その8(№5087.)から続く

今回は地下鉄南北線(東京7号線)の埼玉方面への延伸について見ていきます。

既に何度か言及しているとおり、現在の埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵-浦和美園間については、昭和47(1972)年の都市交通審議会第15号において、東京7号線の延伸区間として「川口市中央部…浦和市東部間」が定められたのが始まりで、その後昭和60(1985)年の運輸政策審議会第7号において、「鳩ケ谷市中央経由で東川口から浦和市東部」へ改められました。
そして赤羽岩淵以北の埼玉県への延伸については、建設・運営とも営団地下鉄ではなく別の事業者があたることになりました。これは営団地下鉄が主として東京都内の地下鉄交通の整備・運営を目的としていたからですが(東西線の千葉県区間や有楽町線・副都心線の埼玉県区間は例外)、赤羽岩淵以北を営団地下鉄が自ら建設・運営しなかったのは、今にして思うと、採算性に疑念があったからではないかと疑わざるを得ません。
ともあれ、赤羽岩淵以北を建設・運営する主体として、埼玉県及びその他沿線自治体、さらに営団地下鉄などの鉄道事業者などが出資して、第三セクター「埼玉高速鉄道」が平成4(1992)年3月に設立されました。
面白いのは、埼玉高速鉄道が「日本地下鉄協会」に加盟していること。これは、同社の路線が終点の浦和美園付近以外は全て地下を走っていて、駅設備も地下にあることから。日本で地下鉄が存在する都市として、東京・札幌・仙台・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡の9ヶ所が挙げられますが(アストラムラインの地下区間の存在を理由に、広島を追加して挙げることもある)、このことを理由に、さいたま市が「日本で地下鉄のある10番目(11番目?)の都市」といわれることがあります。

埼玉高速鉄道の路線・埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵-浦和美園間は、会社設立の翌年に起工式を行い、その6年後の平成11(1999)年に全区間のトンネルが貫通、その後駅構内の工事や線路・架線の敷設などを行い、着工から8年後の平成13(2001)年3月28日に全区間が開業しています。当初計画では、平成18(2006)年度の開業を目指していたようですが、その4年前に計画されていた「2002FIFAワールドカップ」で浦和スタジアムが会場のひとつとなり、かつ終点の浦和美園駅がスタジアム最寄り駅になることから、観客輸送のために建設が急がれ、開業年次が繰り上げられた経緯があります。
開業と同時に、営団地下鉄南北線及び東急目黒線と相互直通運転を行い、営団9000系や東急3000系が埼玉高速鉄道線内に乗り入れてくるようになりました。また、埼玉高速鉄道線の開業と相互直通運転開始により、東急の車両が営業列車として初めて埼玉県内に達しました。
勿論、埼玉高速鉄道でも自前の車両を用意していますが、その車両は、21世紀を見越した車両ということで「2000系」。乗り入れ相手の営団9000系や東急3000系が丸みを帯びた先頭形状であるのに対し、こちらは角張った形状となっていて、これらの車両とは一線を画するデザインとなっています。それでも全面窓は大きく車体側面に回り込んでおり、ワンマン運転に必要な運転席からの視界の広さを確保しています。制御方式は一般的なVVVFインバーター制御。編成構成は将来の8連化を前提としていますが、3・4号車が欠番とされ、MT比率は1:1となっています。車内は白色系の化粧板でまとめられていますが、座席はピンク色を基調としたものでありながら、東急3000系とは異なり、県の花・サクラソウをイメージした花柄になっているところが異なります。
2000系は開業にあたって6連が10本用意されました。
2000系の運転区間は、武蔵小杉-目黒-白金高輪-赤羽岩淵-浦和美園間。それ以外には、武蔵小杉以遠の東横線・みなとみらい線へ臨時列車として運行されたことが何度かありますが、最近は運転されなくなっています。運転区間は平成20(2008)年には日吉まで延伸されました。また前後しますが、平成18(2006)年には東急目黒線で急行列車の運転が開始されています。2000系も勿論急行運用に充当され、多摩川-武蔵小杉(-日吉)間の東横線との並走区間を快走する姿を見ることができます。

埼玉高速鉄道線の利用ですが、開業当初は浦和美園駅周辺が区画整理の最中で更地同然であったことや、乗り入れ先の営団南北線の経由地の問題、他の路線との乗り換えの際の利便性及び運賃の問題などもあって利用が伸び悩み、開業前の当初予測10万人/日を大きく割り込む日が続きました。勿論、サッカー日本代表や浦和レッズ(埼玉スタジアムは同チームのホームスタジアムとなった)の試合があるときには、乗客が爆発的に増えますが、それもあくまで一過性のものでしかありません。「10万人/日」という数字も、当初計画時の予測からは大きく下方修正したものでしたが(当初予測は23万人/日だった)、それなりに沿線人口が集積しているにもかかわらずこの体たらくだったのは、ひとえに乗り入れ先の経由地と乗り換えの問題です。
前者の問題は、南北線がビジネスの中心(新橋・大手町・丸の内・八重洲など)や商業の中心(銀座・赤坂・日本橋・新宿など)を微妙に外した場所を経由していることで、途中での乗り換えが嫌われたこと。それよりも問題だったのは、乗り換えの際の運賃。南北線が経由地に難がある以上、ビジネスや商業の中心地へアクセスするには他路線へ乗り換える必要がありますが、これが同じ営団の路線ならまだしも、JRとなると問題が顕在化します。例えば、王子又は駒込でそれぞれJRに乗り換えた場合、赤羽岩淵-王子・駒込間が営団地下鉄のため、埼玉高速鉄道線の運賃と営団地下鉄の運賃、さらにJRの運賃がそれぞれ加算され、トータルが高額になってしまうという問題です。この問題のため、埼玉高速鉄道線の開業後も、JR京浜東北線や埼京線の駅へバスで出る利用形態が減らず、埼玉高速鉄道線の利用は全く伸びないままでした。沿線エリアで路線バスを運行していた国際興業は、埼玉高速鉄道線の開業に伴って乗客が相当数転移することを見込み、既存路線の減便・廃止、あるいは埼玉高速鉄道線の各駅への路線の集積など、大規模なリストラを行ったのですが、前述のようにJRの駅へ出る路線の乗客がほとんど減らなかったため、減便されたバス路線ではラッシュ時を中心に「積み残し」が続発し、国際興業には苦情が多数寄せられました。そのため、国際興業では後に減便した路線の再増便、さらに一度廃止した路線の復活などを行っています。
なお、運賃のトータルでの高額化の問題は、ゾーン制運賃の採用など抜本的な運賃制度の改革をなさなければ解決できないことから、現在もそのままになっています。そのため、埼玉高速鉄道線からJRに乗り換えるお客は、途中に営団地下鉄(東京メトロ)を挟むことで運賃が高額化するのを嫌い、赤羽岩淵で電車を降り、徒歩15分ほどのJR赤羽駅まで歩いて乗り換えているということです。
列車ダイヤも、開業当初は全線直通6本・鳩ヶ谷折返し4本(日中)とそれなりに充実した本数だったのですが、その後鳩ヶ谷折返しが減便され、昨年のダイヤ改正では全線直通のみ5本(同前)の12分間隔となり、開業当初から見るとかなり減便されていますが、これも利用実態に即したということでしょう。

埼玉高速鉄道線には、浦和美園から先、岩槻・蓮田方面への延伸計画がありますが、今のところ実現は望み薄といわざるを得ません。よって、目蒲線の後身である「目黒線」の乗り入れ先が、浦和美園からさらに先に延びることは、現時点では「ない」ものと思われます。愛好家としては残念ですが、少子高齢化による人口減少、定住人口の都心回帰傾向が顕著になっていることなどからすると、やはり実現可能性は薄いでしょう。

次回は、目蒲線の切り離された区間、多摩川-蒲田間の歩みを見ていくことにいたします。

その10(№5101.)へ続く