talk show -3ページ目

終末の唄_064

 男はそうは言ったものの、しばらくはきっかけがつかめず、言いあぐねていた。
 チェン先生は、再びシャンプーをはじめる。
 そして男は、口に溜まった唾をごくんと飲み込むと、ゆっくりと、静かに、口を開いた。

わたしは、何人ものひとを、殺したんです

「それは、犯罪を犯した――ということ?」

 チェン先生の声はとても静かで、穏やかで、やさしかった。

「いえ、わたしがこの手で直接的に殺したわけではないんです
 実際には、べつの人間が殺人を犯したんです」

「それじゃあ、あなたが、だれかにそうしろと指示した、ということ?」

「いいえ、それとも、ちょっと違う。
 彼らは、自発的に殺人を犯したのです。
 けれど、彼らのこころの中の深い闇の奥から、その憎悪を引き出したのは、わたしなんです

「そうなの?
 つまり、あなたには、そういうちからがある、というわけなのね?」

 彼女は、男の頭皮をマッサージするようにやさしく指を踊らせながら、訊いた。
 マスクがない分、男には昨日以上にシャボンの香りがよく匂っていた。

「いまは、望んでいるわけではないんです、決して」マスクの男は震えながら、言った。

「わたしは、幼い頃からずっと、何をやってもうまくいかなかった。
 グズで、不器用で、要領が悪く、自分でもどうしようもないほどダメ人間だったんです。
 学校では、成績はいつもビリで、運動も苦手だった。
 容姿もこのとおり、醜いかぎりです。
 だからわたしは、いつもいじめの恰好の対象でした。
 くやしいと思うときもあったけれど、これじゃあ仕方ないなと、自分でもあきらめてしまっていたんです。
 わたしのようなダメ人間は、隅っこでひっそりと、だれのじゃまにもならないように生きていくしかないのだ、と。

 それでも何とか高校を卒業して、社会にでて働きだしました。
 けれどもやはり、どんな仕事をやってもうまくいかず、長続きせず、いくつもの職を転々としなければならなかったんです。

 そうして、ある町工場に勤めたときのことです。
 何かの機械の部品を作るラインに入ったわたしは、相変わらず不器用で、なかなかうまく仕事を覚えることができないでいました。
 暗く、狭っ苦しく、ひどく埃っぽい工場の中で、わたしはいつものようにひとりぼっちで途方に暮れていました。
 わたしのラインの前では、ひとりの少女が同じように部品を組み立てていました。
 グレーの帽子に、ブルーの作業着を着て、その上に紺のエプロンをつけた彼女は、とても手際よく、わたしの何倍も速く部品を組み立てていました。
 わたしは彼女の作業を、しらずしらず、羨望の眼差しで眺めていたものです。

 十二月のある寒い日のことでした。
 軍手をした指がその寒さでかじかんで、ボルトを床に転げ落としてしまったんです。
 すると、彼女がそれを拾って、わたしの方へゆっくりとやってきたんです。
 彼女は小さく微笑んで、それからわたしに、なんと、部品の組み立て方の要領をやさしく教えてくれたんですよ。
 この工場の寒さのせいではなく、そのときわたしは、なぜかぶるぶると震えていました。

 それ以来、わたしは彼女に恋をしました。
 なぜなら、わたしの不器用さをバカにしないで、あんなにやさしく、丁寧に接してくれたのは、わたしの生涯で、彼女がはじめてだったからです。
 彼女だけが、わたしを、はじめてひととして、扱ってくれたんですよ

To be continued.

終末の唄_063

 チェン先生は、洗面台の横にあるフロアスタンドのスイッチを入れて、明かりをつけた。
 そのあと、部屋の照明を消した。
 真っ白な部屋はすぐに、フロアスタンドのほのかな明かり以外の光を失った。
 外はますます荒れてきていて、ついに雷雨になったようだ。
 遠くで、転がる雷鳴がかすかに聞こえる。
 そして閉ざされたカーテンの隙間から、眩しい稲光がときどきもれてくる。
 この部屋の中も、少し肌寒くもなってきたようだ。

 男は、ウィンドブレイカーのフードを、自分で静かに頭のうしろへずらした。
 すると中から、いくぶん尖り気味の、でこぼことした頭と、ロバのような極端に面長な顔が現れた。
 そしてそのあと、男はゆっくりと左腕をあげ、口元を覆った大きなマスクに手をかけた。
 それを喉元の方へ静かにずらすと、そこに不快な臭いを伴いながら、耳元まで裂けた不吉で不気味な口が現れた
 チェン先生はその男の醜い口を見ても、驚きもしなかった。

「先生よ、怖くないんか?」

 と、男が裂けた口元をいやらしくにやりと歪ませて、訊く。

「ええ。もちろん」と先生が、言った。

 そして彼女は、何ごともなかったかのように、いつもと同じ調子でシャンプーをはじめるのだった。
 男はシャンプーされながら、大きく裂けた口を振るわせるようにして、小刻みに動かしていた。
 声は出してはいないけれど、それは確かに何かを話しているような様子だ。
 男はチェン先生に、何かの念を送っているのだ

〈どうだ? 先生よ。どう感じる? さあ、さあ。どうなる、どうなる?〉

 男はそう思いながら、チェン先生の様子を目を細めて眺めていた。
 けれどいつまで待っても、彼女には何の変化も現れてはこなかった。

「ちょっと、待ってくれ、先生よ」

 と、男はたまりかねて、言った。
 チェン先生はシャンプーをやめて、シャワーの蛇口を止めた。

「先生よ? 何ともないんか?」

「何が?」

「いや、そのう、気分とか、なんか変じゃないか?」

 男の左のこめかみを、あぶくが一筋首元へ流れ落ちる。

「いいえ。何とも。どこも変じゃないわよ?」とチェン先生は、言った。

「ねえ、どうしたって言うの?」

「いや、いいんだ。何でもないんだ。
 続けてくれ」

「いいわ」

 チェン先生は、再びシャワーの蛇口を捻った。

〈いったい、どうしたっていうんだ?
 オレ様の邪悪な念が、この女には通じないとでもいうのか?
 まさか! この念に触れると、どんな人間でも、もともとその中に持ち合わせている隠された邪悪さが増幅されて、表出するというのに。
 この女のこころには、ひとかけらも、邪悪なものがないというのか?
 ばかな!〉


 チェン先生が再びシャンプーをはじめると、男は自分の緊張した身体が次第に解きほぐされていくのを感じた。
 そして、男は思う――ひょっとして、ほんとうにチェン先生のこころの中に、邪悪なものがひとかけらもないとしたら、もしほんとうにそうだとしたら、彼女はわたしを救えるかもしれない
 そしてそれは、わたしによって引き起こされる未来の殺し合いを、未然に防ぐという意味で、ひいては世界の人々をも救うことにもなるのだ。
 だとしたら、わたしが探し求めたとおり、彼女は、ほんとうに、メシアなのかもしれない

「先生、よかったら、わたしの話を聞いてもらえますか?」

 男のひび割れた声は、先ほどとは違って、低い方の声が高い方の声よりも勝っていた
 チェン先生は、男の声と態度の変化に、きちんと気づいていた。

「もちろん。そのために、ここにわたしがいて、あなたがいるんだから」

To be continued.

終末の唄_062

♯13


「さて、調子はいかが?」

 チェン先生はいつものスツールに座り、カルテを眺めながら、マスクの男に訊いた。
 けれども男は黙ったまま、彼女の質問には答えなかった。

「昨日の治療で、少しはマシになったかしら?
 もっとも、わたしにはまだ、あなたのお悩みがはっきりとはわかっていないんだけれどね?」

 男は、昨日と同じ黒いウィンドブレイカーを着て、そのフードを目深に被り、昨日と同じように、何も話さない。
 チェン先生は男の肩の辺りが少し濡れているのに気づき、ふと窓の外を見た。
 そしてはじめて、外は雨が降っているのだとしった。

「さて――。
 そろそろ、第二回目の治療をはじめるけれど、その前にとくに何か言っておくようなことはないかしら?」
 
 チェン先生は、ボールペンの端をこめかみにとんとんとあてながら、訊いた。
 男は相変わらず、石のように押し黙ったままだ。

「そう、いいわ」チェン先生はため息まじりに、言った。

「それじゃあ、はじめましょうか」

 チェン先生は、いつものように、男の座っているチェアを四五度左に回転させてから、ゆっくりとリクライニングさせ、白い陶器製のボウルの縁に男の首を静かに置いた。
 マスクの男は、ウィンドブレイカーのフードの陰から、見るとはなしにジプトーンの天井の不規則な模様を見ていた。
 エアコンの空調機が、かすかに空気を振るわせているのがわかる。
 白すぎる蛍光灯の光が、目に見えないような速さで、チラチラと瞬いている。
 視線をそのまま窓の外へ向けると、時刻はもう夕方で、おまけに雨が降っているせいで、ひどく薄暗かった。
 チェン先生は窓辺にいき、男のその視線を遮るように、遮光カーテンを閉めた。
 そして吊り戸棚のところまで戻り、フェイスタオルを取ろうとした。

 そのときだった。

 男が、突然、身体に電気でも流されたかのように、全身をピンと緊張させ、ひとしきり痙攣したあと、はじめて言葉を口にするのだった

「待ってくれ、先生よ」

 チェン先生はその瞬間、冷凍されたかのように、そのままのカタチで動作を止めた。
 男の声はひどくひび割れていて、聞き取りにくかった。
 高い声と、低い声が混じり合っていて、まるでふたりの人間が同時に同じ言葉を話しているような、そんな感じだ。
 ボリューム的には、高い方の声が、低い方の声より勝っているようにチェン先生には聞こえた。
 そしてしばらくしてから――ポーズボタンを解除されたように――彼女は動作の続きをしはじめた。

「まあ。はじめてしゃべってくれたわね。どうか、した?」

 彼女はタオルを手にしたあと、男の方を振り返って、訊いた。

「今日はよ、このマスクを取ってから、シャンプーしてほしいんだ」マスクの男は、言った。

 チェン先生はしばらく黙っていたあと、何かを感じ取ったかのように小さく頷いた。

「もちろん。いいわ」

To be continued.