あなたのココロ、治します。 -23ページ目

エッセイ180「爽やかな秋の香り」


 気持ちのいい秋だった。僕は精神状態が良かった。だいたい春には精神状態がおかしくなった。そして秋は調子が良すぎるくらいだった。どんな人にも精神状態の変動があるのだろうが、僕の場合はそれが病的だった。秋や冬に調子が良くて、勉強や仕事をがんばりすぎてしまった。そのつけが春のうつにまわってくるのだった。

 いずれにしても僕は小学生の頃から秋が好きだった。いい香りが外でして気持ちが良かった。その香りがキンモクセイのものであることを知ったのは、ずっと時間が流れて大人になってからだった。今でもキンモクセイの香りを嗅ぐと小学生の頃の秋を思い出した。空気もだんだん引き締まっていく中で、キンモクセイがバランスを取るように甘い香りを醸し出していた。

 思えば小学生の頃から秋とキンモクセイの香りが好きだったのは、その時点でそううつ病の下地ができていたのかもしれなかった。とにかく僕は秋が好きだった。暑くなく、寒すぎない、ちょうどいい気候だった。

 夏の終わり頃、精神的に落ち込んでしまってどうしようもないときがあった。今まで五回も自殺未遂をしていたが、その時もまた首吊り自殺をしたくなった。もう家族に迷惑をかけるわけにはいかないと思って、精神科に入院したい旨を家族に申し出た。承諾されて僕は入院した。

 病院の環境はとてもじゃないがいいとはいえなかった。以前入院したことのある病院はできたばかりの新しい病棟で、一室四名だった。ところがその時の病院は築何十年かわからない古いもので、しかも一室に六名が詰め込まれていた。

精神を患っている人間が一室に六人も詰め込まれたら、当然気詰まりな雰囲気だった。病院ではすることがなにもなく、本を読む気にもなれなかった。同じ部屋の人間の小さな行動やかすかに立てる物音がいちいち気になった。僕はそこにいるのが嫌で仕方がなかった。

 医師の入院計画書には二カ月をめどに投薬治療をするということが書いてあったが、とても二カ月なんてそこにはいられなかった。入院三日目に僕は退院したい旨を家族と看護婦に伝えた。退院は医師の診察を受けてからではいけなかったが、それは一週間も先のことだった。そんなに待つことはとてもできなかったので、外泊という形を取って僕は家に帰った。

 三日間の外泊で精神状態がかなり良くなった。退院まであと二日で済んだ。退院までの二日間はとても気分良く過ごすことができた。以前のようにベッドに横になりっぱなしではなく、本を読んだり、音楽を聴いたり、文章を書いたりした。それだけしても病院の生活は暇で、時間がゆっくりと流れていった。

 やっと退院することができた。わずか一週間の入院だった。自分から無理に退院した形となった。

 退院後も精神状態はずっと良かった。それは今までとは薬ががらっと変わったことによるものだったのだろう。それまではうつ病の薬とそう病の薬、眠剤しか処方されていなかった。入院してからは何が何だかわからない数多くの薬を飲んでいた。そのころには薬を飲むことに対しての抵抗感は一切なくなっていた。

一日に朝食後、昼食後、夕食後、寝る前に四回薬を飲んでいた。薬中毒とか、薬物依存といった考えは一切なく、決められたときに当たり前のように薬を飲むことが習慣になっていた。

 今までの薬が十分でなかったのだ。入院したときの薬で人が変わったように活動的に、明るくなった。人は薬で人格が変わることがよくわかった。

 精神状態がいいことの理由のひとつに障害者年金を給付されることが決まったことがあった。何でも長く精神科にかかっていて、本人がそれを望むならば精神障害者として認定し、障害者年金を受けられるということだった。僕はその話にすぐに飛びついた。兄の友人に詳しく話を聞き、役所へ行けば書類をもらえることがわかったので、さっそく役所へ行き、説明を受けてから書類をもらって帰ってきた。

 はじめの数カ月は書類を放っておいた。やはり自分から障害者になるということはとても勇気のいることだった。しかし、役所の職員や医師の説明を受けて障害者になる決意をした。利益こそあれども不利益はあまりなさそうだった。

 障害者年金が支給されて「働かなければ」というプレッシャーがなくなった。それまではそのプレッシャーに追いやられる形で就職したり、アルバイトをしていた。金額は微々たるものだったが、細々と生活していけばなんとかなる金額だった。それに幸い僕は家族と同居していた。結婚するつもりもなく、一生親にパラサイトしていくつもりだった。

 年金は一生もらうことができた。だから将来の心配をしないで済むようになった。これは精神衛生上とても良いことだった。

 調子がいいことの原因の一つに好きなことばかりやれていることがあった。好きな時間に起きて好きな時間に寝ていた。したくないことは全くやらなかった。小説などの原稿を執筆をしたり、公募に応募したりしていた。義務というものが全くなかったので、本当に好きなことばかりやらせてもらっていた。

家族にとってはいい迷惑だったかもしれなかった。しかし、強迫観念に迫られて労働をしたりしてはプレッシャーがかかり、またすぐ死にたくなるので、それよりは健やかに僕が過ごしている方が家族にとっても安心できるに違いなかった。

 映画を見るのも好きなことのひとつだった。僕はこれといって趣味らしいものがなかったので、映画を見ることを意図的に趣味にした。毎週一本ずつ映画を見た。見ただけでは忘れていってしまうので、「映画メモ帳」なるものを作成して、映画の内容や評価を書き込んでいった。評価はトリプルAからCまでで評価していった。

映画「タイタニック」はフォーAをつけたし、アクションものは大体がB程度だった。僕はアクションものをあまり好きではなかった。

 病院や地域の自助グループに参加するのも楽しみのひとつだった。ひきこもり生活をしている僕にとっては、自助グループは唯一の社会参加の場であり、そこで自分の話をしたり、相手の話を聞いたりすることが楽しかった。

病院の自助グループは「社会復帰を目指す会」というシリアスのものから、アートセラピーといった絵画療法があった。アートセラピーは医療行為といった方が正しかった。地域の自助グループはひきこもり当事者が主催しているひきこもりのためのグループで、仲間意識があってとても楽しいものだった。まじめな話し合いをするときもあれば、遊びの企画を立ててみんなで遊んだりした。

 しかし何といっても一番楽しかったのはやはり執筆活動だった。エッセイを書いて応募したり、小説を書いて応募したりしていた。将来的には物書きとしてデビューしたかった。障害者年金で生活が約束されているからこそ、じっくりと腰を据えて物書きに専念することができた。

 僕は自分の意志で働かなくてもいい道を選択したのだった。僕の父親はサラリーマンだったが、僕はそれに反発してサラリーマンにはならないと高校の頃は思っていた。しかし大学に入ったら何となく乗せられて四年生の頃にはみんなと同じように就職活動をしていた。そして実際就職したわけだった。ただそううつ病という病気は想像外で、病気のせいで働かなくなるようになるなんて夢にも思っていなかった。

 もし病気じゃなかったら働くことが楽しくて仕方がない人間になっていたのだろうか。その可能性はあった。僕は勉強が好きだからだ。社交性は元々なかったが、生真面目なので仕事は熱心にやるタイプだった。負けず嫌いで向上心が強いので出世競争をがんばっていたかもしれなかった。そんな人生も楽しいと思う。日の当たる人生だ。

 ところが僕は病気で日陰の人生を送ることになった。でも日陰も悪くなかった。自由だし、風通しはいいし、ストレスがかからないし、紫外線を浴びないで済んだ。出世競争の努力をする普通の人の人生と、ほとんど努力というストレスを自分にかけないことを必要とする病人の人生。これは平等なのだろうか。

 もちろん人生は生まれたときから不平等であることはわかっていた。しかし、努力した人が必ず幸福になって、そうでない人が不幸になるというほど単純でないことも事実だった。ではその努力とは何なのだろうか。一生懸命働いても報われないのでは努力しない方が得なのではないだろうか。

 人生を損得勘定で考えてはいけないともいわれた。要するに本人の納得のいく人生が送れるかどうかだった。大根一本を一万円で買わされたらそれは損だ。しかしその大根がとてもおいしくて「ああ、なんておいしいんだあ。なんて幸せなんだあ」と思えたらその人の人生は成功なのではないだろうか。「成功」という言葉が不適切だったら「幸福」と言い換えても同じだった。

 結局、普通に働ける人でも病人であっても幸福な人生を送れるかどうかは努力に比例せずに感受性に比例するということだった。ぐーたらしていたら罰が当たるなんていうが、実際には当たらないわけだった。当たったとしてもその人の人生の幸福度に影響を与えない罰だった。それなら僕は喜んでぐーたらライフを選択する。

 好きなことだけをする。ストレスのかかることはしない。これは病気を悪化させるので本当にいけないのだった。

 その分、負の面もあった。まず障害者年金では人ひとりが生きていくだけで精一杯の額だった。だから結婚して嫁を養っていくというのはまず無理だった。相手に自活してもらわなければ結婚はできなかった。また、子供を持つという夢も叶わなかった。これも奥さんに養ってもらわなければならなかった。

お金を稼いでこない父親だった。母子家庭に男が転がり込んできたという感じになるのか、主夫になるかだった。頭の固い僕にはこんなことはできそうになかった。第一に子どもを欲しいとは思っていなかった。

 人間は誰でも気分の浮き沈みはある。それは三日周期だとされている。取り組んだことにすぐに飽きてしまう、いわゆる三日坊主と呼ばれるものがこれにあたる。だから三日坊主は当たり前なのだといえる。しかし問題はその振幅だった。高校の時に習った三角比を例に考えた。サイン、コサイン、タンジェント、というものを勉強した。

 サインカーブを思い描く。波形の曲線だ。X軸方向に波が進んでいる。Y軸方向が振幅だった。この振幅が普通の人は小さいのだった。あまりX軸から離れない。つまり精神的に安定しているということになる。ところがそううつ病は振幅が異常に大きい。日常生活を普通に営めないくらいだった。だから病気なのだ。

 Y軸のプラスの方をそう状態という。気分がいい。気分がハイになりすぎて問題行動を起こしてしまう。僕の場合はそう状態は軽く、少し本を買う量が多くなったり、いろんなことを始めてみたりする。体を鍛えるためにサンドバッグを買ったり、ボクシングジムを探したりした。でもそうの時期が終わってしまうとそんなことはどうでもよくなり、サンドバッグも使われずにほこりをかぶっていた。しかしこんなことは普通の方でもあるのではないだろうか。僕は

 一応そううつ病ということになっているが、ただのうつ病に近いそううつ病なのではないかと思っている。

 Y軸のマイナスの方をうつ状態という。気分は最悪だ。何もする気が起きない。一日中寝てばかりいる。思考力も減退して、毎日が憂うつでたまらない。ひどいときには自殺念慮もあった。僕はこちらの方が多かった。グラフでいうと、サインカーブをY軸に対してマイナス方向にずらしたような感じだった。学校の勉強なんて社会に出たら全く役に立たないなんていわれているが、こんなところで役に立っている(笑)。

 だから僕の場合はしんどいことが多かった。そう状態の時にしたことで後悔することはあまりなかった。せいぜい買った本が山積みになってどうしようかと思うくらいだった。うつ状態になったら調子が悪いことを家族に伝え、早めに入院することを心がけていた。死んでしまってはどうにもならない。調子が悪いと思ったらまず入院することだ。入院すると今度は早く退院したくなる。退院するとぐっと調子が良くなった。やはり休養の賜物だろうか。

 そううつ病は反復する傾向が強い。この病気とは一生付き合っていかなければいけないと思っていたし、そんな自分を受け入れることができていた。

今日の日記「右京、その後」

こんばんみ。
右京続報です。

今日のニュース。
B・ジョエルさん、アルコール依存症治療で専門施設に
 【ニューヨーク=大塚隆一】米国の人気歌手ビリー・ジョエルさん(55)がアルコール依存症の治療のため専門施設に入った。AP通信などが16日伝えた。(読売新聞)

ビリージョエルがアルコールでしたか。みんな病んでいるんだなあ。

今日のじぶーん。
6時頃目覚めてリビングに降りてみました。右京の足は麻痺したままでした。9時になってちょっと遠めのA動物病院へ行ってみました。レントゲンを撮ってみても異常は見られないと。5日分の薬を処方され、それでも改善が見られなければ東京大学動物医療センターへ行って、脊髄造影なるものを撮ってもらい、手術を受けろということでした。

病院の待合室でウンチが出ました。おしっこも部屋に垂れ流しでリビングが臭いです。夕飯はいつもの8割ほどのドライフードを食べました。

母はプールに行く気にもならないようです。1日中2人と1匹で家にいます。午後は僕は寝ました。夕飯はスーパーで買ってきた弁当。食後、赤ちゃん用のおしめを買ってきました。何とかそれに慣れたようで今は隣で寝ています。5日間が長くなりそうです。

こんな感じです。元気なことだけが取り柄の右京でした。こんな災難が我が家に訪れるなんて・・・。精神障害者と身体障害犬。元通りに治る姿をイメージできません。寿命で死ぬまでのあと10年間ほどを過ごすために、気長な姿勢で臨まなければならないと思います。

そんなところでしょうか。今後の予定は点字の勉強をします。明日の予定は特にありません。障害を当たり前のものとして受け入れられればいいと思います。それでは、また明日。

今日のお言葉
セカンドオピニオン、効かず。
(賢)

エッセイ179「必死のラストスパート」


 中学生の時のことである。僕はバレーボール部に所属して毎日楽しく汗をかいていた。そこに新宿区主催の陸上競技大会に出場するという話が舞い込んできた。僕の通っていた淀橋中学校には陸上部がなかった。だから出場したい人は自由に参加できた。帰宅部の人もいればバスケットボール部の人もいた。

僕らは付け焼き刃で練習した。夜に集合して新宿中央公園の周りを無計画に走り込んだ。

そんな即席チームが本番に臨んだ。僕は三千メートル走に出場する予定だった。本番が近づいてきた。スタートのピストルがなる。目標順位などは考えていなかった。とにかく本能のままに走った。先頭集団はものすごいハイペースで走っていた。

こいつらに引き離されてはいけない、と思った。二百メートルのトラックを十五周走る。ついていくので精一杯だった。私立の中学校も参加していた。みんな陸上部に所属して本格的な練習を積んでいるに違いなかった。先頭集団のハイペースさは尋常ではなかった。それでも何とかして食らいついていった。

もうひとり淀中から参加していたOを何度も周回遅れにしていった。Oを追い越す度に「ファイト」と声をかけていった。

だんだん息が上がっていった。このままではワン・オブ・ゼムで終わってしまうと思った。行くしかない。僕は先頭集団を抜き去り、単独首位に立った。首位のまま走り続けたのは何周くらいだったろうか。横っ腹が痛くなってきた。息も限界に近い。僕のペースはだんだん落ちていった。

ラスト一周になり、後続が僕の横をすり抜けていった。ひとり、ふたり。体はもう限界を超えていた。しかしどうしても三位にはなりたかった。最後の百メートルは息を止めて走った。必死で三位の選手を抜こうとした。差は一メートルくらいしかなかった。ラストスパートには自信があった僕だったが、さすがにレベルの違う世界だった。三位の選手も僕に負けないラストスパートをかけていた。

ゴール。僕はゴールラインのすぐ近くで倒れ込んだ。友人たちが僕を抱えてベンチに寝かせつけた。呼吸はいつまでも荒いままだった。

結果は四位だった。僕はこの結果に大満足だった。友人に後一歩で銅メダルだったのに、といわれたが、僕は四という数字が好きなんだ、と答えた。そこにいたみんなが笑った。

翌日、月曜の朝礼で校長先生は全校生徒の前で僕を褒めちぎった。即席チームの中での優秀な成績、ラストスパートで顔面を真っ赤にしながら気力で走ったその姿を校長先生は褒めて下さった。僕は恥ずかしくて顔を赤らめながら下を向いて聞いていた。あの話のせいで僕のファンがまた増えた、と僕の彼女が愚痴をこぼしていた。

今日の日記「右京、下半身不随」

こんばんみ。
右京が大変なことになっています。

今日のニュース。
堀江氏、トップ兼務検討 ニッポン放株過半確保で
 ライブドアは16日、ニッポン放送株式の議決権ベースでの保有比率が50%を突破したことを受け、大半の取締役を送り込み、堀江貴文社長自身もライブと同放送の経営トップを兼務する方向で検討に入った。ライブドアはニッポン放送株の買い増しを続行。ニッポン放送が22・5%保有し、筆頭株主となっているフジテレビジョンに対しても買収攻勢を強める構えだ。(共同通信)

昨日いとこからメールが来ました。西武グループで働いています。西武を批判する文章は書かないのか、といわれました。いや、たまたまヤフーニュースに記事が載っていないだけです。そのいとこはあの開成高校出身の天才です。僕としては東大に行って欲しかったのですが、本人も思うところがあったようで某ケーオーへいき、サラリーマンをやっています。

ホリエモンみたいに会社を立ち上げたらいいのになあって思います。ホリエモンは僕の1歳年上です。そんな人が億単位のお金を動かしている。すげーです。いとこはサラリーマンにしておくのはもったいない。司法試験を目指したりしたらいいのになあって思います。

今日のじぶーん。
深夜2時頃起きました。それから8時くらいまでずっと点字の勉強。僕は今年32になります。悠長に点字の勉強なんてしているひまはないことに気づきました。小説を書くか、他人の小説を研究するか、どちらかであるべきだと思います。でもせっかくとった点字講座。もったいないので今月いっぱいかけて終わらせちゃいます。

31日締切の新人賞4つにはすべてエントリーしました。すばる、小説すばる、文藝賞、新潮賞です。純文学orエンタメの書き分けはしていません。ていうかそんな器用なことはできません。

午前中は寝る。午後から勉強しようと思って缶コーヒーを飲む。買い置きがなくなっていたのでディスカウントストアへ買いにゆく。15時半。ちょっと早いけど右京の散歩をすませちゃおうと思って家に帰りました。

母 あたしこれから右京を病院に連れて行くから
賢 なんで?
母 突然後ろ足2本とも動かなくなっちゃった
賢 なんですと?

庭にいる右京を見に行ってみる。確かに足が麻痺しているようで、不自然な曲がり方をしている。近くの動物病院へ連れていく。原因は分からない。精神的なものかもしれない。とりあえず病院ではビタミン剤とショウエン剤とやらを注射してもらう。3日分の飲み薬をもらって帰ってくる。

僕がディスカウントストアへ出かけるときは元気に見送ってくれたのに・・・。食欲はまあまああります。でもおしっこやうんちが出ない。散歩にもいけない。明日の朝になったらケロッと治っていたらいいのに、と母が言う。なんか泣けてきました。たかが犬畜生の病気ですが、うちにとってはすっごく大切な家族です。僕より大切です。

もしこのまま治らずに車椅子生活になってしまったら・・・。近くの病院はいまいち頼りないので、明日遠くの病院へ行ってみます。虎之介の風邪を治してくれた病院です。柴犬専門のブリーダーと電話してみても、何十年と犬をみているがそんな例は聞いたことがないという。

性格悪くて、頭も悪くて、顔がかわいいのと健康なことだけが取り柄だった右京。顔しかいいところがなくなってしまう。顔はいつも通り。痛がったり苦しんだりはしていない。主はなぜ試練を与えるのか。われわれは何か間違ったことをしてきただろうか。

夕飯は刺身で今にいたリアン。今後の予定は寝ます。また深夜に起きて勉強です。明日の予定は動物病院です。原因が何か分かることを期待しています。そんなところです。また明日右京報告をします。

今日のお言葉
あんた、僕より大事だよ。
(賢)

エッセイ178「もう少しで早大学院」



高校受験の時の話である。担任の教師と母親と僕の三者面談で、僕は第一志望が筑波大附属駒場高、第二志望に筑波大附属高、第三志望として学芸大附属高、第四志望として早稲田大学高等学院、第五志望に都立戸山高を選んだ。

中学校内で成績優秀だったから有頂天だったが、自分の実力を過信していた。担任の先生に、上位三校は無理だとしても早大学院と戸山を受けたらいいのではないかといわれた。早大学院は受かるとは思っていなかった。順当にいけば戸山にいくことが僕にはわかっていた。

僕は学級委員長を何度も経験し、内申書に三点プラスされることを聞かされていたからだ。

早大学院は雲の上の高校だと思っていた。入学すれば百パーセント早大に進学できるエリート校だった。それは大学受験で早大に入るのとは質が違っていた。大学から早稲田に入るのはそう難しくないことだと思っていた。

試験当日、クラスメイトのKとふたりで早大の法学部で受験した。試験終了後、Kは数学は簡単だったといった。僕は英語、国語、数学のどれをとっても六割程度の感触だった。
一次試験合格発表の日、家族で車で会場へ向かう途中、Kにばったり会った。車に乗せて一緒に会場へ行った。

信じられないことに掲示板に僕の受験番号があった。家族で大喜びした。一方、Kの番号はなかった。帰りの車の中は静かだった。

まだ二次試験があるというのに僕は受かったも同然だと思っていた。過去の問題集を解いて七割弱の点数がとれたが、まさか一次試験に合格するとは思ってもいなかった。記念受験のつもりでいた。家族も浮かれていた。中学生だというのに祝杯を挙げた。

 ここで冷静になって中学の国語の先生にアドバイスをもらっておけば良かったのかもしれない。二次試験は論文だった。テーマは「感動」だった。僕は新宿区の陸上競技大会で、三千メートル走で四位入賞したことを書いた。つまり感動した話を書いたのだった。試験は「論文」だった。「感動」についての自分なりの論述をすればよかったのだと、後になって気がついた。

二次試験の合格発表の掲示板に僕の名前はなかった。僕は順当に戸山高校に進学することになった。

今日の日記「正しい人生の方向性」

こんばんみ~♪
調子は普通だよ~♪ これ書いたら寝るんだよ~♪

今日のニュース。
千円の高級バーガー登場 モス、こだわり素材10種で
 ハンバーガーチェーン、モスバーガーを展開するモスフードサービスは15日、1個1000円の「ニッポンのバーガー 匠味(たくみ)十段」を、16日から一部店舗で発売すると発表した。1店舗あたり1日10個の限定販売で「価格に見合う品質があれば売れる」と、自信をのぞかせている。(共同通信)

モスはもともと値下げ路線を走っていませんものね。1日10個じゃ即完売でしょうね。ちょっと食べてみたい。ちょっとだけ。

今日のじぶーん
昨日21時頃寝ました。途中でも起きたようですが、あまり記憶がありません。今日お昼頃目覚めたら小説の原稿が印刷されて封筒に入っていました。作業した記憶は何となくあるのですが、それがいつだったのかわからないのです。早く寝すぎるのも考え物です。

起きてから郵便物を出しに行く。はあ、やることがなくなってしまいました。ないことはない。点字の勉強を進めました。ヤバいだろっていうくらいハイペースです。今全体の8分の5を修了。まだ始めて1カ月経っていません。6カ月のコースです。

右京散歩行って、夕飯はかっぱ寿司で、右京を抱いて寝て、今にいたリアン。最近右京がかわいくてしかたがないです。もう5年半もつき合っているのに!

今後の予定は本を読みながら寝ます。江國香織がいい眠剤になってくれます。つまんなすぎ。そんなところでしょうか。それではナイス水曜を。

今日のお言葉
のんきに点字なんてやっていていいのかな?
(賢)

エッセイ177「人生山あり谷あり」


 障害者に認定されるだけのことはあって毎日しんどい。なぜ僕だけが普通の人のように楽しそうに生活できないのかとよく思う。七年付き合ってきた彼女とも僕が働けないという理由で結婚はしない、別れることになった。

 これからは年金生活の母とふたりきりで生きていくことになる。一生独身で孤独な日々を死ぬまでの五十年間送っていかなければならない。通信教育をライフワークにしていきたいと思っている。

 資格試験への挑戦ということもライフワークに付け加えたい。持っている資格は少ないが挑戦した資格試験は多い。持っているのは英検二級、TOEIC六百六十点、ドイツ語検定四級。受験したがもうちょっとで合格だったのは行政書士、第二種情報処理、シスアド、数学検定準一級、漢字検定準一級などといったところだ。分厚い資格試験オールガイドなどという本も買った。これからも色々な資格に挑戦していきたい。

 こんな訳で僕は人とはずいぶん違った人生を歩んでいる。本当は普通にサラリーマンになりたかった。結婚して子供をつくって、平凡な生活がしたかった。

 ところが今の僕の状況は一体どうしてこうなったというのだろう。どこでボタンを掛け違えたか、どこで歯車がかみ合わなくなってしまったのか。人生をはじめからやり直したいとは思わない。ただ、できることならば家庭環境がもっとよければよかった。

父は医者か弁護士で、母は良家の娘で、僕は大切に育てられ、エリート街道をまっしぐらに突き進んでいきたかった。しかしそんなことは理想であって今更悔やんでも仕方がないのである。

 大切なことは今の状態を受け入れ、享受し、楽しむことである。精神病患者でもそれなりに幸福な人生を送れるはずである。他人と比較するのはやめよう。人生は不平等であることが当たり前なのである。僕は僕の人生を最大限に楽しみ、年老いて死んでいくしかないのである。僕にとっては人生や神といったものがひどく残酷に思える。それでも人生にイエスといわなければならないのである。

今日の日記「小説はライフワーク」

こんばんも。
低空飛行中。

今日のニュース。
中田英、小野、稲本が復帰=サッカー日本代表
 日本サッカー協会は14日午後、都内のJFAハウスにて、3月25日にアウエーで行われる2006FIFAワールドカップドイツ大会・アジア地区最終予選の対イラン戦に向けた日本代表メンバー26名を発表した。(スポーツナビ)

すごい顔ぶれですねえ。史上最強ジャパンでしょう。3月25日ですか。楽しみにしています。

今日のじぶーん
朝4時に起きました。昨日21時くらいにさっさと寝ちゃったので。80枚の小説を書き増しして100枚にしました。苦しい作業でした。文学を志す気持ちが萎えてきました。100枚も書いているとはじめのほうに何を書いたかも忘れてしまう。

文学をライフワークにしようと思っていましたが、そんな気持ちも弱くなる。自分には何もないんだと思ってしまう。そんなわけでふて寝。

午後いったんおきるも、またふて寝。これくらいのことでふて寝できていいご身分ですね。

右京散歩して、夕飯はなぜか目玉焼きで、皿洗いして今にいたリアン。風呂にももう入っちゃいました。今後の予定は寝ます。眠剤飲んで本を読んでいれば自然に眠くなります。明日の予定は書きあがった小説を印刷して郵送します。それくらいです。

それでは、寒い日が続きますがお体に気をつけて。

今日のお言葉
小説はライフワークなのだ。
(賢)

エッセイ176「変態が過ごす夜」


 いやあ、今日は寝れないなあ。なんでだろう。昨日寝たのは午前三時半。起きたのはお昼くらい。六時間睡眠。僕にしては短い。寝るときは十三時間くらい平気で寝るからね。今日は眠剤を早めに飲んだんだけど眠れなくて、もう一錠眠剤を飲んだ。

 今お経を聞いている。真言宗智山派。聞いていると眠くなるっていうのと、将来坊さんになるかもしれないからどういうものなのかと思って。今付き合っている彼女がお寺の娘さんだから、もし結婚したらますおさん状態になって坊さん業の手伝いでもするのかなって思って。

 今日も眠れそうにない。ってまだ午前一時半だから当たり前か。起きたのも午後二時だったから十二時間も起きてない。朝七時に起きた人が夜七時に眠れるわけないだろうっていうのと同じ。人が七時間睡眠で生活できるとすると僕は今日は朝八時まで眠れないことになる。昨日も寝たのはそれくらいだったなあ。

 僕の布団で右京が寝ている。
昨日今日と理由もなくそこはかとなく死にたい気分だった。理由はなくもないか。将来のこと。母の年金でプレステでもしながら生きていければいいやという選択肢で最近プレステのやりすぎであまり面白くなくなってきてしまった。あと昼夜逆転の生活で気持ちがネガティブになってたこともあるんだろうね。

 今は落ち着きました。今日は昼型になれたしハムスターのケージの掃除や右京の洋服を買って(柴犬なのに!)家族に爆笑されたことのおかげかな。今日これを書こうと思っていたときは「これが遺書になるのかもしれないなあ」なんてことも書こうかと思っていました。

 でも人間せっぱ詰まっちゃったら文章書く余裕なんてないし、残される人たちに言いたいことなんてないよね。少なくとも僕はそうなる気がする。過去の経験からいっても自殺未遂は何回かやってるけど遺書なんて書いたことがない。

 向かいの家のご主人は身体に障害をもってらっしゃって、それでも家族みんなで楽しそうに日曜大工なんかをやっている。あちらから見てうちの連中はどういう風に見えるんだろうとふと思った。父が死んだあと働いているような人間は一人もいなそうで平日昼間からフラフラ犬と庭で遊んだりしている。なんだか僻まれるんじゃないかとちょっと思ってしまった。

 「そうじゃないんです。今私たちがフラフラしてられるのも父が生前苦労してくれたからなんです」と弁解したくなってしまう。僕は向かいのご主人にこんな父の生い立ちを話すことを想像した。

「うちの父親は貧乏な家庭に生まれました。両親は北海道の山奥で細々と畑をやっていました。男ばかりの六人兄弟の次男でした。学者肌でろくに働かなかった祖父のせいで長男は中卒で働き、父はアルバイトをしながらやっと高校を卒業して警察官になり、稼いだお金で弟たちを大学に行かせたそうです」と。

今日の日記「小説書けなきゃタダのクズ」

こんばんみ。
テンション低め。眠いのだ。

今日のニュース。
元ライブドア取締役、宇宙旅行へ…邦人初、代金20億
 宇宙旅行を手がける米スペースアドベンチャーズ社は12日、元ライブドア取締役の榎本大輔さん(33)が今年10月、ロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーションに行き、1週間滞在する見通しであることを明らかにした。(読売新聞)

この人たちすごいですよ。堀江さんも72年生まれで東大卒でしょ? いいなあ。東大ブランドは一生ついて回る。僕も東大に入りたかった。

今日のじぶーん。
なにしたかな。寝ていることが多かった気がします。今80枚の小説と60枚の小説を持っているのですが、そのどちらかを100枚以上にしなければなりません。ネタ的には60枚のほうが多く書けそうです。なので今60枚のほうを書いているのですが、書いている内容がくだらなすぎて自己嫌悪に陥ってしまいました。

僕はすぐ自己嫌悪に陥って自滅するタイプです。あいうえおかきくけこでもいいからとにかくマスを埋めること。目標枚数に達しなかったら駄作でさえないこと。自分に言い聞かせて書きたいです。気分を変えて80枚のほうに手をつけてみようかと思っています。

日中は眠くて、コーヒーを飲んだのにも関わらず寝てしまう。自己嫌悪な一日。右京散歩して、夕飯は焼きそばで、今にいたリアン。今後の予定は風呂に入っちゃいます。そして早めに寝る。夜中に起き出して小説を書く。こんな感じです。明日の予定も小説書きしかありません。

それでは嫌な月曜日、我慢していきましょう。

今日のお言葉
小説家 書けなかったら タダのクズ
(賢)