以前から何度か取り上げていますが、下りホーム渋谷寄りの激狭ぶりが際立つ白楽駅。

そのような白楽駅でも、ホームドア設置に向けた工事が始まっています。

 

工事着手を告知する看板

 

既に工事用バリケードが出現し始めたホーム上ですが、そのような中を、通過列車がカーブに身を捩じらせながら通過していきます。

 

ただでさえ狭いのに

 

このあたりはまだいいのですが、問題はこの先。とくと写真をご覧あれ。

 

狭い

 

以前の記事で(下記関連記事参照)、このあたりのホームの狭さを「阪神春日野道も真っ青」と評していますが、あながち誇張ではないような。

しかしこの場所にも、筐体設置を決めるケガキ線が書かれています。本当にこんなところに筐体を設置するのでしょうか?

 

同じ場所から渋谷方を眺めた写真。

 

1メートルあるかないか?

 

ここにホームドアの筐体が設置されたら、恐らく余裕は1メートルもないでしょう。下車した乗客が滞留してしまうことも懸念されます。その点は大丈夫なんでしょうか。

 

以上とは別に、心配になったのがこちら。

 

上りホームから下りホームを見たもの

 

見たところ簡易なつくりですが、これでホームドアの筐体の重量に耐えられるのでしょうか? 勿論補強工事はするのでしょうけど、ことによると梶が谷駅のような、乗降部分だけを頑丈に作って筐体の真下を空洞にする構造になるかもしれません。

 

こんな感じになる?(以前の記事からの転載)

 

ところで、白楽駅には、宮前平駅では姿を消した「電車がきます(この電車はとまりません)」の行燈式電光表示が健在です。点灯しているところと、列車が通過中のところ、その2点をノーキャプションで。なお、この2点の写真は、いずれも7月5日に撮影したものです(それ以外の写真は7月12日に撮影)。

 

 

 

これもホームドアが完成した暁には、宮前平駅のように撤去されるか、東白楽駅のように列車通過中は点灯しなくなるのでしょう。

ホームドアともども、こちらの電光掲示板も注目していきたいと思います。

 

◇関連記事

№2715.阪神春日野道も真っ青? 白楽駅の激狭ホーム…ただし非常用ですが

№3871.【緊急検証】東横線全駅の10連対応は可能か その3 妙蓮寺・白楽・東白楽

№4889.東白楽駅周辺に見る「横浜市電」の面影

怒濤の勢いでホームドアの設置を進めている東急。

その中でも東横線は、既に大半の駅で設置が完了して稼働が開始され、筐体設置が完了したが稼働していないのが多摩川、筐体設置が未だなされていないのが白楽と、ホームドア未稼働の駅は2つにまで減りました。

というわけで、管理人も7月5日の長津田・恩田視察の日と、その1週間後の同月12日、多摩川・白楽の両駅を見て参りました。

 

まずは多摩川駅から。

東横線上りホーム(4番線)には、既にこのようにホームドアの筐体の設置が完了していますが、未だ稼働はしていません。

 

既に設置は完了した(5日に撮影)

 

写真に撮影したのは、西武車による上り急行ですが、まさかこんなところで(失礼)西武の車と当たり前に遭遇することになろうとは。西武車が東横線に入るようになって6年経過しますが、未だに慣れません。

 

そして東横下りホーム(1番線)。

こちらも一部を除いて筐体の設置が完了しているのですが、その「一部」というのがこちら。

 

ここにだけは筐体が無い(12日に撮影)

 

ご覧のとおり、この場所だけはホームドアの筐体が設置されていないのですよ。これは一体何故なのでしょう?

 

ところで、停車中なのは各停運用に従事するメトロ7000系。同系も17000系登場がアナウンスされ、カウントダウンが始まってしまいましたから、記録も疎かにはできません。うかうかしていると、あれよあれよという間に勢力を縮小していきますから。

 

次回は白楽駅をご紹介します。

 

※ 当記事は07/15付の投稿とします。

【初アップ 平成25年12月09日】※ただしアップは12/07付
【最終更新修繕 令和元年7月14日】

当ブログでは、開設2年目の平成19(2007)年以来、1つのテーマを選んで連載記事をアップしています。
最初は、親愛なる同好の方が公開していたHP「Hanchoku News」(現在は閉鎖)に記念記事として管理人が寄稿していた、田園都市線~半蔵門線~東武3社直通運転の歴史にまつわるコラム記事を、当ブログに最適化するように加筆をした上、1本ずつアップすることにしました。そこから始めたのですが、豈図らんや、管理人自身が言うのも何ですが結構評判が良かったので、テーマを変えつつ継続してきました。本当のことを言うと、こういう連載記事をやれば最低でも週に1本は記事をアップせざるを得なくなることから、ネタ切れを防止できるかという思惑があったことを自白致します(^_^;)

というわけで、こちらのページは当ブログでアップしている過去の連載記事へのリンクを貼っています。一部を除きリンクをクリックすると、該当テーマの予告編の記事にジャンプすることができます。
これらのリンク、以前はブログ冒頭のメッセージボードに貼っていたのですが、項目が増えてきて見づらくなってきたため、こちらにまとめました。メッセージボードもスッキリさせましたので、少しは見やすくなったかな、と思います。

平成19年
1 「A Road is born 」
メトロ半蔵門線を中心とした直通路線の開設と直通実施の歴史を回顧します。
2 「国鉄発JR行き列車追跡 」
国鉄民営化25周年記念記事で、民営化の端緒からその歩みと現状・問題点を取り上げています。
3 「東京アンダーグラウンド・ストーリー 」
日本の地下鉄開業80周年記念記事で、東京の地下鉄に絞ってその歴史を概観しました。
4 「国鉄通勤型電車の半世紀
101系登場50周年を記念し、国鉄~JRの通勤型電車の技術的到達点を取り上げます。

平成20年
1 「ブルトレ50年の栄枯盛衰~あさかぜからカシオペアへ
ブルートレイン(20系客車)による「あさかぜ」運転開始50周年を記念し、寝台特急列車の歩みを概観した記事です。
2 「ジョイフルトレインの四半世紀  (※)」
ジョイフルトレインの嚆矢とされる「サロンエクスプレス東京」登場25周年を記念し、ジョイフルトレインの歴史を回顧します。
※=このテーマには目次記事がないので、第1回の記事にリンクを張っています。
3 「東急8000系と私
東急8000系に関する極私的クロニクルです。

平成21年
1 「光の射す方へ 」
東武日光線開業80周年を記念し、東武の対日光観光輸送を取り上げました。
2 「名阪直通特急の半世紀 」
近鉄の名阪間直通特急運転開始50周年を記念し、近鉄特急の歴史を取り上げました。
3 「ホイシ9180からマシE26まで 」
食堂車110周年を記念し、食堂車の盛衰を取り上げました。

平成22年
1 「還暦のM・傘寿のS 」
横須賀線電車運転開始80周年・初代湘南電車80系運転開始60周年を記念し、東海道・横須賀両線の運転系統と車両の変遷をまとめました。
2 「参詣の道は世界への道へ 」
京成上野駅乗り入れ77周年、成田スカイアクセス開業を記念し、「開運号」から「スカイライナー」までの京成の優等列車の歴史をまとめました。
3 「浪漫一刻値千金 」
小田急ロマンスカーの歴史を概観した記事です。源流は既に戦前にありました。

平成23年
1 「Into the Hawaiian-BLUE 」
伊豆急開業50周年を記念し、伊豆急の観光客輸送の歴史をまとめました。
2 「気動車特急・半世紀の咆哮 」
特急列車が爆発的に増えた「36.10」。それから50年を記念し、かつその大半が気動車特急だったことに鑑み、気動車特急の歴史を運転系統を中心にまとめています。
3 「VVVF車の四半世紀 (※)」
東急初の量産型VVVF車9000系の登場25周年を記念し、VVVF車に関してまとめた記事です。
※=このテーマには目次記事がないので、第1回の記事にリンクを張っています。

平成24年
1 「疾き者よ 」
関西の「新快速」パターンダイヤ化からの40周年を記念し、使用車両とライバル私鉄の歩みをまとめました。
2 「東日本に針路を取れ 」
この年に開業30周年を迎えた東北・上越新幹線など、JR東日本が運営する新幹線をまとめています。
3 特別連載記事(日比谷線直通列車廃止記念)「涙の軌道」
東急の日比谷線直通列車廃止発表に伴い、記録を残す意味でアップしています。

平成25年
1 「YとFの肖像 」
連理の枝の如く密接に絡み合う有楽町線と副都心線。その計画から現在までを概観します。
2 「東武通勤車の半世紀~8000系から60000系まで 」
東武の新型車60000系登場と8000系就役50周年を記念し、東武の通勤車の歴史をまとめています。

平成26年
1 「都営バスの『素敵なルネッサンス』 」
当ブログ初の、バスをテーマにした連載。
路線バスの起死回生の策だった「都市新バス」。昭和58(1983)年の「都01」初登場からの、都営バスにおける都市新バスの展開と、その歴史的意義をまとめています。
2 「ひかりました・こだましました半世紀 」
日本の高速鉄道の始祖であり、世界の鉄道に大きな影響を与えた東海道新幹線。開業から50年の節目の年に当たり、そのあゆみと将来を概観します。

平成27年
1 「北陸特急劇場 」
この年は481系特急「雷鳥」「しらさぎ」誕生から50年。今年は北陸新幹線長野~金沢間開業。そのような歴史的節目に、北陸線特急の歴史を回顧します。
2 「バブルカー列伝 」(仮題)
バブル景気といわれた空前の好景気に沸いてから既に四半世紀以上を経過。当時の車両は意欲的な設計のものが多くありました。そのような車両を取り上げます。
3 「思い出の山陽特急劇場
山陽新幹線博多開業40周年を記念し、それ以前の山陽線在来線の賑わいを偲んでみようという企画です。その歴史は、昭和28年の特急「かもめ」登場から始まり、新幹線開業・延伸に翻弄され続けた22年間でした。

平成28年
1 「ALTERNATIVE WINGS
当ブログ初の、航空機・航空業界に関する連載。
全日空による国際線定期便就航30周年を記念し、日本航空以外のキャリアがどのように国際線を切り拓いてきたのか、その歩みを回顧します。
2 「山の特急・半世紀
「あさま」「あずさ」の運転開始から50年。その間、前者は新幹線に発展し、後者は在来線特急のまま進化を続けています。そこで、これら2つの「山の特急」の歴史を回顧します。
3 「客車急行・最後の40年
この年はJRの路線上から最後の客車急行「はまなす」が消えた年です。そこで、急行列車、わけても客車列車の歩みを振り返ります。流石に戦前や明治期まで遡るわけにはいきませんので、昭和50年3月から現在までを取り上げようと思います。

平成29年
国鉄を代表する特急車両だった485系。その前身の481系「雷鳥」「しらさぎ」から始まる歩みは、半世紀を超えるもの。その半世紀以上にわたる栄光に満ちた生涯を振り返ります。
2「キハ40系・888両のキセキ
国鉄末期にローカル線の体質改善を旗印に登場したキハ40系。しかし実際には功罪相半ばする車両でもありました。そのようなキハ40系の40年の軌跡をたどります。
 
平成30年
この年は京急に「快特(快速特急)」が走り始めて50年。その狙いは、横浜以南からの乗客をいかに東に引っ張るかにありました。その後ライバルは国鉄から自家用車に。さらに空港連絡目的の別の「快特」も出現。その歴史的歩みをたどります。
この年3月のJR各社の全国規模ダイヤ改正で、遂に残っていた3系統がL特急の指定を外され、「L特急」は歴史の彼方へ走り去っていきました。その「L特急」の歩み、意義と功罪を取り上げます。
3 「特急大衆化の申し子~183・189系」(仮題)
もはや風前の灯火となった183・189系。第一陣は房総に投入され、「特急大衆化」の申し子にして立役者となりました。その後、耐寒耐雪機能を強化した1000番代、横軽対策を施した189系が登場し、特急用車両として一時代を築きました。その歩みを取り上げようと思います。
 
平成31年/令和元年
この年は西武秩父線開業と西武の特急列車が走り始めて50年。その節目となる年を迎えたこと、新型特急「Laview」が誕生したことを記念し、これまでの半世紀の歩みをまとめました。
2 「特急りょうもう物語
やはりこの年で運転開始50年(1800系への車種統一から)を迎える東武の特急「りょうもう」の歩みをまとめました。華やかな日光線系統に比べると、伊勢崎線系統は地味な印象がありますが、あえてそこにスポットを当てました。
3 「銀(しろがね)の生涯」(仮題)
昨年でステンレスカー登場から60年。ステンレスカーの製造技術も長足の進歩を遂げ、そのバリエーションも増えました。その歩みを、東急の車両を中心に概観します。

今後もテーマが増え次第、この記事は随時更新してまいります。

 

去る7月5日のダイヤ改正から、走り始めた本線からの方南町直通。

この改正では、朝方に2本あった後楽園行きがなくなったのが衝撃でしたが(管理人は写真を撮ってないorz)、遂に方南町駅に本線用6連が入るということで、管理人も改正2日目の7月6日に見てきました。

冒頭の写真は、国会議事堂前駅の発車案内です。本線の発車案内に「方南町」の行先が出ました。

 

本線からの方南町直通は、日中には1時間当たり3本。20分に1本の割合です。

管理人も国会議事堂前駅で方南町行きを待ち構えますが、その前に荻窪行きが来ましたので、練習を兼ねて一発。

 

02系更新車

 

02系には正面の表示しかなく、側面の行先表示器がありません。2000系なら側面の行先表示器がありますので、2000系が来てくれないかな…と思ったら、1本前と同じ02系更新車でした。

 

側面表示がない

 

2000系が来なかったのは残念ですが、02系はこれから勢力を縮小していきますから、これはこれでいいかなと。

 

中野坂上でも一発。

 

1番線からの方南町行き

 

これまで方南町行きは、中野坂上駅の中線(2・3番線)からしか発車しなかったので、この番線の方南町行きは、新鮮な印象があります。

 

この編成には車内案内表示装置としてLCDディスプレイが搭載されていますので、それも撮影しました。

まず国会議事堂前停車中の画面。

 

方南町行きと出ている

 

方南町行きの列車が国会議事堂前駅にいるということで、本線系列車の直通ということが分かります。支線専用の02系80番代は、そもそもLCDディスプレイを装備していないので、これだけで「本線用02系編成だ」というのが一発で分かります。

 

そしてこちらは、中野富士見町駅停車中の画面。

 

中野富士見町が終点ではない

 

02系の本線用6連は中野富士見町までの入線はありましたが、方南町への入線はありませんでした。いよいよ足を踏み入れます。とはいえ地下路線なのでさしたる変化はなく、ほどなく方南町駅へ。

方南町駅到着後、本線用6連であることが分かる写真を一発。

 

帯のサインカーブが分かるかな?

 

帯のサインカーブで、本線用6連であることがお分かりいただけるかと。

 

今回のダイヤ改正では、方南町支線の列車が全て本線直通になったわけではなく、支線内折り返し運用も残存しています。そして支線内折り返し運用に従事する02系80番代も存置されることになりました。

 

しばらくは本線直通列車と共存する

 

今のところは、千代田線の北綾瀬支線と同様のダイヤ構成ですが、将来的には02系80番代も置き換えられますから、その暁には本線直通列車も支線内折り返し列車も、全て2000系6連になってしまいます。80番代も記録しておかないといけません。

 

こちらは、02系80番代であることが分かる写真。

 

扉上のステッカーで分かる

 

支線用の80番代の編成には、3ヶ所ある側扉のうち、中央の扉の上に「方南町-中野坂上」というステッカーが貼られています。そこで、そのステッカーを入れて撮影してみました。

 

今回、本線用6連が方南町に達したことで、利便性も輸送力も向上しました。ただし終日にわたって6連とするのは、北綾瀬支線同様輸送力過剰になってしまうような気もします。そのあたりは2000系置き換えにどう反映されるのかと思いましたが、東京メトロは2000系の3連を作るとは言っていませんから、恐らく80番代車を含めた02系の退役によって、2000系の6連に統一されるのでしょう。

 

 

片側3車線の広い道路(神奈川県道12号横浜上麻生線)を跨ぐ場所にある東白楽駅。

この駅の開業は昭和2(1927)年ですが、早くもその3年後には高架化されています。なぜそれほど早く高架化されたかというと、この道路を横浜市電(横浜市電六角橋線)が通ることになったから。ちなみに、横浜市電六角橋線は東横線の高架化よりも早い昭和3(1928)年の開業ですが、そのころは平面交差をしていたのでしょうか?

しかし昭和40年代の自動車交通量の激増その他の要因により、横浜市電六角橋線も廃止、昭和47(1972)年限りで横浜市電は全廃されています。

 

この道路を写真の後ろ側に向かってバス停2つ分歩くと、六角橋交差点と六角橋バス停が現れます。

 

六角橋バス停

 

横浜の路面電車はここまで達していました。ちなみに、六角橋は横浜市電の電停としては最北端に位置していたそうです(実は戦時中~終戦直後の一時期だけ、鶴見に達していたことがあるが、当時はこちらの方が最北端だった)。横浜市電の路線網は横浜の中心市街地ですから、ここが横浜の中心市街地の外縁部ということになります。

六角橋停留所は4系統の起終点となっていたそうですが、今でもバス路線が複数集まり、それなりに賑わいを見せています。しかし、廃止から半世紀近くを経過する今となっては、東白楽駅・六角橋交差点とも、市電の走っていた面影は全くありません。しいて言えば、道幅が広いことくらいでしょうか。

 

この停留所から反対車線にわたると、すぐの場所から「六角橋商店街」が始まります。以下、交差点から白楽駅方面を見た写真と、商店街の看板、2点をノーキャプションで。

 

 

 

六角橋は「ろっかくばし」と読むのが正しいようです。以前は正式には「ろくかくばし」となっていたようですが、あるいは話し言葉にあわせたのでしょうか。「ろくかくばし」では語呂が悪いですから。

 

ところで、六角橋商店街には、メインストリートの真横に、昭和で時が止まってしまったかのようなアーケード街が現存します。

 

「六角橋仲見世通」とある

 

この看板だと「仲見世通」となっていて、別の看板では「六角橋ふれあい通り」となっていますが、いずれにしても、ここが凄いのはその雰囲気。アーケードはアーケードでも、何と「木製」! 木製アーケードは、横浜市内では磯子とここにしか現存していないそうですが、火事の危険もあり、維持には苦慮しているということです。

中には、それこそ「三丁目の夕日」に出てきてもおかしくないような、小料理屋さんや八百屋さん、乾物屋さんなどが軒を連ねています。乾物屋さんなど、スーパーやコンビニの普及でもはや絶滅危惧種といって差し支えないお店屋さんですが、今も残っていたとは!

余計な説明は不要でしょうから、こちらもあえてノーキャプションで。

 

 

 

1枚目の写真、何となく吉田類さんが出てきそうな雰囲気があります。

 

全国的に「商店街」の元気がなくなって久しいですが、ここはそれなりの賑わいを維持しているようです。やはり、電車やバスといった交通手段を利用している人が多いからなのでしょう。

 

おまけ。

そんな六角橋商店街にも、「流行」は、きっちりと入り込んでいます。

 

タピオカのお店

 

若い女性を中心に行列ができておりました。このような店に管理人が入ると通報されてしまいそうですが(^_^;)

 

※ 当記事は純然たる廃線跡探索でもなく、東急のネタでもありませんので、カテゴリを「観光」にしています。