糖尿病のおかげ
8年ほど前、疲れ気味で病院へ行ったら糖尿病だと言われた。
甘いものをほとんど食べなかったし、それまでの健康診断でも正常だったのでびっくりした。
病院へほとんど行ったことがなかったが、それからは6週間ごとに病院にずっと通っている。
おかげで健康にはずいぶん気を付けるようになった。
何を食べるか、どのような順番で食べるか、などそれまで考えたことないことを考えるようになった。お酒もほとんど飲まなくなった。
また、食後のウォーキングや簡単な筋トレも継続して行っている。
毎回の血液検査では、血糖値以外はすべて正常値ですこぶる元気である。
もし糖尿病になっていなかったら、暴飲暴食など不摂生な生活によりもっと健康を害していたかもしれない。
「一病息災」というが、まさに糖尿病のおかげである。
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話し下手のおかげ
子供のころから苦手なことがいくつかある。その一つが人前で話すこと。
子供のころは人前どころか、普通に女子と話しをするのも苦手で、赤面とあがり症で悩んでいた。
会社に入ってからは、朝礼での3分間スピーチが苦痛で、当番の日は休もうと思ったことが何度もある。
そんな私が、今は講師として人前で話をすることを仕事にしている。
きっかけは、32~33才のころ、「あなたは話し方で損をしていませんか?」という電車内の広告に誘われて「話し方教室」に通ったことである。
もし、「話が苦手だ」という意識がなかったら、今このような仕事をしていないだろう。
今思えば、「苦手のおかげ」ということだろうか。
ちなみに、その話し方教室を修了した後、その教室の仲間と1年くらい自主的に勉強会を開いていた。
その時の訓練方法は確か「チャップリン方式」とかいって、それぞれが3枚の紙にテーマを書いて見えないように箱に入れ、スピーチする前にその紙を箱から取り出して、その場でそのテーマにあった話をするという方法である。
当時は刺激的だった。
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汚文字のおかげ
子供のころから苦手なものに一つに「字」を書くことがある。文章を書くのは嫌いではないのだが、字が「汚い」のである。
学生のときはあまり気にしなかったのだが、社会に出てからは「もっと字の練習をしておけば」と後悔した。
報告書を書くのに定規を下に当てて書いたり、内緒で事務員さんに清書してもらったり、「汚い字」をカバーするのに苦労した。
ペン習字の通信教育を何度も申し込んだが、毎回途中で挫折してしまった。
そんな中、誰でもきれいな字が書けるワープロが発売された。30年くらい前だろうか。すぐに購入して使い始めた。
最初はピコワードといって、液晶画面が1行しかなく、単漢字変換のものだった。
その後、液晶画面がだんだん大きくなり、ワープロなのに表計算ソフトのロータス123が使えるものもあった。
表計算ソフトを使うようになるとパソコンが欲しくなり、パソコンに乗り換えた。当時のOSはウインドウズ3.1だった。
それから30年近く、ずっとパソコンと一緒に仕事をしてきている。
パソコンのおかげで仕事ができているようなものである。
もし「字を書くこと」が得意だったら、ワープロにも興味を示さず、パソコンにもこんなに早くから慣れ親しむことはなかっただろう。
こんなブログを開設していないかも知れない。
今にして思えば「汚文字のおかげ」である。
しかし、やっぱり美文字を書きたい。
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毎日サンデーの幸せ
以前読んだ本に次のような逸話があった。
ビジネスマンが旅先で地元の老人に「バリバリ仕事をしてお金をたくさん稼いで、こうして年に2回旅に出てのんびりしているときが幸せさ。」と言った。
するとその老人が「それは大変だね。俺たちは毎日ここでのんびりしているよ。」と答えた。
当時は、自分もこのビジネスマンのような感覚でいたが、今はこの老人の感覚がわかるような気がする。
最初から最後までのんびりはどうかと思うが、若いうちはバリバリ仕事をして色々な経験をし、ある程度の年齢になったらのんびり生活するのがよいのかもしれない。
時間的余裕、金銭的余裕だけでなく、やはり毎日サンデーを楽しむ精神的余裕が必要だ。
関連記事 ⇒ 毎日サンデーの楽しみ
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「信頼する」と「信頼できる」
信頼を辞書で調べると、信じて頼ること。
「人を―する」「―を裏切る」「―性」「―度が高い」「―が置けない」と書いてある。
また、Wikipedia(ウィキペディア)記事検索 では、信頼とは相手を信用し、頼りにすること。
信用が、「悪いようにはしないだろう」程度の消極的な人間関係であるのに対し、「自分の味方になってくれる」との、積極的な意味合いがある。と説明してある。
そこで、その信頼であるが、「信頼する」と「信頼できる」とでは、まったく意味が違うように思う。
「信頼する」とは、条件や見返りなどを求めないで、自分の意思として「信頼する」ことである。
失敗や成功に関係なく信頼するということである。
「信頼できる」とは、自分の期待通りに行ってくれる可能性が高い、自分の都合のいいように動いてくれるだろうという期待感を含んでおり、自分の意思ではなく、相手の能力に対して、「信頼できる」という言葉を使っているような気がする。
したがって、失敗すると「信頼できない」と思ってしまう。
すなわち、「信頼する」とは、相手が失敗しようが、ミスしようが、その人間を信頼するということであり、「信頼できる」とは、自分の思惑通りにできる能力や可能性があるので期待するということである。
仮に、思惑通りにいかなかった場合は「信頼できない奴」と手のひらを反してしまうことになる。
相手に条件をつけずに(見返りを求めずに)、自分の意思で相手を信頼する気持ちをもっと強く持ちたいものだ。
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無条件の信頼と条件付きの信頼
無条件の信頼と条件つきの信頼と。どちらがいいかは別にして、そのような違いが生じる理由を考えてみた。
条件つき信頼とは「信頼できる人」というような表現で使われ、期待通りの能力があるという意味を持っている。したがって、失敗すると「信頼できないヤツ」になってしまう。
例えば、「彼は失敗するので信頼できない」「彼はいつもいい成績を上げるので信頼できる」「能力が高いので信頼できる」という言い方を場合は、条件つき信頼ということである。
無条件の信頼とは見返りや成功を期待するのではなく、自分の意思として「信頼する」ということである。
例えば、「彼はよく失敗するが、私は彼を信頼する」「仕事の能力は高くないが、信頼している」という言い方をする場合は無条件の信頼ということである。
その発生条件は、
取替え不可能な場合は「無条件の信頼」、取替え可能な場合は「条件つきの信頼」になるのではないだろうか。
例えば、
自分の子供・親 → 取替え不可能 → 無条件の信頼・無償の愛
配偶者(新婚当時) → 取り替えようとは思わない → 無条件の信頼・無償の愛
配偶者(倦怠期) → あわよくば他の人と → 条件つきの信頼(見返りを求める)
配偶者(さとりの境地) → 死ぬまで一緒に → 無条件の信頼
会社創業時の部下 → 能力はなくても、変わりは他にいない → 無条件の信頼
会社成熟期の部下 → 能力のある人間は他にもいる → 条件つきの信頼(結果を求める)
後継者(将来を託した相手) → 選抜した結果であり、他にはいない → 無条件の信頼
など
すなわち、かけがえのない人には「無条件に信頼」をするということだ。
人生で何人の「かけがえのない人」と出会う、見つける、感じ取るのだろう。
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幸せを望む範囲
誰もが幸せを望んでいると思うが、どの範囲までの幸せを意識しているかよって行動が違ってくるように思う。
一つは横の広がりの範囲として、自分だけの幸せを望むのか、家族の幸せを望むのか、友人・知人の幸せも考えるのか、地域社会、全世界の幸せを意識しているのかである。
もう一つは時間軸として、今だけを考えるのか、1か月後、1年後のことまで考えるのか、自分の生きている期間を考えるのか、自分の子どもが生きている期間まで考えるのか、永遠の幸せを考えるのかである。

自分だけ今だけ良ければよいと考える人は多分「悪人」になるのだろうし、全世界の永遠の幸せをいつも考えている人は「神様」のような人なのだろう。
年を重ねるとともに「幸せを意識する範囲」は変化するのだろうが、最近は地域社会までとはいかなくても少しでも自分にかかわった人に対して、自分が生きている間だけでなく次の世代が生きている間は幸せであって欲しいと考えるようになってきた。
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女性の特徴
ある女性の医師によると、「男と女は体の構造も違えば、脳の構造も違う」ので、その特徴をよく理解する必要があるとのことである。
1.女性は左右の脳をつなぐ「脳梁」という連絡橋が男性より太いらしい。
そのため、情報の流通がよくなり、「よくしゃべる」「細かい点に気がつく」「情報が多すぎて優柔不断となる」「言い訳がうまい」
2.女性は気持ちを落ち着かせる働きのある「セロトニン」という神経伝達物質が少ないらしい。
そのため、「すぐに感情的になる」「キレやすい」、また、生理の周期により増減するので、「その時々でちがった対応をする」
3.女性は「つらい」「怖い」「うれしい・悲しい」など情動を判断する「脳の扁桃体」の感受性が、男性の2倍あるらしい。
そのため、些細なことでも不安を覚え自信をなくしてしまう。
4.女性は「他者に勝ちたい」という欲求を強くする男性ホルモン「テストヌチロン」が男性の10分の1以下らしい。
そのため、慎重な人が多い。大きな失敗はしない。相手に対して闘争心を抱くよりは共通点を見つけようとする。
なるほど、そういうことか。
言われてみれば、そんな気がする。
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上手なほめ方
1.結果だけでなく、プロセスをほめる
「すごい結果だね。よくやった、よくやった。」ではなく、
「すごい結果だね。夜遅くまで頑張った君の努力が実ったね。」とプロセスをほめる。
2.YOUメッセージだけでなく、Iメッセージを付け加える。
YOUメッセージとは、「あなたは○○だね。」というように、相手を主語にした「伝え方」で、例えば、「あなたは仕事ができる」「あなたは優秀である」などである。
Iメッセージとは、「あなたの影響で、私は○○になりました。」というように、自分を主語にした「伝え方」で、例えば、「君の頑張りを見て、感動した」「あなたの朝礼を聞いて、私も頑張ろうと思った」などである。
3.ムリにほめるよりは、事実を伝える
相手の変化に気づき、その変化(事実)を伝える。その変化をムリにほめようとしてお世辞を言うよりは、その事実だけを伝える方が、「自分のことをよく見ていてくれる」と相手は自然にうれしく思ってくれる。
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ほめ言葉の効用
「ほめられると伸びる」とうことを実証した実験がある。
アメリカの心理学者E.B.ハーロックが、小学生5年生に1日15分連続5日間加算作業をさせ、次のような結果を得た。
・ 賞賛グループ(成績の良し悪しにかかわらずほめられた生徒のグループ)は5日間、成績が向上した。
・ 叱責グループ(成績の良し悪しにかかわらず叱責され、非難された生徒のグループ)は3日間成績が向上したが、後は停滞した。
・ 無視グループ(賞賛も叱責も与えられない生徒のグループ)は、成績がほとんど向上しなかった。
やはり、ほめると効果がるようだ。無視、無関心が一番いけない。
ただし、児童心理学者のハイム・G・ジノットは「子供はほめられすぎると負担を感じ、その賞賛に値しないことが露呈することを恐れ、不安になる」と言っているので、注意が必要である。
ただ、ほめればいいというものではない。
そのハイム・G・ジノットは「親は人格をほめるのではなく、達成したことをほめるべきである」とも述べている。
私はこれに「達成したという結果より、達成のために努力したことをほめるようにした方がよい。」を付け加えたい。