高野山奥の院 その1 | 人生いろいろ

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自分の過去を冒険して文字に残したいと思いつき、ここに記します。ネタがないときには過去~現在~未来と自由に行き来します。

高野山奥の院、1200年前に弘法大師によって開山された聖地であり、入り口である一の橋から最も奥にある弘法大師御廟に至るまでの約2kmの参道の両脇には、約20万基の墓碑があり、よく知っている戦国大名の名前もほとんど出てくる。

先日、擬似的にではあるが京都仁和寺の八十八ヶ所巡りをして、病気平癒を祈願してきた。そのあと、偶然に石井光太の蛍の森を読んだ。いろいろな思いが交錯して、やはり、総本山の高野山に祈りに行こうと思い立った。それと昨年4月に172年ぶりに再建された中門も見たかった。着工前に一度行ったことがあるが、中門跡地には礎石だけが現存していた。

あらかじめ買っていた高野山・九度山1dayチケット阪急版を持って、いざ出陣。真田九度山にも行きたかったが、一日で両方行くとなると、相当な強行軍となって、ゆっくりとしている時間がないので、九度山は今回は止めて、当初通り高野山奥の院に行き先を絞った。
天下茶屋駅で南海電鉄高野線に乗り換えて、和歌山方面へと向かった。急行で橋本駅に着くと、高野山方面行きの列車に乗り換える。ここから観光列車「天空」が出ていて、乗りたかったが、時間が合わずやむなく二両編成の普通列車に乗り込む。入口に頭が当たりそうな外国人が、大きなリュックを背負って観光ガイドブックを片手に何組も座っていた。その他は定年後の元気な登山姿の男性や、これまたかまびすしい女性3人組(決してかしましいではなく)ーーなぜか3人なんやなぁーー。それと、ツアーリズムの団体さんなどがいたが、若い男性はほとんどいない。若い女性グループは結構いた。

橋本駅を出発すると、車窓からはいきなり山々の新緑の密度が高くなる。カーブに差し掛かると脱線防止アングルに沿って、列車の車輪がレールに擦れる音が鳴り響いた。以前行った学文路(カムロと読む)駅から例の九度山駅に停車した。あたりは六文銭と真っ赤なのぼり旗だらけだ。名残り惜しいが通過した。高野下駅を過ぎると列車は、いきなり急勾配の上り坂を山の斜面に沿って左右に曲がりながら登っていく。さながら山岳鉄道ばりだ。スイッチバックするかもしれないほどの急勾配だ。何よりも驚いたのは、鉄道の線路の位置だ。窓から線路の脇を見ると、ほぼ垂直に見える崖が迫っていた。脱線したら数十m下まで落下して一貫の終わりだろう。線路と崖の法肩が1mくらいしかない!あー恐ろしやと肝を冷やしているのも私くらいか?他の乗客は、車窓から流れるように現れる新緑が混在する山々や、時折現れる田舎の集落などに見入っていた。そして最終の極楽橋駅に着いた。標高は539m、少し下界よりもひんやり感ずる。

ここからはケーブルに乗り換える。日本有数の急勾配ケーブルで、乗り込むのも急階段を登ってぜいぜい言いながら車内に入る。さっきの外国人夫妻も一緒だ。ニコンのカメラでしきりにシャッターを切っていた。これから行く高野山にワクワクしてとれた。私もだ。太さ50mmものワイヤーロープの引っ張り力で急斜面を登っていく。わずか5分の乗車だが見応えは大きい。高さで植物の植生が変わるのも分かった。最大傾斜29度(100mで57m上がる)の斜面を駆け上がる。途中、すれ違う場所では、その太いワイヤーが油にまみれて真っ黒になって、汗をかいて引っ張っている姿が見えた。あっという間に高野山駅へ到着した。標高867m、すでに悠久の聖地の澄んだ空気に変わっていた。

2015年にリニューアルした高野山駅では、バスの案内係が行き先と発車時刻を大声で案内していた。ここから女人堂停留所までは、なんと南海りんかいバスの専用道であり、一般車両はもちろん歩行者さえも通行禁止なのには驚いた。なるほど、歩くのは結構距離もあり高低差も大きい。歩く人はケーブルには乗らずに、極楽橋駅から石畳の不動坂ハイキングコースを登ることになるが、女人堂まで約1時間で着く。リピーターにはいいかもしれない。

ここでほとんどの人は、奥の院行きのバスに乗るが、奥の院に入ると2時間程度かかるので、昼のタイミングが合わない。そこで、まずは高野山の入口である大門行きのバス乗った。どんな寺院でやはり正式な門から入るのが筋だろう。

さて、長くなるのでひとまずここで。次はいよいよ結界の世界へ。