既に月が改まってしまいましたが、バスヲタにとっては気になるニュースが。

 

 

これは驚きました。日野と三菱ふそうといえば、いずれもトラック・バスといった商用車で大きな存在感を発揮している会社。その両者が経営統合とは。

またこの両社にはバックとなる大資本がついており、日野はトヨタ、三菱ふそうはダイムラー(したがって三菱ふそうは三菱グループではない)。それらの資本関係がどうなるのかも一つの関心事ではあります。

 

しかし、当ブログは経済情報ブログではないお気楽鉄ブログ(バス・航空含む)。

そこで、当記事では管理人の関心事に絞って取り上げることにいたします。

管理人の関心事とは勿論

 

経営統合に伴ってバスはどうなるのか

 

ということです。

 

まずはこちらの写真をご覧ください↓

 

左からいすゞエルガ(日野レインボーも同型)、三菱ふそうエアロスター、日デの西工ボディ車

 

既に日野車は、ボディ製造をいすゞと共通化した「J-BUS」製に統一しており、このため新型エルガは、日野の新型レインボーと全く同じ姿となっています。モデルチェンジ前の型は、ボディの形状が同一でも灯具に差がありましたが(いすゞエルガの前照灯が縦2灯なのに対し日野は1灯)、現在の型ではその差異がなくなりました。いすゞエルガと日野レインボーの区別は、運転席のステアリングのロゴを見なければ不可能になっています。

これは言うまでもなく、両者でボディ製造を「J-BUS」1社に委ねた結果ですが、そうなると今後の新車は

 

日野+三菱ふそうといすゞで全く同じボディになるのか

 

ということにもなります。

 

三菱ふそう独自の造形は見られなくなる?

 

もし上記の疑問に対する答えがイエスということであれば、今後の路線バスは日野+三菱ふそう・いすゞのいずれかを問わず、同じバスボディになるのではないかとも考えられます。

 

今後は全てこの形になる?

 

もしそうだとすれば、バスはいよいよ航空機と同じように、ボディが同じで内外装で差別化されるという流れになっていきます。

 

しかし。

かつて日デ(日産ディーゼル)がバス製造から撤退し、そのあおりで西工(西日本車体工業)が会社を畳んでからは、国内のバス製造は3社のみになりました。その後バス車体を「J-BUS」製造に委ねたいすゞと日野は、両者同じボディの車を製造しています。つまり路線バスでは2種類のボディしかなくなったわけですが、もし三菱ふそうの車が日野との経営統合により「J-BUS」ボディを装架するとすれば、少なくともボディに関する限り、製造が1社のみの独占となります。そうなったとき、独占禁止法には抵触しないのか? 恐らく今後の経営統合に関しては、そのあたりも問題になってくるでしょう。あるいは「J-BUS」がいすゞのみとの関係を維持する方向となるのか。そのあたりは現時点ではまだ分かりません。

 

そして車両の調達に入札制度を導入している公営業者の場合、入札先が(国内メーカーでは)2社しかなくなります。そこに割って入る海外メーカーがあるんでしょうか。都営バスでは数年前、スウェーデン・スカニア社製(ボディは豪州ボルグレン社製)のフルフラットノンステ車を導入しましたが、海外メーカーからの導入はこのときだけとなっています。今後改めてスカニアなど海外メーカーの参戦があるのか、そこも注目したいところです。

 

バスヲタでもある管理人としては、やはり「経営統合後の車がどのような姿で現れるのか」には多大な関心を寄せざるを得ません。とはいえ現時点では、それらの情報はありませんので、続報を待ちたいところです。

 

【おことわり】

当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

 

その10(№6079.)から続く

今回はJR東日本に登場した振子車両を取り上げます。
その車両とは、中央東線「あずさ」系統に投入されたE351系。この車両から、系列名にJR東日本所属車両であることを示す「E」が付加されることになりました。

E351系のスペックは以下のとおり。

① 車体は普通鋼製、最高速度は130km/h。
② 編成は基本8両(グリーン車1両)・付属4両の12両編成。先頭車は両端を非貫通構造、中間に組み込まれるものを貫通構造とする。
③ 先頭形状は651系に準じた高運転台とし、非貫通車には651系同様のLED表示器を搭載。
④ 振子装置は制御付き自然振子、車体傾斜システムはころ式。車体傾斜角度は5度。
⑤ 空調装置をセパレート式とし、屋根上に熱交換器を装備(室外機は床下)。
⑥ メカニックはVVVFインバーター制御。
⑦ パンタグラフの架線への追従を確保するため、台車と直結された櫓を設け(櫓は車体を貫通している)、その櫓の上にパンタグラフを設置。
⑧ グリーン車は横4列だが、喫煙席と禁煙席を分かつパーテイションを客室中央部に設置。

このような車両が登場したのは、並行する中央高速バスとの対抗のため。既にJR東日本では183系をリニューアルし、快適性を向上させた「グレードアップあずさ」を投入していましたが、183系では最高速度向上に限界があることから、振子式車両を採用して曲線通過速度を向上させ、全体としてのスピードアップを可能としたものです。しかしグリーン車に関する限り、座席配置が横4列となり、横3列とされた「グレードアップあずさ」に比べると後退してしまいました。

E351系は平成5(1993)年に量産先行車2編成が落成し、同年12月23日に臨時「あずさ」で営業運転を開始しました。その翌年に量産車3編成が追加投入され、同年12月3日のダイヤ改正から、いよいよ「スーパーあずさ」として本領を発揮します。振子は全区間で作動させるわけではなく、八王子-信濃大町間(後に松本までに短縮)とされましたが、それでも「スーパーあずさ」の新宿-松本間の最速列車の所要時間は2時間25分となり、山岳路線の列車でありながら表定速度は90km/hを突破、E351系投入の効果は絶大でした。
量産車投入に際し、量産先行車も量産車に仕様を合わせる変更工事が施されていますが、このとき同時に基本編成と付属編成の位置を入れ替えています。これは、当初大糸線(松本以遠)には付属編成のみが乗り入れていたものですが、基本編成が乗り入れるように変更されたためです。同時に量産先行車は改番が行われ、原車号に1000をプラスして量産車と区別されることになりました。

(変更前)
←新宿 Tc1MM’TTsMM’Tc2+Tc3MM’Tc0 松本・南小谷→
(変更後)
←新宿 Tc11MM’Tc12+Tc13MM’TTsMM’Tc10 松本・南小谷→
※    量産車は投入当初から下段の組成。ただし松本方先頭車は量産先行車とは異なり、クハE350形となっている(付属編成の貫通型は100番代、基本編成の非貫通型は0番代)。

平成9(1997)年11月には大月駅構内での衝突事故により、E351系の1編成が使用不能となりました。このとき大破した同系の2両は、車両メーカーで車体を新造して元の車両の機器をその車体に取り付けることで復旧しました(したがって法的には『廃車』扱いにはなっていない)。何だか東急のデハ3472みたいですが。
使用不能になった編成の代替としては、1か月前に新幹線開業で「あさま」運用を失った189系11連1本が転用され、本来の「あずさ」「かいじ」用183系とは異なるカラーリングはそのままとされ、しばらく「スーパーあずさ」の代走を務めました。勿論、189系がE351系のダイヤに乗るのは無理なので、189系の性能に応じた特別ダイヤが設定されました。

E351系は183系を全面的に置き換えるに至ったかといえばそうではなく、E351系は量産先行車2編成・量産車3編成の僅か5編成60両のみの投入で終わってしまいます。残る183系の置換えには、平成13(2001)年からE257系が投入されました。E257系は、周知のとおり振子式車両ではありません。もっとも同系は、機器の配置などに工夫を凝らして重心を下げ、振子式車両ではないながらも、183系に比べて曲線通過速度は向上されていますが、それでも曲線通過速度はE351系に敵うものではありません。
それではなぜ、E351系は僅かな両数の投入に終わってしまったのか?
この理由は様々に語られますが、一説にはE351系の投入は中央東線の線形改良が前提とされていたところ、それがかなわなかったことで同系がオーバースペックになってしまい、大量投入する理由がなくなってしまったことが指摘されています。線形改良とはカーブや勾配がきついところに別線をつくって付け替えることで、確かにそのような計画はあったようですが、実際には実現せずに終わりました。そのことと、中央東線には狭小トンネルが多く存在するところ、振子を作動させたところその狭小トンネルの壁に車体を接触させてしまったことが原因とも指摘されています(真偽は不明)。そして勿論、振子式車両にとっては不可避である「軌道への負荷の増大」によって保線作業の負担が増加したことも、理由となっているでしょう。
ともあれ、平成14(2002)年12月のダイヤ改正からは、中央東線の特急はE351系とE257系の二枚看板となり、国鉄時代から活躍を続けた183系列は撤退しました(その後は臨時列車として何度か運転された)。

その後、E351系は、パンタグラフが菱形からシングルアーム式に取り替えられたり、車内の全面禁煙化に伴い車内から灰皿が撤去されたりしたことくらいで、内外装に大きく手を加えられないまま活躍を続けました。
そして平成26(2014)年、遂に後継車・E353系の登場がアナウンスされます。E353系については改めて取り上げますが、この車両は振子式ではなく、空気ばねによって車体を傾斜させる「車体傾斜車両」。それでもE351系と同等の曲線通過性能を有するとあっては、E351系にとっては「カウントダウン」が始まったといえました。
E353系は、現車が平成29(2017)年12月に登場し、同月23日から「スーパーあずさ」8往復のうち4往復を置き換えました。全面的な置き換えはその翌年、平成30(2018)年3月のダイヤ改正です。このダイヤ改正を機に、E353系は全ての定期運用を失いました。その後は一部イベント列車の運転もありましたが、全ての車両が退役即廃車となり、現存する車両は1両もありません。

JR東日本では、E351系の退役以降、新しい振子式車両は登場していません。これは恐らく、空気ばねを用いた車体傾斜システムで振子式と同じ高速化が見込めることで、機構が複雑でメンテナンスにも手間がかかる振子式を採用すべき積極的理由がなくなったことでしょう。それとJR東日本の場合、スピードアップが必要で線形の厳しい在来線が中央東線くらいしか存在しないことも大きいと思われます。同じ「山の特急」が行き交っていた信越線方面は、新幹線が開業して劇的なスピードアップが図られていますから。
E351系の生涯は、量産先行車で25年、量産車で24年という短いものですが、中央東線特急の劇的なスピードアップを実現した功労は、正当に評価されるべきだと思います。

-その12に続く-

その9(№6075.)から続く

更新再開に伴いまして、連載記事のアップも再開いたします。ただし、当面は不定期更新となりますのでご容赦を。

今回は(予告編ではリストアップしていませんでしたが)JR四国8000系のお話を。
8000系の登場の経緯は以下のとおり。

昭和末期から平成初期にかけて、四国島内では高速道路網の整備が進められており、JR四国ではこれに対抗するためのスピードアップが喫緊の課題でした。そのスピードアップのために登場したのが、以前に取り上げた2000系気動車ですが、8000系は電車。これには、高松-松山・伊予市間の電化完成も関係していました。つまり予讃線系統の高速化を、電車化と振子車両化によって達成し、もって高速道路(自家用車・高速バス)に対するアドバンテージを確保しようという狙いがありました。

8000系はまず、平成4(1992)年に試作車3両が登場(ただし、後の量産車とは異なりグリーン席は設けられていない)、同年9月から岡山・高松-新居浜間の特急として営業運転を開始しました。この時点では新居浜-伊予北条間は電化が完成していません。
新居浜-伊予北条間の電化は翌平成5(1993)年に完成し、岡山・高松と松山の間が完全に電化されました。そしてこれに伴ってJR四国は8000系の量産車を投入、宇和島直通列車以外の「しおかぜ」「いしづち」を全て同系に置き換えました。これにより、従来の気動車使用列車よりも20分短縮されています(最速列車同士の比較)。

8000系のスペックは以下のとおり。

① 車体は軽量ステンレス構造として軽量化に配慮。
② メカニックはVVVFインバーター制御だが、試作車が電動車2両分の電動機を制御する1C8M方式であるのに対し、量産車は個別の電動機を制御する「1C1M」方式。
③ 最高速度は130km/h(2連で運転の場合は120km/h)。ただし試作車の設計最高速度は160km/hであり、レールブレーキを備えていた(後に撤去)。
④ 制御付き自然振子装置を採用し(2000系気動車と同じ)、曲線通過速度を向上。車体傾斜の方法は、試作車がベアリングガイド式、量産車がころ式。
⑤ パンタグラフの追従の方式として、台車とパンタグラフをワイヤーで結び、常にパンタグラフが真上を向く「ワイヤー式」を採用。
⑥ 編成は5連(1両の半車がグリーン席)と3連。

「車体傾斜車両」としての特徴を挙げれば、8000系は2000系気動車と同じ「制御付き自然振子式」を採用していますが(④)、これは勿論乗り心地への配慮のため。
ただ電車の場合、車体の傾きに従ってパンタグラフも傾くことになるため、架線との関係をどうするかが難問になります。国鉄時代の381系は、新規電化開業路線への投入ばかりだったので、国鉄当局が投入路線に対する電化工事の際、架線の張り方を工夫してこの問題を解決しましたが、8000系は既存の電化区間も含まれるため、そのようなわけにはいきません。量産車投入時点では新居浜-伊予北条間が非電化ではあったものの、この区間だけ381系方式で架線を張ってしまうと、他の区間では振子を使えないことになりかねず、8000系の所定の性能が存分に発揮できなくなってしまいます。勿論既電化区間でも架線の張り方を改めれば無問題ですが、それでも費用が掛かり過ぎます。
そこで、8000系では地上設備への改修を最小限、特に架線の張り方を変えなくて済むように、車両側で対策を施しました。
その対策こそが、台車とパンタグラフをワイヤーでつないだ、パンタグラフ追従装置(⑤)。これによって車体が傾こうともパンタグラフが常に真上を向いている状態を確保でき、架線の張り方を変える必要をなくしたのです。
もっとも、パンタグラフ追従装置にワイヤーを採用したのは、今のところは8000系だけで、その後に登場したJR東日本のE351系やJR九州の883・885系などは、車体に穴を開け、その穴を台車に直結された櫓が貫通していて、パンタグラフがその櫓の上に乗っている形態を採用しています。ワイヤー式が普及せず「櫓式」が多数派になったのは、恐らくですが、ワイヤー部分などの可動部のメンテナンスを嫌ったためではないかと思われます。

ここで試作車の160km/h運転試験について言及しておきましょう。
8000系試作車は、湖西線や予讃線で高速走行試験が実施され、150km/hからは600m以内で急停止できることも確認され、所謂「600mルール」遵守が可能であることも確認されました。しかしなぜか150km/hでの営業運転は行われず、試作車のレールブレーキも量産車の営業運転開始までに撤去されてしまいました。

8000系の運転区間・運用の変化は少ないのですが、平成10(1998)年に編成の方向転換を行い、従来松山方を向いていたグリーン・普通合造車を岡山・高松方に向かせました。これは、宇多津駅での増解結の時間を短縮し、特に岡山発着列車の所要時間を短縮するためでしたが、これによって2000系気動車使用列車とグリーン席の向きが反対になってしまい、旅客案内上は不都合が生じてしまいます。そのためか、16年後の平成26(2014)年には再度方向転換を行って元に戻し、グリーン席の位置を2000系気動車使用列車と合わせることになり、現在に至っています。

登場11年を経た平成16(2004)年から順次、内外装の大規模なリニューアル改造が行われました。内装のリニューアルを施されたのはグリーン席と普通車指定席のみで、普通車自由席はそのままとされました。同時にドア周りのカラーリングをグリーン席は赤、普通車指定席はオレンジ、普通車自由席を紺にそれぞれ色分けし、視覚でもそれぞれの座席種別がわかりやすくなりました。同時に一部のトイレを洋式へ変更、さらに喫煙スペースの設置も行われています。もっとも、喫煙スペースは禁煙志向の高まりの結果か、7年後の平成23(2011)年に使用が停止されてしまいました。
ただし、このときは座席へのコンセント設置などは行われなかったため(車端部の席を除く)、今年度からコンセント増設、バリアフリー対応などを目指した2度目のリニューアルの計画があるとのことです。

8000系は今年で量産車登場から満30年。2度目のリニューアルも計画され、ますますの活躍が見込まれます。近年8600系の投入がありましたが、8000系を置き換えるには至らず、しばらくは両者の競演が続くのでしょう。

次回は、JR東日本に登場した振子車両を取り上げます。

その11(№6080.)に続く

長津田の次は恩田です。

こどもの国線の電車に乗ると、恩田駅到着前には車窓の両側に神経を集中させるものですが、最近は車窓左側(東急テクノシステム側)には8506-8606がいることがないので、もっぱら車窓右側(長津田車両工場側)に注目。まだ8631が残っていることに驚きました。

 

↓の写真は恩田駅から長津田車両工場を望んだものですが、8631の連結面が写っているのがお分かりいただけるでしょうか?

 

実は8631が写っている

 

これもいつものとおり、敷地全体が見渡せる高台へ。

途中でテクノシステム中庭をチェック。

 

何もなし

 

ネタがないのは残念…と思いながら高台へ。

そこから8631を遠巻きに眺めます。

 

一番手前に1両だけいる

 

こちらが真横から撮影した写真。

 

この1両が残されている理由は?

 

後ろ右側には、青帯を巻いた車両が見えますが、これは8637Fの残骸です。まだ全車搬出されていなかったのか。

 

こちらはテクノシステム敷地を望んだ写真。

 

8506-8606はいない

 

恐らく庫内に取り込まれているのでしょうが、見ることができないのは寂しいものです。

 

最後に長津田車両工場の中庭を撮影して締め。

 

搬出用のトレーラーなどはいなかった

 

今日は平日なので、もしかしたら廃車車両を搬出するトレーラーがいるかと思ったのですが、その姿はありませんでした。

 

今日の恩田訪問は、さしたるネタはありませんでした。

このあとは、中恩田橋バス停から東急バス「青55」に乗って撤収。

まず初めにご挨拶。

 

皆様、お久しぶりでございます。

4月から5月にかけて、管理人の身辺で色々とあり過ぎまして、4月は更新頻度激落ち、5月に至ってはとうとう1本も記事をアップしなかった(できなかった)という体たらく。その気になれば「コタツ記事」(現地に赴かずとも部屋でPCに向かって作成できる記事)もアップできなくはなかったのですが、その気力すら湧きませんでした。

かくてはならじと、月が改まったことを機に記事をアップ。今後とも変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。

 

さて。

再開一発目は、やはり管理人にゆかりの深い東急、それも長津田見聞録から参りましょう。

いつものとおり、つくし野駅を降りてJR横浜線の踏切を渡り、検車区全体が見渡せる陸橋へ。

その途中で「谷底」をチェック。

 

今日は在線無し

 

まあこういうこともあります。

 

それでは陸橋から検車区全体を俯瞰。

 

東武車がいる

 

編成、車号は確認できませんでした(´・ω・`)

 

こちらは同じ場所から、洗浄線の方を向いて撮影したもの。

 

東急車は5000系と2020系ばかり

 

東横線5050系の編成替えが終わり、相鉄直通が始まった今となっては、他路線の車両がいることは稀になってしまいました。

 

反対側(長津田駅方向)を望んで、9020系を撮影。

 

屋根だけ

 

「屋根だけじゃねえか」と仰るなかれ。今年度の東急電鉄の設備投資計画(PDFファイル注意)では、「大井町線車両新造に着手」が明言されていますから、いよいよ9000・9020系の置換えが現実化することになります。両系列の記録も急がなければいけません。それで屋根だけでも…と撮影したわけでして。

 

洗浄線では2020系が2編成、踵を接しておりました。

 

奥には5000系が

 

そういえば5000系も初期車は車齢20年を超えましたが、こちらはいつまで使うのでしょうか。

 

「鳥小屋」には何もなし。

以前は3020系の中間車とか、5050系用の「Q SEAT」車が留置されていたものですが、いずれも組み込みが完了したことで、このスペースは空いてしまいました。

 

しばらくここが埋まることはなさそう

 

ここが埋まるとしたら、サヤ7590が留置されるくらいでしょうね(今のところ)。

 

それでは、検車区の突端へ。

「派手車」以外、田園都市線車両のみが並んでいます。

 

5000系が多かった

 

これはたまたまでしょうけど。

東急車では、東武乗入不可の所謂「サークルK」がなくなったことで、運用上の縛りがなくなっていますから、運用は格段にやりやすくなっているはずです。

 

こちらは「派手車」のフル編成。

 

「デヤサンド」とも

 

この編成は、サヤ7590をデヤが挟むため「デヤサンド」の愛称があります。明日検測するのか、それとも今日の検測が終わったのか。

 

うーん、久しぶりの長津田検車区の視察ですが、車両の面はさしたるネタもなく終わってしまいました。

それでは車両以外はあるのかといえば、あるんです。

 

絶賛工事中

 

かねてから陸橋の補修工事が行われているところですが、今日の時点では陸橋のほぼ全ての部分がこのように柵で覆われており、検車区を俯瞰する写真は撮影しにくくなりました。当記事の陸橋上から撮影した写真は、この柵で覆われていない場所から撮影したものです。勿論ですが、撮影にあたっては一切危険な行為は行っておりません。

 

長津田見聞録は以上。

このあとは長津田駅まで歩き、こどもの国線で恩田へ向かいます。