産経新聞の特集記事が今連載されている。「脅威か希望か AI新時代」
昨年来、政府が新たな成長戦略として、生産性向上を前面に出して競争力を深化させる段階にきていると声高に掲げている。各企業メーカーはこの戦略に従い、特に強力に人工知能AIの開発実用化に取り組んでおり、先陣を切っている米国に追いつけ追い越せと躍起になっている。
特集記事では、人工知能AIの時代の到来を知らせている。すでに米国では各企業が導入して成果を上げている。日本でも従来からある製造業で導入している単純作業の機械化ロボットではなく、機械が自ら膨大なデータから学習して最適な解を導く深層学習によって、自らが判断する段階にきているという。
人間が自ら考える領域がどんどん機械に侵食されていく脅威を感じる。過去の膨大なデータを分析抽出するのは、コンピュータの得意分野であることは否めない。人間の能力では数量的時間的にに限界がある。しかし、そこから機械自身が深層学習(Deep learning)をして、判断していくのが、この人工知能AIの特徴なのだ。人間が判断するのではなく、機械が答えを導き出す。人間の役割はその答えが妥当かどうか見極める高度な応用力がいるという。
人間て本来は横着な動物。何でも楽をしたがる、便利を求める、深く考えるのを拒む。人工知能AIが導き出した答えを本当にチェックできるのか疑問だ。機械が出した答えはあくまでも、過去の膨大な既往データからのものであり、今直面している問題が、果たしてそこから判断できるのか、まさに人間が人間をみる能力が重要と思う。特に教育や医療の分野では課題が大きい。IT技術の劇的な進歩に伴い、人間同士の関係が希薄になってきた現代に、本当にこの人工知能が有効なのだろうか。使い方を誤れば、本当に大変なことが起きる気がしてならない。
日本が米国に遅れをとるのは、まさに考え方の違いからであり、日本人は欧米人のような合理的な⚪︎か×か、0か1かといった考えではなく、曖昧模糊な考え方であるからだと思う。従来、これは優柔不断とか判断が遅いとか責任分散などと悪評高いが、こと人工知能AIの世界では、逆に機械に負けない人間らしさを発揮できると思う。だから、日本は欧米に追いつく必要はなく、独自で人工知能を深化させ、人間臭いAIを目指して欲しいというのが、私の本音だ。