私の履歴書 part3
なぜ5年前赤字になったかずっと考えている。2度とあんな思いは経験したくないからだ
①PLしか見ない、見れない経営だった。自己資本蓄積は節税対策をやりきったあとの残りであり、さほど重要視しなかった。
②業績が右肩上がりのとき、こんな事態を予想し手を打ってこなかった。
③顧客価値に本当の意味でフォーカス出来ず,今あるスキルや強みのみで戦っていた。3年かけて強みを創るんだという強い意志がそこにはなかった。
④ビジョンを見失っていた。ビジョンは売上、経常利益ばかりで社員にこんな未来があるというメッセージはなかった。
⑤社長が現状に胡坐をかいていた。
それぞれ少し解説したい。①会社とは社会からの信用で成り立っている。信用とは*創業からの時間*顧客のレベル*経営者の人品骨柄*会社の社員への待遇*取引先からの評価などお金以外の要素も多い。しかしながら会ったことのない第三者が判断するのは、継続して利益を出し続け、内部留保に努める姿勢が経営者にあるか否かである。強いBSは外部資源を巻き込み経営を有利に出来ることを初めて知った。
②人間いい時はつい調子に乗り無駄使いが多くなる。決算対策は一見節税に都合よく見えるが、実は無駄の塊であることが多かった。儲けた時こそ、次の展開のための投資を積極的にすべきである。しかしながら経営者に長期ビジョンがない場合は、目先の投資話につい乗ってしまいがちなので、注意が必要である。BSをよくしても使い道が明確でないのは経営者としてやりたいことを見つめなおす好機でもある。
③目先の利益と未来の利益は常に相反する。今の実績を真剣に上げようとすればするほど利益は出ても会社の未来は損なわれる。これを解決するには2つ方法がある。一つは会社が腹をくくって評価を変えてしまう事だ。もう一つは健全な赤字部門を本体から切り離し管理していくことだ。2つとも簡単ではないが成長し続けるには計画的にやるしかない。それそのものが経営計画であり、事業計画なのだ。
④利益目標には理由が必要である。なぜ10億の経常利益が必要なのか、経営者がよどみなく云えることが最も大切である。自分や社員の給料を上げたいだけでは顧客も社会も許しはしないだろう。10億をこんな社会づくりに役立てたい。アジアと日本の架け橋になる人材育成の為アジアに起業家育成スクールを開講したい。など社会の為になる、しかも自分もワクワク社員もワクワク顧客もワクワクという絵がどうしても必要である。
⑤私は学生時代60歳までの収入計画をつくった。50歳で年収1億だったから今はそれに遠く及ばない。35歳の時創ったスリーハンドレッドも結果として実現していない。何故か?それは自分の快楽が目的で誰かのために何かをするという発想がなかったからだと思う。だから半分もいかないのに体がいつしか現状に満足してしまう。そしてチャレンジしなくなる。井の中の蛙であることすら分からなくなっていた。本当は人のためにいやなことでも進んでやる性格だったのに、そんな自分はどこに行ってしまったのだろう。今はっきり云えることがある。人生はチャレンジし続けることのみに意味があり、その結果は2の次にすぎない。なぜなら計画を達成したらやることがなくなり、あとは座して死ぬしかなくなってしまうからだ。
いろいろあったが、私も本体の赤字から5年経ち、やっと変わり始めてきた。長年の夢であったアジア進出を果たし、今年度はアジアも黒字になると手ごたえを掴んでいる。これからも自分がワクワクすることが、周りをそして社会を元気にすることと信じて新しい事業にチャレンジし続けたい。
①PLしか見ない、見れない経営だった。自己資本蓄積は節税対策をやりきったあとの残りであり、さほど重要視しなかった。
②業績が右肩上がりのとき、こんな事態を予想し手を打ってこなかった。
③顧客価値に本当の意味でフォーカス出来ず,今あるスキルや強みのみで戦っていた。3年かけて強みを創るんだという強い意志がそこにはなかった。
④ビジョンを見失っていた。ビジョンは売上、経常利益ばかりで社員にこんな未来があるというメッセージはなかった。
⑤社長が現状に胡坐をかいていた。
それぞれ少し解説したい。①会社とは社会からの信用で成り立っている。信用とは*創業からの時間*顧客のレベル*経営者の人品骨柄*会社の社員への待遇*取引先からの評価などお金以外の要素も多い。しかしながら会ったことのない第三者が判断するのは、継続して利益を出し続け、内部留保に努める姿勢が経営者にあるか否かである。強いBSは外部資源を巻き込み経営を有利に出来ることを初めて知った。
②人間いい時はつい調子に乗り無駄使いが多くなる。決算対策は一見節税に都合よく見えるが、実は無駄の塊であることが多かった。儲けた時こそ、次の展開のための投資を積極的にすべきである。しかしながら経営者に長期ビジョンがない場合は、目先の投資話につい乗ってしまいがちなので、注意が必要である。BSをよくしても使い道が明確でないのは経営者としてやりたいことを見つめなおす好機でもある。
③目先の利益と未来の利益は常に相反する。今の実績を真剣に上げようとすればするほど利益は出ても会社の未来は損なわれる。これを解決するには2つ方法がある。一つは会社が腹をくくって評価を変えてしまう事だ。もう一つは健全な赤字部門を本体から切り離し管理していくことだ。2つとも簡単ではないが成長し続けるには計画的にやるしかない。それそのものが経営計画であり、事業計画なのだ。
④利益目標には理由が必要である。なぜ10億の経常利益が必要なのか、経営者がよどみなく云えることが最も大切である。自分や社員の給料を上げたいだけでは顧客も社会も許しはしないだろう。10億をこんな社会づくりに役立てたい。アジアと日本の架け橋になる人材育成の為アジアに起業家育成スクールを開講したい。など社会の為になる、しかも自分もワクワク社員もワクワク顧客もワクワクという絵がどうしても必要である。
⑤私は学生時代60歳までの収入計画をつくった。50歳で年収1億だったから今はそれに遠く及ばない。35歳の時創ったスリーハンドレッドも結果として実現していない。何故か?それは自分の快楽が目的で誰かのために何かをするという発想がなかったからだと思う。だから半分もいかないのに体がいつしか現状に満足してしまう。そしてチャレンジしなくなる。井の中の蛙であることすら分からなくなっていた。本当は人のためにいやなことでも進んでやる性格だったのに、そんな自分はどこに行ってしまったのだろう。今はっきり云えることがある。人生はチャレンジし続けることのみに意味があり、その結果は2の次にすぎない。なぜなら計画を達成したらやることがなくなり、あとは座して死ぬしかなくなってしまうからだ。
いろいろあったが、私も本体の赤字から5年経ち、やっと変わり始めてきた。長年の夢であったアジア進出を果たし、今年度はアジアも黒字になると手ごたえを掴んでいる。これからも自分がワクワクすることが、周りをそして社会を元気にすることと信じて新しい事業にチャレンジし続けたい。
武士道から学ぶ悔いのない人生
「天より与えられたこの命、燃え尽きる最期の日まで、思いのままに生き抜いてくれようと思う。長いか短いかの問題ではない。後世に名が残るか、残らぬかの問題ではない。いかに、おのれが己らしく,生を全う出来るかが大事なのだ」*羽柴秀吉談・・・軍師の門より
自分らしくの自分とはいったい何なのか?親からもらったDNAは元はといえば宇宙の彼方から来た物質である。それが形を刻々と時間をかけ変化していった。放っておいても変化はするが人が人たる本質は文化であり文明である。(文明は文化が他の文化に波及して出来る)となれば自分らしくとは自分の意図を持つことである。生まれた時、意図を持ち生まれてくるわけではないから、人が年を重ねるごとに体験していく環境に影響されながら「こうありたい」と次第に思うようになる。
普通は漠然と思うだけで想いが思考につながらない。だから思うだけで実現しない人生を大半が送ることになる。自分の思いを「自分らしく」にするには思いに杭を打つ必要がある。それを哲学と呼び思いに合理性、納得性を求めていくことになる。
結局は自分らしくとは親のなしえなかった夢を実現するとか、周りに感化され「我もかくありたい」と奮い立つなど人からしか自分を見ることができないようになっているのではないのか?
とはいえ自分を迷わせてはいけない。なぜならまわりも迷ってしまうから。ワクワク感を持続していくには、いくつかの仮説を現実のものとして自分の中に落とし込む必要がある。
まずは人生を100年と決めてしまうこと。これは一番大切な仮説だと思う。いつ死ぬかなんて誰にも分からないからと言って自分の人生の最期を曖昧にしておけば晩年やることがなくなり、モチベーションが下がっていく。死ぬ日を決めることにより壮大な人生計画が生まれ、自分の集大成が可能となる。
二つ目は自分らしくはチャレンジしなければ誰しも自分らしくならないということだ。カネが100億ある人と、1000万しかない人の食事の内容はたいして変わらない。目的がカネでなくチャレンジし続ける自分と決めて生きることを決意した。
自分らしくの自分とはいったい何なのか?親からもらったDNAは元はといえば宇宙の彼方から来た物質である。それが形を刻々と時間をかけ変化していった。放っておいても変化はするが人が人たる本質は文化であり文明である。(文明は文化が他の文化に波及して出来る)となれば自分らしくとは自分の意図を持つことである。生まれた時、意図を持ち生まれてくるわけではないから、人が年を重ねるごとに体験していく環境に影響されながら「こうありたい」と次第に思うようになる。
普通は漠然と思うだけで想いが思考につながらない。だから思うだけで実現しない人生を大半が送ることになる。自分の思いを「自分らしく」にするには思いに杭を打つ必要がある。それを哲学と呼び思いに合理性、納得性を求めていくことになる。
結局は自分らしくとは親のなしえなかった夢を実現するとか、周りに感化され「我もかくありたい」と奮い立つなど人からしか自分を見ることができないようになっているのではないのか?
とはいえ自分を迷わせてはいけない。なぜならまわりも迷ってしまうから。ワクワク感を持続していくには、いくつかの仮説を現実のものとして自分の中に落とし込む必要がある。
まずは人生を100年と決めてしまうこと。これは一番大切な仮説だと思う。いつ死ぬかなんて誰にも分からないからと言って自分の人生の最期を曖昧にしておけば晩年やることがなくなり、モチベーションが下がっていく。死ぬ日を決めることにより壮大な人生計画が生まれ、自分の集大成が可能となる。
二つ目は自分らしくはチャレンジしなければ誰しも自分らしくならないということだ。カネが100億ある人と、1000万しかない人の食事の内容はたいして変わらない。目的がカネでなくチャレンジし続ける自分と決めて生きることを決意した。
名古屋木村塾
今回も自分の中でぶれているところが発見された木村塾であった。今回の発見は3つ。一つ目は自分が目指す姿、会社が目指す姿は「この世にどんな価値をもたらすのか」であり規模や大きさはその価値がどのくらいこの世に評価されるかの尺度にすぎない事だ。規模だけを追えば無理が生じる。しかしながら規模は信用の尺度でもある。ならば会社の尺度を個人に置き換え一人あたりの尺度で中身も一緒に充実させる。そうすれば無理な拡大は不可能になり、自然と会社の価値向上に社員全員目が向く。分かっているようで本質が分かっていないから規模をすぐ気にするんだとよくわかった。
もう一つ起業の原点の大切さを学んだ。私の原点は3つ。①母親の死②東京③ホンダ この3つをおいてないと思った。①母親がいなければ自分は存在しない。起きてから寝るまで働き続けた母親のDNAを持つ自分がいつのまにかたいした事もしてないのに、楽を求めるようになっている。楽は未来に求めるものであり、大きな志を持つものはチャレンジの中にこそ喜びを見出すべきで気を緩めることで楽になるのは論外である。母親の経営した(株)ローヤルギフトは広告会社にカタチを変えた。魂を入れるのはこれからだ。
最後に起業家の定義だ。起業家とは新しい枠組みを作る人を指し、会社を興すこと事業を起こすことだけではないということだ。チャレンジ精神に乏しい組織に活を入れ、新しいことに挑戦する社員に溢れる組織にすることも起業といえる。なぜならそのそんな組織から新たな商品サービスが産まれやがて新事業に発展していく可能性を秘めているからだ。
いずれにしても私は根っからのPL体質。これが抜けBS体質になるには自分の価値を高める努力を惜しみなくする気になったときであろう。
もう一つ起業の原点の大切さを学んだ。私の原点は3つ。①母親の死②東京③ホンダ この3つをおいてないと思った。①母親がいなければ自分は存在しない。起きてから寝るまで働き続けた母親のDNAを持つ自分がいつのまにかたいした事もしてないのに、楽を求めるようになっている。楽は未来に求めるものであり、大きな志を持つものはチャレンジの中にこそ喜びを見出すべきで気を緩めることで楽になるのは論外である。母親の経営した(株)ローヤルギフトは広告会社にカタチを変えた。魂を入れるのはこれからだ。
最後に起業家の定義だ。起業家とは新しい枠組みを作る人を指し、会社を興すこと事業を起こすことだけではないということだ。チャレンジ精神に乏しい組織に活を入れ、新しいことに挑戦する社員に溢れる組織にすることも起業といえる。なぜならそのそんな組織から新たな商品サービスが産まれやがて新事業に発展していく可能性を秘めているからだ。
いずれにしても私は根っからのPL体質。これが抜けBS体質になるには自分の価値を高める努力を惜しみなくする気になったときであろう。
Acute urinary retention
It is said that with moderate exercise has the effect of warming the body, improve blood circulation throughout the body, and get rid of the congestion of the prostate.
I think not only very painful condition, in particular circumstances, such as a night's sleep will be shallow nocturia, becomes a lack of sleep will become a cause of the nerve also proud. Exercise, and so lead to moderate sleep quality by tiredness, please go by all means. In addition, I think do not need to be strenuous exercise, feel free to continue exercise such as walking is good.
Since it may be to the prostate congestive alcohol becomes acute urinary retention. This is a painful condition for substantial and out of urine in the bladder Anyway, put into the bladder through the urethra to the hospital (thin tube) catheter. However, Is it possible to not be able to go to the hospital immediately. You may be prompted voiding in that case, take a bath and warm. If you can not go to the hospital right away, try as first aid.
But now I can not collect the water in the bath in this hotel.
While in Thailand now, I go to the hospital right now.
I think not only very painful condition, in particular circumstances, such as a night's sleep will be shallow nocturia, becomes a lack of sleep will become a cause of the nerve also proud. Exercise, and so lead to moderate sleep quality by tiredness, please go by all means. In addition, I think do not need to be strenuous exercise, feel free to continue exercise such as walking is good.
Since it may be to the prostate congestive alcohol becomes acute urinary retention. This is a painful condition for substantial and out of urine in the bladder Anyway, put into the bladder through the urethra to the hospital (thin tube) catheter. However, Is it possible to not be able to go to the hospital immediately. You may be prompted voiding in that case, take a bath and warm. If you can not go to the hospital right away, try as first aid.
But now I can not collect the water in the bath in this hotel.
While in Thailand now, I go to the hospital right now.
理念体系
設立趣旨
昨日より今日の水準を常に意識して広告会社に業種転換した。顧客数、売上、粗利、利益率、QCDの水準をお客様の為に考え抜いた。答えは「お客様からの依頼はすべて受ける。たとえやったことのない分野でも」だった。イベント、人材派遣、ノベルティ、看板、テーブルメディア、マスメディアと出来る方法を受けてから考える。そして1つのネタをいかに水平展開し、利益に結びつけていくのか。昨日より今日のチャレンジは終わる事のない生命の進化に似ている。
存在意義
我社はお客様からビジネスのイロハを教えて頂き、今日がある。我社の存在意義は「お客様を最もよく知っている事」であり、そのお客様に消費者ニーズを伝えカタチにする事である。顧客が期待する以上の成果が常に出せる会社にする。
理念(価値感)
①チャレンジ
挑戦する会社―失敗をおそれず、常に自分を改革する。
「大胆に行動すれば一時的に足場を失う。大胆さがなければ自分自身を失う」
挑戦⇒失敗⇒学び⇒成功
失敗から学ぶ事により、人は強くなる。
②クリエイティブ
創造する会社―創意工夫をもって、変化に対応する。
自らが志を持てば、ネットワーク(情報と人)、知識を求め始める。真の喜びの創造には忍耐とよい習慣が必要である。
③ウィン・ウィン
強調する会社―協力しあって共に飛躍する
真の喜びとは、自分がした事を人が喜び感謝してくれる事。不平不満は自己中心の産物。我社は感謝の集団でありたい。顧客、仲間、取引先に感謝!
昨日より今日の水準を常に意識して広告会社に業種転換した。顧客数、売上、粗利、利益率、QCDの水準をお客様の為に考え抜いた。答えは「お客様からの依頼はすべて受ける。たとえやったことのない分野でも」だった。イベント、人材派遣、ノベルティ、看板、テーブルメディア、マスメディアと出来る方法を受けてから考える。そして1つのネタをいかに水平展開し、利益に結びつけていくのか。昨日より今日のチャレンジは終わる事のない生命の進化に似ている。
存在意義
我社はお客様からビジネスのイロハを教えて頂き、今日がある。我社の存在意義は「お客様を最もよく知っている事」であり、そのお客様に消費者ニーズを伝えカタチにする事である。顧客が期待する以上の成果が常に出せる会社にする。
理念(価値感)
①チャレンジ
挑戦する会社―失敗をおそれず、常に自分を改革する。
「大胆に行動すれば一時的に足場を失う。大胆さがなければ自分自身を失う」
挑戦⇒失敗⇒学び⇒成功
失敗から学ぶ事により、人は強くなる。
②クリエイティブ
創造する会社―創意工夫をもって、変化に対応する。
自らが志を持てば、ネットワーク(情報と人)、知識を求め始める。真の喜びの創造には忍耐とよい習慣が必要である。
③ウィン・ウィン
強調する会社―協力しあって共に飛躍する
真の喜びとは、自分がした事を人が喜び感謝してくれる事。不平不満は自己中心の産物。我社は感謝の集団でありたい。顧客、仲間、取引先に感謝!
私の履歴書パート2
広告会社が軌道に乗ってきたため幹部が必要になった。1992年に10人だった社員が1995年には20人に倍増したからだ。トップ営業マンというより一人で5億売っていては内部体制の確立は不可能となったのだ。その年証券会社に勤める弟(現SITC・GM)を誘った。私が開拓した顧客を弟が引き継ぎ育てるというパターンが出来上がった。
*SITCはサンセンドウインターナショナルタイランドの略
運がいいことに大手メーカーは3年に1回はジョブローテーションで転勤する。付き合いのあった人が転勤したら、必ず行って営業する。北は北海道、南は鹿児島とかなり無理はあったがエリアは加速度的に広がった。
また東京で成功した事例は地方でも通用するので営業品目が使いまわせる。いつしか自社でタレントと契約してメインキャラクターとしたり、サンリオキティ―グッズをオリジナルで作成したりと全国の販売店に自社から案内することで大きな飛躍が始まった。
2000年には関西営業所、2001年には九州営業所と急拡大2003年には社員80人、年商18億5000万に成長。1995年に立案した2010年年商100億経常利益10億が視野に入ってきた。学生時代たてた目標が現実味を増してきた。残念ながら当時は経営者でありながら経営がよくわかっていなかったので、思いついたら吉日、社員を思いつきで振り回す経営であった。2006年運命の施策がメーカーから打ち出された。3つあった系列を一つにするというのである。
3系列から同じエリアに宣伝していたのが突然1つになったのだ。シュミレーションが甘かったといえばそれまでだが、あらかじめ売り上げ急減を予測してなかったため2007年運命の決算がやってきた。4000万近い赤字である。新規事業も2006年から始めていたがとても本体を支えるレベルにはなっていない。あわてて役員給与を下げ、2つの営業所を閉鎖して事業再構築が始まった。その時手腕を発揮したのが伊藤顧問である。2009年まで毎年のように経費削減、資産売却を続け2010年やっと売り上げが前年を超えるようになった。・・・・part3に続く
*SITCはサンセンドウインターナショナルタイランドの略
運がいいことに大手メーカーは3年に1回はジョブローテーションで転勤する。付き合いのあった人が転勤したら、必ず行って営業する。北は北海道、南は鹿児島とかなり無理はあったがエリアは加速度的に広がった。
また東京で成功した事例は地方でも通用するので営業品目が使いまわせる。いつしか自社でタレントと契約してメインキャラクターとしたり、サンリオキティ―グッズをオリジナルで作成したりと全国の販売店に自社から案内することで大きな飛躍が始まった。
2000年には関西営業所、2001年には九州営業所と急拡大2003年には社員80人、年商18億5000万に成長。1995年に立案した2010年年商100億経常利益10億が視野に入ってきた。学生時代たてた目標が現実味を増してきた。残念ながら当時は経営者でありながら経営がよくわかっていなかったので、思いついたら吉日、社員を思いつきで振り回す経営であった。2006年運命の施策がメーカーから打ち出された。3つあった系列を一つにするというのである。
3系列から同じエリアに宣伝していたのが突然1つになったのだ。シュミレーションが甘かったといえばそれまでだが、あらかじめ売り上げ急減を予測してなかったため2007年運命の決算がやってきた。4000万近い赤字である。新規事業も2006年から始めていたがとても本体を支えるレベルにはなっていない。あわてて役員給与を下げ、2つの営業所を閉鎖して事業再構築が始まった。その時手腕を発揮したのが伊藤顧問である。2009年まで毎年のように経費削減、資産売却を続け2010年やっと売り上げが前年を超えるようになった。・・・・part3に続く
常に挑戦 ~人の喜ぶ顔が見たい~
「お客様の喜ぶ顔が見たい。だから創意工夫でやったことない仕事でもチャレンジする。NOと言わない会社になる。」
この想いがプロモーションカンパニー三扇堂の原点です。1989年のイベント受注をスタートとして、オリジナル商品開発・店頭集客プロモーション・CRMと次々と新たな挑戦をしてまいりました。
お客様の新たなご要望こそ我社の成長源であり、それが結果として新事業となる。
我社は2011年念願のアジア進出を果たしました。
私の夢である「我々は世界に通用する新しいコミュニケーションノウハウでアジアと日本の架け橋になる」の実現に一歩近づいていたのです。
今後は日本において「顧客育成ノウハウ日本一」の実現に全力を挙げ取り組みます。
一方アジアにおいてはアジアの中の日本を意識したコミュニケーションノウハウを確立し、アジアと日本の文化交流に努めていきたいと考えています。
これからもずっとチャレンジする新しい三扇堂がアジアになくてはならない会社になるよう全力で取り組みます。
私の履歴書part1
私は創業者のように思われているが実は2代目である。2年前に他界した父はギフトの小売りと卸をビジネスとしていた。父親は仕事熱心で小さいころから何かと仕事を子供にさせた。母親は3人の子育てに加え祖母祖父の世話、そして仕事といつ休んでいるんだろうというくらい働き者であった。そんな仕事一色の家庭に育った為、自分もいつかは社長をやるんだと漠然と思っていた。母親からの言葉で一番印象深く今も何かと思い出すのは「人の保証人になるな!」である。「貸すなら無くなってもいいと思うだけの金を貸す」今も実行している事である。
明治大学を卒業し広告会社に就職。当時広告は花形産業で糸井重里の「おいしい生活」が一世を風靡した時代である。コピーライターやテレビコマーシャルは斬新で芸術的ですらあった。今でも鮮明に覚えているのがホンダプレリュードのボレロの曲に乗ったコマーシャルだ。自分の人生はカッコよく楽しく金持ちになれれば最高と考えていた。だから大学時代から起業を前提に50歳までの年商と年収を決めていた。年商100億・年収1億である。華やかなイメージで入社したが待っていた仕事はイベントと看板だった。偶然かも知れないがサンセンドウが広告会社に業種転換して間もないころのメインの仕事はディーラーでのF1イベントであり、今バンコクにある関連会社SITCのメインは新車イベントである。
イベントの本番は華やかであるが、仕込みは緻密かつ面倒で突発が多い為仕事は深夜に及ぶ。イベント直前は毎日朝帰りは当たり前の過酷な毎日であった。看板はこれが広告屋の仕事かと思うぐらい地味であった。
そんな仕事が2年続いた1987年3月運命の日が来た。かねてより入院していた母親が亡くなったのだ。母親には何かと心配ばかりかけていた為後悔ばかりであるが、母親の為にも家業を継ごうと決心して広告会社を辞めた。
当時サンセンドウには60歳の父親と事務の女性とアルバイト店長がいるだけで、拡大発展ではなく何とか飯が食えている状態であった。私の使命は顧客開拓しかないと思い、役場に行き、死んだ人の自宅に訪問し香典返しを受注するというどぶ板営業もやった。店の宣伝、商品構成の変更いろいろやっても効果はあまりない。悩んだ挙句働いていた広告会社の名古屋営業所長の紹介もあり3件隣のクルマディーラーの社長を紹介してもらった。その社長には結婚式の仲介人までして頂きいまでも親しくして頂いている。その出会いが広告会社へ業種転換に発展するとは思ってもみなかった。
この出会いが自分の運命を変えたといっていい。初めは展示会のノベルティーの仕事ばかりであったが、元広告会社にいたという事でイベントの仕事を任されるようになった。当時はF1無敵時代でセナ・プロスト・マンセル・ベルガ―と日本でもおなじみの役者が勢ぞろいで鈴鹿で開催されるF1日本グランプリはプラチナチケットで通常ルートでは手に入らないくらいの人気だった。そのF1マシーンをディ-ラーまで運び、集客をするイベントである。新聞やラジオ・チラシで告知し、F1コンパニオンがお迎えをするのが仕事である。その後F1オリジナルノベルティーをメーカーの許可をとりディーラーに限定し販売。これが当たった。注文は億単位に及び1993年には5億円を突破した。
好事魔多しとはこのことである。調子に乗ってセナの顔写真を時計に印刷したのが大問題となった。いくらホンダの契約ドライバーとはいえセナの肖像権をメーカーが持っているわけではなかったのだ。許可をしたのはメーカーの出先営業所であり本社の知的財産を扱う部署ではない。1993年の年末メーカー本社から電話があった。「すぐに販売を中止して在庫は捨てなさい。そして年が明けたら本社に来るように」
今から思えばとんでもないことをしたわけであるが、当時は出先とはいえメーカー許可を取っていたし、小売りを消費者にしていたわけではないので何が問題なのかはっきり分かっていなかった。幸運なことに面談して頂いたメーカーの担当者はとても優しい方で、出入り禁止になるどころか分からないように販売店に在庫を売ってもよいということになった。それからイベントとノベルティー中心の営業品目からチラシ・DMへシフトしていった。
広告会社に在籍していたとはいえデザインや印刷は全くやったことがなかったので不安であったが、お客様に教えて頂きながら徐々に注文は増えた。1992年に埼玉県和光市に和光事務所を開設していたので、名古屋と東京をクルマで月に5往復する生活だ。クルマで移動するのは道中販売店へ営業する必要があったからだ。当時レジェンドにカーFAX、とドでかい携帯電話を積み受注した仕事を会社に伝えた。道中営業は今でも若い優秀な営業マンに引き継がれている。
次回に続く
明治大学を卒業し広告会社に就職。当時広告は花形産業で糸井重里の「おいしい生活」が一世を風靡した時代である。コピーライターやテレビコマーシャルは斬新で芸術的ですらあった。今でも鮮明に覚えているのがホンダプレリュードのボレロの曲に乗ったコマーシャルだ。自分の人生はカッコよく楽しく金持ちになれれば最高と考えていた。だから大学時代から起業を前提に50歳までの年商と年収を決めていた。年商100億・年収1億である。華やかなイメージで入社したが待っていた仕事はイベントと看板だった。偶然かも知れないがサンセンドウが広告会社に業種転換して間もないころのメインの仕事はディーラーでのF1イベントであり、今バンコクにある関連会社SITCのメインは新車イベントである。
イベントの本番は華やかであるが、仕込みは緻密かつ面倒で突発が多い為仕事は深夜に及ぶ。イベント直前は毎日朝帰りは当たり前の過酷な毎日であった。看板はこれが広告屋の仕事かと思うぐらい地味であった。
そんな仕事が2年続いた1987年3月運命の日が来た。かねてより入院していた母親が亡くなったのだ。母親には何かと心配ばかりかけていた為後悔ばかりであるが、母親の為にも家業を継ごうと決心して広告会社を辞めた。
当時サンセンドウには60歳の父親と事務の女性とアルバイト店長がいるだけで、拡大発展ではなく何とか飯が食えている状態であった。私の使命は顧客開拓しかないと思い、役場に行き、死んだ人の自宅に訪問し香典返しを受注するというどぶ板営業もやった。店の宣伝、商品構成の変更いろいろやっても効果はあまりない。悩んだ挙句働いていた広告会社の名古屋営業所長の紹介もあり3件隣のクルマディーラーの社長を紹介してもらった。その社長には結婚式の仲介人までして頂きいまでも親しくして頂いている。その出会いが広告会社へ業種転換に発展するとは思ってもみなかった。
この出会いが自分の運命を変えたといっていい。初めは展示会のノベルティーの仕事ばかりであったが、元広告会社にいたという事でイベントの仕事を任されるようになった。当時はF1無敵時代でセナ・プロスト・マンセル・ベルガ―と日本でもおなじみの役者が勢ぞろいで鈴鹿で開催されるF1日本グランプリはプラチナチケットで通常ルートでは手に入らないくらいの人気だった。そのF1マシーンをディ-ラーまで運び、集客をするイベントである。新聞やラジオ・チラシで告知し、F1コンパニオンがお迎えをするのが仕事である。その後F1オリジナルノベルティーをメーカーの許可をとりディーラーに限定し販売。これが当たった。注文は億単位に及び1993年には5億円を突破した。
好事魔多しとはこのことである。調子に乗ってセナの顔写真を時計に印刷したのが大問題となった。いくらホンダの契約ドライバーとはいえセナの肖像権をメーカーが持っているわけではなかったのだ。許可をしたのはメーカーの出先営業所であり本社の知的財産を扱う部署ではない。1993年の年末メーカー本社から電話があった。「すぐに販売を中止して在庫は捨てなさい。そして年が明けたら本社に来るように」
今から思えばとんでもないことをしたわけであるが、当時は出先とはいえメーカー許可を取っていたし、小売りを消費者にしていたわけではないので何が問題なのかはっきり分かっていなかった。幸運なことに面談して頂いたメーカーの担当者はとても優しい方で、出入り禁止になるどころか分からないように販売店に在庫を売ってもよいということになった。それからイベントとノベルティー中心の営業品目からチラシ・DMへシフトしていった。
広告会社に在籍していたとはいえデザインや印刷は全くやったことがなかったので不安であったが、お客様に教えて頂きながら徐々に注文は増えた。1992年に埼玉県和光市に和光事務所を開設していたので、名古屋と東京をクルマで月に5往復する生活だ。クルマで移動するのは道中販売店へ営業する必要があったからだ。当時レジェンドにカーFAX、とドでかい携帯電話を積み受注した仕事を会社に伝えた。道中営業は今でも若い優秀な営業マンに引き継がれている。
次回に続く
事業計画メモ2
戦略・方針検証③
戦略を「経済価値(Value)はどの程度か」「希少性(Rarity)はどの程度か」「模倣困難性(Imitability)はどの程度か」「組織力(Organization)はどの程度か」の視点から「ケイパビリティ(能力)」を検証する。
④重点方針は経済的・危機回避も含め、組織にとってもっとも効果があがるものか?テコの原理のように方針が支点になっているのか?
⑤その方針は他社から見て脅威になるのか?我社の隠された強みがより生きる内容なのか?
⑥その方針は社員の行動をどのように変えるのかイメージする。
⑦自分の尊敬する人ならその方針をどうフィードバックするか頭の中で仮想会議をする。尊敬する人は実在する経営者でもよいしスティーブ・ジョブズのように会ったこともない偉大な人物でもよい。
⑧その方針は目標と混同していないか?方針はWHY・WHAT・HOWがセットである。
⑨なぜその方針にしたのかもう一度SWOTから検証し直す。ほとんどの場合最初に思いついた方針が採用されている。時間が経つと今大きく感じられている問題がそうではなくなることが最も懸念すべきことである。
⑩入口は問題意識、出口は戦略 により理論性を高める。
⑪戦略はSTP+4Pを見直し、新たな顧客価値を創る作業である。セグメントとターゲットは行ったり来たりするもので固定化してはならない。望むポジションの為にあえて人材育成事業に乗り出す必要があるかもしれない。つまりポジショニングアプローチと学習アプローチ行ったり来たりしなければよい戦略・方針は出来ない。
⑫我々の使命は「顧客の商品・サービスを売れ続けるようにする事」将にマーケティングの定義そのものである。
⑬方針には魂を入れ、毎日念仏のように唱える執着心が必要である。役員・部門長・リーダーは毎日実践しなければ社員は方針を意識しなくなる。
戦略を「経済価値(Value)はどの程度か」「希少性(Rarity)はどの程度か」「模倣困難性(Imitability)はどの程度か」「組織力(Organization)はどの程度か」の視点から「ケイパビリティ(能力)」を検証する。
④重点方針は経済的・危機回避も含め、組織にとってもっとも効果があがるものか?テコの原理のように方針が支点になっているのか?
⑤その方針は他社から見て脅威になるのか?我社の隠された強みがより生きる内容なのか?
⑥その方針は社員の行動をどのように変えるのかイメージする。
⑦自分の尊敬する人ならその方針をどうフィードバックするか頭の中で仮想会議をする。尊敬する人は実在する経営者でもよいしスティーブ・ジョブズのように会ったこともない偉大な人物でもよい。
⑧その方針は目標と混同していないか?方針はWHY・WHAT・HOWがセットである。
⑨なぜその方針にしたのかもう一度SWOTから検証し直す。ほとんどの場合最初に思いついた方針が採用されている。時間が経つと今大きく感じられている問題がそうではなくなることが最も懸念すべきことである。
⑩入口は問題意識、出口は戦略 により理論性を高める。
⑪戦略はSTP+4Pを見直し、新たな顧客価値を創る作業である。セグメントとターゲットは行ったり来たりするもので固定化してはならない。望むポジションの為にあえて人材育成事業に乗り出す必要があるかもしれない。つまりポジショニングアプローチと学習アプローチ行ったり来たりしなければよい戦略・方針は出来ない。
⑫我々の使命は「顧客の商品・サービスを売れ続けるようにする事」将にマーケティングの定義そのものである。
⑬方針には魂を入れ、毎日念仏のように唱える執着心が必要である。役員・部門長・リーダーは毎日実践しなければ社員は方針を意識しなくなる。
事業計画メモ
====経営者の名言より[ 本田 宗一郎 ] 本田技研工業社長(創業者)
われわれは勝負師ではない。
負けても何が原因で負けたのかを追求することに意義がある
事業計画のシーズンである。1995年から事業計画を創り出して19回目の策定でずいぶん歴史ある見通しづくりとなった。2007年まで急成長したがその後一回の赤字を経験して、自分の過去も含め事業をよく振り返るようにはなった。その時、決算マイナスになった原因は目先の利益ばかりに囚われ人材育成や商品開発、事業開発が後回しになっていた事であった。究極の粗利至上主義、能力主義が招いた当然の結末であったと、今から思えば納得できる。
良いときには必ず次の一手を打とうといつも思ってはいるし、事実様々な事業を試してみた。しかしそのほとんどが失敗、もしくは計画倒れに終わっている。何故か?今回の巻頭言にある負けた原因究明が感覚で終わっているためだ。今年の事業計画で同じ過ちを繰り返してはならないとポイントをまとめた。
①原因は事実なのか解釈なのか?
昨日、自分発見セミナーの清水さんに聞かれて、自分では事実のつもりの言葉が解釈であったことが判明した。まず赤字は解釈であり事実はマイナスであるという事。赤字だけでは原因究明は出来ない。いくらマイナスでそれは固定費が過大なのか、特定部門の粗利益が過少なのか?分解して仮説をひとつひとつ立証しなければ真の原因は分からない。社員評価も解釈が多い。数字で評価できる営業でも担当する客により有利不利が事実存在するし、売り上げが多いから顧客満足を満たしているとも限らない。数字と顧客評価、従業員評価の総合評価が最も事実に近いといえる。間接部門であればほとんどが事実でなく解釈となる。手がかりは自己評価と社員評価の差異である。常に事実化か解釈かという意識は常に外から自分を見る事と重なる。
②仮説リストを創りひとつひとつ検証していく。
前年度の方針がよかったかよくなかったかは人により解釈が異なるので事実は分かりにくいがあらゆる方面から検証していく必要がある。WHYが弱いと検証にならない。
今年度方針も最初から思ったイメージ決め打ちではなくあらゆる角度で仮説をつくりリスト化し役員で討議し新たな発見を探さなければならない。社長はマクロ状況、ビジョン、多くの知り合いからの情報を元に、現場に詳しい幹部社員と摺合せをしなければよい戦略はつくれない。
われわれは勝負師ではない。
負けても何が原因で負けたのかを追求することに意義がある
事業計画のシーズンである。1995年から事業計画を創り出して19回目の策定でずいぶん歴史ある見通しづくりとなった。2007年まで急成長したがその後一回の赤字を経験して、自分の過去も含め事業をよく振り返るようにはなった。その時、決算マイナスになった原因は目先の利益ばかりに囚われ人材育成や商品開発、事業開発が後回しになっていた事であった。究極の粗利至上主義、能力主義が招いた当然の結末であったと、今から思えば納得できる。
良いときには必ず次の一手を打とうといつも思ってはいるし、事実様々な事業を試してみた。しかしそのほとんどが失敗、もしくは計画倒れに終わっている。何故か?今回の巻頭言にある負けた原因究明が感覚で終わっているためだ。今年の事業計画で同じ過ちを繰り返してはならないとポイントをまとめた。
①原因は事実なのか解釈なのか?
昨日、自分発見セミナーの清水さんに聞かれて、自分では事実のつもりの言葉が解釈であったことが判明した。まず赤字は解釈であり事実はマイナスであるという事。赤字だけでは原因究明は出来ない。いくらマイナスでそれは固定費が過大なのか、特定部門の粗利益が過少なのか?分解して仮説をひとつひとつ立証しなければ真の原因は分からない。社員評価も解釈が多い。数字で評価できる営業でも担当する客により有利不利が事実存在するし、売り上げが多いから顧客満足を満たしているとも限らない。数字と顧客評価、従業員評価の総合評価が最も事実に近いといえる。間接部門であればほとんどが事実でなく解釈となる。手がかりは自己評価と社員評価の差異である。常に事実化か解釈かという意識は常に外から自分を見る事と重なる。
②仮説リストを創りひとつひとつ検証していく。
前年度の方針がよかったかよくなかったかは人により解釈が異なるので事実は分かりにくいがあらゆる方面から検証していく必要がある。WHYが弱いと検証にならない。
今年度方針も最初から思ったイメージ決め打ちではなくあらゆる角度で仮説をつくりリスト化し役員で討議し新たな発見を探さなければならない。社長はマクロ状況、ビジョン、多くの知り合いからの情報を元に、現場に詳しい幹部社員と摺合せをしなければよい戦略はつくれない。