記事を書く難しさ
昨日は、月1度の勉強会へ出席し2次会へも参加したため、ブログの更新を忘れていた。
何かを発信し続ける難しさ、根気、努力、を鍛えるために始めたブログであるが。
最初の日々からすれば内容の二転三転お恥ずかしい限りである。
また、明日からいろいろつづらせていただきます。
よろしくお願いします。
The Best Of Adiemus
Adiemus
Beyond The Century
1999年1月から2000年12月にかけて、NHKスペシャルの「世紀を越えて」から、はや10年の歳月が流れた。
ミリアム・ストックリーがミリアム・ストックリー語で歌うこの曲も、番組の内容とシンクロして頭に焼き付いている。
今もiPod touchでこの曲を電車で聴いていると、松平アナウンサーの声とともに、現代が抱える問題が頭に浮かんでは消えてゆく。
インターネットの登場によりパラダイムシフトが起こるといわれて久しい、しかし、本当にパラダイムシフトが起こるのは、これからのように思える。
南風
夏川りみ
涙そうそう(ウチナーグチ・バージョン)
10年前に沖縄へ行った。
ちょうど真夏の暑い日、この歌いいでしょうと運転手さんが聴かせて くれた。
彼曰く、面影とぅみてぃ 影たちゅる日や、涙そうそう。
影たちゅる、影たちゅる、ですよと二度繰り返されたが、意味がわ からなかった。
方言を繰り返し聴いて、文字で見ていると、わからないなりに伝わって くるものもあった。
詩の中に、 見らりりば、かなじいちか、会ゆるんでぃ信じ、生きてんか。 とある。
会ゆるんでぃ信じ、生きてんかである。
私もいつか、会えると信じ 生きてゆこう。
神の祭 風のうた
見上げれば、花びら
姫神
星吉昭が亡くなってもう5年になる。
姫神の、「神々の詩」、「未来の瞳」、「見上げれば、花」びらなど、シングルどれも気に入っている。
最近、周囲に不幸事が多くなった、これも私自身が歳を重ねてきたせいでもあろう。
ふと、人生、を考えることも多くなった。
現在私の家は古代の古墳の上にっ立ている。
引っ越してきた時は町内でまだ発掘調査がおこなわれており、公園の名前は、「古墳公園」である。
散歩をしている時に土器の破片を拾うことも、20数年前は多々あった。
今は復元された古墳があり夕暮れに前に立つと古代の風に触れたような気分になる。
見上げれば、花びらの歌詞の中に以下の詩がある。
十三(とさ)の砂山 風を抱いて遊び
泣いて 笑って 時の経つまで
十三の砂山 風に咲く花を
誰もが忘れて 天まで飛んだ
今生の風に 吹かれて
吹かれて遥か
楽しいことや 悲しみも
見上げれば、花びら
今生の風にみな吹かれている。
LAPALUN RHUM
ラパランは、カリブ海の小アンティル諸島のマルティニークという小さな島(フランス領)で生まれた最高峰のマルティニークラム。
LAPALUN1952は、マルティニーク島のプティ・ブール蒸溜所で1952年に蒸留されたが、1955年に蒸溜所は閉鎖ためシャンタル・コンテ家(南フランスに本社を置くラム取り扱い業者)が樽ごと買取り、1972年に発売。
アグリコールと呼ばれる基準で作られるサトウキビの絞り汁をそのまま発酵させて作られる。
普段あまり洋酒を飲まない私でも、香り、味わいともに最高であった。
7時間たった今も、頭に残る。こんなにまろやかなお酒はなかなか出合えなかった。
「1955年に蒸留所がつぶれてしまっているので、現在残っているものが呑まれてしまえば二度と味わう事ができない。」とBARのマスターにすすめられたのだが。至福の一杯であった。
Winelight
Jr. Grover Washington
Make Me A Memory
いろいろ好き勝手にfavorite songを書き綴っているが、ふと振り返るとどうも私は、平安朝ではないが、誰そ彼の黄昏時が持つ雰囲気が好みなのがよくわかった。
またしても、1曲目、Winelight、のっけから聴くたびいつもやられる。
そして今晩もジャケットPHOTOにやられて、1曲目にGerarde Bertrandを開けて、まず1杯、そして、今、6っ曲目Make Me A Memoryを聴きながら6杯目、こうしてブログを書いている。
アルバム3曲目 In the Name of Loveのころからいい気持ちになって、
グローヴァー・ワシントンJr、エリック・ゲイル、リチャード・ティー、スティーヴ・ガッド
のセッションが、頭のなかで続いている。
7敗目は、何を聴こう。
松陰先生にしかられる。
酒は大関こころいき
小柳ルミ子
その昔私が最初に見たTVコマーシャルではまだ、現在歌っている加藤登紀子氏ではなく、小柳ルミ子氏であった。
白い花なら百合の花
人は情けと男だて
恋をするなら命がけ
酒は大関 心意気
赤い花なら浜なすの
友と語らん故郷を
生まれたからにはどんとやれ
酒は大関 心意気
夢は人には見せぬもの
勝負する時は馬鹿になれ
それでいいのさ男なら
酒は大関 心意気
女泣かせるやつよりも
好きだといわないその背なに
女ごころはもえるもの
酒は大関 心意気
花と咲くのもこの世なら
踏まれて生きる草だって
唄を唄って今日もまた
酒は大関 心意気
大学生の時加藤登紀子氏のほろよいコンサートで、入場時に大関をふるまわれ、彼女もステージ上で時がたつほどに出来上がり、見ているほうも出来上がり、ホールを出てから下宿までどうやって帰ってか記憶をなくすほどに、飲んでいた時の思い出の曲である。
作詞作曲は小林亜星
この詩の様な人いないなあ。
ソーヤレシチン
昨日は久しぶりに友人と語り合った。やはり心の天気と胃腸の関係は深いと思う。
私は、ある薬剤師の言葉を信じて、京都薬品工業株式会社の大豆の健康ソーヤレシチン顆粒というサプリメントを我慢して毎日食べている(世間では、愛用しているというらしい)が、我慢という表現はいやなものをいやいやながらも、任意の第三者や鏡の中の私から、脅されつつ、服用しているというイメージを持たれたであろうが、実は、一番の敵は、加齢に伴う学習記憶能力の低下(いわゆるボケ)との日々の戦いを、我慢しつつということを、ご理解いただきたい。
具体的には、レシシン2包を朝夜食の2回食するだけなのだが、私は、朝食を最後のヨーグルトまで、半時かかって食べ終わるのだが、食後もう四半時ぐらいすると、はたして、今日は、大豆レシチンを食したかどうかあやふやになってくる。
確認のため、家人に尋ねたいが、だれもが予想できる返事(たぶん「バカじゃないの!」)がおちである。そこでレシチン包の個数を記録してみたが、これがなんともめんどくさい、もともとこの方法では失敗すると過去の経験上予測できたのだが。
そこで、ヨーグルトの場合は、なぜヨーグルトを食したかどうか、迷わずにすむのか?ヨーグルトもレシチンも同じ食事の中で搾取するのに差が付くのか考えてみた。
そして発見したのだが、私は、ヨーグルトを食べるときは、アイスクリームソーサーにヨーグルトを入れ、
純粋なカナダ産メープルシロップを少し大目にかけて、アイスクリームスプーンで食する。
結果、家人に早く食べろと急かされ(後片付けに差し障りがあるらしい)る、これが毎回繰り返されれば、パブロフの犬状態である。
たまに食してもないのに怒られる時もあるが、困ったことに本人はヨーグルトを食べた感覚になる。
ここで重要なのは、証拠として汚れた器とスプーンが検視官に渡されるということだ、第3者が私に介入してくる。
では、レシチンの場合はどうか?レシチンは1スティック縦12cm横2cmの中に大豆4500粒分のレシチンを含んでいるという触れ込みである。
味は、ポークビーンズの豆から塩味を引いたものだと考えていただきたい、そのレシチンを食事の最中、気ままにとる、ご飯3口目だとか、味噌汁を飲む前だというような決まりはない。
そして几帳面な私は飲み終わった包みをゴミ箱へ自分で入れる。
他人任せにするとヨーグルトの時と同じ経験をしなければならない、そこがミソであった、レシチンを食したかどうか学習記憶能力の低下問題を抱える私は、ゴミ箱の中のレシチン包みを見て今回分を判断するようになった、レシチンはヨーグルトとは違い検視官の目に触れる事は無い、のである。
しかし、ゴミ箱の中に複数のレシチン包を発見したときに問題は起こった。
はたして、今回はレシチンを食したのだろうかと。
この問題は相変わらず私の中で解決されいない。
注 レシチンとは何か 私の細胞は、約60兆個ある(数えたことは無い)が、すべての細胞にレシチンは含まれる。レシチンはリン脂質の一種で油になじみやすい脂肪酸と水になじみやすいコリンやイノシトール(キシリトールではない)の両特性を持っている。
簡単に言えば、水と油を血液の中で混ぜ合わせ、どろどろ血液をサラサラにする。と私は信じている。

