったものは、ぜひ保存&シェアしてくださいね~






【神とは】

 長尾弘
 
 神とは無限の生命意識、唯一無二、無限者、愛、宇宙大創造主である。

 大宇宙には、唯一無二の生命意識があるのみである。生命は、始めなく終わりなく永遠無限である。無限の大宇宙は、無限に遍在し給う生命意識、無限に遍在する神の最奥意識体である。唯一無二の生命体である宇宙には死の部分は皆無である。ただ生命エネルギーの移り変わりがあるのみである。

 人類の外なる心、外なる意識のみが神の純粋なる意識から遠く引き離している。

 外なるものは肉であり、肉にまつわる五官の感官であり、この五官こそ悪魔の心を秘めている。

○自他、善悪、分別、分離の心は五官に支配された人間の心である。

○宇宙唯一無二の無限者である神は御霊にして、御霊は意識であり、意識こそ生命であり、この生命が唯一無二の神ご自身であられる。生命は無限に生きる宇宙唯一無双の御力である。神は慈しみと愛そのものであられ、慈愛が神の全存在である。

○神は始めなく終わりなく無限であり給う。神の中には時空なく、宇宙無限に遍在し給い、宇宙すべてに神の在しまさぬ所はない。

○神は分け隔てもなく、距離なく時間なく、無欠であり完全調和そのものである。

○神は全宇宙唯一無二の生命意識であり、神の御属性はいっさいが無限であり給い、大生命なる宇宙は無限大生命一柱の神ご自身であり、二柱の生命二柱の神はなく、生命の宇宙には死の あることなし、また停止というものもない。

○神の中には善悪なく、健康、不健康もなく、分離なく自他もなし。過ぎ去りし過去もなく未だこぬ未来もなし。久遠の今から今の中に生き生き瑞々しく、凛々として唯一の生きる実在こ そ神ご自身である。過去、現在、未来永劫に神ご自身のみが実在されているのである。

○我実在なり、我生命なりと悟るべし。内なる普遍者が外なるものとなり、外なるものが内なるものとなることを知ることが完全な悟りである。

○大宇宙、大自然、天体のいっさいは愛なる神の中にあって、完全な調和の中に運行される(神の直属)。神の子人間は、完全なる自由意志を与えられ、人類の真の我こそ神我であり、神我は大自然の法自身であり、法は永遠に正しく完全な調和と宇宙渾然一体であり、神の愛と英知といっさいの力である。人間自らが調和から外れた分だけ、自らが補うものである(原因結果の輪廻)(因果応報)(煩悩の火)。

○無限生命意識からの流れが大生命意識となり、神全能者意識から神または絶対者即ち大生命、全能なる神ご自身となり結う。いわゆる無限生命神ご自身の表現である。大生命、全能の神が、神ご自身の中に、神ご自身を意識的に神の分霊として表現され結うたのである。 神の分霊が、ありとしあらゆる形態を通して、生けるその全てを創造し給うた父なる神である。底知れぬ海の底も、雲の上の峰も神の御手によりて成る。神の御手によらぬものは何一つない。神の分霊なる父なる神がありとしあらゆる魂に個別的に機能する生命意識としての顕現が普遍的神我である。神我は神の分霊の中に在って神の分霊自身である。

 悟りとは人間の感官の迷いの外なる心であり、小我、偽我の心から本来の自己である真の我、大我であり普遍者である全一体の神我を知ることである。
神の子神我は天上地上の全権能いっさいの力である。神我は大自然の法であり、全てを支配するいっさいの力であり、神の創造意識であり、神の力が流れる媒体である。また神の創造原理の力が機能する経路でもある。神と神我は同一であり一体である。

 神我の力に到達することが、本来人類の目的である。有限必滅の地上界において、久遠不滅の真我、神我、大我である久遠の生命に至ることが人類の本願である。

 悟りとは全一体の自己の実相を悟ることである。解脱とは現象界における心のあらゆる制約より心を解放することである。神我は神全体と一体であり、神の最奥意識で純粋であり、精妙そのものである。

 神の分霊の中に分霊意識の顕現が神我であり、全ての生命意識である。
人類が肉の世の地上物質化現象世界に生きる意義と目的とは、人類自身の存在に至った本源と実相を悟り、認知し理解し受け入れることである。自他分離と時空感覚、自己保存、自我我 欲を消滅させて解脱し、自由自在となることである。このことが神のご意志が成就し給うご意志である。 
自他分離の隔てこそ我欲自我でありカルマでもある。五官の示唆を鵜呑みにして心の中に壁を創り出し、分離感覚、時空感覚を信じる想念の隔壁である。

心の内奥は普遍意識の遍在の大我である。



ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~ひまわり爆笑
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら
皆さんこんにちは、Maryですニコニコ



クローバーフローレンス癒庵・横塚修身先生のご案内をシェアさせて頂きます



毎月第3日曜日 は、東京・渋谷にて「心と体の癒しの会」を定期開催されています!

※お部屋は4階です

施術者は横塚修身先生のみ、司会進行はプロのアナウンサー美穂子さんです。

心身に不調がある方、健康についてお悩みがある方、健康維持をしたい方、道を求めている方、自分を取り戻したい方、元気になりたい方・・・
少しでもご興味ありましたら、どなた様でもお気軽にご参加ください。


日本列島癒しの旅
心と体の癒しの会 in東京


●日程
毎月 第3日曜日 13:00~17:00

〈当日のスケジュール〉
開場 12:30
開会 13:00
長尾ヒーリング 13:20~16:00
心と体のお話 16:00~17:00


●会場アクセス
東京都渋谷区道玄坂2-9-9 梅原ビル
シブヤネクサス Room 4階

JR渋谷駅より徒歩5分ほど


ご予約不要 参加無料(自由参加)


●お問い合わせ
主催/フローレンス癒庵までメールスマホ




女性お一人のご参加も多いですよ。
各地より、どしどしお集まりください!



もうひとつ、フローレンス癒庵さんのお知らせをシェアさせて頂きますね。

現在、都内を拠点に活動されています。
(もちろん熱海や全国出張依頼OK
関東にお住まいの方、熱海まで赴くのは難しい方、この機会にいかがでしょうか?
ぜひ横塚先生からパワーをもらって、素敵な人生を送ってくださいね星


下矢印詳しくは下記リンクより





ベルご案内

~神癒で笑顔咲く毎日を~爆笑ひまわり
4/9(日)東別院会館にて「心と体の癒しの会」を開催させて頂きます。
長尾ヒーリングと心が元気になるお話しで、元気ハツラツになりましょう♬
たくさんのご来場を心よりお待ちしております(*^^*)

下矢印詳しくはこちら