噴煙に脅える ぎゅう詰めの避難民 ムラピ山
大規模な噴火が続いているムラピ山は三十一日も高々と噴煙を上げ、被災者は脅えながら避難生活を送っていた。ジョクジャカルタ市街からオートバイで約一時間。空気がひんやりと冷たくなってきたところで、山頂から南約十キロのハルゴビナングン避難所に着いた。車が通るたびに降り積もった火山灰が舞い上がり、視界がうす黄色くなる。マスクをしないと呼吸がしにくい。草木の表面も白く染まっていた。
避難所周辺には食料品などを提供する企業や政党の旗が立ち並ぶ。避暑地として有名なカリウランなどから約五千人が避難する最大規模の避難所では、老若男女の避難民が小中学校の各教室やモスク、まだ建設途中の建物などに二十人から五百人ぐらいのグループに分かれて避難生活を送る。
二十六世帯が収容されている二つの教室を合わせた避難所に入ると、女性や子どもたちが即席麺インドミーをすすっていた。朝と夜は卵焼きと野菜がおかずの弁当。クッキーなどのお菓子も、簡素ながら支援物資として届いていた。
マットの上には座布団が敷かれ広々としているが、民宿の警備と家畜の世話のため、カリウランに戻っている夫たちが戻ってくれば、たちまち部屋はぎゅう詰めになる。「水浴び場が少ない」との不満が多く聞かれた。
■噴火でパニックに
山頂から約八キロのクプハルジョの避難所には、最大の被害者を出したカリアデムの住民ら約二千人が避難生活を送っている。大きな体育館と立ち並ぶテント。「テントは薄いマットが敷かれているだけで、夜は地面が冷えて眠れない」という。
服などの配給に人の輪ができていた午後三時過ぎ、人々が慌てて四方八方に散り始めた。振り返ると雲で山肌は見えないが、噴煙がもくもくと上空に膨れ上がっているのが見えた。泣き叫ぶ子どもを抱える人や、目に涙を浮かべながら祈りを続ける人、雲との区別が付きにくく、真上を指差して「あれが火砕流か」と声を上げる人もいた。
カリアデムの手前にあるバトゥルに住む農家のスシロさん(三三)の集落は、シンコン(キャッサバ)が主な農産物。基本的には自給自足の生活を送っており、唯一の現金収入源は二年間育てた牛を売ることだという。「だから絶対にえさを与え続けないと」。危険は承知だが、毎日村に戻り、牛の世話をしている。
カリアデムの住民ソキイェムさん(五五)は、二十六日の最初の噴火のときに、間一髪で救助された。飼っていた牛は火砕流に巻き込まれた。村では一人が亡くなり、家はすべて焼け崩れたが、避難令が解除されれば村に戻るという。
「先祖からずっと住んできた。また噴火しても生き延びることができると信じている。もしだめだったらそれは神の意思」とソキイェムさんは語った。
■市街地に火山灰も
三十日早朝、今回の噴火で初めて、火山灰がジョクジャ市街に降り注いだ。数センチ積もり、「雪が降ったようだった」との声も聞かれたが、夕方に降った雨で大半は流れ、夜には路肩の白さとボンネットの汚れに面影を残すのみになった。
「満室」の看板を掲げるホテルも多い。「石が飛んできたら危ないけど、灰だけだったら問題ないよ」と従業員。日中には、観光客が火山灰が舞う様子を珍しがって写真に収めていた。
地元紙クダウラタン・ラクヤットのロニー・スギアントロ副編集長は「ジョクジャ市街とムラピ山が離れているということを知らない外国人は心配しているようだが、ホテルもレストランもにぎわっている。三十日は市街地の市民もマスクを付けたが、生活はいつも通りだ」と語った。