自分が居ない世の中 思い遣るような人間(ひと)であれと | JIROのブログ

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「話しの中身がどうなれこうなれ気持ちも知らずに」だべっていくと思いますが、他人様を傷つけることのないようにしていきたいと存じます。

今回の記事を綴るために「Relay~杜の詩」を

改めて聴き直してみたのですが、

 

これは「懺悔」、もしくは「自戒」として向けられたものなのかな、と

ちょいと感じました。邪推?

 

 

とりわけ、今回MVを視聴したなかで心に刺さったのが

「♪肌で感じて」という歌詞でございます。

 

Mixed Reality, MR(「複合現実」)などの技術が

頓に進歩している世の中でございます。

「♪今この時代こそ 未来と呼ぶのだろう」でありますが、

 

あまりにも沢山の情報が溢れ返る現代

こんな状況に慣れ過ぎてしまっているがゆえに、

 

自分が本当に欲しい知識はどこにあるのか、

探し出すのが却って困難になっているように感じてしまうのです。

 

いわゆるFake NewsやInfodemicというものへの

耐性がどんどん衰えてきているのはアタシだけなのでしょうか?

 

で、鍛え直すためにはラクをしちゃいけないのだな、と

自分自身の態度を改めて顧みている次第であります。

 

 

アタクシは国内旅行が好きで、2024年3月10日には

『仮面ライダーSPIRITS』の記事で言及した端島(軍艦島)に

足を運んでいるのですが、

戦場で夢を見たかい? | JIROのブログ (ameblo.jp)

 

あの荒涼とした儚さといいますか、無常さはいかに

言葉を尽くしたところで、写真を見せたところで

実感してもらう、もしくは共感してもらえるかは難しいでしょう。

 

 

「人生に失敗がないと、人生を失敗する」と

斎藤茂太さんはこう云っておられますが、

 

心身ともに傷ついた経験がない限り、他人の痛みなんて

想像がつかないでしょう。

 

島田洋七さんの著書にもこんなお言葉がありました。

 

「(前略)山の頂上にはなーんにもない。ずっといるところじゃなか。

頂上に着いたら、記念写真撮って、さっさと降りてくればええ。

そして、谷のきれいな水で体洗って、冷たか水飲んで、

もう一度山に挑戦しんしゃい」

(『がばいばあちゃんスペシャル 俺の彼』徳間書店、2009年、184・185頁)

 

アタシは「昇り詰めた」とか「達成した」と思うたびに自分を顧みることや、

周囲の意見を求めたり、自分の経験が他の人たちの為にどう活きるか考えたり、

ひとりで閉じこもりすぎないようにという戒めと理解しております。

 

 

アタシも頭ごなしに否定することがある、というか

そういった文章をしたためていることが多かろう、と思います。

 

ただ幸いなことに、無為な言い争いや後悔を繰り返してきたため、

思いとどまったりなるべく挽回したり償おうとしたり、

そういう発想はできるようになりました。

 

それでもやはり失敗や自己嫌悪は生じてしまうわけですが。

 

一番わかりやすい言い回しを引用させていただいて、

弁解めいたこの記事を閉じさせていただきます。

 

 

「世の中の多くの人は、勝手なことを思い付くままに

口にするものです。気を付けているつもりだけど、

僕だって時にはそうしてしまっているかもしれないわけで。

人の悩みは他人事。人の痛みは他人事。

つまり人のことは全部他人事です。

諦めとか人間不信というのではなくて、

そう捉えるのも自己防衛の一つだと今は考えています。」

(『毛ガニの腰伝説』KADOKAWA、2016年、136頁)