エッセイ176「変態が過ごす夜」
いやあ、今日は寝れないなあ。なんでだろう。昨日寝たのは午前三時半。起きたのはお昼くらい。六時間睡眠。僕にしては短い。寝るときは十三時間くらい平気で寝るからね。今日は眠剤を早めに飲んだんだけど眠れなくて、もう一錠眠剤を飲んだ。
今お経を聞いている。真言宗智山派。聞いていると眠くなるっていうのと、将来坊さんになるかもしれないからどういうものなのかと思って。今付き合っている彼女がお寺の娘さんだから、もし結婚したらますおさん状態になって坊さん業の手伝いでもするのかなって思って。
今日も眠れそうにない。ってまだ午前一時半だから当たり前か。起きたのも午後二時だったから十二時間も起きてない。朝七時に起きた人が夜七時に眠れるわけないだろうっていうのと同じ。人が七時間睡眠で生活できるとすると僕は今日は朝八時まで眠れないことになる。昨日も寝たのはそれくらいだったなあ。
僕の布団で右京が寝ている。
昨日今日と理由もなくそこはかとなく死にたい気分だった。理由はなくもないか。将来のこと。母の年金でプレステでもしながら生きていければいいやという選択肢で最近プレステのやりすぎであまり面白くなくなってきてしまった。あと昼夜逆転の生活で気持ちがネガティブになってたこともあるんだろうね。
今は落ち着きました。今日は昼型になれたしハムスターのケージの掃除や右京の洋服を買って(柴犬なのに!)家族に爆笑されたことのおかげかな。今日これを書こうと思っていたときは「これが遺書になるのかもしれないなあ」なんてことも書こうかと思っていました。
でも人間せっぱ詰まっちゃったら文章書く余裕なんてないし、残される人たちに言いたいことなんてないよね。少なくとも僕はそうなる気がする。過去の経験からいっても自殺未遂は何回かやってるけど遺書なんて書いたことがない。
向かいの家のご主人は身体に障害をもってらっしゃって、それでも家族みんなで楽しそうに日曜大工なんかをやっている。あちらから見てうちの連中はどういう風に見えるんだろうとふと思った。父が死んだあと働いているような人間は一人もいなそうで平日昼間からフラフラ犬と庭で遊んだりしている。なんだか僻まれるんじゃないかとちょっと思ってしまった。
「そうじゃないんです。今私たちがフラフラしてられるのも父が生前苦労してくれたからなんです」と弁解したくなってしまう。僕は向かいのご主人にこんな父の生い立ちを話すことを想像した。
「うちの父親は貧乏な家庭に生まれました。両親は北海道の山奥で細々と畑をやっていました。男ばかりの六人兄弟の次男でした。学者肌でろくに働かなかった祖父のせいで長男は中卒で働き、父はアルバイトをしながらやっと高校を卒業して警察官になり、稼いだお金で弟たちを大学に行かせたそうです」と。