佐高信と行く冬の小樽・小林多喜二ツアー
ブーゲンビリアのきちきち日記さんでも言及されていますが、
http://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/d802167c431ddee1246616d3e44d3e32
週刊金曜日HPより転載。
http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/otaru_tour
社会主義者、共産主義者への弾圧事件である「3.15事件」(1928年)から来年は80周年。当時、第1回の普通選挙が実施されたものの、社会主義的な政党の活動に危機感を感じた政府(田中義一内閣)が3月15日、治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙を行なった事件です。日本共産党(非合法)、労働農民党などの関係者1000人以上が検挙された。作家、小林多喜二は「3.15事件」を題材に『一九二八年三月十五日』を発表します(『戦旗』1928年11・12月号、発売禁止)。特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買い、後年の虐殺へとつながりました。
小樽では毎年、命日に「多喜二墓前祭」が行なわれています。
このツアーはその2月20日の「墓前祭」参加を中心に前後2泊3日で多喜二ゆかりの場所をめぐるツアーです。
1日目(19日)は宿泊地で佐高信さんの講演会を開催し、2日目(20日)は地元の「多喜二を偲ぶ集い」に参加します。
以前には藤沢周平ツアーの企画もあった佐高さん、小樽といえば石原裕次郎、慎太郎兄弟の故郷でもあります。
裕次郎はともかくも、石原狆太郎の小樽でのエピソードにはこんなのがあるそうです。
佐野眞一「石原慎太郎のすべて」より1部引用(月刊『現代』)
「、、1996年(平成八年)九月、慎太郎は母校稲穂小学校の百周年記念講演会に招かれて小樽を訪れた。このときの顛末は、今でも関係者の間で語り草となっている。
前日、札幌で霊友会系の団体が主催する講演会をこなした慎太郎は、翌朝、高速で小樽に向かい、まず稲穂小学校時代の恩師の家を弔問した。 恩師宅を訪れた慎太郎は、家に入るなり、両脇、両肘と頭を床につけて合掌する五体投地の礼拝をして仏壇を激しく揺らせ、周囲を呆気にとらせた。
次に訪れた小樽文学館でも一悶着を起こしてまわりを困惑させた。
慎太郎はコーナ-に自分の著書が飾ってないといって、係員を怒鳴りつけ、これまで自分が寄贈した本を全部引きあげるといいだした。
そのあと慎太郎は新築された稲穂小学校に立ち寄り、石原裕次郎記念館に回ったが、ここでも機嫌は直らなかった。このとき慎太郎に随行した地元関係者の一人は、慎太郎がふと洩らした言葉をよく憶えている。
「弟は親父が死んで、おふくろが家計で苦労しているのに、何の思いやりもなく慶応高校なんてカネのかかるところへ行きやがって・‥…」
この間係者は、その言葉を聞いて、裕次郎や石原軍団だけを持ちあげる小樽の空気が口火となって、元々慎太郎が内面に抱えていた弟・裕次郎への骨がらみのコンプレックスが、一気に爆発したような気がしたという。
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/chintaro05.htm
こういう話も交えて佐高さんの激辛講演会もあるかもしれません。佐高ファンにとっては面白い企画ですね。
- 佐野 真一
- てっぺん野郎―本人も知らなかった石原慎太郎
- 小林 多喜二
- 蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
- 小林 多喜二
- 一九二八年三月十五日,東倶知安行
安藤昌益の世界 石渡博明
佐高信さん、昨年から今年にかけての週刊金曜日新年号では、二つ出ておられます。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/mokuji_pt?v=vol684
1つはおなじみの「兄貴分」高杉良さんとの対談、おなじく対談を「安藤昌益の世界」を昨年7月に出版された石渡博明さんと。
高杉さんとの対談では相変わらず、竹中、木村剛コンビに対してめった斬りされていましたが、週刊金曜日の一時、経済関係の主要なコラムライターであった木村剛氏に対しては週刊金曜日社長としての「反省」はどのようにとるかは話されてはいませんでしたね。
そういえば、木村氏と元上司であった例の日銀総裁を擁護していた、朝日新聞の山田厚史記者、最近「金曜日」にの経済私評には登場されていませんね。もしかすると「追放」処分にしたのでしょうか。
さて、もう1つの対談「忘れられた思想家」「日本のルソー」等の異名で知られる、江戸時代の秋田の思想家、安藤昌益の本を昨年7月に上梓されている、石渡博明さんとの対談です。
佐高さんは自身を安藤昌益を発掘した元京都帝国文学大学学長の狩野亨吉さんの孫弟子と自称しています。
佐高さんの師匠のうちのだれが狩野さんの弟子なのでしょうか?久野収さんではないようです。
安藤はあの時代、武士を無用の存在とし、儒学を徹底的に批判した稀有な思想家として知られています。
詳しくは金曜日を
- 石渡 博明
- 安藤昌益の世界―独創的思想はいかに生れたか
- 狩野 亨吉
- 安藤昌益
- 高杉 良, 佐高 信
- 日本企業の表と裏
第3期「佐高信政治塾」講師が決まる。
あけおめことよろです。
さて、昨年末に教育テレビで放送された「あの人からのメッセージ 2007年」
はご覧になったでしょうか。180分の長い番組でしたが番組前半での城山三郎さん、小田実さんの思い出を語るときは熱がこもっておられましたね。
参考 思考錯誤さん
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2008-01-01#comments
そのほかにも、佐高さんがコメントしていた中には東電の平岩外四さん、日清食品の安藤百福さん、そして宮澤喜一元首相の思い出も語っていましたが、佐高さんも丸くなったものです。
平岩さんのときだけに、叙勲を批判したら、「勲章を拒否するほどエラくないと言われた」ことを披露されていました。
もちろん宮澤首相の思い出のときも「平成の高橋是清とは傍ら痛い」 と痛罵したことは全くおくびに出しませんでしたね。
「死者に鞭打つ」佐高さんから、「死んだらみんな仏さん」の佐高さんへの華麗な変身といったところでしょうか。
まぁこういう番組ですから、「死者に鞭打つ」訳にもいきませんので、そこは仕方がありませんね。
唯一、佐高さんらしさが見えていたのが、共演者の大林宣彦監督が同じく今年の物故者の河合隼雄さん(こころのノート著者)を懐かしんでいるときに、下を向いて手をあぐねながら「俺に振るな、俺に振るな」と言った表情をしていた時でした。
佐高さんは河合さんを確か「紳助と同類」みたいな調子で批判していました。
ところで最初の佐高さんのニュースですが、社民党宮城県本部が毎年開講している「佐高信政治塾」の第三期の講師陣が決まったようです。
カツオの時々つづりさん
からの情報です。
田中優子氏
高原鉄実氏
映画ディアピョンヤン上映
雨宮処凛氏
目加田説子氏
小室等氏
だそうです。
以前の講師陣と比べてだんだん佐高色が濃くなっていく感じですね。
第2期佐高信政治塾
http://ameblo.jp/sataka/entry-10033233333.html
- 雨宮 処凛
- 生きさせろ! 難民化する若者たち
佐高信さん、元内閣補佐官(沖縄担当)の岡本行夫氏を評価
http://www.iwanami.co.jp/sekai/
沖縄戦と「集団自決」 私たちはこう考える
佐高信さんは「集団自決」について、城山三郎氏の受けた軍国教育の例をあげ、「軍命」があったか、なかったかが重要なのでなく、戦時下において自決せざるを得なかった住民の思いを知るべきであると考えます。
その中で、元外交官で橋本内閣での沖縄担当補佐官であった岡本行夫氏の産経新聞、「正言」での発言に注目します。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/070723/edc0707230504002-n1.htm
■歴史をどんな主観で語るかが焦点に
≪慰安婦問題の争点は何か≫
故堀米庸三東京大学名誉教授は、歴史というものはばらばらの事実を年代順に並べることではなく、現在の人間が主観的な契機をもって過去の史料を取捨選択するものであると40年も前に説かれていた。歴史というものは主観の産物になる宿命にある。例えば慰安婦問題について何万人もの慰安婦の事例すべてを検証することは不可能である。だからそれを一般化して語る時には、解釈者の主観が問われてしまう。慰安婦の境遇に同情しているのか、それとも何万人かの慰安婦は全員が自由意思、つまり金銭目当てだったと言っているのかと。
慰安婦問題について米下院で審議されている対日謝罪要求決議案。4月末に安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた。しかし日本人有志が事実関係について反論する全面広告をワシントン・ポスト紙に出した途端、決議案採択の機運が燃えあがり、39対2という大差で外交委員会で可決され、下院本会議での成立も確実な状況になった。正しい意見の広告だったはずなのに何故なのか。それは、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっているからである。過去の事象をどのような主観をもって日本人が提示しようとしているかに焦点があたっているからである。
≪沖縄の歴史の大局的流れ≫
沖縄の教科書検定問題も似たところがある。軍の集団自決命令はあったのか。現代史について優れた業績を残されている秦郁彦氏が、軍による自決命令はなかった、情緒過剰の報道は慎めと本欄で説かれた主旨に異論はない。
しかし、一方で、沖縄が本土防衛のために「全島要塞(ようさい)化」されて凄惨(せいさん)きわまりない状況に置かれ、住民の死傷者が戦闘員を上回った歴史は存在する。私は60回を超えた沖縄行きを通じて戦時中の話を聞く機会も多かった。住民たちが日本軍に殺された話も、沖縄の至るところに残っている。残念ながら自衛隊員に対する反感が沖縄県民のあいだに今も根強いのは、そうした背景のためである。
誰の命令か発意かは別にして、痛ましい集団自決があったのも渡嘉敷、慶良間だけではない。たとえば、戦争中に特に激しい米軍の攻撃を受けた伊江島では、島に残った住民3000人の半数が死んだ。軍によって米軍への投降を厳しく戒められていた島民たちの中には、絶望的な状況下で手榴弾(しゅりゅうだん)や爆雷を囲んで集団自決していった人々も少なくない。
沖縄の悲劇は、戦時中の被害ばかりではなく、戦後も同県が不公平な立場に置かれてきたことにある。本土が高度成長していた時代に沖縄は占領下で閉塞(へいそく)状況におかれ、1972年の本土復帰後も米軍基地の重圧にあえいできた。面積にして米軍基地の75%が、日本全体の0・6%の面積しかない沖縄にいまなお集中している。日本政府が、本土にある米軍基地の過半をアメリカから返還させたのに、沖縄の米軍基地には手をつけなかったためである。重要なのは、こうした大局的な歴史の流れである。
≪事実関係が問題ではない≫
そもそも、私にも「軍命令による集団自決」は、教科書にわざわざ書くほどの事象だったのかという疑念はある。しかし、既に書かれていた教科書の記述を、論争のある時に修正することは、「軍の関与はなかった」とする史観を新たに採択した意味を持つ。否定できない犠牲の歴史が沖縄にある時に、修正しなければならないほど重大な過誤が従来の記述にあったのか。歴史とは事実の羅列ではない。それを通じて生まれてくる主観である。
原爆投下の歴史的意義を個人がどう判断しようと思想の自由である。しかし公的立場の防衛相がこれを「しようがない」と述べることは、日本政府の基本政策に背馳(はいち)するばかりでなく、今も苦しむ原爆被災者の感情から、許されることではなかった。
今年は憂鬱(ゆううつ)な年である。秋以降には米国で製作された映画「南京」が劇場公開され、さらにインターネットで世界中に配信される。アメリカの民間人が南京市民を日本軍の暴虐から救う「英雄物語」だが、観客の反応は目に見える。南京事件の実態については、犠牲者を数万人とみる秦氏の著作が最も客観性があるように思われるが、それとて、もはや数字の問題ではなくなってきている。日本人からの反論は当然あるが、歴史をどのような主観をもって語っていると他人にとられるか、これが問題の核心であることに留意しなければならない。(おかもと ゆきお)
佐高さんはこの岡本論文をほぼ全面的に評価して、「岡本の意見には反対するところが多いが今回の場合は同意する」としています。
ちなみに保守論壇では当該論文はどのような扱いなのか知らない、と佐高さんは言っていますが、潮匡人氏や藤岡信勝氏が批判を行っています。
http://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2007-12-23
また金光翔氏や片山貴夫氏から「イラク陸上自衛隊派遣を支援し、インド洋補給部隊を早く送れという岡本を評価するとは何事か」などと批判されてしまうかもしれませんね。
私個人の意見としては佐高さんがいうように、テニアン島など沖縄戦以外でも「集団自決」はあった、その中でもサイパン島の民間人の崖からの自決は有名です。
しかしそのような自決、ソ連参戦での樺太(サハリン)での女性電話交換手たちの自決がすべて戦時下の「強制集団死」と認められなければならない、と思います。残念ながら沖縄戦以外でそういう主張をされる方は少ないですね。
佐藤優氏の言うように、この問題は日本の国家統合の問題であるという意見に私は賛成しています。
- 下嶋 哲朗
- チビチリガマの集団自決―「神の国」の果てに
- 坂本 龍彦
- 集団自決―棄てられた満州開拓民
08年1月6日NHKBS2「週刊ブックレビュー」
佐高信さん、来年2008年の最初のテレビ出演はこれのようですね。
放送日 2008年1月6日 午前8:00分~8:55分
NHK BS-2 週刊ブックレビュー
佐高信氏 おすすめの一冊 「ピンポンさん」 城島充著
http://www.nhk.or.jp/book/prog/index.html
- 城島 充
- ピンポンさん







