長良川 大好き 釣り blog        

長良川相戸堰堤近くで生まれ育ち、長良川をこよなく愛する老人のブログです。

 美並FのHPはこちらですhttp://www.satsukimasu.info/  うお座 うお座  

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

長良川の鮎

 

関の漁師から長良川の落ちアユを頂きました。

今夜はアユ料理のフルコースです。

塩焼き、魚田楽、煮つけ、etc . 辛口の日本酒が飲みたい。

明日は子持ちアユの炊き込みご飯に挑戦します。

 

  

 長良川の秋の風物詩 瀬張り網漁(ソジ漁)です。

落ちアユを狙います、川底に張った白いビニールに驚いて止まったアユを

手投げ網で捕ります。

 雨で久しぶりに増水したので大量のアユが落ちました。

一人で、200匹ほど捕れたそうです。

 

手投げ網の動画です。

黄色い石は水中のアユを視認しやすくするためです。

 網から魚を外すのは大変そうです。

 

 

 

 

サツキマス釣り 最後の釣り NOⅡ 9╱30

納竿したはずなのにまた行ってしまいました。

 

激戦区なのでチビアマゴ(リリースサイズ)しか釣れないと思っていました。

 

目標のポイントに着いて、深みを上から下まで探りましたがチビアマゴとウグイしか掛りません。

 

日が上がり水中をよく見ると大型アマゴが定位しているのが複数見えるがどのエサにも反応しません。

 

1時間以上粘りましたが諦めて釣り下ることにしました。

 

足場の悪い川床を釣り下るとチビアマゴが多いがキープサイズも釣れました。

 

300mほど下った所に1.5m~2m程の深みがあります。仕掛けを点検し、ミミズ2匹を掛けて流すとアマゴが釣れた。更に探っていると大きなアタリが出て大型が掛った。竿が10mなので余裕でやりとりができ、タモに入った。


 
 

 





 

鼻の曲がった34cmでした。良型アマゴも釣れて終了としました。

今年は大型のアマゴと出会える日が多かった、こんな年は記憶にありません。

竿 琥珀本流エアマスター100 メタルトップ 天井1号4m 道糸0.8号 ハリス0.6号

グラン4号 オモリ4B×2個 餌ミミズ

 

今年も多くの魚たちと出会えたことに感謝して終了としました。

 

 

 

サツキマス釣り 今年最後の釣り

 本来はお盆過ぎに釣りには行かないのですがエサも沢山残っているので行きました。 駐車場所に5時に着きましたがまだ真っ暗です。

少し明るくなってきたので用意をして川原に下りました。

数日前に降った雨で増水しております。

水位が高いので思った筋にエサが入りません。

手前の浅場を流すが本命のアタリはなかなか出ません。

仕掛けを作り直し、エアマスターのズームを伸ばして10mとして

流心の向こう側に投入しますが、流速があり底に入りません。

錘を0.8号+5B×2個として無理やり沈めて流していると底付近で猛烈なアタリが出て尺オーバーが釣れた。

 

赤い尻尾の雄アマゴでした。

帰り道には彼岸花が咲いていました。

今年も十分に楽しみました、来年も楽しみたいが

体力があるかなー   多分 長良川筋では最高齢本流釣り人でしょうね。

 

 

サツキマス釣り 

 8月9日 また挑戦しました。

 

 

デカアマゴ38cmが釣れました。

サツキマスとは全く違う強い引き、何回も深みに走るアマゴを

エアマスター10mとバカ1mを出した糸を巧みに使って弱らせました。

順光の水中で大きな魚体をギラギラさせて針を外そうとする魚の

動きが見えて興奮しました。

上から2番目がタモ入時に バキッー 魚は弱っていたので糸を掴んで

腕と糸出しで、更に弱らせてタモ入れに成功。

アタリがあったのは、流れ出しの1mほどの水深、グリ石が並んでいる場所

昨日とほぼ同じ場所。

今日は高い魚になったけど、いっぱい楽しんだからOKです。

竿 ダイワ 琥珀本流エアマスター100 天井グランドマックス1号5m

みち糸0.8号 ハリス0.6号50㎝ ハリ グラン4号 錘 1号+5B×2個

エサ ミミズ 2匹

 

 

やはり大きくてもアマゴでした。サツキマスだと赤身ですが

身が白いですね。

半身塩焼き、半身煮つけで美味しく頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サツキマス釣り 

8月8日

巨大な深みで大アマゴ釣れたと連絡があり、私も挑戦しました。

 



まず最初に流れ出しを4B3個でさぐっていた時に中層でモーレツなアタリが有り

針掛かりしたが、首を振った時に針が伸びて外れてしまった。

水深のある深みには魚がいると思われたが流れ出しにも付いていると判断して

対岸のグリ石の周りを錘を変更して探っているとアタリが出て 

尺2寸のデカアマゴが釣れました。

良く肥えた魚体に大満足です。このサイズのアマゴは久しぶりに釣りました。

 

 

ジャスト36㎝です 

 

良型アマゴが更に釣れたので10時で終了しました。まだ追加で釣れたがこれで十分楽しみました。

 


尺2寸アマゴの動画

 

竿 琥珀本流エアマスター100  10mにて使用 天井糸1号5m 

糸0.8号  オモリ1号+0.5号

 ハリ グラン3号  ミミズ2本掛け

 

 

サツキマス釣り 2020#2

  久しぶりに釣行しました。

長良川、上流地区です。アユ師が来るまでの短時間勝負です。

少し早めに川原に下りて 目印が見えるまでの時間待ちです。

過去の実績のあるポイントでこのポイントはアユ釣りにも人気の場所です。

左岸には駐車場があり停めやすいが、左岸から魚を獲り込むと場荒れして後が続かないことが多い場所なので

右岸から8.5mか9.5mで狙います。

まず初めに瀬尻から流し込んで左岸近くの流心を流します。そして釣り下ります。水中には大きな石がありサツキや大アマゴが着いていることがあります。

琥珀エアマスター8.5-90をズームを伸ばして9mで右岸から流しました。

道糸は0.8号ハリスは0.6号 4B×2個 針はカツイチ サクラ、サツキM

エサはミミズ小型3匹 チョンガケです。

流れにエサが入って底を通過しながら流れて正面に来た時 明確なアタリが出て 良型アマゴが掛った。なるべく場あれをふせぐため上流側に誘導して捕り込んだ。

チビアマゴのエサ取りが多い。 まだ大型が居ると思い流すとまた良型アマゴが釣れた。

 

 

少し立ち位置を下流に移動して サツキが付いて居そうな筋を流していると

対岸にルアーマン2名が入って来て高い位置から水中を覗きこんでから投げ始めた。自分の流し終わり付近まで近づいて来たので、上流に移動しました。前に会話したことがある地元の人のようだった。

元の位置に戻って流すがザコしか釣れません。

この後 別のポイントに移動したが大型の顔は見れなかった。

良型アマゴが2匹釣れたので終了としました。 今日は早い終了で8時半頃でした。まだサツキマスやアマゴも居そうなのでまた挑戦したいと思います。

 

 

 

 

サツキマス釣り 2020# 1

 

昨日 今年初めて郡上地区へ釣行し、長良川を楽しみました。

サツキや尺オーバーアマゴなど十分楽しめたので10時で終了し7匹だけ持ち帰りました。

魚はまだ沢山いましたのでまた出会いに行きます。

竿 エアーマスター100  糸1号~0.8号  オモリ4B×2個  ~ 0.5×2個

      ハリ カツイチ サツキM  エサミミズ 2~4匹 

 

 

20㎝ぐらいのアマゴは後日お会いしましょうと、全てリリースしました。チビアマゴも沢山いましたので来年が楽しみです。

釣果の動画です。↓

 https://www.youtube.com/watch?v=GD8-QbgfGAU

岐阜空襲(昭和20年7月9日~10日)

調査報告No.1

   最近アメリカの研究者から多くの資料をプレゼントされた。

主に各務原空襲に関する物だが数点の岐阜空襲に関する資料も含まれていた。

彼はボーイング社の重役で退職後に第7戦闘機集団協会員となり戦闘履歴や失われた搭乗員の調査などをしている

ヒストリアンです。

 

岐阜空襲は戦術作戦任務報告書260号によれば、昭和20年7月9日23時34分~10日1時20分の間にグアム北飛行場を

発進した314航空団B29爆撃機130機により行われた。

投下された爆弾は E46焼夷収束弾(結束バンドの解放は1500m)、M47 100ポンド焼夷弾(瞬発弾頭設定) 

投下高度は4500m~5400mでグループごとに異なる。第1目標は約898.8トン 第2目標は8.7トンとなっている。

当日の目標付近の天候は快晴と報告書に書かれています。

レーダー照準と目視照準で行ったと報告。

損失は1機がロタ島とサイパン島間で火災が発生、搭乗員はパラシュート降下して救助、3機が硫黄島に緊急着陸。

この写真は爆撃中のB29から撮られた第2目標付近の状態である。撮影時刻は7月9日23時45分。

写真の書き込みから場所が分かってもらえると思います。右上が西です。

先発隊の投下した焼夷弾により大火災が起き、山の斜面が照らされている。

写真の説明も頂いた。この翻訳で良いと思うが。

この火災の南側に「川西機械製作所」がある。この会社は飛行機や真空管、繊維機械の製造メーカーですが

この工場では本来、繊維関係だったが戦争中は川崎航空機の分散工場となっていたもよう。

岐阜駅の東、高山線から分岐して引込線が作られている。戦後は専売公社の工場となっていた。

名鉄各務原線とは直角に平面交差していた。

昭和23年の米軍写真から様子を知ることができる。

こちらは 全国主要都市戦災概況図で、赤く塗られておりこの調査図からも目的を達していたことがうかがわれる。

 

こちらもプレゼントされた資料

当時米軍が使用していた地図。 日本陸軍が作成したもの、昭和7年修正測量 10年に発行された1/50000です、

岐阜県図書館等で閲覧できます。 この地図は米軍にとって都合よく作られており、送電線、変電所、

各務原では航空本部補給支部とか三菱飛行機工場、川崎飛行機工場なども表記。

岐阜では重要な工場、、68連隊兵舎、貨物駅、送電設備等が表記。

彼らが川崎の軍需工場となったと理解している川西機械製作所はTEXTIL MILS と書かれています。

また、高校や町工場が川崎航空機の分散工場となっていると理解している。

実際にこの地図には飛行場や航空産業はもとより変電所や発電所にも攻撃目標番号が打たれております。戦争が長引けば爆撃された

ことも考えられる。

また、間違って攻撃をしないように指示された建物もある、各務原飛行場滑走路、南西端の格納庫群や

岐阜県南部東海道線鉄橋などである。(上は金華山から見た長良川 下は右岸から見た東海道線鉄橋)

ターゲットとしてリストされていないとある。

(この写真は絵葉書を利用したと思われる)

 

この地図は開戦1年前には完成していたようで、早くから日本との戦争を考えて情報収集していたことが

伺われます。

 他の写真や戦術作戦任務報告書には日本軍の反撃の様子が分かる資料もあり調査を進めています。

      

 

 

 

 

各務原空襲 P51マスタング戦闘機 各務原にてトラブル

調査報告

       アメリカ国立公文書記録管理局 ミッシングレポート 7月20日

昭和20年7月20日12時10分ごろ 硫黄島から名古屋地区を攻撃に来たP51戦闘機が各務原でアクシデントが起きたようだ。

各務原飛行場は臨機目標として攻撃したらしい。

第21戦闘機群第531戦闘飛行隊 ファルジアトーレ中尉 

4行目に、日付や時間が記載されており 、Forced down 不時着とある。

 

アクシデントは各務原と書かれています。

ただ、アクシデントの内容は記載されておらず、被弾したのか機体の故障か断定できない。

彼はアクシデントの起きた機体を操って、レスキュー隊の待つ海域に飛んでいたようだ。

墜落地点は渥美半島の沖合です。

二つの無線機も壊れて僚機やレスキュー隊に連絡が取れず、もしかしたら彼自身も負傷していたかも知れない。

縦線は硫黄島までの距離 マイル

 ついに、力尽きて回転しながら海面に落下しのを目撃したヘンリー中尉は10分程現場にとどまって

捜索をしたがパラシュートなど見つけれなかったと報告している。

 

第531戦闘飛行隊 ウイリアム H.ベントン飛行隊長の報告書があった。

ファルジアトーレ中尉はブルー飛行隊の4番機だった。我々は目標を旋回しロケット弾を発射した。

雲を抜けて上空に戻った時、ファルジアトーレ中尉を見失った。

目標を攻撃した前後、彼と無線が繋がらなかった。

 

なお、当時硫黄島に展開していた、第7戦闘機集団の協会はこの案件について現在も調査を

進めているようで、何か知っているかと質問された。

 

 

この調査は更に続く。

 

 

 

 

各務原空襲 墜落した米軍戦闘機の調査

調査報告

   大戦末期に各務原飛行場に撃墜されたとされる米軍機の調査を昨年末より行っていました。

最初に、かって発行された「稲羽東小学校100年史」や「各務原市民の戦時記録」「各務原高射砲隊顛末記」等には

昭和20年6月9日お昼少し前に高射砲により「グラマン」を撃墜したとの記載があります。

 

その後米軍の記録を調べました。当時硫黄島に展開していた「アメリカ陸軍航空軍第7戦闘機集団」の

サイトの戦闘記録1945年7月19日分にジュリアン E .トーマス中佐が各務原飛行場への攻撃中に急降下で翼が崩壊したとの記述が見つかりました。

 

更にジェームス B .タップス少佐著「第7戦闘機指揮履歴」に彼の航空機は各務原飛行場に対する非常に高速での機銃掃射中に翼が崩壊し彼は殺されたとの記述もありました。

 

更に、「アメリカ国立公文書記録管理局」NARAの資料の中に行方不明搭乗員レポートがあり、トマース中佐の記載が見つかりました。

ミッシング エアー クルー レポート(行方不明搭乗員レポート)

NO2 目標は各務原、ミッションは戦闘機掃討と記載されている

NO4 日付は1945年7月19日 9時20分 ロケーションは各務原飛行場とある

NO5 圧縮性の急降下に耐えられなくて崩壊したとの記載が

NO17 には 僚機である ウイリアム H.スパークス中尉の目撃情報記載されている

トーマス中佐は急降下中に 「Sスプリット ターン」を行い機体が崩壊したとある。

 

なお、6月9日の第7戦闘l機集団の戦闘記録には各務原飛行場の攻撃記録はあるが撃墜された記録はありません。

またグラマン戦闘機を搭載していた空母16隻の記録を調査しましたがまだ活動範囲がフィリピン、台湾、沖縄、九州、四国、瀬戸内海地区であり、各務原飛行場の攻撃記録は見つかっておりません。

 

墜落機のデータ

1945年7月19日9時20分 ジュリアン E.トーマス中佐(27才) アメリカ陸軍航空軍第7戦闘機集団第15戦闘機群司令部所属(硫黄島)P51

墜落原因は急降下時における、Sスプリット ターンにより発生したマイナスの負圧。

急降下に起因する翼の崩壊。

 

硫黄島からの日本本土の攻撃

P51戦闘機は単発単座の戦闘機のため、東京や名古屋は1200km程の距離があり、侵入時はB29爆撃機がナビゲーターをしている。

B29に先導されて飛行中のP51マスタング戦闘機 4機ごとに編隊を組んでいる

硫黄島の基地に駐機中のP51戦闘機 奥に写っているのがB29爆撃機

12.7mm機銃弾を搭載中のP51ムスタング 6本のM2機関銃におよそ1800発を搭載

翼の下は落下式燃料タンク

米軍の救助体制  日本列島に侵入するにあたって、万全の救助体制が組まれており

航空機、水陸両用機、水上艦艇、潜水艦等を配置しています。

実際に多くの救助映像が残っております。

潜水艦テグロンに救助されるP51パイロット 彼は一人乗りのゴムボートで待っていたようで装備の充実には驚きます。

(この潜水艦は一航海で30名以上を救助したこともあると書かれている) 

墜落地点のマーカー上空を低空飛行飛行するB17爆撃機を改造した救難機。(食料や救難物資を投下)

(硫黄島と日本列島間)

 

第7戦闘機集団のHPにあるトーマス中佐のサイト

1917年9月25日アイダホ州ミニドカ郡ルパート生まれ

死亡 1945年7月19日(27才)

お墓 カルフォルニア州サンマテオ郡サンブルーノ

    ゴールデンゲート国立墓地

アメリカ陸軍航空軍第7戦闘機集団 第15戦闘機群司令部所属(硫黄島)

  写真は第7戦闘機集団HPと公文書記録管理局NARAより

 

2020年3月27日の岐阜新聞

2020年4月4日の中日新聞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>