• 侵略者に対して融和的な姿勢をとりさえすれば、安全が確保されると信じて疑わないお花畑な連中。

  • 国家や行政サービスの有り難みを理解できず、大した努力もしないくせ、手前の無能を棚上げして不平不満ばかりをたれている愚物。

  • 強者に媚びへつらい、自分より格下であると看做した者 (※実際に弱者であるとは限らない) に対してトコトン冷淡で、何かと弱肉強食の論理を振りかざす卑怯者。

これが、今時『左翼』になるような処置無しの馬鹿の特徴です。

そういう奴らが、プーチン政権のロシアという侵略者に対して融和的な姿勢をとり、
ウクライナ政府や軍隊、国民によるレジスタンスの必死の抵抗を揶揄したり、支援国に対して敵意を露にするのです。




ヴィドクン・クヴィスリング(1887~1945)
ノルウェーの軍人・政治家で、第2次世界大戦中にナチス・ドイツによる侵略・占領に積極的に協力し、
ナチスから派遣された国家弁務官であるヨーゼフ・テアボーフェンの下で、ノルウェーの『指導者』として振る舞っていたが、実情はナチス・ドイツの傀儡に過ぎませんでした。

(※国民連合の党旗)

クヴィスリングのファシズム政党『国民連合』は、国王に対する忠誠心の強いノルウェー国民の支持を得ることができず、
選挙においても、イタリアやドイツ以外のヨーロッパでファシズムが歓迎されつつあった時勢のなかであっても、支持率が伸び悩んでいました。

そのような背景から、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの侵攻に積極的に協力し、その後ろ楯によって政権を獲得した後も、
当時の国王ホーコン7世と王太子 (※後のオーラヴ5世) の率いる亡命政府と国内のレジスタンスに苦しめられ、最後までノルウェー全土を支配することはできませんでした。

ナチス・ドイツの敗戦に伴い、ノルウェー王国が復興した際にクヴィスリングは『国家反逆罪』となり、逮捕・処刑されましたが、
彼の名前 [quisling] は、ヨーロッパのいくつかの国の言語において『売国奴』を指す単語として、今も生き続けています。





選挙に勝って政権を獲得する見込みのない連中が、侵略者を自国に手引きし、
その後ろ楯によって政権を獲得しようと試みる『第五列』の戦法は、
クヴィスリングに限らず、共産主義者も好んで使用してきたものであります。


プーチン政権のロシアに『融和的』になり、侵略者に対する必死の抵抗を揶揄し、ウクライナを支援する政府や欧米に対して『敵意』を向けるのも、
侵略者に対して、期待を抱いているからに他なりません。



日本の左翼は、実質は立憲主義・憲法秩序の敵である『壊憲派』でありますが、憲法改正は議論に加わることすら絶対に認めませんし、
日米同盟をはじめとする集団安全保障にも頑なに反対するのです。



日本が防衛力を拡充すれば、自分達の目的が永久に達成できなくなるからです。