センター試験(現、大学入学共通テスト)が、佐渡高校で行われた。
島内でセンター試験を受験できるようになったのは、1999年からだった。
1998年までの、佐渡からの受験生は、センター試験の段階で一旦本土に出向いていたのだ。
佐渡汽船の朝の便では間に合わないし、冬の日本海はとにかくシケるため、
波浪警報により数日間欠航ということもザラにある。
「新聞の朝刊がその日のうちに届かない。」
「週刊少年ジャンプが1週間遅れで到着する。」
なんてことも起こる。
人生の一大イベントである受験についても例外ではなく、
「欠航で本土に渡れず、受験できませんでした」
なんてことは許されないため、前々日に本土入りするなどの入念な対策が必要であり、
当時の受験生は相当に苦労していたと思う。
それに比べれば、sadounivの世代はかなり恵まれているのだ。
例年センター試験の日は雪になることが多いのだが、この日も雪が降っていた。
(というか、新潟なので雪の日が多いのは割と当たり前。)
佐渡高校は坂道を上ったところにあるため、凍った道がよく滑る。
ただ試験当日は、口が裂けても
「わぁぁ~すべる~」
なんて、縁起でもないことを言えない雰囲気である。
いつもくだらない話を交わしていた友人たちは全員緊張の面持ちで、冗談なんか話さない。
勝手知ったる先生方も、この日は全員試験監督のため、公平を期すために、生徒たちに向けた笑顔は一切なし。
大した会話が飛び交わない中、受験生たちは「絶対にすべらない」ように、
ローファーで雪道をしっかり踏みしめながら、受験生たちはゾロゾロと校舎へ向かうのである。
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sadounivはセンター試験で失敗した。
当然であるが、東大は国立大学なので、1次試験としてセンター試験、2次試験として東大校舎での受験が求められ、
まずセンター試験で高得点を取ることは必須である。
科目別の出来は、以下のとおり。
・数学はIA・ⅡBとも9割を超えた。
・理科(物理)は100点。(当時は理科・社会は1科目ずつでOKだった。)
・悩みの種だった社会(倫理)も、直前に開発した勉強法が大当たりし、95点。
・しかし、苦手の英語で7割を切った。
・挙句の果てに、国語は74点。
そう、国語が大きく大きく足を引っ張ったのだ。
ちなみに、国語は100点満点ではない。
現代文100点に、古文漢文も含めて200点満点である。
つまり、74点というのは、4割未満の得点率である。
しかも、そのなけなしの得点は、古文漢文で稼いでいたものだった。
(古典はなぜか好きだった。日直の時に、1日に学んだ教科や出来事をまとめて書く学級日誌を、ふざけて古文調に書いたりしていた。「更科日誌(さらしなにっし)」とかタイトルつけちゃったりして。)
現代文は100点中8点くらい…。
読解問題がほぼ全滅だった。
センター試験の直後、自宅で新聞に掲載された解答速報を見て自己採点をしながら、
立て続けに「×」が並ぶ様子に愕然となり、
自然と涙がこぼれてきて、
「こりゃダメだ・・・」
と、つぶやいたのだった。
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