4601.KHK46

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9月18日、驚愕すべきニュースリリースが鉄道趣味界を駆け巡りました。

正直に申し上げて、このニュースを当ブログで真面目に取り上げるに値するかどうか、取り上げるにしてもどのような切り口で取り上げるか、マジ&ガチで批判し倒すか、あるいはネタとしていじくり倒すか、どうするかと思いましたが、ある理由があって取り上げることにしました。

 

創立120周年を機に 次の時代に向けて「産業道路駅」とさらに数駅の駅名変更を検討します 沿線の小中学生から「わがまち駅名募集!」 ご応募いただいた方の中から抽選で120名様に「京急120周年記念品(非売品)」をプレゼント

 

京浜急行電鉄株式会社(本社:東京都港区、取締役社長:原田 一之、以下 京急電鉄)は、創立120周年記念事業として沿線の小中学生から、当社線の駅名変更案を募集いたします。

今回、「大師線連続立体交差事業」により、駅と駅前広場が変わる「産業道路駅」の駅名を変更いたします。また、今後の沿線活性化の一助にするため、いただいたご意見を参考に、一層皆様に愛され、沿線の活性化に繋がると思われるものや、読みかた等が難しくお客さまにご不便をおかけしている駅等、「産業道路駅」以外にも数駅について変更を検討いたします。ただし、他社線との乗換え最寄り駅等については、募集対象であっても変更駅の対象外といたします。

変更駅や実施日については、2019年春頃に発表を予定しております。なお、採用可否に関わらず、ご応募いただいた方の中から抽選で120名様に、当社の120周年記念品(非売品)をプレゼントいたします。

 

KEIKYU WEBより)

 

何故タイトルが「KHK46」かというと、変更検討対象の駅が京急の全72駅(泉岳寺を除く)のうち、実に46駅に達するから。で、KHKとは昔の車両の側面に掲げられていた会社ロゴですが、当記事ではKeikyu Henkou KentouのKHKとかけています。

 

もしかしてこれが正式名称になる?

 

三崎口駅も改名検討対象ですから、こうなる可能性もゼロではありません。

 

ただし、他社線との連絡駅や、公共施設・神社仏閣・歴史的史跡などの最寄り駅として認知されている駅も、改名検討対象から外しています。

 

この駅も対象外(写真は『リラックマコラボ』のときのもの)

 

さて。

このニュースリリースについては様々な反応があり、ネットユーザーからは「変えないでほしい」「混乱する」と異論を唱える声や、「駅名が公共財ということを理解していない」「愚策」「京急が嫌いになりそう」など、怒りの声も上がっています(こちらのページから)。

このような反応は、上記のニュースリリースが「ガチ」であることを前提とした反応ではないかと思われるのですが、管理人としては、その「ガチ」の度合いがどこまでなのかは、懐疑的にならざるを得ないと思っています。何故かというと、改名が確定している産業道路駅以外は、

 

改名を「検討する」(=改名『する』とは言ってない)

 

という言い回しをしているから。つまり、「検討」した結果、「やっぱり変えるのやーめた」となることだって、可能性としてはゼロではないからです。

むしろ、そのような「改名の検討」を通じて、沿線住民に対し京急に対する愛着をもってほしいということで、このような話をぶち上げた…と見るのは、穿った見方に過ぎるでしょうか。そう考えると、応募の有資格者が沿線の小中学生に限られるというのも合点がいくのです。沿線の小中学生といえば、これから京急のヘビーユーザーになってくれることが期待される層。勿論、進学や就職によって沿線を離れてしまうこともあり得ますが、それでも「地元の鉄道」という意識を持ってもらうきっかけとすることはできます。今回の試みは、そういうことではなかろうかと。今回、この話題を当ブログで取り上げたのも、管理人がそのように考えた結果です。

 

実際に駅名を改めるときは、その駅の駅名標を改めるだけでは足りません。自社の路線案内図を作り直す必要もありますし、他の事業者にも通知し、乗換案内などを改めてもらう必要があります。また地図の記載を変更してもらう手続きも必要になり、その手間と費用は莫大なものになります。

それを考えれば、京急が安易に駅名を変更するとは思えません。あるとすれば、分かりにくい・読みにくい駅などについて改名するか、あるいは副名称を付加するか、そのいずれかにとどまるのではないかと思われます。

したがって、管理人としては、現時点であまり目くじらを立てることは生産的ではないように思います。勿論、管理人の個人的立場は、「安易な駅名改称には反対」「施設名を駅名に冠することには反対」というものですが、それでもあくまで「検討」としか言っていませんから。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

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というわけで、やって来ました恩田駅。

冒頭の写真には、5000系列の先頭車が見えますが、これは目黒線用の5186F(5686)だと思われます。屋外に5186が1両だけで引っ張り出されていましたので。

 

中庭にはそれほどめぼしい物件がなかったので、写真撮影はパス。

そして高台から工場を見下ろします。

 

テクノシステム側の留置線には、編成をバラされた2000系の中間車が留置されていました。

 

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2253(左)と2203

 

↑は2003Fの中間車ですが、更新がなされたばかりでまだ屋根が綺麗ですからすぐにわかります。

こちらは、2002Fの中間車である(はずの)2402です。

 

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2402

 

こちらは屋根が綺麗ではない(失礼)ので、2003Fではないと分かります。

屋根上を見ると、まだパンタグラフは1基だけなので、パンタグラフ増設は未着手のようです。しかし、車外スピーカーの穴だった場所が青いテープのようなもので塞がれていますので、2003Fと同じような改造を施すのでしょうか?

 

こちらは2003Fから外された2353。

 

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2353

 

両端のクーラーが換装され、同時にクーラーキセの変更が行われたのが分かります。以前の2000系は2基で1つのキセとしていましたが、更新後は1基ずつ独立したキセになりました。

 

もしかして、ここにいる中間車のうちの3両が新しい2002Fを構成することになるんでしょうか。

 

これだけ見渡して撤収。こどもの国線で長津田へ戻ります。

その長津田駅で出会った2020系。

 

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第4編成

 

未だ「K」のマークは貼られたままです。

もっとも、2020系も編成が入れ替わりながら南栗橋で東武の乗務員の訓練に供されているようですから、早晩サークルKの軛が取り払われることは必定でしょう。そのときが楽しみなような、怖いような(^_^;)

まず初めに事務連絡というかお知らせ。

今回と次の記事は、取材日が昨日の09/18だったのですが、即日アップは諸事情によりかないませんでした。よって、当記事と次記事については、現時点のアップとなりますことをご了承くださいm(__)m

また、頂戴したコメントに対するレスは、今夜以降に行いますので、その点も併せてご了承願いますm(__)m

 

それでは参りましょう。

この「谷底」に到着したのは、朝9時ちょっとすぎ。この時間帯では、朝ラッシュ輸送の余韻が残っておりますが、陸橋を渡った時点でそのことを思い知ることになります。

その前に「谷底」ですが、在線車両はありませんでした。

 

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何もない

 

そして陸橋の上に出て検車区全体を俯瞰すると…。

 

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すっからかん!

 

向かって右側の洗浄線もこのとおり。

 

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「派手車」と6000系編成が並んでいるだけ

 

管理人は何年も長津田検車区へ通っていますが、ここまですっからかんな状態は初めて見ました。

しかし、改めて考えてもみれば、ド平日のラッシュの余韻が残る時間帯であれば、すっからかんなのもむしろ当然でしょう。管理人が小学生のとき、社会科の副読本で地元のバス車庫の朝ラッシュ時の写真と日中の写真の比較があったのですが、その写真でも朝ラッシュ時はすっからかんでしたから。

長津田検車区は東急では最大の収容能力を誇る車両基地ですが、その最大の収容能力を持つ場所が、ここまですっからかんな状態になっているというのは、管理人にとっては新鮮な驚きでした。

 

いつもの手順どおり、突端へ向かって歩いていきますが、その途中には4000番代編成から外されている4605-4705が。

 

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10連に戻るのはいつ?

 

5177Fが入線して以降、8連の所要編成数は充足しているはずですが…。

 

こちらは突端から向こう側を見通した写真。いつも手前の線には何か停車しているため、こういう写真を撮れる機会は多くはありません。

 

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実に見通しがいい

 

で、すっからかんであるにもかかわらず、何故管理人が長津田検車区を訪れたのか?

それは、この編成を見るためでした↓

 

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2003F、大井町線仕様!

 

既にTwitterなどでは画像が出回っていたようなのですが、管理人としてはこの目で見なければと思っていました。何せ、「2000系の大井町線転属? ありえねーよそんなもん」などと、よそのブログのコメント欄に書き込んでしまった手前、やはりこの目で見なければ「けじめがつかない」と思いましたので。

暗くて恐縮ですが、正面帯が大井町線仕様のグラデーション帯になり、扉の横に大井町線のマークが貼られているのがお分かりいただけると思います。

 

こちらは別角度から。手前(左側)が9015F、奥(右側)が2003Fです。

 

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こうしてみると非常によく似ている

 

もともと2000系は9000系の田園都市線バージョンですから、似ていても当たり前なのですが、こうしてみると本当によく似ています。相違点はクーラーキセの形だけ。9000系は1基ずつ独立した形のキセ、2000系は2基ずつ一体化した形のキセでした。しかし、更新と共に2基一体型のキセは放棄されたようですから、なおさら違いが分かりにくくなってしまいました。

 

この日、2000系は2001Fが田園都市線で運用入りしていましたが、同編成の田園都市線~半蔵門線での運用も早晩見納めになるものと思われます。今年度は2020系が6編成導入されるとのことですが(今年度設備投資計画)、3編成は2000系を置き換えるということになります。残り3編成が置き換えるのは、8590系編成か、8500系の最古参8606Fか、はたまたチョッパとVVVFの混成の8642Fか。

そして2000系が大井町線に転じることにより、8500系が置き換えられることは確実ですから、大井町線がVVVF車で統一されるのも時間の問題ということになります。大井町線の8500系は8638~8641Fと新しいですが、それでも車齢は30年を超えていますし、直流モーターですから置き換えられても全くおかしくありません。

大井町線の8500系の活躍は、思わぬ形で幕が引かれそうです。

 

このあとはいつもどおり、長津田駅まで歩き、こどもの国線で恩田へ。長津田工場と東急テクノシステムを見に行きます。

その1(№4593.)から続く

183-0が初めて投入された翌年の昭和48(1973)年から、同系は房総特急のみならず中央東線の「あずさ」にも充当されるようになりました。今にして思えば、同系が本来の実力を発揮したのは、房総特急よりも、むしろこちらではなかったかと思われます。
当時、既に上越系統の「とき」に充当していた181系の老朽化が問題になっていたところ、国鉄当局は181系を新幹線開業まで使い倒すのは無理と判断し(当時既に上越新幹線は着工していた)、183-0を追加投入するか、それとも全くの新形式を投入するかの検討をしていました。ちょうどそのころ、昭和48年末から翌年2月にかけて、新潟地方は豪雪に見舞われ、列車ダイヤの混乱が続きました。中でも「とき」に充当していた181系のダメージが特に深刻で、車両故障が頻発して途中駅での運転打ち切りや運休が増加し、メディアで批判的に取り上げられたばかりか、国会でも問題にされるまでに至るなど、社会問題と化してしまいました。
そこで、国鉄当局は代替車両の投入を決断します。その車両こそが、183-0に徹底的な耐寒耐雪構造を施した、183-1000です。
183-1000のスペックは以下のとおり。

① 711系を参考に耐寒耐雪構造を強化。
② 電動発電機(MG)を両先頭車のみならずT's車にも搭載、編成全体の冗長性を確保。
③ 先頭車は貫通構造から非貫通構造に変更。
④ パンタグラフ搭載車両をM(モハ183)からM'(モハ182)に変更。
⑤ 普通車の片側2ヶ所の客用扉、グリーン車の車販準備室設置など、183-0の基本スペックを踏襲。
⑥ 車種は183-0同様、クハ183、モハ182・183とサロ183(TsとT'sの2種)のみ。食堂車・ビュッフェは無し。
⑦ 普通車の簡易リクライニングシートにロック機構を追加、座り心地を改善。
⑧ カラーリングは183-0と同じだが、先頭車では窓周りのワインレッドが乗務員室扉にかかっていない。これは電動空気圧縮機の空気取入口が塗り分け線にかかるのを避けたため。

183-0も一応の耐寒耐雪構造を施していましたが、それを徹底させたのが183-1000です。耐寒耐雪構造の強化(①)とは、床下機器の構造・配置の見直しで、具体的には

・ ブレーキ系統を集約して1つの箱にまとめる
・ 183-0では床下搭載だった先頭車のMGを先頭部助士席側搭載に変更
・ MG等の冷却風を車体側面の空気取り入れ口から取り入れ雪を吸い込まない構造にする

ということです。その他にも、1編成あたりMGを3台搭載して冗長性を確保し(②)、かつその3台のMGを運転台からの操作で適宜切り替えることができるようにするなど、バックアップ体制も盤石となっています。ここまで読んでこられてお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、上記スペックは全て後の485系1000番代と同じで、同系にも183-1000の発想が生かされています。また、183-1000の先頭車が非貫通構造に変更されたのは(③)、183-1000の運用が分割併合を想定していないこと、豪雪地帯を走行するため隙間風を防止する必要があったことが理由です。パンタグラフ搭載車両を変更したのは、183-0ではM車に主要機器を集約していたのですが、降雪時に機器の点検を容易にするため機器の分散を図った結果です。
あとの⑤ないし⑦は、耐寒耐雪構造を強化した結果としての設計変更以外は、概ね183-0を踏襲しています。ただし普通車の簡易リクライニングシートだけは、183-0初期車のそれが不十分で不評だったことから(座っている人が背中の力を抜くと背もたれが戻されてしまい、しかもそのときに『バタン!』と大きな音がする)、リクライニングしたときに背もたれが固定されるよう、ロック機構を追加した改良型に変更されています。これについては、183-0の増備車も同様に変更され、初期車もロック機構が改造で追加されました。
183-1000で残念だったのは、「とき」でも利用率の高かった食堂車が連結されなかったことです。これは乗客からも大ブーイングが上がったばかりか、業者も営業を望んでいたにもかかわらず車両が用意されないという、それこそ「誰も幸せにしない」事態を招いてしまいました。183-1000の「とき」編成は8M4Tの12連ですが、これに食堂車を1両組み込んだとしても8M5Tの13連ですし、上越線は上越国境に連続20‰の勾配があるとはいえ、急行の「佐渡」は165系13連で運転されていましたので、MT比率も編成長も無問題。にもかかわらず車両が用意されなかったのは、同系が新幹線開業後の他線区への転用を視野に入れていて、転用の難しい食堂車の新造投入が憚られたとも、当時尖鋭化していた労使関係・組合問題が影を落としていたともいわれています。今思えば、山陽新幹線博多開業後に「有明」「にちりん」の食堂車が利用率低迷で壊滅したのですから、山陽特急を退いた後の485系からサシ481を抜いて引き通しを改造し、183-1000の編成に組み込み、新幹線開業と同時にお払い箱にすれば、余剰車となることなく、有効活用できたと思うのですが。あるいは新幹線の27+36のユニットのような、半室ビュッフェとバリアフリー対応車両のユニットを用意してもよかったのではないか、これなら後の「あずさ」転用後にも活用できたような気がします。いずれにしても、組織内部の事情をもって、利用者のみならず業者の不利益に転嫁してしまった国鉄当局の姿勢は、公営とはいえサービス業にあるまじき姿勢だったと言わざるを得ません。しかも残念なことに、国鉄当局のこのような姿勢は、183-1000投入の際に限った話ではありませんでした。これでは「国鉄離れ」、利用者の離反が進んでしまったのも、無理もない話です。

ところで、183-1000の設計着手から実際の車両の投入までの間は1年もなく、国鉄当局にとっても設計・製造などの現場にとっても、同系の製造・投入はかなりの突貫工事であったことが容易に見て取れます。実際、183-1000の現車は昭和49(1974)年12月に第1陣38両が投入され、試運転もそこそこに「とき」3往復を181系から置き換え、その後さしたる不具合もなく、好調に増備が続けられ、新幹線開業直前には14往復の「とき」のうち実に11往復の運用を手中に収めるなど、その活躍ぶりは全く非の打ち所がないものでした。
なぜここまでの突貫工事が可能になったのか、そこには様々な理由が挙げられますが、以前当ブログの別の記事で記したのは、当時既に「あさま」を置き換えるための、183-0を母体とした新設計の特急用車両の設計が相当程度具体的に進んでおり(これが言うまでもなく189系のこと)、183-1000はその設計から横軽対策(補助機関車との協調運転機能)のみを取り除いた形で設計・製造されたからだったというものです。しかし、「鉄道ピクトリアル」の183・189系特集(2010年4月号)では、逆に183-1000に横軽対策を付加したものが189系なのだという記述が見られます。どちらが正しかったのでしょうか?

このようにして「とき」を救った183-1000ですが、その後、上越線ほどのシビアな自然環境ではない路線向けにも、183-1000が追加投入されることになります。

-その3に続く-

久しぶりの「模型」カテゴリの記事です。

3連休最終日となった今日は、ある方のお誘いで、埼玉県加須市の某模型店の貸しレイアウトに出撃。管理人は車両を保有しつつも線路を保有しない「第二種鉄道事業者」なので、喜んでお誘いに応じました。

 

持参した車両は

 

・機関車(EF58×2、EF62、EF64-1000)

・10系寝台車と食堂車

・旧型客車(青色のスハ43系やオハ35系)

・12系客車

 

です。

 

まずは、EF58上越仕様機に「きたぐに」をイメージした12系+10系寝台車の編成を牽引させて走らせました。

気分は湖東線(東海道本線米原-京都間)ですが、この景色だと上越国境っぽいですね(^_^;)

 

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やはり景色の中を走る模型は格別

 

↑の編成が駅に停車している姿。

 

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ここは長編成でもすっぽりホームに収まる

 

「きたぐに」編成というなら、本当は機関車とグリーン車の間に郵便車(オユ10)がなければいけないのですが(^_^;) 持ってくるのを忘れました。まあ「運用上の都合により郵便車は欠車」という設定でご勘弁を。

 

こちらは、「津軽」をイメージした12系+10系寝台車の編成と、「妙高」をイメージしたEF62牽引の客車列車との並び。

 

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かつて上野駅では普通に見られた並び

 

1970年代末に至るまで、この並びは上野駅で普通に見ることができました。12系客車の先頭に立つEF58が上越仕様なのも、上野発の列車という雰囲気があります。もっとも、庇付きのEF58は何機か東海道・山陽ルートでも運用されたことがあり、この形態・仕様の罐が東海道・山陽系統の列車を牽引していたとしても、それはダウトではありません。

 

最後に。

ややボケてしまいましたが、EF58が12系客車を牽引する姿。

 

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これはイベント列車にしか見えない

 

かつては臨時急行や紀勢線の普通列車などで見ることができた、EF58が牽引する12系客車ですが、どう見てもJR発足後のイベント列車にしか見えなかった(^_^;) 

しかし真面目な話、2018年の今、青いゴハチがオリジナルの12系客車を牽引する列車が走ったとしたら、沿線の有名撮影地は大パニックになるでしょうね。

 

現在は青いゴハチは過去のものとなり、オリジナルの12系客車ですら希少車種になってしまっています。それに何より、12系以前の旧型客車はもう現役の車はいません。大井川鐡道にSL列車用として、あるいはJR東日本などにもイベント用に数量が在籍・稼働していますが、あれらは前者がSL同様の保存車両、後者がイベント用ですから、「現役の車はいない」と断じても差し支えないと思います。

 

ここのレイアウトで車両を走らせてみて思ったこと。

牽引機をとっかえひっかえして、あるいは車両を好きに挿げ替えて遊べる客車列車もいいですが(それこそ1両変えるだけで別の列車になる)、次回訪問する機会があるとしたら、今度は485系を持ち込み、ダブルサロ+サシ入り11連を走らせたいと思いました。

やはり長編成を走らせることができるのはいいものです。

 

最後になりますが、お誘いくださった方には、この場においてお礼申し上げます。

ありがとうございましたm(__)m