talk show -7ページ目

終末の唄_052

「それがきっかけだったかなあ。早紀が少しずつ、かわりはじめたのは。
 アタシの手は傷が深くって、しばらくうまく動かなかったんだ。箸だって持てやしない。
 あいつ、アタシのそんな不自由な姿を見て、だんだんといろいろな身の回りの世話をしてくれるようになったんだよ。
 ぎこちなく、だらしなく、バツ悪そうに――。
 気味が悪かったよ、最初はね。でも、それがあいつなりの償いだったんだろうなあって、思ったよ。
 そして気がつけば、いったいぜんたい何がどうなっちまったのやら、宿敵同士だったはずが、いつの間にかさあ、あいつがアタシの嫁さんになっちまってたんだからね。まあ、ひとの人生ってヤツは、ほんと、わかんないもんだよな?
 まあアタシも、あいつのことはどうにかしてやらなけりゃって思ってたし、あいつも方も、憎さあまって――ってヤツだったんだろうな、きっと」

「そうだったんっスか。おやじさんにそんな昔話があったなんて、ぜんぜんしらなかったな」と津川刑事が、言った。

「もう一杯、どうだ? コーヒー」

「あ、じゃあ、いただきます」

 真栄田刑事はステンレスのポットから、再び湯気を立てながら熱いコーヒーを注いだ。
 カーステレオからは、相変わらず古い歌謡曲が流れている。

「そいじゃあ、この話はしってるかい?
 アタシが、ある悪質な地上げ専門の暴力団の組をぶっ潰しちゃった、って話」

「ええ、もちろんしってますとも」津川刑事が目を輝かせて、言った。

「そんなの、超有名っスよ。署の連中ならだれだってしってますよ。おやじさんの英雄譚、としてね」

「いや、いや、そんなたいしたことじゃあないんだよ。
 あの状況で、あのタイミングで、ちょっとした気合いさえあれば、アタシじゃなくったって、だれだってできたことなんだよ」

「そんなことないっスよ。おやじさんだから、できたんっスよ」と津川刑事が、言った。

「でもよう、カズ、アタシがそんなことやらかしちまったばっかりに――」

 真栄田刑事は少し俯いて、肩のちからを落として、言った。

「あいつは、死んじゃったんだ。
 結局、アタシが殺したようなもんなんだよ」

 フロントガラスに何か茶色い虫が激しくぶつかって、くちゃっという音をたてて潰れた。

「あいつ――って、だれのことっスか?」

「――早紀だよ。アタシの、嫁さん」

「え? でも、奥さんは交通事故で――」

「そうさ。確かに、交通事故で死んだ。
 だけどな、それは、仕組まれた事故だったんだよ」

 真栄田刑事のしわがれた声が、少し震えていた。
 津川刑事は黙って話の続きを待った。

「アタシャ、確かにその組を潰した。
 でも、残念ながら、全滅ではなかった。
 実質的に組が潰れたあとも、まだその残党が何人か、どこかに散らばって生き残っていたんだ。
 そいつらを生かしたままでは、組を完全に壊滅したことにはならない。だからアタシャ、必死になってそいつらをしらみ潰しに捜索したんだ。
 そのうちの何人かは、すぐに見つけだすことができた。そして残りのヤツらも、じわじわと追いつめて、次々としょっぴいていったんだ。
 だけど――」

 真栄田刑事はもう一本、タバコに火をつける。

「残りのひとり――青田という、そいつが主犯格の幹部だったんだけどな――、ヤツのしっぽだけがどうしてもつかめなかった。
 そんな焦りでジリジリとしているときに、早紀が、交通事故にあっちまって――、そのまま、あっけなく、ほんとうにあっけなく、逝っちまったんだ……」

 津川刑事はフロントガラスの潰れた虫の残骸を洗い流そうとして、ウォッシャー液を吹きつけ、ワイパーを動かした。
 けれどもその残骸はうまく流れずに、こびりついた汚れが弧を描いて薄くのびただけだった。

To be continued.

終末の唄_051

「なあ、カズ? アタシの嫁さんの話、お前さんにしたことあったっけ?」と真栄田刑事が、訊いた。

「ええ、少しだけ。確か、交通事故で亡くなったんでしたよね?」

「そう。
 あれは――もう十年以上も前のことだなあ」真栄田刑事は目を細めて、言った。

「ほら、この傷はね、あいつ――早紀につけられた傷なんだよ」

 真栄田刑事は右の手のひらを運転中の津川刑事の顔の横に広げて、そこに残っている傷跡を見せた。

「そうなんっスか?」

 津川刑事は運転しながら、横目で真栄田刑事の古傷を見た。
 処置がまずかったのだろう。雑な縫合のせいで、その傷跡は歪んだ三日月のようなカタチをして長く深く残り、いまでも痛々しく見えた。
 きっと、多量の血が流れたに違いない。その傷は手のひらを貫き、手の甲の方にまで達していた。
 津川刑事は、じつは以前からその傷跡のことが気になってはいたのだけれど、いままでなんとなく訊けずにいたのだった。

「何で、また? 事故か何かっスか? それとも、まさか、ケンカっスか?」

 と、津川刑事が少しからかうように、言った。

「そうじゃあないんだ」真栄田刑事も、少し笑う。

「じつは、あいつはね、もともとは札つきのワルだったんだよ」

「え? まさか。写真でしか見たことないっスけど、とてもおしとやかそうで、ぜんぜんそんな風には見えませんでしたよ?」

「ははは。もう大昔の話だからね」

 真栄田刑事は手のひらの傷跡を愛おしそうに撫でながら、言った。

「あの頃は、アタシも若かった。まだ刑事になりたてでね。
 だから殺人事件なんて、ぜんぜんやらせてもらえなかった。担当させられるのは、もっぱら町の不良どもの相手ばっかりだったもんさ。
 アタシャ、そのゴミ当番だったんだ。そのゴミの中でも、真っ赤なちりちり頭で、長いスカート引きずってた早紀が、一番のやっかいなゴミだったのさ」

「へえ」と津川刑事が、言った。

「あれは――ほんと、狂いそうに熱い夏の日だったな。
 早紀のツルんでたチームがよ、よそのチームと派手に抗争を起こしやがったんだ。
 アタシャ通報を受けて、もちろんすぐに現場に駆けつけたさ。ゴミ当番として、な。
 すると早紀のやろう、アタシが駆けつけたときには、もう完全にアタマがイっちまってて、小刀かまえて相手のひとりを刺し殺すところだったんだ。
 焦ったねえ、さすがに。それで、相手の心臓めがけて突き出されたその刃を、アタシャ右手を思いっきり差し出して、すんでのところで受け止めたんだ。
 その鋭い刃は、アタシの手のひらをぐいぐいと抉って、ついにその切っ先は、多量の血とともに手の甲から突き出してきた。
 真っ赤な血が辺りに飛び散ったよ。ちょうど、打ち上げ花火の――ほら、何てったっけ? そう、そう、スターマイン。ほんと、そんな感じだった。
 それでも、しばらくは神経がイカれちまっていて、痛みは感じなかった。だからアタシャ、小刀が突き刺さったままの手でよ、やつらを蹴散らしたんだ。バカはやめて、さっさとお家へ帰りやがれ、ってな。
 それで早紀は、ようやく我に返ったようだった。けど、あいつ、はっとした顔はしたけれど、そのまま踵を返して逃げちまいやがった。

 そのあと、その怪我のこと、みんなに訊かれたよ。どうした? だれにやられた? ってね。
 でもアタシャ、早紀が刺したことはだれにも言わなかった。言えるもんかい。
 そんなことしたら、刑事を刺したって、あいつは捕まっちまうからね」

To be continued.

終末の唄_050

 ハイウェイは、湾岸の埋め立て地をかすめて走る。
 エアコンの吹き出し口から、かすかな潮の香りが運ばれてくる。
 広い平野に立つ建設中の鉄筋の中から、キリンの首のようなクレーンが、何本も顔をのぞかせている。
 黒い海の上を泳ぐ波頭は、月の光に照らしだされて、どこまでも続く白い鱗模様をつくっている。
 遠くのコンビナートのエレクトリックな光は、ダイヤの粒のようにきらきらと眩しく輝いている。
 そしてふたりを乗せたクルマは、やがて恐竜の骨格のような赤茶けた大きな鉄橋の中をくぐる。

「――ところで、あのリトルリーグの事件以来、〝夢遊殺人〟、起きてないっスね?」と津川刑事が、言った。

「そうだな」

「このまま、終わっちゃうんっスかね?」

「さあてな。そいつはわからんよ」

 真栄田刑事は、彼らの前を走るクルマのテールランプがつくる赤い光の線を見つめたまま、言った。

「おやじさん、そういえば確か、犯人はほかにいるって、言ってたっスよね?
 事件の犯人は、全員現行犯で逮捕されたけど、それでもまだ、そう思うんっスか?」

「なあ、カズ。
 アタシがまだ、こうやってお前さんとつるんで、犯人追いかけていられる間に、ひとつ大事なことを教えといてやるよ。
 いいか?」

「はい」

真実というのは、簡単には見えないところにある」と真栄田刑事が、言った。

「ようく覚えとけ」

「――はい」

 津川刑事は少し首を傾げながら、真栄田を見た。

 空いた高速を、ワインレッドのブルーバードが、ゆっくり過ぎるスピードでふたりのクルマの前を走っている。
 津川刑事は、右に車線を変更してそれを追い越し、すぐにまた左側の車線に戻った。
 そのとき、ちょうど、事件発生を告げる無線が飛び込んできた。
 現場近辺を走行中のものは現場に急行せよ、とのことだ。

「近くっスね。どうします?」と津川が真栄田刑事に、訊いた。

「ほうっとけい。我々は今日も一日、もう充分過ぎるほど働いたよ」

 真栄田刑事はそう言うと、無線機のボリュームのつまみを、音が聞こえなくなるまでしぼった。
 そして、カーステレオのFMのスイッチを入れる。
 スピーカーから、オアシスの「スーパーソニック」が聞こえてくる。あの独特のねばっとした歌声だ。

「何だ、こりゃ? 騒がしいなあ」

 真栄田刑事は眉をひそめて、すぐにべつの局にかえた。津川刑事の方は、そのまま聴いていたかった。
 次に聞こえてきたのは、最近よく聴く、あのメロディーだった。

「これ、最近よく耳にする曲だな。あちこちで流れてるよな?」

「そうっスね。オレも何度も聴いたことありますよ、この曲」

「何て曲なんだあ?」真栄田刑事が、訊いた。

「さあ?」

「何だ。お前さんもしらないのか? まあ、いいか」

 真栄田刑事はそう言うと、またステレオのスイッチを押してほかの局にかえた。
 すると今度は、古い歌謡曲が流れてきた。

「いやあ、懐かしい歌だねえ」

 と言って、真栄田刑事はラジオに合わせて鼻歌を歌った。
 津川刑事には、その歌がだれの、何という歌なのか、まったくわからなかった。

To be continued.