打つか斬るか『碁盤斬り』 | しばりやトーマスの斜陽産業・続

打つか斬るか『碁盤斬り』

 古典落語の人情噺『柳田格之進』をベースに再構築した映画『碁盤斬り』は近年まれに見る価値のある時代劇映画だ。

 

 彦根藩の元侍であった柳田格之進は些細な不正も許せない正直すぎる性格が災いして藩を追われ今は娘のきぬと二人貧乏長屋暮らし。ふとしたことから商人の萬屋源兵衛と囲碁仲間となり、開けても暮れても囲碁に没頭する。

 中秋の名月の8月15日(旧暦で)、萬屋の月見宴に招かれた格之進はいつものように源兵衛と碁を打つが、宴がお開きになった後で番頭の徳兵衛が源兵衛に預けた50両の金が無くなっていることに気づく。格之進が盗みを疑われるが「いやしくも武士のこの身にそのような疑いをかけられること自体が屈辱」と格之進は腹を切って汚名をそそごうとするが、きぬに止められ、吉原に身売りすることで50両を用意する。格之進は徳兵衛に「もしこの50両が後になって出てきた、などという時はおぬしと源兵衛の首をもらい受ける」と言いつける。徳兵衛の話を聞いた源兵衛は詫びようと長屋へ向かうがすでに引き払われた後で、格之進の行方はようとして知れなかった。

 年の瀬の大掃除の際に源兵衛が無くさないようにと隠し置いた50両が見つかる。年が明け、年始回りの際に藩への帰参が許された格之進と再会した徳兵衛は50両のことを詫びるが「明日、店にゆくので首を洗って待っておれ」と言い渡す。

 店に現れた格之進は二人の首を落とそうとするが互いをかばいあい、首を落とすのは自分だけにしてくれという二人を前に刀を振り下ろすが斬られたのは碁盤であった・・・

 

つまりは事の始まりはすべてこの碁盤であるのだから責は碁盤に負わせるという人情噺。で、この話を元にして映画では源兵衛が嫌味な碁を打つ人間で、それが商いにも表れており長屋の住民から「ケチ屋源兵衛」と呼ばれている人物で、彼が格之進の「どんなに貧しくとも碁だけは清く正しく打ちたい」という人柄に触れることで次第に奇麗な商いをするようになり、店で働くものたちにも温かい心で接するようになるという、清い心が描かれてるんですな。

 ここに格之進が藩を追われることになった掛け軸紛失騒動の原因が格之進の生きざまを暇しく思い、濡れ衣を着せた挙句、妻の自死を招いた悪役・柴田兵庫(斎藤工)を登場させ、身売りしたきぬ(清原果耶)を店に出すまでの猶予期間として「年が明けるまで」の間にかたき討ちを済ませ戻ってくる、という話を膨らませることで落語版の「(特に対した理由もなく)藩への帰参が許される」という説明不足の部分が補われている。

 まるで落語が噺家によって演じ方の差で味わいが生まれるように映画『碁盤斬り』は脚本・加藤正人による新解釈の『柳田格之進』語り。そして格之進を演じた草彅剛の尋常ではない演技が何よりもいい。いい演技なのに

「『BALLAD 名もなき恋のうた』以来15年ぶりの時代劇出演!」

 っていう宣伝はどうなの。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を実写映画化した作品だが、『碁盤斬り』とはくらべものにならないデタラメで安っぽいコスプレ時代劇!(『碁盤斬り』は昨今の時代劇映画にありがちな安っぽさがまったくなく、セットや小道具が使い込まれている感がして迫力が段違い、役者の演技もみんな良い)それと比較するような宣伝は・・・やめとけ!