生き物離れの問題 | 人生いろいろ

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自分の過去を冒険して文字に残したいと思いつき、ここに記します。ネタがないときには過去~現在~未来と自由に行き来します。

音と聞いて、みなさん何を思い起こす?
それはもう生活の一部という若者、自然な中では様々な音が聞こえてくる。友達同士での井戸端会議、じゃれ合う子供同士の歓声、赤ん坊の泣き声、通学電車内での雑談、飲み会でのおっさんの会話、様々なシーンでその音量やトーンが違う。

妹と話していると興味深いことをよく聞く。
最近の小学校では、ビオトープという自然に近い沼地を校庭の隅っこに作って、ここで自然発生的に生まれくる生物、なかには幼虫を入れる場合もあろうが、水生昆虫や植物、両生類などの生物をできるだけ自然に近い状態で生育させ、自然とのふれあいが少なく、知識のない子供たちの教育の一環としている。

ある晩にその電話が小学校に鳴り響いた。
「小学校の横に住んどるもんやが、カエルの鳴き声がうるさくて、眠れへんのや!なんとかしてくれ!」
ちょうどビオトープには一匹のカエルが生育しており、元気なその鳴き声で子供たちは、カエルの鳴き声というのは、こんなものなんだと学習しているのだろう。昼間は暗騒音で気にならないこの声が眠る段になると気になって眠れないようす。教頭が出てなぜか平謝りで、一時的にカゴに入れて遠いところへ移動しやようだ。驚きべきはその電話をとった若い先生は、直ちにそのかえるを駆除しようと考えたということだった。呆れ返った妹は、こいつは問題の本質がなんもわかっとらんと憤慨しまくりだった。

虫と人間、共存しあって今日まで生きてきた。でも、この昆虫に対する偏見がこの頃垣間見られるのは非常に残念なことだ。春になればちょうちょ取り、夏はセミ捕り、秋はトンボと、あの手この手を考えて虫かごにいっぱいのコン虫を集めて、手でのつかみ方、その形態、鳴き声を観察した。最後は、逃がしてあげて夕方お腹減ったーと家に帰るのが日課だった。
しかし、こんな虫とり経験も今の子供世代では少ない、それよりもその親さえもが知らないのではないだろうか。

小学館の学習ノートを長年飾ってきた昆虫シリーズが姿を消した。人気のカブトムシやクワガタもなくなる。蝶々や蛾、カミキリムシなど見慣れない昆虫のリアルな写真が表紙にあると、気分が悪くなるという。常日頃から慣れ親しんでない異物が、子供のノートの表紙だなんて、という抵抗感が生まれてしまった。科学が発達して高倍率のマクロ写真がとれるので、精細な昆虫リアルな映像に引いてしまうのかもしれない。そもそも、親の世代からはもっと他のテーマの表紙がないのかという注文があってもおかしくはない。

でも、いざ遊びに行くと山でも海でも生き物はうようよいる。これらがいるから、山も海もいかず、ひたすら都市部の雑草の少ない公園で遊ぶか、外遊びはせずに家でTVゲームに講ずるか、子供時代の環境の選択が重要と言える。都市部での高層マンションで育ったこどもは、虫の知識のかけらもないだろう。田舎の山林で育つ子供とは全く違った考え方になる。これが、この後にどうその子の人生を変えていくのか、少なくとも、人工物で生まれ育ったこどもの心のどこかに、何かが影響する気がしてならない。そのためにも、親たちは子供と自然を強制的にでも近づける努力を今後続けていくことが、非常に大切に思われる。