終末の唄_052
「それがきっかけだったかなあ。早紀が少しずつ、かわりはじめたのは。
アタシの手は傷が深くって、しばらくうまく動かなかったんだ。箸だって持てやしない。
あいつ、アタシのそんな不自由な姿を見て、だんだんといろいろな身の回りの世話をしてくれるようになったんだよ。
ぎこちなく、だらしなく、バツ悪そうに――。
気味が悪かったよ、最初はね。でも、それがあいつなりの償いだったんだろうなあって、思ったよ。
そして気がつけば、いったいぜんたい何がどうなっちまったのやら、宿敵同士だったはずが、いつの間にかさあ、あいつがアタシの嫁さんになっちまってたんだからね。まあ、ひとの人生ってヤツは、ほんと、わかんないもんだよな?
まあアタシも、あいつのことはどうにかしてやらなけりゃって思ってたし、あいつも方も、憎さあまって――ってヤツだったんだろうな、きっと」
「そうだったんっスか。おやじさんにそんな昔話があったなんて、ぜんぜんしらなかったな」と津川刑事が、言った。
「もう一杯、どうだ? コーヒー」
「あ、じゃあ、いただきます」
真栄田刑事はステンレスのポットから、再び湯気を立てながら熱いコーヒーを注いだ。
カーステレオからは、相変わらず古い歌謡曲が流れている。
「そいじゃあ、この話はしってるかい?
アタシが、ある悪質な地上げ専門の暴力団の組をぶっ潰しちゃった、って話」
「ええ、もちろんしってますとも」津川刑事が目を輝かせて、言った。
「そんなの、超有名っスよ。署の連中ならだれだってしってますよ。おやじさんの英雄譚、としてね」
「いや、いや、そんなたいしたことじゃあないんだよ。
あの状況で、あのタイミングで、ちょっとした気合いさえあれば、アタシじゃなくったって、だれだってできたことなんだよ」
「そんなことないっスよ。おやじさんだから、できたんっスよ」と津川刑事が、言った。
「でもよう、カズ、アタシがそんなことやらかしちまったばっかりに――」
真栄田刑事は少し俯いて、肩のちからを落として、言った。
「あいつは、死んじゃったんだ。
結局、アタシが殺したようなもんなんだよ」
フロントガラスに何か茶色い虫が激しくぶつかって、くちゃっという音をたてて潰れた。
「あいつ――って、だれのことっスか?」
「――早紀だよ。アタシの、嫁さん」
「え? でも、奥さんは交通事故で――」
「そうさ。確かに、交通事故で死んだ。
だけどな、それは、仕組まれた事故だったんだよ」
真栄田刑事のしわがれた声が、少し震えていた。
津川刑事は黙って話の続きを待った。
「アタシャ、確かにその組を潰した。
でも、残念ながら、全滅ではなかった。
実質的に組が潰れたあとも、まだその残党が何人か、どこかに散らばって生き残っていたんだ。
そいつらを生かしたままでは、組を完全に壊滅したことにはならない。だからアタシャ、必死になってそいつらをしらみ潰しに捜索したんだ。
そのうちの何人かは、すぐに見つけだすことができた。そして残りのヤツらも、じわじわと追いつめて、次々としょっぴいていったんだ。
だけど――」
真栄田刑事はもう一本、タバコに火をつける。
「残りのひとり――青田という、そいつが主犯格の幹部だったんだけどな――、ヤツのしっぽだけがどうしてもつかめなかった。
そんな焦りでジリジリとしているときに、早紀が、交通事故にあっちまって――、そのまま、あっけなく、ほんとうにあっけなく、逝っちまったんだ……」
津川刑事はフロントガラスの潰れた虫の残骸を洗い流そうとして、ウォッシャー液を吹きつけ、ワイパーを動かした。
けれどもその残骸はうまく流れずに、こびりついた汚れが弧を描いて薄くのびただけだった。
To be continued.
アタシの手は傷が深くって、しばらくうまく動かなかったんだ。箸だって持てやしない。
あいつ、アタシのそんな不自由な姿を見て、だんだんといろいろな身の回りの世話をしてくれるようになったんだよ。
ぎこちなく、だらしなく、バツ悪そうに――。
気味が悪かったよ、最初はね。でも、それがあいつなりの償いだったんだろうなあって、思ったよ。
そして気がつけば、いったいぜんたい何がどうなっちまったのやら、宿敵同士だったはずが、いつの間にかさあ、あいつがアタシの嫁さんになっちまってたんだからね。まあ、ひとの人生ってヤツは、ほんと、わかんないもんだよな?
まあアタシも、あいつのことはどうにかしてやらなけりゃって思ってたし、あいつも方も、憎さあまって――ってヤツだったんだろうな、きっと」
「そうだったんっスか。おやじさんにそんな昔話があったなんて、ぜんぜんしらなかったな」と津川刑事が、言った。
「もう一杯、どうだ? コーヒー」
「あ、じゃあ、いただきます」
真栄田刑事はステンレスのポットから、再び湯気を立てながら熱いコーヒーを注いだ。
カーステレオからは、相変わらず古い歌謡曲が流れている。
「そいじゃあ、この話はしってるかい?
アタシが、ある悪質な地上げ専門の暴力団の組をぶっ潰しちゃった、って話」
「ええ、もちろんしってますとも」津川刑事が目を輝かせて、言った。
「そんなの、超有名っスよ。署の連中ならだれだってしってますよ。おやじさんの英雄譚、としてね」
「いや、いや、そんなたいしたことじゃあないんだよ。
あの状況で、あのタイミングで、ちょっとした気合いさえあれば、アタシじゃなくったって、だれだってできたことなんだよ」
「そんなことないっスよ。おやじさんだから、できたんっスよ」と津川刑事が、言った。
「でもよう、カズ、アタシがそんなことやらかしちまったばっかりに――」
真栄田刑事は少し俯いて、肩のちからを落として、言った。
「あいつは、死んじゃったんだ。
結局、アタシが殺したようなもんなんだよ」
フロントガラスに何か茶色い虫が激しくぶつかって、くちゃっという音をたてて潰れた。
「あいつ――って、だれのことっスか?」
「――早紀だよ。アタシの、嫁さん」
「え? でも、奥さんは交通事故で――」
「そうさ。確かに、交通事故で死んだ。
だけどな、それは、仕組まれた事故だったんだよ」
真栄田刑事のしわがれた声が、少し震えていた。
津川刑事は黙って話の続きを待った。
「アタシャ、確かにその組を潰した。
でも、残念ながら、全滅ではなかった。
実質的に組が潰れたあとも、まだその残党が何人か、どこかに散らばって生き残っていたんだ。
そいつらを生かしたままでは、組を完全に壊滅したことにはならない。だからアタシャ、必死になってそいつらをしらみ潰しに捜索したんだ。
そのうちの何人かは、すぐに見つけだすことができた。そして残りのヤツらも、じわじわと追いつめて、次々としょっぴいていったんだ。
だけど――」
真栄田刑事はもう一本、タバコに火をつける。
「残りのひとり――青田という、そいつが主犯格の幹部だったんだけどな――、ヤツのしっぽだけがどうしてもつかめなかった。
そんな焦りでジリジリとしているときに、早紀が、交通事故にあっちまって――、そのまま、あっけなく、ほんとうにあっけなく、逝っちまったんだ……」
津川刑事はフロントガラスの潰れた虫の残骸を洗い流そうとして、ウォッシャー液を吹きつけ、ワイパーを動かした。
けれどもその残骸はうまく流れずに、こびりついた汚れが弧を描いて薄くのびただけだった。
To be continued.