先日、インドで人間が野生のヒョウやゾウに襲われる事故が多発しているという事を知りました。
日本でも随分前に秋田県でネマガリダケ狩りをする人間がツキノワグマに襲われるという凄惨な事件が起こりました。
インドでは人口爆発に伴い野生動物の生息区域に人間が生活圏を広げた事が原因と言われていますが、私たち人間は、あまりにもこの地球を「人間」だけのものと考えすぎていないでしょうか。
地球には様々な生命体があり、しかし、人間以外のほとんどの生命体が絶滅の危機に瀕しています。
地球の歴史で考えると人類誕生から現在までは一瞬の事ですし、地球の今までの年月を「1年」で例えると、その中での人間の歴史は12月31日の除夜の鐘が鳴る頃からだそうです。
しかし、そのたった数分で人間は、まるでコンピューターウイルスのように地球を破壊しつつあります。
私は動物や生き物の番組が好きなので、動画やTV、映画で見たりするのですが、その度に動物の方が人間よりも圧倒的に素晴らしいと思う事が多々あります。
人間は他の動物は持ち合わせていない人間だけが持つ能力を使い、この地球を支配しましたが、その代わり生物が持つ本来の感性があまりにも未成熟になって行ったような気がするのです。
3時間で亡くなってしまった我が子を2週間以上離そうとしない母シャチがいる一方
自分の身代わりに子供が痛めつけられるのを黙殺する人間の母親が存在し
生きる事にひたむきで「できる方法」だけを考え、諦めない野生動物たちがいる一方
「やらない理由」を理性でごまかしストレスなく諦めて生きる人間が存在し
卓越したリーダーシップで矢面に立ち群れを守る「頭から腐らない」各種野生動物の群れのリーダーがいる一方
従業員を矢面に立たせ「頭から腐る」社長が人間の群れには存在します
特に野生動物の群れの「リーダー」は人間社会の「リーダー」が見習わなければならないことがたくさんあると思います。
人間だけに「あり方」が備わっているのではなく
むしろ野生動物のリーダー達には人間以上に素晴らしい「あり方」が存在すると思うのです。
野生動物の各群れのリーダー達は
頭(リーダー)から腐りません
状況は群れのメンバー任せではなく自分が打開しようとします
群れ全体を必ずプラスの方向に導こうとします
やらない理由ではなく出来る方法だけを考えます
人間社会において
会社なら社長や各部署のリーダー等
友人たちとのグループでのリーダー
家族で言えば父親や母親・・・
野生動物たちがしている行動を人間はどれくらい出来ているのだろうか・・・動物を勉強すれば勉強するほど人間である自分が恥ずかしくなります。
他の動物から「生物としての在り方」を教えられること、気づかされる事は圧倒的に多く、敬意ばかりが沸き起こります。
我々人間は、なぜか野生動物よりも人間は高等動物と思い込んでいますが・・・
野生動物がとっている行動は本当に我々人間以下なのでしょうか。
人間の方が野生動物に劣る行動を取っていないでしょうか。
全ての「命あるもの(生物)」が持っているものが「感性」です。
だとすれば、人間が感性を脆弱化させてゆくということは
「生物」であるという事を捨てて行ってるのではないか・・・最近ふとそんな事を思うのです。
つまり・・・
人間とは・・・人間だけが持つ「能力」を使う一方で、生命体・生物が持つ「能力」を捨てている気がします。
AIがどうこうではなく、それ以前に
私たち人間が感性を備えた「命あるもの」として生きる事をやめていってないだろうか・・・
「生物」としての人間が壊れて行っていないだろうか・・・
何が人間を壊してゆくのだろうか・・・
故手塚治虫先生が憂えた事が、現実に起こりつつあるような気がします。
科学的な事や生物学的な事は私にはわかりませんが・・・
様々な生態系が存在するからこそ地球は「奇跡の星」なのではないでしょうか。
海洋生物が死滅したら、海は腐るのではないでしょうか・・・
陸上生物が死滅したら、草花や木や土は腐敗するのではないでしょうか・・・
もし、感性が鈍った人間とロボットしか存在しない・・・そんな生態系になったら・・・地球はその瞬間に急速に「死滅」に向かいそうです。
もし、人間にしかない能力を持ったまま、次生まれ変わる事が出来るとしたら・・・
私はどんな動物でもいいので人間以外の動物(出来ればゾウ)で生まれ変わり、強欲な人間たちから地球を取り戻し、人間も含め全ての生物が地球の恩恵にあずかれるようにしたいなぁ・・・・なんてことを、まぁまぁ本気で考えたりする今日この頃です。