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ムラピ山 再び噴火 東に降灰、7万人避難 国際会議は予定通り


 

 先月二十六日以降、噴火を繰り返しているジャワ島中部のムラピ山は一日午前十時二分、再び噴火し、約三十分にわたり噴煙や火砕流を噴出した。噴火の規模は三十日未明の大噴火ほどではなかった。降り注いだ火砕流は二十六日以降、南部のカリアデムのグンドル川に流出している。
 火山灰はこれまでムラピ山南西部や西部に集中していたが、この日、東部の中部ジャワ州クラテンやボヨラリへの降灰が増加し、噴火と同時に避難所でパニックになる住民が続出。国家災害対策庁は、中部ジャワ、ジョクジャカルタ両州の避難民は合計七万人近くに達したと発表した。
 ジョクジャカルタに離発着するガルーダ便はムラピ山東北部の中部ジャワ州ソロのアディスマルモ空港へ振り替えられているが、火山灰の影響で同空港は三十一日午後七時から約一時間、運営を停止。ソロ発ジャカルタ行き旅客機が遅延した。風向きによっては、同州サラティガやスマランなど北方へ降灰する可能性もあるという。他の航空会社は通常通り、ジョクジャカルタで離発着している。
 一方で、ムラピ山山頂から南約二十五キロのジョクジャカルタ市街にあるガジャマダ大(UGM)のスジャルワディ学長は、八日から十一日に予定されている国際会議「ウィズダム」は変更なく開催すると発表した。
 スジャルワディ学長は「ジョクジャカルタ火山研究調査所(BPPTK)が避難勧告を出しているのは山頂から十キロのみ」と説明。同会議には、マイクロクレジット(小口融資)の事業でノーベル平和賞を受賞したムハマッド・ユヌス氏をはじめ、二十四カ国から八百五十人の知識人が予定通り出席すると話した。

「灰の化粧」もすっきり ボロブドゥール寺院
 清掃完了で営業再開

 ムラピ山から西へ約二十五キロの世界遺産ボロブドゥール寺院は、二十八日夕の噴火で火山灰が降り積もったことで三十日まで寺院上部への立ち入りを禁止していたが、三十一日から一部を除いて開放した。
 二十八日の噴火の際には高さ三十メートル以上の巨大な遺跡が白く染まったが、火山灰を放置しておくと遺跡が傷むということもあり、急ピッチで清掃作業に当たり、一日には下層部に白い跡が残るのみとなっていた。
 平日ということもあり、インドネシア人観光客はまばらで、外国人観光客の姿が目立つ。十月の訪問客数は、噴火前の日曜日は九千一万だったが、噴火後の三十一日は四千五百人に留まった。
 ボロブドゥール・プランバナン・ラトゥボコ寺院観光公園公社のプジョ・スワルノ・ゼネラル・マネジャーは「観光客はニュースで毎日噴火の映像を見て心配しているようだ。現在、近辺の自治体と協力してボロブドゥールは安全で快適、きれいだとアピールしている」と述べ、「地震と噴火が重なった二〇〇六年には、訪問客数が戻るまで二年かかったが、今回は二カ月ほどで戻ってほしい」と語った。
 一日午前十時にはムラピ山が吹き上げる噴煙がはっきりと見え、観光客は噴煙を背景に写真撮影。一方、職員は慌てて火砕流や火山灰の方向を電話で確認する。「もう火山灰が来ないことを祈ってるよ」とイスカンダル・シレガル技術サービス課長。
 ボロブドゥールへ来たのは二回目というフランス人男性(五八)は「津波と噴火のニュースはフランスでも大きく報じられており、アチェの災害も思い出した。でもここはムラピ山から十分に離れているから大丈夫」と話す。
 バリ在住十年の土屋紀夫さんは、ジョクジャカルタに来たのは七回目だが、噴火に遭遇したのは初めて。「山が火山灰で真っ白。目の当たりにしてすごい」と語った。
 ボロブドゥールの東三キロのムンドゥット寺院近くで、民芸品店「スタジオ・ムンドゥット」を営む在住二十三年の加藤真美さん(五二)は、二十八日夕の噴火後、「ボトッボトッ」と小さい砂利が固まったような火山灰が音を立てて降ってきたと語る。
 加藤さんは二〇〇六年の地震の際、避難所を回って被災者を支援した経験がある。今回、夫のスタントさんの避難中の仲間から「食糧は不足していない」と聞いており、「避難場所の確保など、考えることはいろいろあると思う」と話した。

大規模な噴火発生 噴煙は1500メートルに ムラピ山


今回の噴火は二〇〇六年当時より規模が大きく、政府はしばらく断続的に火砕流が発生し、火口付近の集落に流出する恐れがあるとして、山頂から半径十キロ以内に立ち入らないよう避難勧告を発令、警戒を強めている。
 断続的に噴火を繰り返しているムラピ山は三十日、今回の火山活動で最大規模の噴火が発生、噴煙は高さ千五百メートル以上に達した。三十一日も噴火を繰り返すなど活発な活動が続いている。火山灰で視界が悪化し、三十日からジョクジャカルタのアディスチプト空港に離発着する航空機はソロへ回され、乗客はバスで移動するなど混乱が生じている。
 三十日午前零時四十分ごろ、火口で大規模な爆発が発生、二十六日の噴火と同様、火砕流が山頂南部カリアデムのグンドル川へ三・五キロほど流出した。噴火による揺れは山頂から十二キロ付近の地点でも感じられた。三十一日も夕方までに計五回噴火し、火砕流が発生した。
 火山地質災害対策局長のスロノ局長は「二十六日の噴火は、溶岩ドームが崩壊し、山頂から道筋をつくる初期段階のものだった。三十日の噴火は予測していなかったが、溶岩ドームにはまだ流出していないマグマがあることを示す。同様の噴火は今後も発生する可能性がある」と指摘した。
 避難勧告が発令されている火口から十キロ以内の集落で、家畜の世話などで自宅に戻る住民は後を絶たず、危険地域を巡回している陸軍特殊部隊(コパスス)が強制的に退避させている。
 スロノ局長は「山頂から十キロ以内は依然警戒する必要があるが、火砕流は十キロを超えて流出することはない」と予測。山ろくに居住している住民に対し、パニックにならないよう呼び掛けた。
 降灰は、最多の二万五千人以上の避難民が出ているムラピ山南西部の中部ジャワ州マグランをはじめ、南方のジョクジャカルタ市街地、インド洋に面するジョクジャカルタ特別州バントゥル県など広範囲に及んでいる。
 三十一日には、プルノモ・ユスギアントロ国防相がスレマン県の国軍兵士の救助活動を視察。避難所も訪れ、被災者に救援物資を届けた。
 ユドヨノ大統領は外遊先のベトナム・ハノイで、「住民は政府が発令した避難勧告を守ってほしい」と述べ、勧告を無視して家に戻ったりする住民に注意を呼び掛けた。
 ムラピ山の支援活動について「緊急支援はインドネシアが行うが、その後の支援については友好国にも協力してほしい」と呼び掛け、未曾有の被害が出た二〇〇四年末のスマトラ沖地震・津波で、インドネシア政府はアチェ・ニアス復興再建庁を通じ、国際支援の窓口や管理を行った実績があると強調した。
 大統領は近日中にムラピ山を訪れ、被災者を慰問する予定。

火砕流は時速300キロ

 ジョクジャカルタ火山研究調査所(BPPTK)のスバンドリヨ代表は二十九日、「今回の噴火は、火口の中心部からほぼ水平に火砕流が噴出したため、非常に高い圧力で家屋や電柱、樹木をなぎ倒していった」と説明した。
 一九九四年、九七年、二〇〇一年、〇六年に発生したムラピ山の噴火では、溶岩ドームが形成され、この溶岩の破片が崩れ落ちて川に流れ込んでいったが、今回はこのプロセスが非常に早く進展し、川だけでなく村落を直撃したと指摘。
 流出した火砕流も三十三分間にわたり、最大時速三百キロの速さで降下したため、被害が広がったと分析した。
 現在、火山警戒レベル四段階のうち3(シアガ)の火山は、北スラウェシ州カランゲタン山(一八二七メートル)、小噴火が起きている北マルク州のイブ山(一三四〇メートル)の二つがある。
 2(ワスパダ)が発令されている のは、スンダ海峡にある活火山、アナック・クラカタウ山と、八月に噴火した北スマトラ州トバ湖北部のシナブン山(二四六〇メートル)。
 アナック・クラカタウ山も断続的に噴煙を噴出しているが、火山地質災害対策局長のスロノ局長は「観光客が訪れても安全な状態」と話している。

噴煙に脅える ぎゅう詰めの避難民 ムラピ山


 大規模な噴火が続いているムラピ山は三十一日も高々と噴煙を上げ、被災者は脅えながら避難生活を送っていた。ジョクジャカルタ市街からオートバイで約一時間。空気がひんやりと冷たくなってきたところで、山頂から南約十キロのハルゴビナングン避難所に着いた。車が通るたびに降り積もった火山灰が舞い上がり、視界がうす黄色くなる。マスクをしないと呼吸がしにくい。草木の表面も白く染まっていた。
 避難所周辺には食料品などを提供する企業や政党の旗が立ち並ぶ。避暑地として有名なカリウランなどから約五千人が避難する最大規模の避難所では、老若男女の避難民が小中学校の各教室やモスク、まだ建設途中の建物などに二十人から五百人ぐらいのグループに分かれて避難生活を送る。
 二十六世帯が収容されている二つの教室を合わせた避難所に入ると、女性や子どもたちが即席麺インドミーをすすっていた。朝と夜は卵焼きと野菜がおかずの弁当。クッキーなどのお菓子も、簡素ながら支援物資として届いていた。
 マットの上には座布団が敷かれ広々としているが、民宿の警備と家畜の世話のため、カリウランに戻っている夫たちが戻ってくれば、たちまち部屋はぎゅう詰めになる。「水浴び場が少ない」との不満が多く聞かれた。

噴火でパニックに

 山頂から約八キロのクプハルジョの避難所には、最大の被害者を出したカリアデムの住民ら約二千人が避難生活を送っている。大きな体育館と立ち並ぶテント。「テントは薄いマットが敷かれているだけで、夜は地面が冷えて眠れない」という。
 服などの配給に人の輪ができていた午後三時過ぎ、人々が慌てて四方八方に散り始めた。振り返ると雲で山肌は見えないが、噴煙がもくもくと上空に膨れ上がっているのが見えた。泣き叫ぶ子どもを抱える人や、目に涙を浮かべながら祈りを続ける人、雲との区別が付きにくく、真上を指差して「あれが火砕流か」と声を上げる人もいた。
 カリアデムの手前にあるバトゥルに住む農家のスシロさん(三三)の集落は、シンコン(キャッサバ)が主な農産物。基本的には自給自足の生活を送っており、唯一の現金収入源は二年間育てた牛を売ることだという。「だから絶対にえさを与え続けないと」。危険は承知だが、毎日村に戻り、牛の世話をしている。
 カリアデムの住民ソキイェムさん(五五)は、二十六日の最初の噴火のときに、間一髪で救助された。飼っていた牛は火砕流に巻き込まれた。村では一人が亡くなり、家はすべて焼け崩れたが、避難令が解除されれば村に戻るという。
 「先祖からずっと住んできた。また噴火しても生き延びることができると信じている。もしだめだったらそれは神の意思」とソキイェムさんは語った。

市街地に火山灰も

 三十日早朝、今回の噴火で初めて、火山灰がジョクジャ市街に降り注いだ。数センチ積もり、「雪が降ったようだった」との声も聞かれたが、夕方に降った雨で大半は流れ、夜には路肩の白さとボンネットの汚れに面影を残すのみになった。
 「満室」の看板を掲げるホテルも多い。「石が飛んできたら危ないけど、灰だけだったら問題ないよ」と従業員。日中には、観光客が火山灰が舞う様子を珍しがって写真に収めていた。
 地元紙クダウラタン・ラクヤットのロニー・スギアントロ副編集長は「ジョクジャ市街とムラピ山が離れているということを知らない外国人は心配しているようだが、ホテルもレストランもにぎわっている。三十日は市街地の市民もマスクを付けたが、生活はいつも通りだ」と語った。