私の履歴書パート2
広告会社が軌道に乗ってきたため幹部が必要になった。1992年に10人だった社員が1995年には20人に倍増したからだ。トップ営業マンというより一人で5億売っていては内部体制の確立は不可能となったのだ。その年証券会社に勤める弟(現SITC・GM)を誘った。私が開拓した顧客を弟が引き継ぎ育てるというパターンが出来上がった。
*SITCはサンセンドウインターナショナルタイランドの略
運がいいことに大手メーカーは3年に1回はジョブローテーションで転勤する。付き合いのあった人が転勤したら、必ず行って営業する。北は北海道、南は鹿児島とかなり無理はあったがエリアは加速度的に広がった。
また東京で成功した事例は地方でも通用するので営業品目が使いまわせる。いつしか自社でタレントと契約してメインキャラクターとしたり、サンリオキティ―グッズをオリジナルで作成したりと全国の販売店に自社から案内することで大きな飛躍が始まった。
2000年には関西営業所、2001年には九州営業所と急拡大2003年には社員80人、年商18億5000万に成長。1995年に立案した2010年年商100億経常利益10億が視野に入ってきた。学生時代たてた目標が現実味を増してきた。残念ながら当時は経営者でありながら経営がよくわかっていなかったので、思いついたら吉日、社員を思いつきで振り回す経営であった。2006年運命の施策がメーカーから打ち出された。3つあった系列を一つにするというのである。
3系列から同じエリアに宣伝していたのが突然1つになったのだ。シュミレーションが甘かったといえばそれまでだが、あらかじめ売り上げ急減を予測してなかったため2007年運命の決算がやってきた。4000万近い赤字である。新規事業も2006年から始めていたがとても本体を支えるレベルにはなっていない。あわてて役員給与を下げ、2つの営業所を閉鎖して事業再構築が始まった。その時手腕を発揮したのが伊藤顧問である。2009年まで毎年のように経費削減、資産売却を続け2010年やっと売り上げが前年を超えるようになった。・・・・part3に続く
*SITCはサンセンドウインターナショナルタイランドの略
運がいいことに大手メーカーは3年に1回はジョブローテーションで転勤する。付き合いのあった人が転勤したら、必ず行って営業する。北は北海道、南は鹿児島とかなり無理はあったがエリアは加速度的に広がった。
また東京で成功した事例は地方でも通用するので営業品目が使いまわせる。いつしか自社でタレントと契約してメインキャラクターとしたり、サンリオキティ―グッズをオリジナルで作成したりと全国の販売店に自社から案内することで大きな飛躍が始まった。
2000年には関西営業所、2001年には九州営業所と急拡大2003年には社員80人、年商18億5000万に成長。1995年に立案した2010年年商100億経常利益10億が視野に入ってきた。学生時代たてた目標が現実味を増してきた。残念ながら当時は経営者でありながら経営がよくわかっていなかったので、思いついたら吉日、社員を思いつきで振り回す経営であった。2006年運命の施策がメーカーから打ち出された。3つあった系列を一つにするというのである。
3系列から同じエリアに宣伝していたのが突然1つになったのだ。シュミレーションが甘かったといえばそれまでだが、あらかじめ売り上げ急減を予測してなかったため2007年運命の決算がやってきた。4000万近い赤字である。新規事業も2006年から始めていたがとても本体を支えるレベルにはなっていない。あわてて役員給与を下げ、2つの営業所を閉鎖して事業再構築が始まった。その時手腕を発揮したのが伊藤顧問である。2009年まで毎年のように経費削減、資産売却を続け2010年やっと売り上げが前年を超えるようになった。・・・・part3に続く