『老けないカラダ・若返る身体』を、古武道の知恵で伝えるブログ -17ページ目

『老けないカラダ・若返る身体』を、古武道の知恵で伝えるブログ

戦前の日本人の身体感覚を復興させたい
古武道エネルギー療法家が教える

① アトピー、慢性病を自分で治そうとしている人
② 古武道の考え方を活かしたい人
③ 気を活用して、もっと身体を若々しくしたい人
を、中心にお伝えしております。

私の合気道教室では、歩くこと、立つ事に時間をすごく使っています。

正しく立てると重心が安定して、
心も落ち着きますし、
力も入ります。

まぁ、そんな説明はいいとして。

最近は、思わぬ効果を生徒さんが
報告してくれます。

上司の言葉にイラッときて、ストレスたまっていた人が、最近はうまく捌けるようになりましたとか、


職場が変わった時、不安だったけど、
合気道の考え方や、正しく立つこを
意識することで、自然に対応できるようになったと 

嬉しそうに報告してくださるようになりました。


そう、そうなのだ。

ボディワークとおもわれている
合気道教室の本当のねらいは、
人間関係の改善なのだ。


というか、
自分は安定しているから、柔軟に
対応できるので、

人間関係に苦労しなくなるようだ。


それは、なぜなか??

実際に、体験してもらうのが一番なのだが、
あえて、言葉にすれば

軸が立つ、

自分が安定する

余裕がうまれる

いろいろと見えるようになる

どう動けばいいかわかる

素直に動く、


結果として、うまく行く。



これだけではないが、


けっこう、うまく行く。


これが、私が立つこと伝えていこうと思う動機だ。


へへっ、けっこうすごいんだよね。
学びだすと、他にもいろいろと
あるんだけどね。

それは、またおいおい、書いていきたいと
思います。
武道の世界には、
「礼にはじまり、礼に終わる」

という言葉がある。

試合の前と、試合が終わった後には礼儀正しくしなさいよ、

というような意味かなぁとと私はずっと思っていた。


それが、20年近くも身体の勉強や、武道のことを学んでいるとどうもそれだけでないようなうなことがわかってきた。

おじぎをする、その姿勢を見ただけで、
その人の弱点や、隙が見えてくるのだ。

もちろん、勝負が決まって、立ち去る時も
相手に対して、隙を見せてはいけない。
残心ともいう。



いままでの稽古では、そこまで説明するのは
面倒だし、時間もかかるので説明していなかった。


でも、最近は、人数も少ないし、
生徒さんもそれがすごく興味があるといってくれるので、

実際に体験してもらったり、
姿勢の違いで何が変わるのか?
意識の違いでどう変わるのか?

気構えのしかた、

などなど、私が学んできたことを
遠慮なく説明するようにした。

最初の、礼

今から、稽古をはじめます。

よろしくお願いします。

その動きひとつを説明するだけで、
45分くらいかかった。


それだけを説明するだけでだ。
ただ、稽古の最初の「お願いします」


生徒さんは、いやー、はじめて教えてもらいました。ありがとうございます。
と嬉しそうだった。


そうだなぁ、
やっぱり、自分だけの中にしまっていてはいけないなぁ。

こんなないようを知りたいという人もいるのかもしれない。


これからは、どんどんと説明していこう。

日本人武道の知恵、エッセンスなのだから、

私は幸い、戦前の教育を受けた先生から、
それを学んだ。

今となっては、貴重な体験だろう。

武道の体験に、
整体、そして、脳幹活性のBSセラピー。

このBSセラピーがまた、すごい。

この脳幹活性という状態、キーワードが
あることによって、日本武道の

本当のすごさが再び、解き明かされるだろうと
私は思う。



伝えなくては、

この日本人の宝ともいえるべき、知恵を
伝えなくては。

知りたいひとには、伝えよう。

そう、熱い使命感が湧いてくる。
あなたの合気道教室は何を教えているの??

問われたら、私は答えるだろう。

真っ直ぐ立つことを教えています。と




あなたの体操教室では、何を大事にしているの?

問われたら、私は答えよう。

真っ直ぐ立つことを大事にしています。と



あなたの施術院では、どんな特徴があるの?
問われたら、私は答えるだろう

真っ直ぐに立てるようにすることが
特徴です。と




真っ直ぐ立つ、
それは言葉で書くと、簡単だが、
実際にはやろうとすると
とても奥が深いのだ。

構造的に真っ直ぐという意味ではない。
直線ではない。

だが、何かが真っ直ぐになっている。
感覚的? 意識的?


改めて、言葉で定義しようと思うと難しいなぁと思う。



だが、調整してもらって、真っ直ぐ立ったときの感覚を一度でも体験すると、
まっすぐ立つという意味がわかる。

そう、まるで、リンゴを食べたことがない人にリンゴの味を説明するのが難しいように、

説明するのには、りんごを食べてもらえばわかる。


そう、一度まっすぐ立つことを、体験してもらえば、まっすぐ立つことの意味がわかる。




そういうことを私は、やりたい。

まっすぐ立つということを!! 
自分が大学生からずっと追いかけてきた
武道、自然療法、宗教

あれから20年近く経ち、自分でも
何を求めているんだろう??と
想いながら探求してきました。

40歳を前にして、ようやく答えが出ようと
しています。


「自分らしくある」


ここに尽きるようです。


自分らしくあるときは、一番強く
自分らしくあるときが、自然治癒力も高くなり、
自分らしくあるときが、こころが満たされます


恐怖からうまれた思考、
時代や社会に制限された常識、

それらに歪められた自分。


影の自分、歪んだ部分、欠けた部分を
取り戻そう、修正しようとしても
結果がでない。

そう、水に映った水月を捕まえようとしているようなもの。



自分は、なにも欠けていない。
自分は、なにも歪んでいない。

そう、そこに気づくだけでよかったんだ。


武道をやっても、
自然療法をやっても
対話をしていっても、
最後はそこに行き着くようだ。


自分が、自分らしくある。

昔のひとは、
「自分の胸にきいてみな」
という言葉で教えてくれていた。


脳科学が進歩するほど、脳が判断している
という思い込みがする。

でも、私の感覚では
胸に聞いてみるというこの感覚の
方がいいようにおもう。

胸 、そう、それを言い換えると

真我、魂といい変えてもいいだろう。

「自分の胸にきいてみな」
言い換えると

「自分の真我、魂にきいてみな」
になるだろう。


そう、その為に、
私は武道の稽古をして、
BSセラピーを生業にする。


学生時代から、求めていたものは
どうやらこれだったようだ。

思考、脳は何を求めているか知らなかったが、

真我、魂は知っていたから求めていたのだ。


自分らしくある。

自分らしくあると、いきやすくなるんだ。
(^3^)/


先日、現役保育士さんで、重ね煮プロ級の腕前をもつ党深子先生の重ね煮セミナーを
一緒にやらせていただきました。

私は料理よりも陰陽の理論が大好きで、料理もtどちらかというと理科の実験というか、法則の乗っ取るというか、そんな料理になるのですが、

党深子先生の重ね煮を食べたときに、
愛情のある料理ってこんなものかとおもいました。

美味しくて健康になる料理を食べて欲しいという想いが料理から溢れているようでした。

私が子どもにつくる重ね煮は、健康になるから食べなさい、ほら、おいしいでしょ?!みたいな料理だなと比較してみて、改めて感じました。

ジャムおじさんがいつも、パンをこねるときに
「おしくなあれ♥」と言いながらやっています。

重ね煮に限らず、料理はその人の
想いが反映されるんだなぁとおもいました。

本当に素晴らしい党深子先生の重ね煮料理

小さい子どもをもつおかあさん、
絶対にこの党深子先生の重ね煮を
食べてたら、真似したくなりますよ
(^3^)/

料理は愛情

なんか、どこかで聞いたことあるけど
本当だなぁと思います!!
人々の悩みの多くは人間関係だという人は多いかもしれない。

あの人さへいなければ・・・・

あの人がいうことを聞いてくれない
・・

あの人が苦手なの・・


お金の問題もあるかもしれない。
お金さへあれば・・・しかし、


ここでちょっと、イメージしてみよう

人工知能が発達して、
全てはロボットが何でもしてくれる。
そう、ドラえもんの秘密道具のように
なんでも叶えてくれる。

食事も、お金も、旅行も
健康もなんでも叶えてくれる。

ただ、人が自分一人しかない。

世界中旅行しても、美しい景色は
あっても、自分一人しかない。

ごちそうがあっても、財宝があっても
地球には自分一人しかいない。

そんな世界と、いままで通りの
世界どちらがいいだろうか?


私は、いままでの世界を選ぶだろう。

人がいなければ、どんなにお金や美味しい食事、きれいな環境、景色があっても
退屈なのではないだろうか??

人か、それ以外か?
そう問われたら、絶対に人だろう。



なんか、そうふと思った。





そう思うと、いろんな人がいることは、
素晴らしいことだ。




人生は、誰とどんなことを過ごすかが
重要なんだなぁとつくづく思う。

いくら、一人が好きという人でも、
世界中の人がいなくて、ずっと自分一人というのは耐えられないだろう。

ロボット アンドロイド、AIがいくら相手をしてくれたとしてもだ・・・。

そう思うと、いろんな人とので出会い、を味あおうではないか?

苦い、甘い、辛い、塩辛い、酸っぱいがあるように、人間関係もいろんな味があるからいいんだろう。


さて、その人間関係の味を味わうのはどこの部位だろうか?

料理の味覚は、舌で味わう。



人間関係の味覚は、ハートで味わうのではないかと思う。

そうだ、ハートで人間関係を味わおうではないか!!



感謝しよう、この地球に私以外の人間が存在してくれていることに!!


さあ、人間関係に疲れたときは、想像してみよう、

誰もいなくて、すべてが揃っている世界がいいのか?

多少の不便があっても、人間がいてくれる世界がいいのか?
マトリックスという映画を皆さん覚えていらっしゃいますか?

私はその時は、これはSFアクションものの映画かなぁぐらいで、流行りの映画だからね。見たよぐらいでした。


最近、ふとしたきっかけで見直して、びっくりした。

人工知能が電力を得るために、人間を生命電池として生産しているのである。

めんどりが卵を生む機械のごとき扱いをうけているように、人間もただ生体電流を供給する電源として、飼育されているのである。

そう、つまり人間はすべてシステムに組み込まれているのである。管理というなのシステムに。

当時は、面白い設定だなぁとおもったこのお話。



成長して、今見るとぞっとした。

まさに、私達はシステムに管理されているではないか!!!

養鶏場の鳥達に、
「あなた達は管理されているんですよ、システムの一部なんですよ」
と伝えても、

「そうですか?私達は、食べ物にも困らないし、抗生物質もちゃんと飲んで、病気の予防もしているし。立ったり、座ったりできる自由もあるし、私達は何も不安はないんですよ。みんあ、そうしているでしょ。

あなたはおもしろいひとですね、不思議なことを考える方たちなんですね」

と返されるかもしれない。



病人が増えていくシステム、
富が一部に集中していくシステム
勝負で勝ち負けにこだわっていくシステム


養鶏場の鳥として、育ってきた鳥達が
自然の中に戻って、本来の鳥として
生きていくことを望むだろうか??

とりさん達に、あなたはシステムの存在に気づいていますか?

システムから自由になりませんか?

システムの否定ではありません。

システムからの自由です。


システムは、利用するもの。
道具であるはずだ。

いつのまにかシステムを維持するために、自分がシステムに囚われていることに気づけ。



マトリックスでは、システムの維持管理を行っているエージェントといわれる的と、

そこからの自由をねがう人達の戦いなんだぁとやっと気づきました。





むかし、メル、ギブソン主演の「ブレイブ・ハート」という作品も、実は貴族のシステムからの解放の為の戦いの物語だったんだと今わかりました、





さあ、養鶏場の鳥さん達に質問しよう
「本当のあなたは誰ですか?」
「卵を産み続ける今の姿が本当の鳥ですか?」
と・・・。

善悪、運がいい、悪い。
これらが思考の産物であると仮定するならば、

そして、この思考をクリアにすることができたならば。

人生は、
ただ行動と結果しかないだろう。

行動と結果を観察するならば、気付きがでてくる。

気付きの中から、私の魂は何を学び成長している。

もしかしたら、赤ちゃんや幼児はこのような状況なのかもしれない。

平気でスリッパの裏を舐める。
舐めたいから、舐めているだけなのだ。
そこには、思考はない。

あー、舐めてみたいという直感だけである。


もし、人生がそうであるならば、愛のある直感に従って行動することに何のためらいがあるだろうか?

私が私らしく生きることに、何の後悔があるだろうか?


思考は道具である。
社会的な存在としての生活の為に必要な道具である。

思考が私ではない。
思考に惑わされてはいけない。


あー、エネルギーがあふれてくる。

そう、いままでたくさんのブレーキをかけていたのだ。

子どものころに戻ったみたいだ。
これが本来の人間の姿なのではないだろうか!!

もう一度言う、いや、言わしてください。

人生が行動と結果、そして、観察と気付きならば、愛のある直感に従って行動することに何のためらいがあるだろうか?

さぁ、あなたも、行動していこう!!
ハートで生きると生きやすくなりませんか?

別の言葉で生きると、自分の直感でいきる
自分に素直に生きるというような表現になるでしょうか?


それが、なぜいきやすくなるのかなぁとずっと気になっていました。

昨夜は、居合の稽古でした。

二人で型稽古をしていて、
型もできた二人で稽古をすると
最後は間と呼吸の稽古になります。

ぱっときたら、ぱっと返すという
瞬間の世界です。

そのときに、思考が入ると
なぜかワンテンポ遅れるのです。
思考した瞬間の間が、遅くなるのです。

そうすると、間抜けてしまって
技がうまくかかりません。

当たったら、怖いなぁ
相手に勝ちたい、
次どうしよう?

いろんな思考が浮かびます。
そんな思考があると、技は上手くかかりません。
ただ、型どおりに動くと技がかかります。

不思議です。
不思議だけど、そうなるから仕方ありません




これを日常生活で当てはめてみましょう。

素直に、自分に正直に生きている人は、
その思考の間がありません。

思考で生きている人は、その間がいつもはいってしまいます。


たとえば、だれかが
「このⅠ万円いるひと!」と、善意で言ってくれたとします。

直感の人は、
間髪いれずに
「はい!、ください(^-^)/」と素直に受け取れるのです。

でも、思考が入る人は、
(え、でももしかしたら、何か裏があるかも・・・)という思考の瞬間遅くなります。

迷う、(どうしようなかぁ・・・)

「あ、はい。私もいります!」


どうしても思考が入る人が、一瞬遅くなります。



どちらにⅠ万円札を渡すとおもいますか?


もちろん、あげる気があるひとは、
最初にてをあげた人に渡す可能性が高いとおもいます。



そっかぁ、直感に従って生きると
この余計な間がとれるから、
スムーズにいくのかぁ!!

宇宙は、無限のエネルギーを与えたがっている。
間が悪い、間抜け状態だったから
私が受け取りそこねていたのかぁ。


最近は、素直に生きるように心がけていると
なぜか、生きやすい。


その理由がこの思考の瞬間が間、タイミングを
わずかだけずらしているということなんですね。


音楽でも、なぜかタイミング、間が悪い音楽は、楽譜道理にひいていてもしっくりきませんよね。

それとおなじことではないかとおもうのですね。


すべての出来事が魂の成長のためにしかおこらないとしたら、すべてを素直にうけいれていけばいいのではないだろうか?

それを善悪を判断せずに、ただ素直に、たんだんと。

そして、そこから何かを気づいて、成長していけばいいのではないだろうか?

そこに気づけた、自分が嬉しいんだ
(^-^)/
先日、ひさしぶりに夫婦で言い合いになりました。

そこで新な気付きがありました。

自分のハートの部分がキューっと締め付けられるような感覚がするのです。
しかも、終わったあともこの緊張が
とれないのです。

ハートが閉じて、萎縮しているんだなぁとおもいました。

そして、会話の内容を観察していると、
「俺が・・・・」「私が・・・」と
自分を指す主語を頻繁につかっている
自分に気づきました。

普段は、あまり主語を使わずに、会話していることが多かったり、
子どもがいるときは、お父さんはねという三人称をつかっているのに。




そして、最後におもしろかったたのが、
言い合いのあと、子どもを保育園に送りに行った時に、息子が保育園の友達に
「ねえねえ、夫婦喧嘩って知っている?
うちのおとうさんとおかあさん、朝から夫婦喧嘩してんで(^O^)」

と、嬉しそうに話しているのをみて、
私の心も思わず苦笑い、
心の緊張がとれました。

子はかすがいというが、本当に子どもの存在というのはありがたいことだなぁとあらためておもいました。



まとめ、
喧嘩するときは、
・ハートが緊張して、閉じる
・一人称を連発している
・子どもの無邪気な発言で、癒される

楽しい気付き、学びでした。