しばりやトーマスの斜陽産業・続 -31ページ目

打つか斬るか『碁盤斬り』

 古典落語の人情噺『柳田格之進』をベースに再構築した映画『碁盤斬り』は近年まれに見る価値のある時代劇映画だ。

 

 彦根藩の元侍であった柳田格之進は些細な不正も許せない正直すぎる性格が災いして藩を追われ今は娘のきぬと二人貧乏長屋暮らし。ふとしたことから商人の萬屋源兵衛と囲碁仲間となり、開けても暮れても囲碁に没頭する。

 中秋の名月の8月15日(旧暦で)、萬屋の月見宴に招かれた格之進はいつものように源兵衛と碁を打つが、宴がお開きになった後で番頭の徳兵衛が源兵衛に預けた50両の金が無くなっていることに気づく。格之進が盗みを疑われるが「いやしくも武士のこの身にそのような疑いをかけられること自体が屈辱」と格之進は腹を切って汚名をそそごうとするが、きぬに止められ、吉原に身売りすることで50両を用意する。格之進は徳兵衛に「もしこの50両が後になって出てきた、などという時はおぬしと源兵衛の首をもらい受ける」と言いつける。徳兵衛の話を聞いた源兵衛は詫びようと長屋へ向かうがすでに引き払われた後で、格之進の行方はようとして知れなかった。

 年の瀬の大掃除の際に源兵衛が無くさないようにと隠し置いた50両が見つかる。年が明け、年始回りの際に藩への帰参が許された格之進と再会した徳兵衛は50両のことを詫びるが「明日、店にゆくので首を洗って待っておれ」と言い渡す。

 店に現れた格之進は二人の首を落とそうとするが互いをかばいあい、首を落とすのは自分だけにしてくれという二人を前に刀を振り下ろすが斬られたのは碁盤であった・・・

 

つまりは事の始まりはすべてこの碁盤であるのだから責は碁盤に負わせるという人情噺。で、この話を元にして映画では源兵衛が嫌味な碁を打つ人間で、それが商いにも表れており長屋の住民から「ケチ屋源兵衛」と呼ばれている人物で、彼が格之進の「どんなに貧しくとも碁だけは清く正しく打ちたい」という人柄に触れることで次第に奇麗な商いをするようになり、店で働くものたちにも温かい心で接するようになるという、清い心が描かれてるんですな。

 ここに格之進が藩を追われることになった掛け軸紛失騒動の原因が格之進の生きざまを暇しく思い、濡れ衣を着せた挙句、妻の自死を招いた悪役・柴田兵庫(斎藤工)を登場させ、身売りしたきぬ(清原果耶)を店に出すまでの猶予期間として「年が明けるまで」の間にかたき討ちを済ませ戻ってくる、という話を膨らませることで落語版の「(特に対した理由もなく)藩への帰参が許される」という説明不足の部分が補われている。

 まるで落語が噺家によって演じ方の差で味わいが生まれるように映画『碁盤斬り』は脚本・加藤正人による新解釈の『柳田格之進』語り。そして格之進を演じた草彅剛の尋常ではない演技が何よりもいい。いい演技なのに

「『BALLAD 名もなき恋のうた』以来15年ぶりの時代劇出演!」

 っていう宣伝はどうなの。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を実写映画化した作品だが、『碁盤斬り』とはくらべものにならないデタラメで安っぽいコスプレ時代劇!(『碁盤斬り』は昨今の時代劇映画にありがちな安っぽさがまったくなく、セットや小道具が使い込まれている感がして迫力が段違い、役者の演技もみんな良い)それと比較するような宣伝は・・・やめとけ!

 

 

 

 

 

水のないプール『水深ゼロメートルから』

 高校2年生のミクは夏休みに水泳の授業の補修として体育教師の山本に学校のプール掃除を命じられる。水の入ってないプールはグラウンドで練習する運動部の影響で砂が積もっている。おりしもグラウンドでは野球部が練習の真っ最中。遅れてやってきたココロと二人で始めた掃除はまったく進まない。なぜか最初からプールにいた水泳部長・チヅルは水の入っていないプールでイメージトレーニングを繰り返す。その中に水泳部元部長のユイも掃除仲間に加わり、それぞれの想いや悩みをぶつけあいながら一向に進まないプール掃除を続ける。

 

『水深ゼロメートルから』は第44回四国地区高等学校演劇研究大会(2019年)で文部科学大臣賞(最優秀賞)を受賞した徳島市立高等学校演劇部の戯曲の映画化。高校演劇の映画化というと兵庫県立東播磨高等学校演劇部の『アルプススタンドのはしの方』を思い出すが、『水深~』は『アルプススタンド~』の全国に広めた高校演劇リブート企画の第二弾。第一弾に匹敵する面白さがあったということ。

『アルプススタンド~』は演劇部顧問による原案だが、『水深~』は演劇部所属の学生による戯曲なので『アルプススタンド~』以上にリアルな高校生の視点で物語が展開する。

 ココロは教師の山本から命じられた掃除も真面目にせず、プールサイドでひたすらメイクを直している。山本からはそんな態度を咎められ、そもそもココロが補習を受けさせられた理由は授業を生理だからという理由で許可なくサボったせいだ。休むためには何日か前に申告しないといけないが、その制度自体に反発するココロは融通の利かない堅物教師の山本とソリが合わない。

 一方ミクは子供のころから参加していた阿波踊りの男踊りが体と心の成長に伴い踊れなくなる。阿波踊りは男踊りと女踊りの二種類があり、男踊りはよりダイナミックに激しく、女踊りは上品に艶っぽく踊る。子供のころは意識しなかった男女の性差をこの年になって意識せざるを得ない。いくら「男踊りを踊る女子もいる」とはいえ。

 チヅルは中学の時、同じ水泳部員だった男子の楠をライバル視し、彼に勝つために水泳を続けるが楠は高校に入ると野球部に入り、現在はエースとしてマウンドに立つ。さらに水泳で楠に負けてしまったことで部をやめると言い出す。女では男に勝つことはできないのか?

 

 男女の性差問題を何気ない会話から浮き上がらせる展開は立場も性別も違う男女が補習で集められ、解決しがたい立ち位置の違いを思い知らされる『ブレックファスト・クラブ』を想起させ秀逸だ。『アルプススタンド~』もそうだったが、何気ない会話だけも映画は成立する。

 掃いても掃いても無くならないプールの砂はこの手の問題が簡単には解決しない問題であることを表す。 野球部のグラウンドからは砂、さらにボールが飛び込んでくる。しかしプールの中からは野球部の様子すら見えない。まるで自分たちはいないかのように扱われるのだ。ボールは飛んでくるのに!

 それでも砂を掃き続ける女子生徒たちは最後にこれまでの感情を爆発させ、それらの問題を洗い流すかのような大雨のラストカットはあまりにも力強い。映画版の監督が山下敦弘なので『リンダリンダリンダ』を思わせるが監督本人が「あまりにも力強過ぎて」当初の予定を変更したというのも頷ける。

 水のないプールには希望もないのか。それでも女子高生が前を見て男踊りの第一歩を踏み出すのだ。

 

 

 

 

幻の特撮ヒーロー『突撃!!ヒューマン』のマスクが鑑定団に出る

  5月22日火曜日の『開運!なんでも鑑定団』に幻の特撮ヒーロー『突撃!!ヒューマン』のマスクが鑑定に出されていた。

 

 

 
 ヒューマンは72年に日本テレビ系列で放送された特撮ヒーロー番組。と言ってもウルトラマンや仮面ライダーみたいに撮影して、編集の上テレビ放送していたわけじゃない。各地の市民会館などで客を入れて公開収録、いわば『8時ダヨ!全員集合』スタイルの形だった。制作会社はウルトラマンのデザインで知られる成田亨さんのモ・ブル。
 ヒューマンは『UFO大戦争 戦え!レッドタイガー』『サンダ―マスク』と並ぶ70年代の三大幻の特撮ヒーロー番組といわれており、ソフト化はもちろん、配信も含め再見の機会がまったくない作品。収録のビデオテープを上書きして再利用していたためにマスターが紛失したとも言われている。
 番組終了後も各地でイベントの形でヒーローショーが行われたため、その際の映像がわずかに残っている、テレビ本編は誰も持っていないのだ。素材があるのに見る機会がない『サンダ―マスク』とは違う本当の幻だ。
 
 なんでも探偵団ではソフビ人形を約8000体を所有する61歳の依頼者が所有するヒューマンのマスクを鑑定。依頼者はなんと『ウルトラQ』などに出演し、『ウルトラセブン』に参加したスーツアクター、山村哲夫氏の甥っ子で、介護施設に入所することになった山村氏から形見分けのような形でヒューマンのマスクを渡された。山村氏は成田亨氏からマスクをもらったのだという。
 この出所からして本物の匂いがぷんぷんする一品だ。
 そして鑑定結果は・・・450万円!本人評価額66万円を大きく超える本物鑑定!
 ヒューマンは成田亨氏の「光を浴びて輝く」という意向を反映したステンレス製のマスクを使っており、鑑定されたものは収録時に使われた実物のマスクのように耳の部分に穴が開いていないため、予備としてつくられたものという。
 
 ヒューマンの主演はGSのオックス解散後の夏夕介。オックスは歌っている時に失神パフォーマンスをすることで人気を博していた。在籍中に俳優として活動もしていた夏は「公開収録でヒーローショーをする」というヒューマンに「これじゃオックスと何も変わらないぞ!」と言ったかどうかは知らないが、全力で体育の先生(そういう設定)を演じてヒューマン準備体操を歌っていた。

 そういう本気で取り組む姿勢がヒューマンを幻ながら今も語られる忘れがたい番組にしたのだろう。鑑定団放送をきっかけに当時の放送を見ていた50代以上のオタクたちがヒューマンの話題で盛り上がってるのだから、成田亨さんもあの世で大喜びのはず!

 

近未来予想はほぼ的中『ソイレント・グリーン』

 1973年の映画『ソイレント・グリーン』は巨匠リチャード・フライシャー監督のSF映画。フライシャー監督は巨匠と呼ばれるだけあって生涯60作(!)以上を手掛け、SFからホームドラマ、コメディ、サスペンス、戦争、アクション、ホラー、伝記、ミュージカル、そして駄作(笑)とあらゆるジャンルを撮りまくった職人監督。その中でも『ソイレント・グリーン』は近未来を舞台に、人口増加による飢餓貧困、貧富の差が拡大されたディストピア世界を描いた風刺映画として今も衝撃を受ける一本。

 

 舞台は2022年(この設定、もはや過去になっている)のニューヨーク。人口増加、異常気象による影響で国民の多くは仕事も済む場所も食べる者さえ手に入らない。政府が配給する完全な栄養食「ソイレント・グリーン」(緑の板チョコみたいなやつ)だけが命綱。ソイレント・グリーンを生産しているソイレント社の幹部が他殺され、刑事ソーンが捜査に乗り出す。ソーンの捜査はたびたび妨害され、挙句は暴動を装って殺害されそうになる。事件の背後に何者かの陰謀を感じ取るソーンはついに真相にたどり着くのだが・・・

 ソーンを演じるのはチャールトン・ヘストン。『十戒』『ベン・ハー』『猿の惑星』『地球最後の男 オメガマン』など、鋼鉄の肉体に象られた精神で人類を導いたり、リーダーシップを発揮して地球の危機と立ち向かう役が似合う俳優だ。本作でも命の危険に晒されながら決して折れず真相を突き止めようとする。悲惨な結末が待っていようとも。

 ソーンは老人ソルと同居している。ソルは人類が肉や野菜を自由に口に出来ていた時代の生き証人。ソーンは捜査の途中で女性を家具として扱っている富裕層の部屋から新鮮な野菜、果物などをくすねてくる。何十年ぶりかに口にする野菜や果物にソルは涙する。

 ソルを演じるのはエドワード・G・ロビンソン。マーヴィン・ルロイのギャング映画やビリー・ワイルダー作品にも出た名優で、『ソイレント・グリーン』が遺作になった。DVDの音声解説によると撮影当時、体調がすぐれず視力をほぼ失っていたといい、にも拘らずヘストンとのやり取りに問題はなかったと。映画を観る限りそんな風には見えない。彼がある選択をする結末は2024年の今見ても衝撃的。

 本作は現在、4Kリマスター化してリバイバル上映中。映画で描かれる貧困と拡大された貧富の差は現実のものになっていると言えなくもない。今の日本なんて政府が虫食を推奨しようとしたり、老人に安楽死を選べとのたまう狂人がテレビにコメンテーターとして出ているのだから『ソイレント・グリーン』の世界はすでに現実といってもいい。

 

ちなみに「完全栄養食」を歌ったソイレントという食品は実用化されている。やっぱり映画は現実だった!

 

 

 

 

 

帰ってこない方がよかった『Manos Returns』

 1966年の『Manos: The Hands of Fate』(死の手マノス)は肥料のセールスマンだったハロルド・P・ウォーレンが制作したインディ映画で製作者も出演者もド素人だらけで「ひどい!高校の化学の授業より退屈!」と言われた。どれぐらいひどいかというと、ある場面は夜中に野外で撮影されたのだが、照明(それも光量が足りないのでやたらと暗い)に羽虫が誘われてカメラの前を横切る。ミステイクなんだけど取り直しするフィルムがもったいないのか、カットも編集もしないまま本編に使われている。ある場面ではカット割りのカチンコが見えていた

 眠たくなるような単調なBGMが何度も何度も繰り返され、邪神の手を信仰するマノス教団が田舎の館に迷い込んだ旅人を誘い込んで生贄にするという話なんだが、内部で内輪揉めが起き、教団は崩壊しかける。教祖マスターの元にいるハーレムの女たちは迷い込んだ一家の娘が幼いため、彼女をハーレムに加えるかどうかで諍いを起こし、気の抜けたキャットファイトがはじまる。

 ラストはマスターを裏切った召使トーゴの代わりに一家の父親マイケル(ウォーレン監督本人)が新たな召使とされ、妻マーガレットと娘デビーはマスターのハーレムに加えられていた・・・というオチ。 

 

 このどうしようもなく下らない退屈な映画はメキシコ・エルパソのドライブインでかかるぐらいで世間から忘れられていたがアメリカのケーブルTV番組『ミステリー・サイエンス・シアター3000』でその下らなさを笑い飛ばされたことで一躍有名に。一時はIMDBのワースト映画1位に君臨していた。

 あまりに下らないが、その駄目さ加減がカルト映画として人気を博すことに。いわば『シベリア超特急』みたいなもんだ。ラストはto be continued・・・?と出てくるのトドメで「どうせ続編なんてないんでしょ!」と思われていたら52年後の2018年に続編の『Manos Returns』(帰って来たマノス)が公開された!

 

 監督・脚本は『マノス』のファンだというトンジア・アトミック、前作の館に迷い込む母マーガレット役のダイアン・マーリー、娘デビ―役のジャッキー・ネイマン・ジョーンズが制作、さらに二人は同じ役を再演した!ジャッキーの実父でありマスター役のトム・ネイマンもマスター役を再演したが完成前に亡くなった(ウォーレン監督は85年に亡くなっており、トーゴ役のジョン・レイノルズは前作公開前に自殺した)。

 内容は続編というよりリメイクといった具合で、ヴァレーロッジでバカンスを過ごそうとする4人の男女が道に迷い(うち二人の男女はカップルで、前作よろしくいちゃいちゃしていてエルパソの警察官に咎められる)、突如現れた看板に誘われるように車を進めるとある館にたどり着く。そこにいた召使トーゴに頼み込み、中で休憩しようとするが車が動かなくなったため「ご主人さまはあんたらが泊るのを嫌がる」と言われながらも無理やり中へ。その館は邪神教団マノスの館で4人は新たな生贄にされるのだがハーレムの一員であるデビーは4人を生贄にしようとするがマーガレットは助けようとして仲たがいを起こす。

 

 前作がどうしようもないダメ映画なのは言うまでもないが、今回は輪をかけてひどい。アトミック監督の手腕はもちろん、役者人も素人以下。それは前作と同じじゃない?と思うけど、ウォーレン監督は少なくとも自分がまともな映画を作っているという自信があって、情熱の塊だったが技術が伴わなかっただけなの。

 今回のアトミック監督はわざとダメ映画を撮ろうとしているのですべての場面が滑りまくっていて見ていられない。例えば4人の男女が「退屈な映画は何か?」という話題で

「シャークネードより退屈なのはない」

「いやある。シャークネード2だ」

 という会話がすでにつまらなくて自虐的なギャグにすらなってない。はっきりいってこれよりシャークネードの方がマシだと思う。

 金がかかっていないのは言うまでもなく、マスターのハーレムがヌルイ(前作よりもさらにヌルイ!)キャットファイトの挙句殺人を犯すのだが血糊が水性絵具なので乾いてカピカピになっていて血糊にはどうしても見えない。目の前で教徒たちが怪しげな儀式に興じていても4人の男女は怖がることもなくダラダラと眺めているだけ!

 トーゴ役はジョージ・ストーヴァ―。史上最低のダメ監督のひとり、ドン・ドーラーのレギュラー俳優で『魔獣星人ナイトビースト』『悪魔の餌食』『俺だって侵略者だぜ!!』とかに出てる、と言っても誰も知らんか。そんな誰にも伝わらないネタを仕込んでる暇があったらちゃんと作ってくれといった具合で、このリメイクは元のファンからも不評。この映画を製作するため行われたキックスターターに金出した人達はご愁傷さま。

 しかしマノス教団は不滅なので、現在TVドラマ版『The Manos Chronicles』が放送中。プロデューサーはジャッキー・ネイマン!この人ら一生マノスつくってそう。