talk show -5ページ目

終末の唄_058

 コーヒーを飲みながら、ぼくはアリスの部屋の中を見渡した。
 部屋の中は雑然として、どこも散らかっていた。
 狭い玄関には、何足かのパンプスやスニーカーが散乱し、その壁には錆びた自転車が立てかけてある。
 窓際のカーテンレールには、肝心のカーテンはなく、洗濯物がだらしなく干してあり、そのレールの一方の端には、ボクシングのグローブが(これで鍛えて、男どもをぼこぼこにしているのか?)、もう片方の端には、この部屋に不似合いなウエットスーツが、ひとの抜け殻のようにゆらゆらとぶら下がっている。
 もともと狭い部屋は、大きなマーシャルのギターアンプや、段ボール箱で作ったウサギの小屋のせいで、より狭っ苦しく、床には、そのウサギのフンと、作りかけのパズルのピースがばらばらと散らかっている。
 流し台の前のテーブルには、小さなミシンと、テレビがのっている。
 そのテレビの横には、美容学校で使うようなカットの練習用のマネキンの首がある。
 ルールも、意図も、何も感じられない部屋――。
 けれど、本棚にはシェイクスピアが整然と並んでいて、それを見つけたぼくは少しおかしくなった。

「きみ、美容師なの?」

「そのむかし、目指してたことは、ある」

「でも、きみの中の住人たちには、その髪型、わりと不評みたいだよ?」

「そう? どうでもいいわ、そんなこと」

 アリスは無造作に、髪をゴシゴシと掻いた。

「それよりさ、いまからお昼ご飯の買い出しに、スーパーまでいくんだけど、あんた、どうする? いっしょにいく?」とアリスが、訊く。

 ぼくは腕時計を見た。時刻はもう正午に近い。
 あのさえないバーで眠りに落ちてから、相当な時間がたっていたのだ。ぼくはあれから、どうやってこの部屋までたどり着くことができたのだろうか? とぼんやりと思う。

「ねえ、どうするの?」

「ああ、それじゃあ、せっかくだからいっしょにいくよ」

 ぼくはベッドから抜け出して、あわててジーンズをはいた。

「そう? それじゃあ、その自転車、外に出して」

 アリスはジャージとパーカーのままで、赤いセルフレームのメガネをかけ、赤いニットキャップをかぶり、グレーの長いマフラーを首にぐるぐると巻いた。

「うん、わかった」

 ぼくはアパートの二階から、狭い鉄製の階段を自転車を担いで下りた。
 そしてその錆びた赤い自転車にふたり乗りして、ぼくらはスーパーに向かった。
 ぼくが運転して、アリスはうしろに乗った。

To be continued.

終末の唄_057

     ///

 何か柔らかく、細かな動きをするものが、ぼくの顔をくすぐり、暗い眠りの淵からぼくを引きずり出してくれた。

 気がつくと、ぼくはどこかの部屋のベッドの中で、眠っていた。
 目覚めたぼくの鼻先には、白地に茶色のウサギがいた。このウサギが、ぼくを起こしてくれたのだ。
 ぼくはベッドの上で、ゆっくりと身体を起こした。
 毛布の下は、Tシャツにトランクスという格好だ。昨夜も〈銀色の男〉の悪夢にうなされて、身体中がじっとりと汗ばんでいる。
 頭はまだ夢の余韻でふらふらとしていて、ひどく気分が悪い。

「目が覚めた?」

 声がする方を見ると、彼女がいた。

「ぴょん吉がなつくなんて、めずらしいわね」

「ぴょん吉?」

「そのウサギよ」

「ああ、こいつね。
 ねえ、ここは――どこ? マリリンさんの部屋?」とぼくは彼女に、訊いた。

「残念ながら、わたしはマリリンではないわ。
 わたしは、正真正銘の、ア・リ・ス、よ。この身体の持ち主」

 アリスは黒いジャージに紺のパーカーというラフな格好で、おかっぱの長い前髪が前に垂れ落ちないように、うしろに流して大きな銀色のヘアピンで留めていた。
 そして、口にくわえたセーラムを左手の人差し指と中指で挟み取り、そう言った。

「アリス?」とぼくは、言った。

「ほんとうに、きみが、アリスさんなのかい?」

「そうよ。なんで?」

「あ、いや、クリニックで見かけるアリスさんとは、ちょっと感じが違ったから」

「ああ、あの子? あれも、わたしのべつの人格なのよ。わたしの身体の、ただの間借り人」

「え? そうなの? 複雑なんだな」

「そう。複雑なの」

 そのとき、ぼくは汗で濡れたTシャツが冷えてきた寒さに、ぶるっと震えた。

「寒いでしょ? そう、この部屋はまるでロシヤのように暗くて、寒いのよ。
 この老いぼれたストーヴは炎が燃えていても、ちっとも暖かくならないしね」

 彼女はつま先でストーヴをコンと蹴った。その足には、つま先だけ白い、茶色のふわふわとした分厚いソックスを履いていた。ぴょん吉みたいだ。

「さてと。あんた、コーヒーでも飲む? もちろん、インスタントだけど」

「ありがとう。いただくよ」とぼくは、言った。

 アリスはいっこうに暖かくならないというストーヴの上にのっているヤカンを取り上げ、コーヒーの粉をてきとうに入れたカップに、お湯を注いだ。
 そしてスプーンでてきとうに掻き混ぜたあと、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出して、カップに少し垂らした。

「どうぞ」

「ありがとう。
 よかったら、タバコも一本、もらえないかな?」

「残念ながらこれで最後なんだ。
 これでも、いい?」

 と言って、アリスは自分が吸っていたタバコを、ぼくにくれた。

To be continued.

終末の唄_056

 そのとき、ひとりの白い肌の男子生徒が、オレ様に呼ばれる。
 彼は、ぶるぶると震え泣きながらも、その誘いに抗うことができずに立ち上がり、オレ様の手の中に入る。
 そして、オレ様は鋭く尖った大きな針を取り上げ、その切っ先を少年の肩にずぶりと刺す。
 同時に少年は、低いうめきをあげる。
 少年の肩に青黒い墨が染み入るかわりに、皮膚の中からは赤い血が滲み出してくる。
 おまえは、額から垂れ落ちる汗で滲みる目を細めて、その情景に見入ることだろう。
 おまえにはもうわかっていることだけれど、おまえはどうしたって、決して目を背けることはできないのだ。

 オレ様は手を休めることなく、次々とその少年の身体に針を刺し、あっという間にじつに細かなアラベスク模様の刺青を仕上げていく。
 おまえは、オレ様が少年の身体に彫っている刺青の模様を、もう一度しっかりと見る。
 そしてそれはただの模様ではなく、何かの小さな文字の集まりであることを知るのだ。
 けれどその文字を、おまえは決して判読することはできない。
 なぜなら、その文字はおまえらにはとうてい理解できない、崇高な文字であるからだ。
 けれどおまえには、その文字で書かれている内容がぼんやりとわかるのだ
 そう、そこには、決して許されない、消すことのできない、人間が犯した罪の呪いが書き連ねてあるのだ。
 オレ様の右側の、肌が黒く見えた生徒たちは、すでに刺青が終わったあとの生徒なんだ、とおまえはやっと気づく。
 すすり泣きと、血の匂いと、湿った空気――。
 このおぞましい情景に、おまえはやがて吐き気をおぼえる。

 ほんの数十分後、少年の小さな身体はその文字で埋め尽くされる。
 もうすぐ仕上げだ。
 オレ様は気後れもなく、少年の目玉に針を落とす。
 その瞬間、少年はたまらず、ぎゃー、と叫ぶのだ。
 赤い涙が、少年の頬をつたう。
 おまえは声にならない声で、もうやめろ、とでも叫ぶんだろうな。
 そしてオレ様は、最後に残された部分である、舌を引っ張り出す。
 そのとき少年は耐えきれずに、「お母さん、助けてー」と叫びながら、オレ様の腕の中から走り出す。
 目の見えない少年は、どこに向かっているのかわからないままに、やみくもに走る、走る。
 走る少年のその先には、大きなガラス窓があることが、おまえにはわかっている。
 けれどおまえは、声をだして少年を制止することも、手を差し伸べて助けることもできない。
 そして少年は、おまえの目の前で、そのガラスに全速力でぶちあたる。
 粉々になったガラスの破片で、少年の頭はぱっくりと割れ、そして腐った木の床に、脳味噌と血の川が流れる――。

To be continued.