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管理人のようなアラフィフにとっては「来て」といえば「サンタモニカ」ですが(^_^;) …といっても、お若い方には分からんでしょうなあ(´・ω・`)

(なお、タイトルはその『サンタモニカ』に関係しています)

 

…それはさておき。

 

先日、東武浅草駅1・2番ホームで、これ以上ないと思われるド直球なキャッチコピーのポスターを発見しました。

それが冒頭の写真なのですが、これは、冒頭の「来て」から順に見ていくと、ちゃんと意味がある、意味が通じるように貼られていたのですよ。

というわけで、冒頭の「来て」から最後までの5枚、あえて一気通貫、ノーキャプションでご覧いただきます。余計な説明は不要かと思われますので。

 

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はい。

ご覧いただいてお分かりのとおり、

 

来て

呑んで

味わって

住んで

ふくしま

 

という、福島県の観光宣伝なのです。

 

福島県といっても面積が広く(各都道府県中で北海道、岩手県に次いで広い)、東側から順に浜通り(旧磐城国)、中通り(旧岩代国)、会津と3つに分けられます。浜通り地区と中通り地区との間には阿武隈山地が、中通り地区と会津の間には奥羽山脈があり、それぞれ各地域を分けていますので、これが3地域の差異を形作っています。

にもかかわらず、あの原発事故による風評被害のダメージは、甚大なものがありました。あの原発は浜通り地区に所在するものですが、にもかかわらず、風評によって「福島県」全体の観光客が減少してしまったからです。勿論、その損害もまた甚大なものがありました。それ故の、このような観光宣伝なのでしょう。

なお、浜通り地区でも常磐線が順次復旧されるなど、住民の帰還・地域の復興に向けた動きが、着実にみられるようになっています。

(原発事故に関しては、コメントをご遠慮願います)

 

管理人は、4年前に飯坂温泉に行き、今年は6月に会津、そして8月には日帰り弾丸ツアーで白河ラーメンを味わい、さらに浜通り地区にも行きましたが、温泉も食べ物も素晴らしく、楽しく堪能したことです。

浜通り・中通り・会津を問わず、福島県全域の観光客が増えることを願い、当記事をアップさせていただきます。

 

最後におまけ。

東武浅草駅から北千住駅に到着してみて、10連の8号車の乗車位置を見てみたら、まだこの表示が残っていました。

 

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既に6扉車は放逐されたのに

 

既に6扉車が放逐されてから半年が経過しますが、まだ撤去される気配がない(^_^;)

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その5(№4233.)から続く

 

今回は、キハ40系が充当された優等列車、即ち同系による急行列車の列伝を取り上げます。

かつての国鉄では、かなりのローカル線と思われる路線にも急行列車、又は急行列車崩れの普通列車があったものですが、その中には「遜色急行」と言われる、本来の急行型であるキハ58系・キハ56系(北海道の場合)以外で運転されている列車も少なからずありました。そのような列車の中で最も著名と思われるのは、キハ52又はキハ53が1両で走る急行「いなわしろ」の只見線・会津線(現会津鉄道)直通列車で、子供向けの鉄道図鑑では「たった1両の急行」と紹介されていたものです。

ただし、「いなわしろ」は勿論、それ以外の急行列車に関しては、少なくとも国鉄時代に本州・九州・四国を走る列車について、キハ40系が充当されたことはありません(もしかしたら、臨時列車や突発事故発生など、イレギュラーな事例はあるかもしれないが)。これは、キハ40系が他系列と比べて座席定員、特にボックス席の定員が少なかったことが問題視されたものと思われます。

というわけで、「キハ40系が充当された急行列車」は、専ら北海道に見られました。

ただし、JR北海道発足後、キハ40・48を改造したキハ400・480が充当された「宗谷」など宗谷本線系統の急行に関しては、長距離列車にふさわしい接客設備に整えられているため、「遜色急行」の範疇には当てはまらないので、ここでは取り上げません。また、JR九州でキハ40系改造車によって運転されている「はやとの風」などの観光列車も、それらの列車に相応する改造を受けており、ここで言う「遜色急行」「遜色優等列車」の範疇には当てはまらないと思われますので、これも取り上げません。

 

北海道といえば、かつて戦前製の機械式気動車キハ04を準急「らうす」(釧路-標茶-根室標津)に充当した実績(?)があるくらい、ある意味では「遜色急行」の聖地といえます。ただし「遜色急行」とはいえ、本州での115系・403系といった近郊型車両が充当された列車とは異なり、北海道の場合は、711系電車・キハ22形・キハ24形ともほぼ全室がボックス席でロングシートは僅少だったので、これら車種の充当が原因で乗客から不興を買うことは、殆どありませんでした。

キハ40系が北海道に投入されたのは、昭和52(1977)年のことですが、このころはまだ、ローカル線に直通する急行が多く残っていて、その多くにはキハ22が充当されていました。キハ40は新車なのに…と思えますが、やはりこれは、ボックス席の座席定員がキハ22>キハ40だったことが理由と思われます。

キハ40が充当されていることが記録として残っている列車は、

 

① かむい(札幌-旭川)※ただし支線区直通車を併結した列車のみ

② そらち(札幌-滝川)※①の後身

③ ちとせ(札幌-苫小牧-室蘭)

④ えりも(札幌-苫小牧-様似)

⑤ 大雪(旭川-遠軽-名寄)

⑥ 狩勝(札幌-富良野-帯広-釧路)

⑦ 池北(帯広-北見)

⑧ しれとこ(釧路-根室標津・網走)

(出典:①~⑤、⑦、⑧に関しては鉄道ピクトリアル平成20年7月号。⑥については、昭和62年8月に管理人自身が実際に乗車している)

※ このほか、キハ56系時代末期の一時期、下り「宗谷」に富良野行きの編成を併結していたことがあり、これにキハ40が充当されていたことがある。

 

その他、キハ22の充当がデフォルトだった列車も「ノサップ」「るもい」など複数ありますが、これらにももしかしたら、キハ40系の充当があったかもしれないと思われます。

 

これらの列車のリストを眺めていて思うのは、失礼ながらやはり「ローカル急行」だということです。勿論、それ故に両運転台車の機動性も要求されたということもあるでしょうけど。

これら列車は、早いものでは昭和55(1980)年10月のダイヤ改正で廃止され(⑦)、②と⑥を除く各列車も、国鉄からJRへの改組を間近にした昭和61(1986)年11月のダイヤ改正で廃止されてしまいました。昭和61年ともなると、北海道でも急行列車が都市間バスの攻勢に晒され、ローカル急行は都市間バスに太刀打ちできずに廃止という運命をたどったということです。それどころか、⑤⑦や⑧の標津線直通などは、JR発足後に路線そのものが廃止、あるいは第三セクターに転換されてしまうという大鉈も振るわれています。

JR発足後残っていたのは②と⑥で、⑥の「狩勝」の帯広回転車にキハ40が充当されていました。列車は釧路へ直通するのですが、釧路直通の2両は本来の急行型であるキハ56系であり、かつ帯広-釧路間は普通列車としての運転でした。管理人が乗車したのは、夏の観光シーズンの真っただ中だったのですが、やはり石勝線でショートカットする特急「おおぞら」に比べれば、「狩勝」は空いており、それもキハ40はがら空きでした。そりゃそうでしょう。運賃の他に急行料金を支払って、キハ40のロングシートに座りたがる酔狂なお客はいませんから。管理人も、当時の北海道ワイド周遊券を使っていたこと、趣味的に面白そうだと思ったからキハ40に乗ったわけでして。それでも律儀に車内販売が回ってくるのには驚きましたが。キハ40と車内販売の取り合わせを目にしたのは、後にも先にもこのときだけです。

やがて平成2(1990)年9月の道内ダイヤ改正で「そらち」も廃止、「狩勝」も快速に格下げされ札幌発着ではなくなってしまい、キハ40系使用の「遜色急行」の系譜は、ここで完全に潰えることになった…と思われました。

 

しかし、それから13年後の平成15(2003)年、「遜色急行」が思わぬ形で復活することになります。それも北海道ではなく、中国地方の津山線、岡山-津山間で。

この区間ではもともと急行「砂丘」(岡山-津山-鳥取)が運転されていましたが、平成9(1997)年11月から、同列車を智頭急行経由に変更して特急化した「いなば」に改めたため、津山を通る急行列車がなくなってしまいました。そこで地元からの要望により、旧「砂丘」編成を使用した「つやま」1往復を残したのです。

その後、「つやま」使用車両のキハ58系の老朽化が顕著になったため、JR西日本はキハ40系への置き換えを決断、わざわざ山口からデッキ付きのキハ48を転属させて充当しました。

しかし、同区間にはキハ47を使用する快速「ことぶき」が走っており、停車駅も所要時間も「つやま」と大差ありません。キハ47とキハ48の違いといえばデッキの有無だけと言っても過言ではないほど。このような列車を急行で存置した理由について、当時JR西日本は「通学の高校生らとの区別、分離を図る必要がある」と説明していたような。

こんな列車が長続きするわけもなく、6年後の平成21(2009)年、「つやま」も廃止されてしまいます。同列車はいつの間にか、JRに残る最後の定期昼行急行列車となっていましたが、同列車の廃止により、JRから定期昼行急行が姿を消しています。

 

これら「遜色急行」は、国鉄からJRへの改組を前に大半が姿を消しています。やはり、キハ40系使用の優等列車は、改造車によるものを除いては、ある意味で「キワモノ」と評せざるを得ないところがあり、それ故に国鉄の終焉と共にその大半が消えて行ったものと思われます。それにしては、JR発足から16年経って、全く違う場所で「遜色急行」が復活するというのも、何とも言えない歴史の偶然ではありますが。

地味な役回りを担い続けているキハ40系一族が、優等列車として輝いた。さらに国鉄~JRを通じ、最後の昼行急行充当車両の栄誉を担った。これらは同系にとって数少ない「晴れ舞台」だったのかもしれません。

 

次回以降は、JR分立後のキハ40系の状況を、各社ごとに見ていきます。

 

-その7へ続く-

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新京成沿線の某所で用事を済ませた後は、北習志野で東葉高速鉄道に乗り換え、そのまま東西線へ突っ込むことにしました。

最初は茅場町で日比谷線に乗り換え、そのまま帰る予定だったのですが、九段下駅に設置されたというホームドアの筐体が気になり、茅場町では降りずにそのまま九段下へ。

 

すると…。

 

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ホームドアの筐体が出現している

 

やはり車両の扉に接する開口部は、15000系などのワイドドア車に対応してのことか、かなり広く取られています。

その結果として、筐体は他の路線のものよりも幅が狭くなっています。

 

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筐体の幅はこれだけしかない

 

以前に中野方面ホームの後部、西船橋方に2両分だけ実験的に設置されたホームドアは、筐体の幅がもう少し広かったように思います。

また、当時の筐体は、電車の発車時刻などの案内表示器を仕込んでいたのですが、今回本格的に設置された筐体には、そのような仕込みはないようです。

以下、昨年の時点で実験的に設置されたホームドアの写真を2点、いずれもあえてノーキャプションでご覧いただきましょう。

 

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(いずれも以前の記事から転載)

 

このときの発車案内などは結構便利だと思いましたが。やはり重量増と配線の複雑化がネックになったんでしょうか。それでなくとも東西線用のホームドアの筐体は、開口部が広いので大きな扉に対応するため、かなり重量が増加しているという話を聞きますので。

 

そして、今回は本格設置ということなのか、中野方面ホームだけではなく、西船橋方面ホームにも筐体の設置が完了していました。

 

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西船橋方面(線路の向こう側)にもある

 

このホームドアが稼働しているのを、早く見てみたいと思います。先代のように、かなりメカニカルな動きをすると思われますので。

 

◇関連記事

№3635.【開口幅はワイド】東西線九段下駅のホームドアを見る【まずは2両分で実験】

(東西線九段下駅に実験的に設置されたホームドアのレポです)

№3798.どこでもドアで行きたいところに行ける…わけじゃありません

(京急三浦海岸駅に実験的に設置された『マルチドア対応ホームドア』のレポです)

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「京急車使用の快速」にも大いに心惹かれるものがあったのですが、それを待っていては予定の時間に間に合わないので、後ろ髪を引かれる思いを振り切って、京成津田沼駅の新京成ホームへ。

 

すると、この駅折返しの電車として、あの「ふなっしー電車」がやってきてくれました。

 

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2度目の遭遇

 

以前の遭遇のときは、外見だけしか撮影していないのですが、今回は初めて車内に足を踏み入れてみました。

こちらが、↑の8816-1の客室内。

 

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他の一般編成と同じ

 

外装が「ふなっしー」仕様だからといって、内装はいたって普通。もっとも、車内までふなっしーに埋め尽くされた日には、目がチカチカして大変そうですが(^_^;)

 

こちらには、ふなっしーの兄弟キャラクターなんでしょうか、「ふなごろー」と「ふにゃっしー」が。こんなの初めて見た(^_^;)

以下、「ふなごろー」と「ふにゃっしー」のラッピングされた姿をノーキャプションで。

 

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うーん(^_^;)

昨今流行りの「キモカワキャラ」という感無きにしも非ず。

 

ところでこの電車、扉の上にも装飾が施してあります。

それがこちら↓

 

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「Funassyi」とは

 

「ふなっしー」のスペリングは「Funassy」だとばかり思っていたら、あにはからんや「Funassyi」と末尾にiがつくとは。

しかしこれだと「ふなっしーぃ」になるけど、それはいいんでしょうか。

 

ところでこの電車、こちらのページによると、当初は9月末までの運転だったようです。しかし、好評により3ヶ月延長、今年いっぱい、つまり12月末日まで走ることになるとか。その他のプロジェクトも、12月末まで延長するようです。

 

最後に今回のおまけ。

北習志野駅ホームにある、8000形をかたどった自動販売機。

 

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登場当初の出で立ち

 

やはり8000形にはこの色が一番似合っているような気がするのですが…。

 

◇関連記事

№4150.新京成ももいろコレクション

久しぶりの京成ネタです。

10月10日、新京成電鉄の某所に行きました。その途中でのお話。

 

南千住から向かったので、常磐線をそのまま松戸まで下って乗り換えてもよかったのですが、京成に乗ってみたくなり、あえて逆方向の上野行きの電車の客に。そして日暮里で乗り換えました。

というわけで、今回は京成日暮里駅の写真なのですが、この駅は下り線が高架、上り線が地上の2層構造となっています。そして高架の下り線は、スカイライナー・イブニングライナーと一般列車のホームが分離されています。

 

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手前が一般列車ホーム、反対側がスカイライナーなどのホーム

 

ある意味格差社会(^_^;)

しかし、反対側に行ってしまっては新京成沿線には行くことができなくなるので、今回は一般列車のホームへ。

ところで、手前側にある緑の養生用ラバーシートが気になったのですが、これってもしかしてホームドアの筐体を設置するための準備工事なのでしょうか。

 

こちらにも「一般列車ホーム」の看板が。

 

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「一般電車」と書かれている

 

しかし実際には、大きなトランクや旅行鞄を持った、明らかに海外旅行客と分かる人も、こちら側の一般列車ホームにはかなりいました。京成の特急は、時間こそかかるものの、渋滞のない確実性と安い運賃により、海外旅行客に支持を受けているようです。以前の京成スカイライナーに関する連載では、成田空港へのお客は数の上では京成が圧倒的に多いのだが、有料列車の利用者数からすると「スカイライナー<成田エクスプレス」となっている…ということを述べていますが、現在はどうなのでしょうか。あれから7年経過しますから、スカイアクセス経由のルートもかなり浸透したのではないかと思われますが。

 

最後に気になった光景。

このホームの上野方は、柵がされていて乗客が立ち入れなくなっているのですが、これってもしかして…。

 

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もしかして:10連化の布石?

 

京成上野駅は「スカイライナー」の10連化に対応していますから、将来的にはあり得ない話ではないかもしれません。

ただし、そのためには「イブニングライナー」途中駅のホーム延伸をなす必要が出て来ますが…。それをやらずに「スカイライナー」を10連化すれば、今度は8連・10連と2種類の編成ができてしまうことになり、運用の自由度は下がってしまいます。なので、来年とか早い段階では実現しないものと思われます。

 

このあと、3700形による特急に乗り、京成津田沼へ向かいました。

 

【追記】

15時半ころに京成津田沼駅に着いたら、京成上野方に何人かの同業者がいらしたのを目撃したが、あれはもしかして、京急車による快速を狙っていたのか? 京急車の高砂以東への乗り入れが10/28ダイヤ改正以降なくなるのだろうか?