皆様こんにちは。2020年連載記事のご案内でございます。

既に昨年の段階で、東急目蒲線~目黒線・東急多摩川線の歴史とその後を展望する「リアル目蒲線物語」、昨年の「積み残し」として今年に持ち越しになってしまった「グリーン車」に関する記事のアップをアナウンスしておりました。

今回はそれに加えてのご案内でございます。

 

なお、アップの順番ですが、「リアル目蒲線物語」→「グリーン車・半世紀の歩み」の順番で参ります。

 

リアル目蒲線物語(こちらはタイトルを決定しております)
 

1 目黒線開業と「田園都市株式会社」のこと(№5049.)
2 ライバル…にはなり得なかった「池上電気鉄道」(№5052.)

3 戦後の目蒲線~蒲田駅の変遷と戦災復旧車の活躍(№5057.)
4 目蒲線を走ったステンレスカー列伝(№5063.)

5 目蒲線と相互直通運転計画~①東京都心乗り入れ(№5074.)

6 目蒲線と相互直通運転計画~②南北郊外への直通(№5075.)
7 目蒲線の改良(№5083.)
8 「目蒲線」の終焉~都心乗り入れ実現と路線分断(№5087.)

9  「目蒲線」が埼玉へ~埼玉高速鉄道開業(№5094.)
10 「東急多摩川線」20年の歩み(№5101.)
11 「目蒲線」の将来~①「蒲蒲線計画」と「エイトライナー計画」(№5111.)

12 「目蒲線」の将来~②相鉄との相互直通運転(№5120.)

「リアル目蒲線物語」終了のあとは、緑色つながりというわけではありませんが

グリーン車・半世紀の歩み(こちらもタイトル決定)

 

をアップして参ります。


1 明治以来の歴史的大転換~その理由と背景(№5125.)
2 「グリーン車」名称の由来と切り替え時のあれこれ(№5129.)

3 「グリーン料金」の意味付けの変遷~運賃から料金へ(№5133.)
4 「国鉄離れ」とグリーン車需要の低迷(№5139.)
5 バブル到来によるグリーン車の復権(前編)(№5149.)
6 バブル到来によるグリーン車の復権(後編)(№5153.)
7 普通列車グリーン車の展開(№5158.)
8 番外編1 国鉄・JR以外のグリーン車とアッパークラス(№5163.)
9 番外編2 変わり種グリーン車列伝(№5178.)

10 グリーン車を彩るアテンダント列伝(№5184.)
11 Suicaグリーンシステムの登場(№5192.)
12 グリーン車を超えるグリーン車列伝(№5199.)
13 グリーン車の将来像と求められるサービス(№5206.)

 

さて、これで24週(増減がなければですが)。1年は52週ですから、まだ28回分あります。今年は以前の食堂車や東海道新幹線、485系のような「大物」がないので、細切れにならざるを得ませんが、「五輪」「空港アクセス」に関するテーマを取り上げようと思います。

言うまでもありませんが、今年は東京で五輪(パラリンピック含む・以下同じ)が開催されます。日本での五輪開催は過去に1964年に実績があり、冬季にも1972札幌・1998長野と2度の開催実績があります。さらに実現こそしなかったものの、1940年には東京五輪の開催が決定しておりました。そのたび、鉄道という社会インフラにも動きがあったわけですが、その動きを大会ごとに取り上げようということです。

そして「空港アクセス」ですが、今年は国鉄(当時)が千歳空港駅を開設して40年の節目の年。それまでの国鉄では考えられなかった「陸と空の協調路線」に舵を切り始めます。その後、航空旅客の増加とともに、定時制に勝り大量輸送が可能な鉄道の特性から、空港連絡鉄道を整備する機運が高まっていきました。その歴史的な歩みを取り上げます。

なお、いずれも現時点ではタイトルは未定としますが、順番に関しては、「グリーン車・半世紀の歩み」終了後、この順番のままでのアップを予定しております。

 

【追記】(令和2年7月30日)

連載記事のアップの順番ですが、東京五輪の1年延期に伴い、「五輪と鉄道(仮)」よりも空港アクセスのネタを優先いたします。なお、現時点では、「五輪と鉄道(仮)」を今年中にアップするかは未定です。

 

さて、空港アクセスのお話。
タイトルは、空港アクセスと鉄道(仮)としておりましたが

 

空港アクセス鉄道のお話

 

とします。


1 まさかの「コペルニクス的転回」~「千歳空港駅」開業(№5218.)
2 元祖は羽田空港の「東京モノレール」(№5227.)

3 モノレールだけじゃない! 羽田空港アクセス(№5234.)
4 成田空港アクセスの紆余曲折(№5239.)
5 関西空港開業~JRと南海のダブルトラック(№5246.)

6 大阪国際空港(伊丹空港)~様々な外的要因に翻弄され…(№5255.)
7 福岡空港~地下鉄がそのまま空港へ(№5261.)
8 宮崎空港~地方空港の鉄道アクセス(№5269.)

9 那覇空港~「ゆいレール」が定時性確保に貢献(№5276.)

10 中部国際空港(セントレア)~JRも構想はあったが…(№5285.)
11 神戸空港~新交通システムが空港アクセスを担う(№5294.)
12 仙台空港~JRではなく第三セクターで(№5301.)
13 米子空港~既存路線と駅の改良(№5306.)
14 知られざる空港最寄り駅・看板に偽りのある空港最寄り駅(№5315.)
15 今後の空港アクセス鉄道計画(№5319.)

 

【追記】(令和2年9月8日)

アクセス鉄道の開業年次に従い、取り上げる順番を宮崎空港→那覇空港→中部国際空港→神戸空港とします。

 

五輪と鉄道(仮)
1 1940年東京五輪~山手・京浜線の「色見本電車」
2 1964年東京五輪①~東海道新幹線
3 1964年東京五輪②~東京モノレール
4 1964年東京五輪③~地下鉄網の整備
5 1964年東京五輪④~東急玉川線と東急バス
6 1972年札幌五輪~地下鉄網の整備
7 国鉄を走った2つの「オリンピア」
8 五輪招致の蹉跌~1988年名古屋と2008年大阪
9 1998年長野五輪~動いた整備新幹線計画
10 2020年東京五輪①~JR東日本と東京メトロの新駅
11 2020年東京五輪②~晴海通りLRT整備計画は何故潰えたのか

 

※ 当記事は01/07付の投稿とします。