19日、戦没者追悼慰霊顕彰式終了後、先人を偲び、島内各地を回りました。

この戦車は、米軍のシャーマン戦車です。側板にコンクリートで強化しているのは、日本軍兵士が、爆弾を抱えて戦車に近づき破壊するという肉弾戦を恐れ、その対策としてコンクリートを施したそうです。


また、鹿島建設が請け負っているご遺骨の収集・帰還事業の現場も視察させていただきました。


もともと草木が生い茂っているところを重機で掘り、豪を見つけ、そこからご遺骨や遺品、生活用品等を介しています。



上の写真が豪から出てきた生活用品です。右の写真の桶、何の為の桶かわかりますか?これは便桶です。まさに命がけで、便を外に捨てにいったそうです。



また、栗林中将が指揮をされた司令部豪や海軍の医務科豪も見学させていただきました。


硫黄島は、玉砕の島として有名ですが、日本本土防衛の楯として、約2万2千余名の兵士が戦い、尊い命を落としました。これまでの遺骨の帰還は、10,492柱で、47.8%、半数にも満たない数字です。

硫黄島は川もわき水もなく、井戸も掘っても水は出ないし、頼りは雨水だけです。海水を真水にする装置を設置しても、周りの海水が硫黄成分が強く、高額な機械がすぐ壊れてしまい、水の確保が遺骨収集においても制約事項の一つとなっています。また、地熱と亜硫酸ガスの噴出対策も容易ではありません。


しかし、遺骨の収集・帰還は、国の責務です。硫黄島は日本の国内でありながら、種々の問題からご遺骨の帰還事業の進捗に時間がかかる島です。滑走路の移転問題もありますが、国として、なんとしてもご遺骨を日本本土に帰還させねばなりません。改めて強く心に念じました。


最後は、すり鉢山に登りました。

海兵隊が激闘の末、星条旗を立てた、すり鉢山、今は、慰霊碑と共に日の丸がたなびいていました。

きれいな海、この海を多くの米艦戦が埋め、その海岸線で多くの日米双方の兵が命を落としたことに思いを致すと、胸に迫るものがあります。




すり鉢山の一画には米兵を慰霊する記念碑や、ドッグタッグ(認識票)もありました。そして、実際に星条旗を掲げた兵士の家族による銘板も。


多くの日米双方の将兵の霊が眠る硫黄島、そこでの日米合同での慰霊顕彰式に参加する機会を与えていただき、感謝!


栗林中将の未亡人が言われた「昨日の敵は今日の友。このような戦争は二度とおこしてはならない」との言葉。これが、日米合同での慰霊祭の根本テーマだそうです。改めて、国家の為に戦い、この硫黄島で尊い命を捧げた戦士達の思いに応えるのが、今を生きる我々の努めですね。