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「話しの中身がどうなれこうなれ気持ちも知らずに」だべっていくと思いますが、他人様を傷つけることのないようにしていきたいと存じます。

気づいたら、アタクシがXでtweetした回数が554回に到達しておりまして、

 

だったら555回目のネタには『仮面ライダー555』(『仮面ライダーファイズ』)しか

ないな、ということでこの記事をしたためております。

 

オルフェノクという、ヒトではなくなってしまったモノと

ヒトとの相克が主題となっており、

 

萬画版『イナズマン』や和智正樹氏『仮面ライダー 1971――1973』とも共通する

石ノ森章太郎先生が作品を通じて時たま問いかけてくる題材でもあります。

 

「共生」やInclusionが唱道される昨今にはある意味ふさわしい作品かもしれません。

自分が居ない世の中 思い遣るような人間(ひと)であれと | JIROのブログ (ameblo.jp)

 

 

日曜日の朝からやるべき内容なのか、ということでは

かなりの物議をかもしたということも聞いておりますが。

 

で、アタシがpixivで160ヶ月に渡り二次創作を続けていたさなか、

乾巧・仮面ライダーファイズが主役のひとりである愚作がこれでございます。

#仮面ライダーファイズ #ライダーマン 真白き夢の彼方に ―3号の世界― - さっとすの小説 - pixiv

 

アタシの文章には珍しく、フォロワーさんからのこんな言葉がきっかけでしたためました。

 

「黒井響一郎・仮面ライダー3号を出してくれませんか」

(及川光博氏が『スーパーヒーロー大戦GP』で演じ、

竹内涼真氏の仮面ライダードライブらとの激戦を経て

真の「仮面ライダー」となる主要登場人物です)

 

結果的に、『パラダイス・ロスト』寄りになってしまいましたけど。

 

しかも冒頭に、バルタン星人(サイコバルタン)と

一文字隼人・仮面ライダー2号の小競り合いが挿入される、という(笑)。

 

なんでこうしたのか、まったくもって思い出せません。

 

 

とか云いつつも、仮面ライダーファイズは「平成ライダー」でも

お気に入りの戦士であるひとりです。

 

まあ拙作ではほぼ、門矢士・ディケイドファイズで活躍させていますが。

 

アタシが初めて観た「平成ライダー」作品『オールライダー対大ショッカー』にて、

リ・イマジネーションバイオライダーを破ったライダーキック

「クリムゾンスマッシュ」の印象が鮮烈すぎたもので。

→ 冷酷な運命を曲げて 見せる | JIROのブログ (ameblo.jp)

 

うちの仮面ライダーディケイドはライドブッカーソードモードないし

素手での接近戦で悪玉を成敗する比重が大きいため、

(『スターウォーズ エピソード3』アナキン・スカイウォーカーにあやかって)

 

刀身に「フォトンブラッド」を充溢させる剣戟「スパークルカット」や、

鉄槌さながらの威力をもつ正拳「グランドインパクト」といった

必殺技と相性がいいせいもあります。

 

 

かてて加えて、巧を担当した俳優の半田健人さんが好きなこともあるでしょう。

 

『タモリ俱楽部』では趣味の話題でタモリさんと大いに盛り上がり、

 

『SUPERからくりテレビ』では、つるの剛士さんらがやっていた音楽企画?で、

茅ヶ崎市のどこかで加山雄三船長の「君といつまでも」を披露していた記憶があります。

 

『がらくた』を特集した雑誌『Pen』(CCCメディアハウス、2017年9月1日発行)では

「桑田さんの声」のもつ力を「1950年のヴィンテージギター」と喩えておられます。

 

更には『アンパンマン』シリーズを愛好されているそうで、何かの雑誌でやなせたかし先生と

対談されていた記事を拝見したこともあります(中身は失念しました)。

 

 

上述のリンク先にあります愚作で、袂を分かった戦友であるホースオルフェノクに

 

「木場、スマートブレインに加わって何を見つけた?何か喜びはあったか?幸せか?

俺には雁字搦めになっているお前しか見えないぜ。

少なくとも、お前は今を生きていない。」

 

「人間だろうが、何だろうが関係ない。

生きる喜びをもつもののために戦うのが俺のやり方だ。」と喝破する描写があるのですが、

 

この言い回しは「アタシが選ぶ日本の三大名曲!!」のひとつ

「アンパンマンのマーチ」を参考にいたしました。

 

 

そして『仮面ライダー555』は一癖ある登場人物ばかりが

二転三転する群像劇を展開していくのですが、

 

彼ら彼女らの中でもとりわけ印象深いのがスマートレディ。

 

NHK教育テレビ低年齢層向けの番組司会者じみた語り口で

敵味方に接する謎多き女性(或いはノンジェンダー?)でありました。

 

アタシはとりあえず「初期化される運命」って本人にこぼさせることで

仮想生命っぽくしたんですけど。

 

作中に「みんな、観てくれるかな?いいともー!」って

科白があるのはご愛敬、と受け止めてくださいまし。

『オレたちひょうきん族』について書いたいくつかの記事で、

 

さんま師匠のキャラクターではナンデスカマンが一番好きです、と

述懐いたしましたが、

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当該文章の中で1985年に生まれた名物キャラクターである

 

島崎さんのアダモステや、

紳助さんの「さんまちゃん、寒い……」(「洗濯女」などとも呼ばれる)

について触れております。

 

その時期にさんま師匠が演じていたのが「妖怪人間知っとるケ」です。

 

「ヒャッホホー!」と奇声を上げ、右肩にカラスのバッキーくんを乗せ

(夏場は軽装で扇風機を乗せていたという、クールビズの元祖?)

 

「♪最低の男って知っとるケのケ」など踊りながら登場する、お馴染みのあれです。

(予算削減なのか、単なるネタなのか、踊り子さんたちは次第に減少し、

タケちゃんマンセブンが作り物の腕を操作することもあった)

 

このキャラクターへの思い入れはそうでもないかな、というのが

正直なところなのですが、

 

いろいろ考えてみると、『ひょうきん族』も社会に対して

様々な主張をしていたんだな、と思わされまして、

 

その筆頭が知っとるケ、とも云えるわけでございます。

 

 

そもそも知っとるケの初期設定が

「青森県毛取市」という架空の山村で、

時たま祟りをもたらす神秘的存在とされています。

 

巡礼僧のふたりが、父親の急逝により

幼い子供ひとりで毛取市で暮らすことを余儀なくされ、

分教場でさんざん馬鹿にされた悔しさから

 

あらゆる知識を習得することを神仏に祈願した結果、

「妖怪人間」として生まれ変わった、というものでありました。

 

幼稚園まで受験させる風潮がいつ頃から広まったのかわかりませんが、

1990年代末期にその動機での殺人事件が起こったのは記憶にあります。

 

 

そして最終回「さよなら知っとるケ」では、

 

内閣支持率が極度に低下したことを憂う、渡辺リーダー演じる大臣が

1985年の未解決事件の濡れ衣を一挙に着せるべき人物を

コンピューターで無作為に抽出(?)させたところ、

知っとるケが選択されたわけです。

 

そして彼は故郷である毛取市の「知っとるケ神社」に籠り、

タケちゃんマン手鼻セブンが自衛隊の包囲から脱出させようとする中、

「俺が死ねばみんな幸せになるんや」と踊りながら焼身自殺を遂げるという

 

えもいわれぬ哀愁が漂う最期を遂げるのです。

2024年7月現在、なにか共感と危惧を感じてしまうのは

アタシだけでしょうか。

 

 

ま、そんなことは置いておいて、知っとるケ編で最も好きなのは

「二代目はマジシャン」という挿話で

(つかこうへい氏原作、井筒和幸監督『二代目はクリスチャン』のもじり)

 

鬼瓦権造という名前がついていなかった時期の

殿扮する「関東手鼻組組長」と鶴太郎さん「お約束」の

おでんネタ、

 

その後に「熱いのはなしですぜ?」と鶴ちゃんが念を押したところで、

待ってましたとばかりに山盛りのかき氷を口いっぱいに詰め込むとこが

お気に入り。

 

そしてさんま師匠がいわゆる「脱出マジック」の箱を持ってきて

殿がその中に入るわけですが、台本通りにはもちろんいかず、

 

「【殿】ああ、痛てぇ。誰だ、思いきり後頭部突っついたのは!」

「【さんま師匠】これで、テレビの前はドッカーン。」

「【殿】俺、こんなことしてまで笑い欲しくない。のりおじゃないんだから!」

 

知っとるケとの対決では、料理研究家「江上タケ」に久々に「変身」し、

助手役の松っちゃん(たけし軍団)まで馬鹿でかい貯水層に突き落とした挙句、

 

「【さんま師匠】ちょっと、ちょっと待ってくれましぇんか。

股間が保ちまシェンて~!!」

の名言を引き出した印象深いコントです。

 

 

2024年6月30日、つまりは昨日、

さんま師匠の「ナンデスカマン」について好き勝手に書いたら、

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「#ビートたけし」で7位になっていたみたいでして。

 

高校の試験成績以来、ベスト10に入ることなんてなかったから

実に嬉しいですね。

 

アタシの周りにいる方々の記事がなんか高尚なんで

狼狽してしまいましたが。

 

 

それらを参考して興味を持ちましたのが、

絵画の展示会か何かで、香取慎吾さんと殿が

芸術について語り合った、というものでありました。

 

そこでアタシの脳裏をよぎったものは、

さんま師匠を題目にしたドラマで、

香取さんがタケちゃんマンに扮していた写真であります。

(実際の映像は観ていない)

 

というわけで、今回は殿のタケちゃんマンについて

徒然なるままに。

 

 

今回の参考文献は

『ビートたけしのしまいにゃ笑うぞ!』

(株式会社スコラ、1983)――以下『スコラ』

 

『オレたちひょうきん族』

(サンケイ出版、1982)――以下『剽軽』

 

『ビートたけしの幸せひとり占め』

「ビートたけしのオールナイトニッポン」単行本「伝説の幸せシリーズ2」

(扶桑社、2000年)――以下『ANN2』

 

『コマネチ!ビートたけし全記録』

(新潮社、1998年)――以下『コマネチ』 の4冊です。

 

たいていは神田の古本屋街を物色していて見つけたものです。

 

新たな東京都知事には、この文化をちゃんと守れる人に就任していただきたい。

 

 

『剽軽』だと、タケちゃんマンやブラックデビルについての詳細な説明が

これでもか、と掲載されておりまして。

 

「俺様はタケちゃんマン。ものすごく忙しい!!

特に、土曜の夜8時は、すさまじい。

おかげで、好きなドリフの番組も見れやしない。」(同書のカバーより)

 

と、「みんなが好きです!!」なひょうきん族名物の楽屋落ちが。

 

 

「(前略、「全員集合」と「ひょうきん族」の作り方に触れて)

みんなが一丸となって練りに練って、

ひとことのアドリブの余地もないくらい

完成度の高いギャグやってるワケでしよ。

それにひきかえ、ちゃらんぽらんにやってる

われわれが勝っちゃ失礼だっての。」

(『スコラ』、17頁)

 

と、殿ご自身は当時からどこか醒めた視点で語っておられますね。

その直後、タケちゃんマンブームについて、

 

「これじゃまるで上野のパンダだよ。もう情けないったらありゃしない。

シャッターが押されるたびに、オレもニコっなんて

ひょうきんな顔しちゃってポーズつけたりしてネ、

芸人の悲しいサガなんだろうねェ。」

(『スコラ』17頁)

 

「このタケちゃんマンのせいで、前は高校生あたりが

オレのあとをゾロゾロついてきたもんなんだけど、

最近は道を歩いててても、ついてくんのは、

鼻水たらしたジャリばっかり!」

(『スコラ』18頁)

 

時代は一気に下りますが、『誰でもピカソ』の最終回で

殿は「動物ならパンダが理想。何もしなくてもみんながチヤホヤしてくれる」

と述べており、タケちゃんマンを演っているうちに

こう思われるようになったのかな?なんて邪推しちゃって。

 

 

そういえばこの放送で、さくらももこさんからのお手紙か

なにかが朗読され(間違っているかもしれない)、

ご本人登場か、なんて期待していたら、

 

スタジオに登場したのはタケちゃんマンの衣装を着た

格闘家の桜庭選手なんてのも確かにありましたね。

 

ご存じの通り、あの衣装はジュリーさんが

「TOKIO」で歌う際に着用したやつなんですが、

 

元々がイイ男の衣装なので、木村拓哉さんが

「タクちゃんマン」に扮したとき、

「メイクさんたちが最初は笑っていたんだけど、

終わりに近づいてくると自分でも、

あれ?イケるじゃんと思えてきた」とか語られていたような。

 

まあ、2008年の『27時間テレビ』で

さんま師匠の「ブラックデビルスマイリー」と一緒に映った

しょっぱなの画では、

 

「こないだまで総理大臣を演っていたタクちゃんマンです」

って恥ずかしそうに述懐していましたけど。

 

ちなみにKōki,さんが5歳くらいのときで、

殿ご自身も、

 

「ありゃどう見たって、30過ぎの子持ちがやる

カッコじゃないぜ。うちのガキはまだ1歳で、

ものごころついてないからいいけど、これが

小学校にでも行ってたらバカにされるぜ、まったく。」

(『スコラ』、17~18頁)

 

で、時代は違いますが、『HANA-BI』時代の

北野井子さんの切り返し方がいいんですわ。

 

「お父さんの仕事も普通の仕事。自営の仕事なんだし、

自営業の人はいっぱいいるでしょ。」

(『コマネチ!』56頁)

 

 

あとはちょっとした雑談ふうに。

 

1982年あたりで「タケちゃんマンセブン」の構想はもうあったらしく、

 

『あしたのジョー』の力石さながらに大規模な葬式をやった翌週に、

「オレはタケちゃんマン太郎だ!」としれっと登場し、

(たしかブラックデビル末期に一度、高田純次さんが演じた)

 

そのあとにタケちゃんマンセブン、

さらに5人出てきて「ゴタケちゃん」にしよう、なんて

しょうがねぇなぁ(笑)。

(『スコラ』19~20頁参照)

 

同じ時期かな、太田プロの興行か何かで、札幌に

鶴太郎さんとか若人あきらさんなんかと

行った際、スキー場でナンパとかしようとして、

 

遭難スレスレのところまで到達したみぎり、誰かが

「こんなときにタケちゃんマンがいてくれたらなぁ」

とついボケたところで、

 

殿が「バカ野郎!オレはここにいるだろ!!」って

マジになっちゃったとか。

これもしょうがねぇなぁ(笑)。

 

最後に、『ANN2』には色彩された頁が半分くらいを

占めておりまして、「ひょうきん族」特集では

殿がタケちゃんマンの衣装に着替える様子や、

 

高田純次さんが担当した初代ブラックデビルとの共演など

(DVD6枚組だと『少年ジェット』の悪役が初代らしいけど)

今では貴重な光景が多数収められておりますが、

 

その中で一番気に入ったのは、漫才ブーム華やかなりしころ、

「跳びツッコミ」なるネタで人気だった(のか?生まれていないのでわからん)

 

「くるみミルクの悩殺ポーズだって!!

だれだ⁉これ見て全力投球してるのは!」(126頁)の写真で、

 

ことごとくしょうがねぇなぁ(笑)。