あなたのココロ、治します。 -22ページ目

エッセイ185「両親の生活」

 父は病的とも言えるヒステリーだった。おかげで母も僕ら兄弟もガンガン罵られた。父はよく「離婚届の判を押すぞ」と母に怒鳴っていたが、母はそうはしなかった。なんといわれても反論し、さらに罵倒されていた。きっと僕ら子供のためと思ったのだろう。とても辛い思いをしたと思う。よくぞ家族を見捨てずに父が死ぬまで結婚していたと思う。僕ら兄弟が母子家庭にならなかったことは感謝せねばなるまい。

 父は厚生省社会保険庁に勤めていた。お役所だったからさぞかし退屈だったのであろう。仕事の時間に日曜大工の設計図を書いたり、旅行のプランを立てたりしていた。母は看護婦をしていたが僕が小学校二年生まで産休していた。復帰後はS新宿中央病院で中央材料室という患者には接しない部署で仕事をしていた。母は性格がおっとりしている。

 それは僕も引き継いでいるのだが、そのことで同僚にバカにされていたらしい。僕は都立のトップ校である戸山高校へ進学し、そこから自転車ですぐの病院まで来て社員食堂で昼食を食べることがしばしばあった。そのことが同僚に嫉妬心をわかせ、母が鼻高々な様子だったことが記憶に新しい。
僕は幼稚園か小学校の低学年の時に自殺企図をしている。それはあまりにも父が恐ろしかったからである。

 もう叱られたくないという気持ちだった。自殺企図といっても本格的なものではなく、布団をかぶって息を止めて窒息死しようとしたのである。もちろん未遂に終わったが気持ちの上では僕は死を選んだ。父の教育のせいで僕は人に怒られることを過敏に恐れるようになった。おかげで人の顔色を伺いながら人と接することしかできない人間になってしまった。

今日の日記「東大に入ろう」

こんばんみ。
雨ですなあ。

今日のニュース。
海賊、身代金25万ドル要求 海事は10万ドルに減額要請
【バタワース(マレーシア北西部)22日共同】マラッカ海賊事件で、タグボート「韋駄天(いだてん)」の井上信男船長(56)、黒田俊司機関長(50)ら3人を拉致した犯人グループが事件発生から2日後の16日に、韋駄天が所属する近藤海事側に身代金25万ドル(約2600万円)を要求していたことが22日分かった。事件に詳しい関係者が明らかにした。(共同通信)

海賊なんて「ワンピース」の中だけの話、なんて思っていたら、こんなこともあるんですねえ。「『身代金の請求はなかった。』これが公式声明です」という社長(船長?)のセリフがかっこいい。ずいぶんと親切に扱われたそうで。別れ際に「なんかの足しにしてくれ」なんて200ドルくれたらしいですね(笑)。命がけ、一世一代の大海賊劇で2600万円なんて安いもんですよねえ。10人でやったとして、ひとり260万円。真面目に労働しよう。

今日の自分。
昨日寝ながら本を読み、眠くなったら寝ようと思っていたら2時になってしまった。はっ! 今から眠剤飲んだら明日起きられなくなる! 活動していようということになる。

まずパステル画の最終回課題を書きました。僕は風景画を描くつもりでいました。といってもこれも模写。5カ月前から描こうと思っていた絵がありました。たぶんイタリアの昼下がり。ワインのかおりがする。なんてな。プックルさんは作成終了されてないままご実家に帰られたのでしょうか。あっという間の5カ月間でした。何していたんだろ。読書と点字かな。

11年前のシーンが思い起こされる。高校、サッカー部のTのセリフ。「Sのヤツ、東京理科大だってよ。笑っちゃうよな。つうか理科大でとまってよかったよな」。1浪後の高校の同窓会のセリフです。Tは特に意識したことのない存在。東大合格ですって。そんなにできるヤツだとは知らなかった。

「ねえねえ賢くんは?」と女の子のセリフ。「青学」。返事に困る女の子。「ねえねえオーアくんは?」「北大の医学部」「うそー! オーアくんすごーい!」

11年も覚えている。よっぽどくやしかったんだろうなあ。医学部に行きたいとは思わないけど、やっぱ東大に行きたかった。その頃の目標は早稲田だったのですが、11年の歳月を経て目標をランクアップする。あと、理系の才能はないことに気づき、文学部を受験することにする。東大に入りたい。東大生になりたい。「東大卒」と書きたい。

なんでこんなことにこだわるんだろ。でもやっぱり東大ブランドってすごいと思います。タケモトくんやナガエさんは現役で京大に受かった。それもすごい。でも1浪でも東大がいい。ちょっとした病気ですな。『東京大学合格方法』などという本を今日アマゾンで注文してしまった。今日ですよ。『東大の英語28年分』も注文してしまった。

僕の中では19歳のまま精神成長は止まっているのかもしれない。社会と接点があったのは25歳までです。ここからひきこもる。バイトをちょこちょこやった他は接点なし。僕は今25歳なのだ。今日お昼はラーメンを食べました。食後トイレに行き、鏡に映る自分にちょっと驚く。おっさん誰? これが僕なのだ。僕はもうおっさんなのだ。

やっぱそうですよね。31ってもうおっさんですよね。認めよう。僕はおっさんだ、ああ、おっさんだ。おっさんが「僕」っておかしくないか? オカシいオカシい。おっさんは「わたくし」です。

ああ、僕が昼寝をしている間、同級生はニッポンを支えるビジネスマンをやっているんだ。東大卒のビジネスマンを。やりたいとは思わない。でもそれが当たり前だということ、自分はイレギュラーであることを再認識しなくてはいけない。もう主任や係長くらいになっているヤツもいるかもしれない。子供も2人くらいいて、家族みんなの食いぶちをひとりで稼いでいるのだ。

すげー。でも僕にはできない。したくない。

話が飛びました。夜中にパステル画を描いて、アマゾンで過去問を注文するところまで来ました。そう、注文しちゃったのです。わたくし、今から勉強をはじめて東大文学部に入ることを宣言したい。違うね。東大に入ったからって解決することじゃないね。別に解決しなくたっていい。ニッポンを支えるサラリーマンにはならない。一生東大生でいたい。

しかしね、オカシいのは僕だけじゃないですよ。東大理三(医学部)に現役合格したことを未だにネタにして書籍を書いている和田秀樹や柴田孝之。オカシいね。オカシくてもいい気がしてきた。東大の学生証を首にぶら下げて街をうろつきたい。まず東大に受かる英語力作成法を考えよう。なんか楽しくなってきましたよ。せっかく時間が余っている(ないけど)のだからこういうことに使わなきゃ。

ってね、以前にも似たようなことをやっています。早稲田の理系数学の過去問にトライしたこともあります。難しすぎて1問も解けなかった。解答を見ても解らない。数学は諦めましょう。文学部に入る。

ってさ、また脱線してるよ。深夜、朝のことです。パステル描いて、過去問注文して、本を読もうとしました。でも意識が変になっていて普通に読書できない。点字の勉強をしてみる。今ひとつ集中できない。なんだか意識が変だ変だ・・・と布団に入っていってちょっと眠りかけたとき、母が呼ぶ。朝です。

今日はアビコという街の動物病院へ行くことになっていました。ブリーダーが勧めるので。8時にうちをでる。40分ほど走って着く。「すっごく待たされる」と聞いていました。でも1番乗りなので待たなかった。問診にこたえる。レントゲンを撮る。原因は腰の神経にあることが明らかになりました。今まではそれすら解らなかったのです。

とても信頼できる感じの獣医でした。会計5500円。良心的。5日後にまた来い。土曜日にまた行くことになりました。右京を家に残してすぐ出かける。犬小屋を買おうという話になっていました。今までは夜は家に入れていました。それを外で飼おうということになったのです。

ホームセンターをふたつ見る。決定。7千円のヤツ。家に帰って組み立てる。木の犬舎です。右京はびびって近づこうとしない。ちょっと寝る。

起きて頭オカシい人の病院へ行く。薬だけもらってくる。夕飯はうどん。今にいたリアン。右京の左足麻痺の原因が分かってよかったです。やはり何物かの外的な力が腰に働いたそうです。神経の異常です。人間の場合治りにくいが、犬は治る確率は高いそうです。よかった。やっと信頼できる医者に出会えました。

ふう。やっと日記終了。2700文字ですって。原稿用紙7枚。久しぶり。東大問題、ビジネスマン問題が残っているような感じですが、まあいいでしょう。本が届いてからどうするか考えます。でもやっぱ東大の学生証を首からぶら下げて街を徘徊する自分が頭に浮かぶ。英語だけでも東大生レベルにしてみたい。

そんな感じです。今後の予定は風呂に入る。明日の予定は点字学習と読書。それでは、また明日。

今日のお言葉
31歳で東大に入ろう。
(賢)

エッセイ184「幼児期の魂百まで」


 僕は三歳の時に新宿の公務員アパートに移り住んできた。しゃべりだすのが遅かったそうだ。それで知恵遅れかもしれないと両親を心配させた。小さい頃から泣き虫で、それは今も変わらない。

 幼稚園はY第一幼稚園へ通った。ちょうどY第七幼稚園との境にあってどちらに行ってもよい状況だった。小学校はY第七小学校へ行った。幼稚園ではHくんの手下だった。控えめだった僕とは対照的にHくんは独裁的だったので自然に手下のようになってしまった。泣きながらHくんの家まで走っていったことを覚えている。

 Hくんの家では「おやつ」としてうどんが出された。おやつは甘いものだと思っていたし、おやつの時間にうどんを食べてしまっては夕飯が食べられなくなってしまうと思った。文化の違いを感じた。

 幼稚園時代から僕は神経質だった。ティッシュのような柔らかい紙で花を作る時間があった。折り紙のようなしっかりした紙なら折るのが好きだったが、柔らかい紙ではきっちりと両端をあわせることが難しかった。そのころから完全主義者だった僕は「こんなことできない」と泣き出した。それを見て近くにいたTくんが「俺がやってやるよ」といって花を作ってくれた。

 Tくんは元気のいい、比較的乱暴者だったから造花も多少乱れていても平気な様子だった。とにかく造花はできた。それを先生に提出した。Tくんには開眼させられた。百パーセントの出来でないからといって全く作らないよりは、多少荒くても七十パーセントの出来でも提出した方がよいということを学んだ。

 絵を描くのはこのころからすでに苦手だった。才能がなかったのだろう。卒園アルバムの表紙に何か絵を描かなければならないことになって、僕はずいぶん苦労した。何を書いてもいいということで僕は幼稚園のみんなでいった水族館の絵を描いた。嫌で嫌でたまらなかったが無理矢理形にして提出した。そのかわりお遊戯は大好きだった。「地球ドンドン」という歌が大好きで今でも曲を覚えている。お弁当の歌も好きだった。「これっくらいの おべんとばっこに おにぎりおにぎりちょいとつめて」という歌だ。今では踊ることはできないがカラオケなどで歌うのは好きである。

 好きな人もいた。三歳上の兄がしつこく誰だか聞くので僕は全然好きじゃないSちゃんの名前を挙げた。兄はそれが本当だと信じ込んでずいぶん後までからかわれた。

 砂遊びが好きだった。住宅には砂場があったので同級生のHくんと毎日のようにどろんこになって遊んだ。大きなお城を造ってみたり、逆に深い穴を掘ってトンネルを造ったりした。カップに砂と水を入れてコーヒーを作った気になった。Hくんは後に法政二高から法政大へと進学した。偶然にも僕と同じ理系で、僕は機械工学科、Hくんは電気電子工学科だった。缶けりや色鬼、四人乗りのブランコでもよく遊んだ。

 ある日ブランコを思いっきりこいでいたら口を激しく鉄パイプにぶつけて前歯が欠けてしまったこともあった。同じブランコで今度は左腕を骨折したこともあった。女の子とも遊んだ。一学年下のMちゃんや隣の借家に住んでいたTちゃんと遊んだ。一緒に水飴をなめたことを思い出す。Tちゃんは僕のことを好きで、勝ちゃん勝ちゃんと言っていたそうだ。兄とは程々に喧嘩もし、程々に遊んだ。兄と喧嘩しても勝ち目はないので手の小指を思いっきり引き裂いてピンポイント攻撃をした。将棋やオセロでは絶対に勝てないので遊ばなかった。そのころから負けん気が強かった。

 誕生日に超合金ロボットを買ってもらったことがある。友達が家に来ていてそのロボットで遊びたがった。神経質な僕は遊ばせる前に全員に石鹸で手を洗わせた。

ひとり遊びも好きだった。プラモデルも好きだったが、特に粘土細工は大好きでロボットを作っては壊し、作っては壊しした。このころからすでにひきこもりがちだったようである。

 また、母の首の裏にある小さないぼをいじるのが好きだった。だっこしてもらうとちょうど目の位置にいぼがある。母はそれを嫌っていたが僕のいじり癖はなかなか直らなかった。

今日の日記「明日は雨だそうです」

こんばんみ。
元気です。

今日のニュース。
卒論は「ライブの空間」 歌手倉木麻衣さんが卒業
 人気歌手の倉木麻衣さん(22)が21日午後、立命館大(京都市北区)で行われた卒業式に出席、記者会見で「自分から何でも経験して、行動していくことの大切さを感じた」と4年間の学生生活を振り返った。(共同通信)

ちゃんと卒業したんだあ。大したもんだ。しかも4年で。僕は7年。トップアーティストでいて学士ですか。卒論書いたんですか。広末は早稲田やめちゃいましたね。綿矢りさは教育学部、卒業できるのでしょうか。教育ってインチキ入試学部?

今日の自分。
明け方まで本を読んでいました。昨日は珍しく読書がはかどっちゃって、5冊も読んでしまいました。午前中に父の墓参りにいってきました。お彼岸でしたね。エンジョイされましたでしょうか。午後はだらだらと寝ました。夕飯はマーボー茄子。

東京フレンドパークに波田陽区が出ていたのでついつい観ちゃいました。なんだか好きになっちゃうキャラクターですよね。♪ギター侍 波田陽区 いーんじゃなーい? 残念! もちネタあんまりありませんから!! 

皿洗いして今にいたリアン。今は辻仁成の『代筆屋』を読んでいます。今後の予定、風呂に入って、眠くなるまで本を読む。明日の予定、午前中に右京の足を治しに我孫子(あびこと読む)というところまで行きます。車で1時間くらいかかるでしょうか。

帰ってきたら今度は人間の病院へ。頭オカシイ人病院。まあほんとはそんなにオカシイとも思ってないけどね! 薬だけもらってきます。そんなところでしょうか。なんか書き足りないな。まいいか。それでは明日から平日、気分を入れ替えていきましょう。

今日のお言葉
残念! 書き足りませんから!
(賢)

エッセイ183「故郷はどこ?」


 出身は? と聞かれると少し困ってしまう。産まれたのは北海道の名寄市立病院だが、それは出産に当たって母が実家に帰ったからであり、当時家族は千葉県稲毛市に住んでいた。そこには僕は三歳までしかいなくて、それからは東京の新宿に移り住み、僕が高校卒業と同時に僕は中野の下宿へ、家族は現在住んでいる千葉県白井市に引っ越した。

 だから出生は名寄になり、出身は新宿であるといったらいいのだろうか。稲毛のことはほとんど覚えていない。団地の五階に住んでいたという。兄は稲毛の保育園に通ったらしいので多少記憶があるらしい。大きくなってからその団地に行ってみたことがあるが、よく遊んだらしい小さな砂場をかろうじて覚えているような気がするだけである。新宿に移ってからの記憶は割とある。

 稲毛に住んでいたときの面白いエピソードがある。僕は全く記憶がなく、母からあとで聞いたものだ。僕が一歳か二歳の頃、母が朝ランニングにいくときのことだ。兄と父はそれぞれ会社と保育園に行っていて僕と母親の二人だけだった。母は家の鍵を持たずにランニングに出かけようとした。僕もそれを追ってドアの部分をがちゃがちゃといじった。そうすると内側から鍵がかかってしまった。母はちょっと出かけるつもりでいたので鍵を持っていなかった。

 母は口頭で鍵の開け方をドア越しに一生懸命説明したが、僕はまるでそれを理解できなかったらしい。母ははしご車を呼んだ。はしご車でベランダから中に入り、事なきを得たという。僕はこの話題をいたく気に入っている。

 稲毛でもう一つエピソードがある。走り回り事件である。家族で公園に遊びに行ったそうだ。そこには陸上競技用のトラックがあった。なぜだかわからないが僕は走ることが好きだったようで、親にもうやめなさいといわれるまで延々と走り続けたという。中学生になって新宿区の陸上競技大会でろくに練習もせずに四位入賞できたのもこの天性の「走る」才能のおかげだったかもしれない。

今日の日記「キビシいドライブ」

こんばんみ。
しょっぱい。キビシイ。

今日のニュース。
NHK黒田あゆみアナが再婚
 NHKの黒田あゆみアナウンサー(45)が再婚することが19日、分かった。黒田アナは現在、「スタジオパークからこんにちは」(月~金曜午後1時5分)の司会を務めているが、週明けの22日の放送からは相手の男性の姓を名乗り、渡辺あゆみとして出演する。同局では「プライベートなことなので、相手の男性の職業や年齢など詳細についてはノーコメント」とした。(日刊スポーツ)

なんかすっごくスポーツ新聞的な記事を選んでしまった。黒田あゆみアナ、といわれただけで顔が思い浮かんでしまう。テレビって恐ろしい。年齢とか、再婚だとか公表されちゃうのですね。しかたないですか。あと、女性に聞きたいことですけど、姓をかえることをどう感じているのでしょうか。陶酔? 屈辱? やっぱり女の子はお嫁さんに憧れるのでしょうか。

今日の自分。
睡眠も臨界地点に達したようです。夜中から本を読み始めました。『鉄道員』(浅田次郎)、浅田さんの作品はやくざや水商売の女にやさしいというのは有名な話。浅田さんの小説を読むのは初めてです。『プリズンホテル』のマンガは読んでいました。

面白いとは思いましたが、僕は極道とか、生理的に嫌いです。もう2度と浅田文学は読まないかもなあと思いました。『鉄道員』、よかったんですよ、本当に。

次。『パーク・ライフ』(吉田修一)。いいところはバランスがとれているところでしょうか。よくないところ、田舎者が都会派を目指すとこういう風になるのかなあという感じ。メタクソ言っていますね。長崎県出身というプロフィールを読んでから本文を読むとそう感じてしまう。

カップリング作品『flowers』もかなりよかった。やはり田舎者が都会に出てきてジュース配送作業の仕事をやる。濃い人間関係がリアル。今日一番の収穫ですね。

次。『しょっぱいドライブ』(大道珠貴)、これはほんとにしょっぱい。キビシイ。福岡での生活臭プンプンです。生きていくのが嫌になる。今、収録作を読んでいます。大道珠貴のスカスカな文章は金払って読む気にはなれません。払っちゃたけど。

どういう本の買い方をしているかというと、『鉄道員』は家にあったものです。直木賞作品なので読んでみました。次のふたつは芥川賞作品です。とりあえず評価されているみたいだし、読みやすいし、安く中古で出回っているしという感じ。あんまり受賞作だからといって期待してはいけませんね。

受賞作なんて年2回ずつ発表されるわけだし。金原ひとみや江國香織でもとれちゃうわけだし。ここ最近の読書での当たりは『空中ブランコ』(奥田英郎)、『プール』のふたつですね。空中ブランコはこれぞエンターテインメントという感じ。うまいです。プールは切ねえ。カバーのきれいさだけで買いました。掘り出し物でした。

今後の予定は大道珠貴を読み終えます。次は『人のセックスを笑うな』(山崎ナオコーラ)です。綿矢りさがとった文藝賞作品です。結局賞で本を買ってしまっている。タイトルと読みやすさなんかもプラスして。

明日の予定も読書ですかねえ。夕飯の時にはじめて母に会いました。ブリーダーの家に行って右京対策を聞いてきました。まず、薬をなかなか飲んでくれないことへの対策。ささみを加熱してその中に薬を埋め込む。これはかなりおいしいようで喜んで食べます。

うちは贅沢になるといけないからといって、人間が食べる肉をやったりしませんでした。対策2。おもらし。ペット用のおむつを買ってきていました。これからは徐々に夜中も外で飼ったらどうかといわれたそうです。あと地元のいい獣医を教えてもらいました。火曜日に行ってきます。

今日の右京情報。左後ろ足が相変わらず麻痺していますが、麻痺しているなりに力が入れられるようになってきたみたいです。あと、性格が変わってきてしまいました。かわいさがなくなって、痴呆の老人のようになってしまいました。死んだじいちゃんを思いだしてしまう。

そんなところでしょうか。僕が母の立場だったら、介護に疲れ将来を悲観して一家で心中しているところですが、母はポジティブです。母が呆けて僕が介護に疲れたらたぶん殺しちゃうと思います。車の中で練炭たいて。おー、なんかやけにビジョンがリアルだ。大丈夫でしょうか。

そんなところです。それでは連休最終日をエンジョイしてくださいね。

今日のお言葉
田舎者のやることはいちいち悲しい。
(賢)

エッセイ182「貧乏だった祖父母」


 父方の両親は釧路の近くにある白糠という田舎で生活していた。祖父の名はTという。東京の中島飛行機(後のスバル自動車)で働いていたこともあったという。なにが原因かは分からないが白糠で農業をはじめた。

 祖父は当時の中学校を卒業した人で教師にでもなれる人だったという。しかしこの祖父が変わり者で、今でいうひきこもりのようだったという。祖母の名はNといい、平成元年に亡くなった。農作業で祖母が苦労して生活を何とか営んでいた。

 父は祖父母の次男として誕生した。貧乏なのに六人も子供を作った。僕は祖父が痴呆になって我が家に住むことになってからしか祖父との接点はなかった。看護する母は大変だったろうが僕は祖父の一挙手一投足が楽しかった。ぼけている祖父に僕との関係を説明するがなかなか理解できないようだった。

「じいちゃんの息子でYっているでしょ?」
「Y? Yはうちの子だよ」
「僕はYの子供なんだよ」
すると祖父は苦笑いして
「なんだかよくわからないなあ」
といった具合だった。平成十年に亡くなっている。

 父方の祖母は八十二歳の時ガンで亡くなった。祖父が怠け者だったためにずいぶん苦労したそうだ。祖母との記憶は僕が小学校低学年の時までさかのぼる。新宿の公務員アパートに住んでいた頃で、白内障の手術を受けるために上京していた。

 僕は学研のコラムに書いてあった卵料理を祖母のために作ろうとしたが、失敗してしまった。
「失敗しちゃった」
「なんでもいいから食べさせておくれ」
「でもおいしくないよ」
「うん、おいしい、おいしい」

そういって祖母は僕の失敗料理を食べてくれた。祖母にとっては孫が自分のために料理を作ってくれるということがうれしかったのだろう。けんちゃんはやさしい、やさしいといつもいっていたそうだ。この件は父もいたく気に入っていた。

 母方の祖父母は旭川から少し北上した名寄という町に住んでいた。祖父との接点はほとんどなかったか覚えていない。遺影を見たことがあるくらいで実際にはあったことがなかったかもしれない。祖父の葬式が僕の初めての葬式デビューで、きっと涙を出さなければいけないのだろうと一生懸命泣こうとしたが涙は出なかった。

 祖父は郵便局に勤めていた。名はAといい、昭和五十六年に亡くなった。喘息で亡くなったそうだ。僕がまだ小学校二年生の時である。父方よりは金銭的に余裕があったらしいが金持ちでもなかったらしい。 

 祖父母は七人の娘を作った。母は三女だった。父と同じ昭和十三年生まれだった。祖母はいつもリビングのソファに座っていた記憶が残っている。名前をMといい、平成五年に亡くなっている。どんな話でも、ああ、そうかい、そうかいといって聞いてくれる人だった。お年玉もずいぶんいただいた記憶がある。

 祖母が亡くなるとき、僕は大学の一年生の夏休みで北海道をバイクでツーリングしていて、そのとき祖母が入院していたところに顔を出した。祖母は鼻やら口やらからチューブをつめ込められ、延命措置がとられていた。それはもう生きている祖母ではなかった。

僕はショックで泣き出してしまった。疲れているんだろうといって僕は祖母の家で休ませてもらった。葬式にも出た。平成五年のことだった。生きるっていったいなんだろうと思って鈴木健二の生き方の本を買った。

今日の日記「ゆるやかな自殺」

こんばんみ。
寝ていました。

今日のニュース。
曙、日韓横綱対決に敗れる=連敗は脱出-K-1
 【ソウル19日時事】格闘技K-1のソウル大会が19日行われ、大相撲の元横綱曙太郎は準決勝で韓国シルム(相撲)の元天下壮士(横綱)崔洪万に1回41秒TKO負けを喫した。6連敗中だった曙は1回戦で、角田信朗に判定勝ちし、初勝利を収めた。(時事通信)

敗れるっていったって、ほんの数秒しか戦っていません。タオルが投げ込まれまして。投げるならはじめからやらなければいいのに。

今日の自分。
寝ていました。天気が良かったので右京も庭に出しました。夕方Y叔父さんが「お彼岸だから」といってわざわざ父の墓参りに来てくださいました。町田からうちまで3時間以上かかります。

夕飯はハンバーグ。テレビを観たりして今にいたリアン。なんにもしていません。腐ってます。それでいいじゃん。今後の予定は寝る。明日の予定も寝る。死ぬまで寝る。ゆるやかな自殺。
ナイス三連休をお過ごしください。

今日のお言葉
ゆるやかな自殺。
(ネットで見つけた言葉)

エッセイ181「物書きで生きる」


 初めてシナリオを書いたのは、公募ガイドのシナリオ教室に応募したときだった。丁寧に書き方が説明されていたからよかったものの、決まり事が多すぎて作品の内容に集中できない感じがした。これなら自由に書ける小説やエッセイの方がいいと思った。

 二カ月後に優秀作品や佳作の紹介があったのだが、僕の名前はのっていなかった。かなり低倍率だったにも関わらず。

 それでシナリオには拒絶反応みたいなものを示した。だからシナリオの通信講座の広告を見たときは心が揺らいだ。自分がシナリオなどを書くのだろうかと。でも、一応資料請求だけはしてみた。

 それから二年後、障害者年金を支給されることになって、仕事をする必要がなくなった。しかし、通信教育は大好きだったので、小説などの通信講座はないかと探した。小説は通学でしか教えてもらえないようだったし、費用が高かった。やはりあるのはシナリオ講座だった。

 テレビドラマの脚本を書きたいなどとは思わなかったが、人物や状況の描写の技術を学んで、小説に活かせればいいかなと思っていた。しかし、本当に必要があるのかどうか、決断できずに迷っていた。

 そこで母に相談してみた。畑仕事をしていた母の元に近づき、シナリオ講座の資料を見せた。
「これをやってみようかどうか迷っているんだけど、どうかな」
「あんたは詩を書いたりエッセイを書いたりしているじゃない。そんなものと一緒に続けていけるのかい?」
「あっちはいくらでもやめられるよ。自主的に書いているだけだからね」
「そう、じゃあやってみなさい。あんたの先行投資だから」

 僕は別にやりたいからやらせてくれといいにいったわけではなかった。ただ、悩みに悩んで訳が分からなくなったから母に意見を求めただけだった。しかし、結果的には母に後押しされ、受講することを決めた。さらには数万円の受講費を母が払ってくれた。さっそく郵便局にお金を振り込み、受講願いを郵送した。嬉しかったが、反面しっかりこなせるかどうか心配でもあった。

 教材一式が一週間ほどで届いた。僕は中身をあけて不安になった。書籍が一冊、オリジナルテキストが二冊、あとは原稿用紙や封筒などが入っていた。問題は書籍とテキストだった。どちらも恐ろしく古くに書かれた物でとても読みにくいものだった。それらを読んで課題をこなしていけというのだった。絶望的な気分になった。そんなことは僕にはできないと思った。しばらく布団でふて寝した。

 数日後、再び教材と対峙した。一冊ずつあたりをつけていくと、それらはすべて読む必要性がないことがわかった。それで少し安心した。第一回目の課題に取り組んでみた。初回ということで簡単なものだった。それをクリアできたことで自信がついた。

 初回の課題はなかなか返送されてこなかった。課題も楽だし、カリキュラムもゆったりとしていて物足りなかった。もっとたくさん勉強したかった。第二回の課題を初回の課題が返送されてくる前に送った。そのすぐあとに初回の課題が添削されて返ってきた。初回の課題で間違えているところを第二回の課題に活かせなかった。

 そうしてシナリオの勉強をしていたが、最終目的はシナリオライターではなかった。それでもよかったが、それよりも小説の方が書きたかった。小説の通信講座が見つからなかったからシナリオの講座で小説の描写力をつける勉強をしたかった。今までの僕の書く小説は単なる起こったことの羅列で、緻密な人物描写や情景描写ができていなかった。そこに歯がゆさを感じていた。

 結局、僕は物書きを目指していた。人生に於いての目標としてはそれしかなかった。小説家はステータスはあるが、実際のところ純文学作家などは専業では食べていけないらしかった。僕の場合は障害者年金があったので食べるために書く必要はなかった。だから純文学で好きなことを書けばいいのかもしれなかった。エンターテインメントを志したこともあった。

 しかし、書いているうちに「何でこんな無意味な嘘っぱちを書かねばならないのだろう」とばからしくなってしまってやめてしまった。エッセイストもやれればいいと思った。最高なのは本業が純文学で、副業としてエッセイを書くという形態だった。

 それらのハードルが高ければ雑文家でもよかった。とにかく物を書いて人に読んでもらい、報酬を得るというのが最高の夢だった。とにかく物を書いているときが一番楽しかった。障害者年金があったからプロとして生計を立てる必要はなかった。自分の愉しみで書ければよかったが、できれば多くの人に読んでもらい、高く評価され、高い報酬を受けたかった。

 それが無理ならライフワークとして物書きを続けたかった。一生公募に応募する生活。一生新人賞を狙う生活。一生自費出版を続ける生活。そのどれもが素晴らしいことだった。脳内の快楽物質が大量に放出しているのがわかった。なぜ物を書くことがこんなに楽しいのかは、自己表現欲求のあらわれだと思った。

 僕は自己を文章で表現するしか他に人生の選択肢がないように思われた。才能があるということではなく、消去法で最後に残ったのが物書きだった。脳内快楽物質が止まらなかった。

 今は自信をつけつつあった。それは物書きという人生の目標を見つけたことが大きいと思う。元々自分大好き、孤独バンザイという人間なので、この先も一人でやっていけるのではないかと思う。僕は結婚しない。というか結婚はできない。理由は同じく養っていけないからだ。

 父は病死している。兄もいずれ結婚してうちをでていく。母も長くてあと二十年しか生きていられない。これから僕の五十年が始まる。孤独を和らげつつ、物書きを目指して一生を愉しんでいきたい。これから新しい生命が僕の中に産まれるのだ。大切に育てていこう。楽しく育てていこう。

今日の日記「睡眠ライフ」

こんばんみ。
寝過ごしました。

今日のニュース。
18歳あやや深夜ナマ放送解禁で“オルナイ”に登場
 アイドル歌手、松浦亜弥(18)が、3月30日からニッポン放送の看板番組「オールナイトニッポン」(深夜1・0)の水曜パーソナリティーを務めることになった。デビューした平成13年に同局の“春のキャンペーンキャラクター”に起用されて以来4年間、レギュラー番組を続けてきた実績を買われた。2時間生放送だけに、本音のあややがたっぷり聞けそうだ。(サンケイスポーツ)

オールナイトニッポンですか。ラジオを聴くという文化がないんですよねえ。しかもAMは特に。車に長時間乗っていてCDやテープに飽きてくるとJwaveとか流したりしますけどね。あややファンにはたまらないのでしょうね。魅力感じません。

今日のじぶーん。
7時半頃母に起こされる。右京のおしめを代えるから手伝えと。ふたりがかりでやっとです。見事にうんちとおしっこしていました。おしめを買って正解でした。庭に出してやって朝食といっしょに薬を飲ませようとするのですが、食欲が全然ありません。でも元気です。体を動かしていないからカロリーを消費していないような感じです。

「今日は右京に振り回されないように、各々好きなことをしよう」と僕が言いました。僕は朝から点字の勉強をして、それに飽きるとソフト屋へいってみる。平日午前中からマンガを立ち読みしているオトコども。あんた仕事は学校は? っていう感じ。人間のカスだ。

店内を物色する。コナミから「エンスージア」という新感覚車ゲームが出ていました。面白そう。ちょっと買うかとか考えてみる。その前にグランツーリスモ4とドラクエ8&5をもう一度解き直してもいいなと思う。ドラクエ7とポポロクロイス物語も未プレイ。ほんと飽きっぽいなあ。

することがないので車のシートを倒して寝てみる。見事に2時間くらい寝てしまう。こりゃ家で寝た方がいいと思って家に帰る。母もプールに出かけている。午後はずっと寝る。睡眠最高。どうしてこんなに寝るのが好きなんだろう。どうしてこんなにたくさん眠れるのだろう。春だからね!

夕方母に起こされる。新しいおしめをはかせるのを手伝えと。夕飯は中華料理屋でみそラーメン。母もプールへ行ってリフレッシュしてきたという。しかし今飲ませている薬で治るかなんて話は全然していなくて、22日にA動物病院へ行って紹介状を書いてもらい、24日に東大動物センターへ行く予約を取り、電車に乗っていこうとか、ケンネルを買おうとかいうことになっています。

夕飯後は母はだらだらとくだらないテレビを観るので、僕は2階へ上がってきて寝ました。くだらないテレビをだらだら観るのと、だらだらと惰眠を貪るのと、どっちがましでしょう? どっちも腐っていると思いますけど。
起きてみたら深夜2時でした。

今後の予定、寝ます。睡眠最高。明日の予定は特にありませんが、点字のテキスト3(全4冊)を終わらせます。またソフト屋を徘徊したりするのだろうか。腐ってるなー。右京に振り回されないで自分の人生生きなくちゃ。
そんなところです。それではまた明日。

今日のお言葉
自分のジンセー生きる。
(賢)