眞子さまの事を『真子さん』と書いている時点で、既に終わっているんですけどね。この人。
婚姻届を役所に提出した昨日の時点で、眞子内親王殿下は皇籍を離脱され、一般人・小室眞子さんとなられたわけですが、問題はそこではないんですよ。
誤字。
最低限、人の名前を正しく書けない辺りからして、この人も随分といい加減なんだなあと、心底がっかりさせられてしまいました。
象徴天皇制の根拠は、日本国憲法第一章
日本国憲法第一章において、天皇に関する条項が明記されている時点で、所謂『天皇制』(※立憲君主制)と法の下の平等とは何ら矛盾するものではありません。
その人は、おそらく古いタイプの護憲派左翼なのでしょうけど、本気で憲法守れというなら、
当然、我が国における皇室の地位についても等しく尊重していただきたいものであります。
勿論、思想信条の自由は権利として保証されているので、所謂『天皇制』に関する是非を論じること自体を否定しているわけではありません。
どうせやるなら、しっかりと勉強しなおした上で、準備して挑むのが最低限のマナーであるとだけ言っておきましょうか。
天皇陛下を中心とした統治権の正統性は何処にあるか
日本において、古代の一時期を除いて天皇陛下が直接政治権力を行使された時代は殆んどありません。
古代の我が国においては、皇室の祖先による王権(※ヤマト朝廷)が統治する地域以外にも、各地の豪族がそれぞれの支配地域を有しており、
まつろわぬ者が征伐され、王権に恭順の意を表明する豪族たちも現れたことによって、今の日本国の原型がほぼ完成したわけでありますが、それは単に天皇の軍事力が強大だったからというのみで結論づけることは出来ません。
当時でも蘇我氏のように絶大な権力をふるって皇室を脅かそうとしていた一族が王権の中にも依然と存在しており、その後の歴史においても、朝廷をしのぐ軍事力を有した集団(※武士)による政権(※幕府など)の時代が長く続くことになりました。
大名が石垣と堀に囲まれた城を持っており、外国の王族も石造りの城によって守られてきたなかで、
日本国の皇室は、1000年以上も簡単に越えられそうな塀に囲まれた御所(※京都御所)のなかで、攻められることなく連面と続いてきたわけです。
皇室の権威が確固たるものとなったのは、中大兄皇子(※天智天皇)と中臣鎌足(※藤原鎌足)らによって決行された『大化の改新』以降の話でありますが、
中臣鎌足の子孫である藤原氏は、天皇陛下との親戚関係を背景に、朝廷での影響力を強めてゆき、平安時代には摂関政治によって実質的な最高権力者となりました。
しかし、藤原氏は 蘇我氏や道鏡のように皇位の簒奪を計画したことはなく、後の時代の為政者達も朝廷を否定することはありませんでした。
藤原氏(※中臣連)の祖先は、天児屋命であり、
古事記・日本書紀の記録によれば、皇祖・天照大御神の孫であるニニギノミコトに随伴して日本列島に舞い下った故事(※天孫降臨)など、神代の歴史において重要な役割を果たした神様のうちの1柱であります。
古事記・日本書紀に由来する天照大御神の末裔である皇室の権威を認めないのは、即ち、藤原氏のような神別の公家にとっても自分のルーツを否定することにもつながるわけで、
それは藤原氏のみならず、全ての日本国民がその系図を辿れば何かしらの神々に辿り着くことからも、幾度となく戦乱や権力争いが行われたなかでも、下克上の戦国時代であっても、皇室を否定するような勢力が台頭することはありませんでしたし、仮に現れたとしても人知れず滅んでゆきました。
『ウシハク』と『シラス』
天照大御神・高木神之命以問使之。
汝之宇志波祁流葦原中國者、
我御子之所知國、言依賜。
故、汝心奈何。
汝之宇志波祁流葦原中國者、
我御子之所知國、言依賜。
故、汝心奈何。
「汝(なんじ)がうしはける葦原中国(あしはらのなかつくに)は、天照大御神の御子が知らす国であると任命された。汝の考えはいかがか?」
これは『国譲り』に於いて、建御雷神が大国主命に決断を迫った際の言葉ですが、
『ウシハク』『シラス』とは、そもそも何なのか?
一言であらわすならば、
『ウシハク』→主(うし)履く(はく)→支配する
『シラス』→知らす→統治
統治と支配に関して、既存の権威や権力に対して理由もなく反抗的になっている人にとってはその意味の違いを区別することにあまり意味を感じないのかもしれませんが、実際にはかなりの差があります。
『ウシハク』のモデルは、トップが財力や腕力などを背景に手下を直接的に従わせようとするような『支配』であり、権力は私物化される傾向にあります。
トップダウン式のワンマン経営の個人商店や、独裁政権に多く見られるのが『ウシハク』であります。
一方で『知らす』統治の場合は、天皇陛下は直接権力を行使する必要がなく、実際には権力を行使する為政者を親任するのみであり、
その関係性からは、権力の私物化は前者に比べて起こりにくくなっていますし、天皇と国民との間にも深刻な対立など起こりようがありません。
更に、このシステムが完成されていると思うのは、今日までの民主主義の欠点を補うことが期待できるところであります。
↓↓
個人の自由と権利が尊重される社会というのは、
同時に、多様化した価値観が互いに衝突し、社会を分断するくらいの大規模な争いを招くことにも繋がります。
『自由』や『民主主義』に対して漠然と、平和的であると思い込んでいるなら、それは誤りです。
そういった自由や民主主義が内包する欠点を補い、社会全体の安寧を維持する上でも『権威』の存在は不可欠であり、
中でも、皇室や王室を戴く民主主義である『立憲君主制』こそ、不偏不党の伝統的権威である君主の下で多様な価値観が共存することを可能とする理想的な社会のモデルといえるでしょう。
日本国の象徴とは、それだけ神聖であり、侵してはならない存在であるのです!!
「神話と史実をごちゃ混ぜにするな!」
と言われそうなので、先に断っておきます。
『天賦人権説』に見られる『自然権思想』しても、
そのようなものが何時、何処の時代に存在したのか、史実として裏付けられるだけの証拠なんか、何処にも存在しません。
あれだって、言ってしまえば『神話』じゃありませんか!?
考えても見てくださいよ。
国家や法律もまだ存在しなかった頃の、原始人には人権があったのか!?
私は「ない」と言いきれます!!
だって、自然災害や猛獣に対する恐怖、医学が未発達な当時は大したことないような病気や怪我で簡単に命を落としましたし、同じ人間からの理不尽な暴力なんかは、今の比じゃなかったと思いますよ!?
自然状態の実態はこんなものであり、啓蒙思想家が説いたような原始時代の人類が『自然権』として基本的人権を平等に有していたとするのはフィクションなのです。
何度でも言いますが、
自然権の根拠は神話であります。
「自然に帰れ」
あほか。
自然のなかでは、人間なんか完全に無力ですよ(笑)!!
結局、何が言いたかったかというと、私は神話だからダメだと言うつもりはないのです。
神話もまた、人類にとっては叡智であります。
そして、神話を神話だと理解した上で、それを将来も活かせれば尚良いと思っているだけのことであります。
所謂『天皇制』が神話なら、
主権在民だって神話なんですよ。
それで いいじゃありませんか。