エッセイ185「両親の生活」 | あなたのココロ、治します。

エッセイ185「両親の生活」

 父は病的とも言えるヒステリーだった。おかげで母も僕ら兄弟もガンガン罵られた。父はよく「離婚届の判を押すぞ」と母に怒鳴っていたが、母はそうはしなかった。なんといわれても反論し、さらに罵倒されていた。きっと僕ら子供のためと思ったのだろう。とても辛い思いをしたと思う。よくぞ家族を見捨てずに父が死ぬまで結婚していたと思う。僕ら兄弟が母子家庭にならなかったことは感謝せねばなるまい。

 父は厚生省社会保険庁に勤めていた。お役所だったからさぞかし退屈だったのであろう。仕事の時間に日曜大工の設計図を書いたり、旅行のプランを立てたりしていた。母は看護婦をしていたが僕が小学校二年生まで産休していた。復帰後はS新宿中央病院で中央材料室という患者には接しない部署で仕事をしていた。母は性格がおっとりしている。

 それは僕も引き継いでいるのだが、そのことで同僚にバカにされていたらしい。僕は都立のトップ校である戸山高校へ進学し、そこから自転車ですぐの病院まで来て社員食堂で昼食を食べることがしばしばあった。そのことが同僚に嫉妬心をわかせ、母が鼻高々な様子だったことが記憶に新しい。
僕は幼稚園か小学校の低学年の時に自殺企図をしている。それはあまりにも父が恐ろしかったからである。

 もう叱られたくないという気持ちだった。自殺企図といっても本格的なものではなく、布団をかぶって息を止めて窒息死しようとしたのである。もちろん未遂に終わったが気持ちの上では僕は死を選んだ。父の教育のせいで僕は人に怒られることを過敏に恐れるようになった。おかげで人の顔色を伺いながら人と接することしかできない人間になってしまった。