長良川 大好き 釣り blog        

長良川相戸堰堤近くで生まれ育ち、長良川をこよなく愛する老人のブログです。

 美並FのHPはこちらですhttp://www.satsukimasu.info/  うお座 うお座  

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

久しぶりの長良川2020

 

昨日 今年初めて郡上地区へ釣行し、長良川を楽しみました。

サツキや尺オーバーアマゴなど十分楽しめたので10時で終了し7匹だけ持ち帰りました。

魚はまだ沢山いましたのでまた出会いに行きます。

竿 エアーマスター100  糸1号~0.8号  オモリ4B×2個  ~ 0.5×2個

      ハリ カツイチ サツキM  エサミミズ 2~4匹 

 

 

20㎝ぐらいのアマゴは後日お会いしましょうと、全てリリースしました。チビアマゴも沢山いましたので来年が楽しみです。

釣果の動画です。↓

 https://www.youtube.com/watch?v=GD8-QbgfGAU

岐阜空襲(昭和20年7月9日~10日)

調査報告No.1

   最近アメリカの研究者から多くの資料をプレゼントされた。

主に各務原空襲に関する物だが数点の岐阜空襲に関する資料も含まれていた。

彼はボーイング社の重役で退職後に第7戦闘機集団協会員となり戦闘履歴や失われた搭乗員の調査などをしている

ヒストリアンです。

 

岐阜空襲は戦術作戦任務報告書260号によれば、昭和20年7月9日23時34分~10日1時20分の間にグアム北飛行場を

発進した314航空団B29爆撃機130機により行われた。

投下された爆弾は E46焼夷収束弾(結束バンドの解放は1500m)、M47 100ポンド焼夷弾(瞬発弾頭設定) 

投下高度は4500m~5400mでグループごとに異なる。第1目標は約898.8トン 第2目標は8.7トンとなっている。

当日の目標付近の天候は快晴と報告書に書かれています。

レーダー照準と目視照準で行ったと報告。

損失は1機がロタ島とサイパン島間で火災が発生、搭乗員はパラシュート降下して救助、3機が硫黄島に緊急着陸。

この写真は爆撃中のB29から撮られた第2目標付近の状態である。撮影時刻は7月9日23時45分。

写真の書き込みから場所が分かってもらえると思います。右上が西です。

先発隊の投下した焼夷弾により大火災が起き、山の斜面が照らされている。

写真の説明も頂いた。この翻訳で良いと思うが。

この火災の南側に「川西機械製作所」がある。この会社は飛行機や真空管、繊維機械の製造メーカーですが

この工場では本来、繊維関係だったが戦争中は川崎航空機の分散工場となっていたもよう。

岐阜駅の東、高山線から分岐して引込線が作られている。戦後は専売公社の工場となっていた。

名鉄各務原線とは直角に平面交差していた。

昭和23年の米軍写真から様子を知ることができる。

こちらは 全国主要都市戦災概況図で、赤く塗られておりこの調査図からも目的を達していたことがうかがわれる。

 

こちらもプレゼントされた資料

当時米軍が使用していた地図。 日本陸軍が作成したもの、昭和7年修正測量 10年に発行された1/50000です、

岐阜県図書館等で閲覧できます。 この地図は米軍にとって都合よく作られており、送電線、変電所、

各務原では航空本部補給支部とか三菱飛行機工場、川崎飛行機工場なども表記。

岐阜では重要な工場、、68連隊兵舎、貨物駅、送電設備等が表記。

彼らが川崎の軍需工場となったと理解している川西機械製作所はTEXTIL MILS と書かれています。

また、高校や町工場が川崎航空機の分散工場となっていると理解している。

実際にこの地図には飛行場や航空産業はもとより変電所や発電所にも攻撃目標番号が打たれております。戦争が長引けば爆撃された

ことも考えられる。

また、間違って攻撃をしないように指示された建物もある、各務原飛行場滑走路、南西端の格納庫群や

岐阜県南部東海道線鉄橋などである。(上は金華山から見た長良川 下は右岸から見た東海道線鉄橋)

ターゲットとしてリストされていないとある。

(この写真は絵葉書を利用したと思われる)

 

この地図は開戦1年前には完成していたようで、早くから日本との戦争を考えて情報収集していたことが

伺われます。

 他の写真や戦術作戦任務報告書には日本軍の反撃の様子が分かる資料もあり調査を進めています。

      

 

 

 

 

各務原空襲 P51マスタング戦闘機 各務原にてトラブル

調査報告

       アメリカ国立公文書記録管理局 ミッシングレポート 7月20日

昭和20年7月20日12時10分ごろ 硫黄島から名古屋地区を攻撃に来たP51戦闘機が各務原でアクシデントが起きたようだ。

各務原飛行場は臨機目標として攻撃したらしい。

第21戦闘機群第531戦闘飛行隊 ファルジアトーレ中尉 

4行目に、日付や時間が記載されており 、Forced down 不時着とある。

 

アクシデントは各務原と書かれています。

ただ、アクシデントの内容は記載されておらず、被弾したのか機体の故障か断定できない。

彼はアクシデントの起きた機体を操って、レスキュー隊の待つ海域に飛んでいたようだ。

墜落地点は渥美半島の沖合です。

二つの無線機も壊れて僚機やレスキュー隊に連絡が取れず、もしかしたら彼自身も負傷していたかも知れない。

縦線は硫黄島までの距離 マイル

 ついに、力尽きて回転しながら海面に落下しのを目撃したヘンリー中尉は10分程現場にとどまって

捜索をしたがパラシュートなど見つけれなかったと報告している。

 

第531戦闘飛行隊 ウイリアム H.ベントン飛行隊長の報告書があった。

ファルジアトーレ中尉はブルー飛行隊の4番機だった。我々は目標を旋回しロケット弾を発射した。

雲を抜けて上空に戻った時、ファルジアトーレ中尉を見失った。

目標を攻撃した前後、彼と無線が繋がらなかった。

 

なお、当時硫黄島に展開していた、第7戦闘機集団の協会はこの案件について現在も調査を

進めているようで、何か知っているかと質問された。

 

 

この調査は更に続く。

 

 

 

 

各務原空襲 墜落した米軍戦闘機の調査

調査報告

   大戦末期に各務原飛行場に撃墜されたとされる米軍機の調査を昨年末より行っていました。

最初に、かって発行された「稲羽東小学校100年史」や「各務原市民の戦時記録」「各務原高射砲隊顛末記」等には

昭和20年6月9日お昼少し前に高射砲により「グラマン」を撃墜したとの記載があります。

 

その後米軍の記録を調べました。当時硫黄島に展開していた「アメリカ陸軍航空軍第7戦闘機集団」の

サイトの戦闘記録1945年7月19日分にジュリアン E .トーマス中佐が各務原飛行場への攻撃中に急降下で翼が崩壊したとの記述が見つかりました。

 

更にジェームス B .タップス少佐著「第7戦闘機指揮履歴」に彼の航空機は各務原飛行場に対する非常に高速での機銃掃射中に翼が崩壊し彼は殺されたとの記述もありました。

 

更に、「アメリカ国立公文書記録管理局」NARAの資料の中に行方不明搭乗員レポートがあり、トマース中佐の記載が見つかりました。

ミッシング エアー クルー レポート(行方不明搭乗員レポート)

NO2 目標は各務原、ミッションは戦闘機掃討と記載されている

NO4 日付は1945年7月19日 9時20分 ロケーションは各務原飛行場とある

NO5 圧縮性の急降下に耐えられなくて崩壊したとの記載が

NO17 には 僚機である ウイリアム H.スパークス中尉の目撃情報記載されている

トーマス中佐は急降下中に 「Sスプリット ターン」を行い機体が崩壊したとある。

 

なお、6月9日の第7戦闘l機集団の戦闘記録には各務原飛行場の攻撃記録はあるが撃墜された記録はありません。

またグラマン戦闘機を搭載していた空母16隻の記録を調査しましたがまだ活動範囲がフィリピン、台湾、沖縄、九州、四国、瀬戸内海地区であり、各務原飛行場の攻撃記録は見つかっておりません。

 

墜落機のデータ

1945年7月19日9時20分 ジュリアン E.トーマス中佐(27才) アメリカ陸軍航空軍第7戦闘機集団第15戦闘機群司令部所属(硫黄島)P51

墜落原因は急降下時における、Sスプリット ターンにより発生したマイナスの負圧。

急降下に起因する翼の崩壊。

 

硫黄島からの日本本土の攻撃

P51戦闘機は単発単座の戦闘機のため、東京や名古屋は1200km程の距離があり、侵入時はB29爆撃機がナビゲーターをしている。

B29に先導されて飛行中のP51マスタング戦闘機 4機ごとに編隊を組んでいる

硫黄島の基地に駐機中のP51戦闘機 奥に写っているのがB29爆撃機

12.7mm機銃弾を搭載中のP51ムスタング 6本のM2機関銃におよそ1800発を搭載

翼の下は落下式燃料タンク

米軍の救助体制  日本列島に侵入するにあたって、万全の救助体制が組まれており

航空機、水陸両用機、水上艦艇、潜水艦等を配置しています。

実際に多くの救助映像が残っております。

潜水艦テグロンに救助されるP51パイロット 彼は一人乗りのゴムボートで待っていたようで装備の充実には驚きます。

(この潜水艦は一航海で30名以上を救助したこともあると書かれている) 

墜落地点のマーカー上空を低空飛行飛行するB17爆撃機を改造した救難機。(食料や救難物資を投下)

(硫黄島と日本列島間)

 

第7戦闘機集団のHPにあるトーマス中佐のサイト

1917年9月25日アイダホ州ミニドカ郡ルパート生まれ

死亡 1945年7月19日(27才)

お墓 カルフォルニア州サンマテオ郡サンブルーノ

    ゴールデンゲート国立墓地

アメリカ陸軍航空軍第7戦闘機集団 第15戦闘機群司令部所属(硫黄島)

  写真は第7戦闘機集団HPと公文書記録管理局NARAより

 

2020年3月27日の岐阜新聞

2020年4月4日の中日新聞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長良川の鮎

 久しぶりの投稿です、所用や機会がなくて釣りは少し遠ざかっているうちに

シーズンは終了してしまいました。釣行も釣果も少なく寂しい年となりました。

来年は少し頑張らなくてはなりません。 

 

本日、長良川のアユを頂きました。

 

塩焼きと天ぷらでいただきました。

 

お米は長良川上流 郡上市白鳥町の二日町産「あきたこまち」です。

今回 美味しく焼くために 古くなった 魚焼き器を買い替えました。

 

長良川の恵みを美味しくいただいております。

明日は甘露煮に挑戦します。


残りは雄とメスに分けて冷凍袋に入れて保存します。

年末には子持ちアユの昆布巻きを作りたい。


 

 

 

 久しぶりの長良川

   

今季2回目の郡上釣行、犬の散歩をしてから5時半に出発。6時半ごろに目的のポイントに着くも先行者があります。
第2ポイントに移動してアマゴ狙いで釣り下ります。
本目のポイントに着いて白泡の中に投入、泡が消える辺りでかすかなアタリが出て合わせると強い引きで、懐かしい感触。なんとか今年も顔を見ました。サツキマス37cmです。更に50m下流でアタリが出たが合わせ遅れて見切られてしまった。十分楽しめたので9時半で終了としました。

 良い型のアマゴも釣れた。

 久しぶりに会った。オイカワじっさ

 今日 釣れたのはこれ以外にウグイが1匹のみでした。

魚が非常に少ない。今後が心配です。

 

 

      各務原空襲 (B29爆撃機による各務原空襲の概要)

各務原市「平和シンポジュウム」各務原空襲を忘れない に参加

    6月22日(土) 産業文化センターで開催されたシンポジュウムに参加させて頂きました。

市から依頼されていたもので、多くの方に助けられて無事終了しました。

当日の参加者は400名ほどで関心の高さが伺われます。

私の題目は「B29による各務原空襲の概要」です。空襲は昭和20年6月22日と26日の二日間です。

 事前のチラシ

 

 

当時 米軍が撮影した写真や報告書「作戦概要報告書」「戦術作戦任務報告書」などから得られた情報を

詳しく調査して「パワーポイント」で画像や資料を出しながら、作成した文章を読み、写真の説明をしました。

6月22日は218と219作戦   26日は228と231作戦が行われたが爆弾の種類や信管設定、目標の範囲など

詳しく説明した。

早く進めて 持ち時間は30分でした。

大平洋上での飛行高度や侵入経路について詳しく説明した。

また当時 本館ビル屋上にあった軍の監視塔についても説明した。

 4部隊の兵が監視の業務に付いていた。

現在、この監視塔の高さを調査しています。

 

破壊された 川崎航空機工場 ライトケース爆弾により骨組みだけとなった。

    (米軍調査団撮影)

ドキドキしながら 話を進めて最後に「ご静聴ありがとうございました」と言った時に

会場から多くの拍手が聞こえ、 ホットしました。 

 

今期の釣りは初期に参加しただけでオンシーズンは資料作りで参加できず 残念でしたが

市内において74年前に実際に起きた事で多くの方が亡くなりました。

この事を多くの方に知って頂き後世に伝えて頂きたく参加しました。

(国立国会図書館デジタルアーカイブ、米国公文書館参照)

 

     昨日 市内の歴史研究グループの方から連絡があり うちの会員に聞かせて欲しいと話がありましたが

     遅いながらも釣りをやりたく、8月になったらと答えました。

 

 

 

古墳を新発見

 昨年暮れから各務原市内各所で未発見の古墳を探していました。ついに2月の終わりに発見しました。

学芸員の方に鑑定をして頂きました。新発見でしかも未盗掘との鑑定を頂きました。

 

①号古墳 直径7~8m高さ4~5m程の円墳で葺石はありませんでした。

頂上部分には陥没と穴が見られます。

 

穴の中には石室の空洞が確認できます。

発見した時に自宅に一眼カメラと懐中電灯を慌てて取りにいきました。

中を覗くと空間が広がっており、驚きました。

④は露頭している石室本体と思われる石。向こう側に穴の部分がみられます。

近くには不自然な土の盛り上がりがみられます。

 

こちらは300mほど離れた畑の近くで見つけた土器片。

古墳時代の焼き物で「ツボ」との鑑定でした。

 

 

古墳は穴もあり内部には空洞部分もあるため危険と判断しましたので当分の間は場所の公開しません。

今後の調査が望まれます。   本当に驚きの発見でした 

 

* 最近見つけた「矢じり」です

左は水色のチャート製で市内 蘇原地区で

右は下呂石製で鵜沼地区で発見したもの。肩が作られた非常に凝った作りです。

いづれも許可を得ている畑です。

 

釣りは暖かくなってからです

 

 

 

縄文探訪 矢じり

 久しぶりに行きました。

 

許可を得ている畑 3枚のうち2枚は管理されなくなって雑草が生えて石器探しが困難となっています。

 

残った畑を丹念に探していると一つだけ見つかりました。

 

 

 

造られたときはシッポが付いていたようです。

 

この数年間で100個ほど見つかりました。どこかで展示して皆さんに見てもらおうかな。

 

 

石の種類は「下呂石」「チャート」「黒曜石」「サヌカイト」の4種です。

型は様々ですが必要以上に加工された物もあり 作者のこだわりが伺われます。

このこだわりは集団で狩りをやった場合 致命傷を与えた自分の功績を主張するときの

証明だったのでしょうか ?

 

             そろそろ本業の準備を始めなくてはなりません

 

 

 

越後荒川への旅

 昨日から新潟県荒川にきています。

厳しい天候ですが多くの方がサケ釣りを楽しんでおられます。

洗いや君

 

ペテン師君

若い方が楽しんでいるのを見るのは良いものだ。

世代交代ですね。

この写真は「いずみや」さんのブログにも採用して頂きました。

 

宿泊は坂町駅前「いずみや」旅館です。

美味しい料理と釣り談義で楽しい時間を過ごさせていただき頂きました。

 

今日は昼から強風が吹く予報となっていますから午前中の釣りとなるでしょう。

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>