この写真、どこか分かりますか?



硫黄島で米軍が上陸した海岸からすり鉢山を望んだものです。









今日は日米硫黄島合同慰霊追悼顕彰式に、硫黄島問題懇話会の一員として参加して参りました。

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69年前、この黒砂の上では熾烈な激戦がありましたが、その戦いを交えた者同士が集い、合同で慰霊追悼を行うのは、世界でただ一か所、この硫黄島だけのようです。



米側の参加者には、実際に硫黄島の戦闘に従事した退役軍人8名参加しておられました。











その一人、スノードン海兵隊退役中将等と写真を一緒に取らせていただきました。







この写真は、日本兵の遺品をそのご遺族に渡すために参加された米退役軍人です。戦闘の最中、名前入りのドイツ製剃刀を拾い、米国に持ち帰りましたが、昨年、ホームステイした日本女学生の尽力もあって、本日、そのご遺族に遺品を渡すことができました。本当に良かったですね。



69年前の硫黄島では、日米ともに多くの戦死傷者をだしましたが、特に日本兵は、50度7を超える地下壕に1ヶ月以上も耐え、かつ食べ物も、水も、弾薬もことごとく尽き、生還の望みもない状況に追い込まれても、なお本土防衛のための一石たらんとした将兵の祖国愛、郷土愛、家族愛に思いを致す時、胸が熱くなるものがあります。










今、日本がこれほど平和と繁栄を謳歌できるのは、先達たちの犠牲の上にあることを決して我々は忘れてはいけません。









米側参加者の中には、米海兵隊のトップ、海兵隊総司令官のエイモス大将も。エイモス司令官からは、この硫黄島で先達が見せた誇り、規律、献身と言う美徳は、今でも海兵隊の基軸となる価値観に受け継がれているとのスピーチがありました。海兵隊のメッカ、クワンティコにも硫黄島すり鉢山に星条旗を立てる米兵のモニュメントがあることからも、硫黄島での戦闘は、海兵隊スピリットを体現したものだったと言えると思います。



日米合同での追悼顕彰式の後、天山の慰霊碑に移動し、日本側だけの追悼慰霊祭を行いました。全国各地から参加されたご遺族の代表の方々も、献花やお酒や水をお供えしていました。






















硫黄島では2万人を超える戦没者がおられますが、これまでご帰還できたのは、半数をきる約47%、すなわち半分にも満たず、まだ1万以上の英霊のご遺骨が硫黄島で、帰還できる日を待っています。遺骨の収集・帰還は、国の責務です。滑走理移動等の問題はありますが、少しでも多くのご遺骨が出来るだけ早くご帰還できるよう、佐藤も、元自衛官として、国会議員として、尽力する思いを強くしました。



本慰霊事業に従事された関係者の方々に敬意と感謝の意を伝えたいと思います。ありがとうございました。



合掌

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佐藤学校仮入校

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