エッセイ181「物書きで生きる」 | あなたのココロ、治します。

エッセイ181「物書きで生きる」


 初めてシナリオを書いたのは、公募ガイドのシナリオ教室に応募したときだった。丁寧に書き方が説明されていたからよかったものの、決まり事が多すぎて作品の内容に集中できない感じがした。これなら自由に書ける小説やエッセイの方がいいと思った。

 二カ月後に優秀作品や佳作の紹介があったのだが、僕の名前はのっていなかった。かなり低倍率だったにも関わらず。

 それでシナリオには拒絶反応みたいなものを示した。だからシナリオの通信講座の広告を見たときは心が揺らいだ。自分がシナリオなどを書くのだろうかと。でも、一応資料請求だけはしてみた。

 それから二年後、障害者年金を支給されることになって、仕事をする必要がなくなった。しかし、通信教育は大好きだったので、小説などの通信講座はないかと探した。小説は通学でしか教えてもらえないようだったし、費用が高かった。やはりあるのはシナリオ講座だった。

 テレビドラマの脚本を書きたいなどとは思わなかったが、人物や状況の描写の技術を学んで、小説に活かせればいいかなと思っていた。しかし、本当に必要があるのかどうか、決断できずに迷っていた。

 そこで母に相談してみた。畑仕事をしていた母の元に近づき、シナリオ講座の資料を見せた。
「これをやってみようかどうか迷っているんだけど、どうかな」
「あんたは詩を書いたりエッセイを書いたりしているじゃない。そんなものと一緒に続けていけるのかい?」
「あっちはいくらでもやめられるよ。自主的に書いているだけだからね」
「そう、じゃあやってみなさい。あんたの先行投資だから」

 僕は別にやりたいからやらせてくれといいにいったわけではなかった。ただ、悩みに悩んで訳が分からなくなったから母に意見を求めただけだった。しかし、結果的には母に後押しされ、受講することを決めた。さらには数万円の受講費を母が払ってくれた。さっそく郵便局にお金を振り込み、受講願いを郵送した。嬉しかったが、反面しっかりこなせるかどうか心配でもあった。

 教材一式が一週間ほどで届いた。僕は中身をあけて不安になった。書籍が一冊、オリジナルテキストが二冊、あとは原稿用紙や封筒などが入っていた。問題は書籍とテキストだった。どちらも恐ろしく古くに書かれた物でとても読みにくいものだった。それらを読んで課題をこなしていけというのだった。絶望的な気分になった。そんなことは僕にはできないと思った。しばらく布団でふて寝した。

 数日後、再び教材と対峙した。一冊ずつあたりをつけていくと、それらはすべて読む必要性がないことがわかった。それで少し安心した。第一回目の課題に取り組んでみた。初回ということで簡単なものだった。それをクリアできたことで自信がついた。

 初回の課題はなかなか返送されてこなかった。課題も楽だし、カリキュラムもゆったりとしていて物足りなかった。もっとたくさん勉強したかった。第二回の課題を初回の課題が返送されてくる前に送った。そのすぐあとに初回の課題が添削されて返ってきた。初回の課題で間違えているところを第二回の課題に活かせなかった。

 そうしてシナリオの勉強をしていたが、最終目的はシナリオライターではなかった。それでもよかったが、それよりも小説の方が書きたかった。小説の通信講座が見つからなかったからシナリオの講座で小説の描写力をつける勉強をしたかった。今までの僕の書く小説は単なる起こったことの羅列で、緻密な人物描写や情景描写ができていなかった。そこに歯がゆさを感じていた。

 結局、僕は物書きを目指していた。人生に於いての目標としてはそれしかなかった。小説家はステータスはあるが、実際のところ純文学作家などは専業では食べていけないらしかった。僕の場合は障害者年金があったので食べるために書く必要はなかった。だから純文学で好きなことを書けばいいのかもしれなかった。エンターテインメントを志したこともあった。

 しかし、書いているうちに「何でこんな無意味な嘘っぱちを書かねばならないのだろう」とばからしくなってしまってやめてしまった。エッセイストもやれればいいと思った。最高なのは本業が純文学で、副業としてエッセイを書くという形態だった。

 それらのハードルが高ければ雑文家でもよかった。とにかく物を書いて人に読んでもらい、報酬を得るというのが最高の夢だった。とにかく物を書いているときが一番楽しかった。障害者年金があったからプロとして生計を立てる必要はなかった。自分の愉しみで書ければよかったが、できれば多くの人に読んでもらい、高く評価され、高い報酬を受けたかった。

 それが無理ならライフワークとして物書きを続けたかった。一生公募に応募する生活。一生新人賞を狙う生活。一生自費出版を続ける生活。そのどれもが素晴らしいことだった。脳内の快楽物質が大量に放出しているのがわかった。なぜ物を書くことがこんなに楽しいのかは、自己表現欲求のあらわれだと思った。

 僕は自己を文章で表現するしか他に人生の選択肢がないように思われた。才能があるということではなく、消去法で最後に残ったのが物書きだった。脳内快楽物質が止まらなかった。

 今は自信をつけつつあった。それは物書きという人生の目標を見つけたことが大きいと思う。元々自分大好き、孤独バンザイという人間なので、この先も一人でやっていけるのではないかと思う。僕は結婚しない。というか結婚はできない。理由は同じく養っていけないからだ。

 父は病死している。兄もいずれ結婚してうちをでていく。母も長くてあと二十年しか生きていられない。これから僕の五十年が始まる。孤独を和らげつつ、物書きを目指して一生を愉しんでいきたい。これから新しい生命が僕の中に産まれるのだ。大切に育てていこう。楽しく育てていこう。