その6(№5255.)から続く

「関西三空港」、関空・伊丹とくれば次は神戸…といきたいところですが、関空開港の1年前にアクセス鉄道が開業した空港を取り上げます。
その空港とは、福岡空港。平成5(1993)年の3月3日、福岡市地下鉄空港線が乗り入れ、博多・天神といった福岡市中心部が空港と直結されました。地下鉄が直に空港に乗り入れ、地下鉄の路線が空港アクセスを担っているのは、ここ福岡が唯一の例となります。羽田空港や成田空港も、都営浅草線を介してアクセスが可能ですが、あれらは直通先の京急・京成の路線ですから、地下鉄の路線が空港に直につながっているわけではありません。以前計画があった、13号線(現副都心線)の羽田延伸が実現していれば、福岡は東京に次ぐ2例目の「地下鉄が空港と直につながっている都市」となっていたかもしれません。

福岡空港で特筆すべきなのは、市の中心部との距離が極めて近いこと。
しかし、空港利用者の増加と道路交通量そのものの増大に伴い、周辺道路の交通渋滞が慢性化し、既に昭和40年代の段階で、福岡市中心部から空港まで40~50分程度かかることも珍しくなくなっていました。これでは、いくら物理的距離が近いとはいえ、空港までのアクセス時間が「読めない」ことになってしまいます。そのため、利用者の間では、福岡空港は「近い空港だが移動時間には大きく余裕を取る必要がある空港」と、いわば「近くて遠い空港」と認識されるようになります。
運輸省(当時)の諮問機関である都市交通審議会も、このような状態を問題視するに至り、昭和46(1971)年3月に「福岡市及び北九州市を中心とする北部九州都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本方針について」と題する答申(答申第12号)を運輸大臣に答申し、空港線を含めた福岡市内の都市高速鉄道の路線網整備に向けた具体的な提言がなされています。この中には、現在の空港線の整備に関する言及もありますので、この答申が、福岡空港への鉄道アクセス路線整備に向けた公的な出発点となっています。

空港線(1号線)自体は、昭和56(1981)年7月26日に天神-西新間が開業、翌年には中洲川端に達します。そして昭和58(1983)年3月22日、姪浜-西新間と中洲川端-博多間が開業、同時に国鉄(当時)筑肥線との相互直通運転を開始します。ただしこのときは、博多駅(現在の本設駅)が未開業であり、祇園駅寄りの仮駅で営業していました。また、筑肥線は相互直通運転・電化完成と引き換えに姪浜-博多間が廃止され、利用が少ないとして廃止対象になった「特定地方交通線」ではないにもかかわらず(この区間の利用はかなり多かった)、路線が消えています。これには不便をかこった利用客もかなりいたようです。筑肥線は当時、博多-姪浜間の廃止だけでなく、唐津側でも路線の付け替えを行い、スイッチバックが必要だった東唐津駅を移転させ、唐津線のみの駅だった唐津駅に乗り入れる路線形態となり、同時に虹ノ松原-東唐津(旧)-山本間を廃止しています。
なお、地下鉄博多駅は、昭和60(1985)年に本設化され、開業後2年で仮駅がようやく解消されました。

1号線の残る博多-福岡空港間ですが、福岡市は博多駅本設化の翌年の昭和61(1986)年に免許申請を行い、翌昭和62(1987)年3月に工事施工認可を受けました。工事施工認可を受けて6年後の平成5年、博多-福岡空港間が開業。これによって、福岡市地下鉄は市内の通勤通学など日常輸送のみならず、空港アクセスも担当するようになりました。博多-福岡空港間の開業と同時に、福岡市は、地下鉄の路線に1号線・2号線といった数字ではない愛称を付与することとし、1号線は「空港線」と命名され現在に至ります。ちなみに2号線は「箱崎線」と命名。さらに余談ですが、東京の半蔵門線の現水天宮前駅の駅名が「箱崎」になっていたら(同駅の駅名候補に『箱崎』もあった)、こちらも「箱崎線」になっていたかも? でもこちらは既に開業前の昭和52(1977)年の時点で「半蔵門線」と決定していましたから、それはない。
博多-福岡空港間の開業により、福岡空港駅から博多までは地下鉄で何と5分! 天神まででも僅か11分となり、従来のバス・タクシーのみに頼る空港アクセスに比べ、定時性が劇的に改善しています。これで本当の意味で、「市街地に近い空港」のメリットが生かされることになりました。
ただし、地下鉄の福岡空港駅は、国内線ターミナルビルの至近に建設されたため、国際線ターミナルへのアクセスに関しては、地下鉄のみでできるようにはなっていません。具体的には、国内線ターミナルから出る無料連絡バスに乗り換える必要がありますが、この連絡バスは殆ど一般道を通りませんので、渋滞に左右されず定時性が確保されています。本当は国際線ターミナルビルへのアクセスも…と思いますが、福岡空港の場合、利用客数が国際線<国内線なので、やむを得ないところもあったのかと思います。
ところで、地下鉄空港線は、博多-姪浜間では、かつてあった西鉄の福岡市内線の幹線系統とほとんど同じルートを走っているということです。上記の答申が出た昭和46年の段階では、まだ福岡市内線が健在でしたから、これを生かすという発想があってもおかしくなかったと思いますが、結局空港アクセスは路面電車ではなく地下鉄によって実現しました。福岡空港は、日本の空港の中では利用者数第4位だそうなので、路面電車だけのアクセスでは対応しきれなかったでしょう。地下鉄を整備したのは正しかったと思います。実際、空港利用客の中で、空港へのアクセスのシェアの約6割を地下鉄利用者が占めるというデータもあります。

前回取り上げた伊丹空港もそうですが、「市街地から近い空港」というメリットは、「市街地の騒音問題」「市街地に高層ビルを建てることができない」などのデメリットと表裏一体となっています。福岡市に他都市のような超高層ビルがほとんどないのはこのためで(建築物の高さは、航空機の飛行ルートの妨げにならない高さに制限されている)、バブル期にはそのことが、福岡の都市としての発展を阻んでいるというような意見も語られることがありました。
騒音などの問題はおくとしても、福岡空港そのものが手狭であることは確かなようで、改善は続けられているようですが、それでも劇的なものではありません。
そのため、かつては博多湾沿いなどに新空港を建設するなどの案も語られたことがありますが、今のところ、そのような計画は具体化してはいません。やはり新空港を一から建設するとなると、費用(初期投資額)が膨大になるからでしょう。
それならば近隣の北九州・佐賀両空港と一体化した運用をしては、という提案もあるようですが、佐賀空港はともかく、北九州空港は福岡空港から直線距離でも60km以上離れていて、かつ道路でもかなり距離があるので、羽田と成田のような関係性にはありません。北九州空港にもアクセス鉄道を整備しようという構想はあるものの(これは追って取り上げます)、今のところ具体化はしていません。
しばらく、福岡空港は現状維持が続くのでしょう。

次回は、予告編では中部国際空港を取り上げることにしておりましたが、アクセス鉄道の開業年次どおりに、宮崎空港→那覇空港→中部国際空港→神戸空港の順にします。予告編とは順番を違えますが、ご了承ください。

その8(№5269.)へ続く