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終末の唄_038

「それじゃあ、今日は少し、夢についてお話するわね?
 たまには、わたしがほんとうにセラピストだってところ、見せておかなくっちゃね」

 チェン先生はそう言って、張りのあるふっくらとした頬を少し緩ませて微笑んだ。

「睡眠には二種類あって、それぞれ『レム睡眠』と、『ノンレム睡眠』と呼ばれているの。
 それはしっているかしら?」

「はい。確か、レム睡眠が浅い眠りで、ノンレム睡眠が深い眠り――ですよね?」

「そうね。ノンレム睡眠時は、脳の温度が下がり、身体は弛緩して、心拍のテンポも遅くなるの。眼球は上転したまま、ほとんど動かない。つまり、脳も、身体も、休んでいる状態なの。
 それに対して、レム睡眠――これは逆説睡眠とも言われているんだけれど――は、四肢や体幹の筋緊張は消失して弛緩しているんだけれど、脳波は覚醒時のようなカタチを示していて、閉じた瞼の下では早い眼球運動が行われているの。
 夢は、このレム睡眠時にみるのよ。この眠りは、普通一晩にほぼ二時間おきにやってきて、二、三十分続くの。
 このふたつの眠りが、普通は繰り返されるわけなんだけれど、あなたの場合は、すべての眠りが、レム睡眠なわけなのね?」

「――そのようですね」とぼくは、言った。

「ここまでの説明は、わかる?」とチェン先生は、訊いた。

「ええ。わかります」

 チェン先生の首には赤いネックストラップが掛かっていて、その先にぶらさがっているIDカードが、彼女が身体を動かすたびに胸元で揺れている。そのカードには、チェン先生の小さな顔写真が貼付けてある。その写真の彼女は、どこかよそよそしく、その顔はなんとなく借り物のように見えた

「それじゃあ、続けるわよ?」

「はい」

「夢というのは、脳科学的に言えば、大脳皮質の活動で起きるものなの。
 大脳皮質というのは、大脳半球の表面を覆う層のことで、言語、感覚、本能行動、情動などの神経中枢がある部位のことなの。
 つまりそこで、夢はつくられているわけね」

 チェン先生はカルテの端に、落書きのように脳の絵を書きながら説明した。

「その夢の中でも、二パーセント程度の頻度で、〈いま自分は夢をみている〉と自覚できる夢があるの。
 そういうの、あなたにも経験があるでしょう? この夢のことを、『明晰夢』と呼ぶの。
 明晰夢は、訓練しだいである程度までは意識的にみることができるようになるの。
 意識し、訓練を重ねることで、その頻度は高まるわ。そしてうまくいけば、夢に積極的に関与し、コントロールすることによって、意志でストーリーを変えてしまうことが可能なのよ
 これは実際に、あなたのような悪夢に悩まされているひとの治療に応用されているの」

「そうなんですか」

「ええ。そこで――今日からは、いままでの治療法に加えて、この明晰夢を応用したメソッドも行っていきます」

To be continued.


 

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終末の唄_037


♯09

 休診だった次の日、クリニックの待合室にぼくは座っていた。

 パタンと小さな音がして、診察室のドアが開いた。
 黒いフードを被って、顔を覆うような大きなマスクをした男が、診察室の中から出てきて、ぼくの前を通り過ぎていった。ぼくはその黒い背中を、目で追った。

マスクの、男……」とぼくは思った。

 そしてチェン先生に呼ばれ、ぼくはいつものように、何もかもが真っ白な診察室に入り、いつものリクライニングチェアに座った。

 チェン先生はいつもより、少し疲れているように見えた。
 それはそうだろう。毎日毎日、朝から晩まで、休む暇もなく、ぼくらのようなやっかいなクランケを相手に治療を施しているのだから。
 その上、昨日はクランケが勝手に引き起こした事件にまで巻き込まれてしまったのだから。
 ぼくはふと、疲れているチェン先生のことがひどく気の毒に思えてきた。きっと先生の方こそ、ぼくらのことを気の毒に思ってはいるのだろうけれど、それでも、そのときのぼくはそう感じてしまったのだ。

 あの、失踪したオーバードーズのクランケは、いったいどうなったのだろう?
 ぼくはそのことをチェン先生に訊いてみようかとも思ったけれど、すぐにそれは思いとどまった。
 きっとぼくは、結末をしるのが恐かったのだろう。

 ふと窓の外を見ると、中庭にある木製のベンチに、多重人格者だと柿ピーに教えられたあのおかっぱ頭の女の子が座っていた。
 よく見ると、彼女は赤いダッフルコートを着て、スカートの中が見えてしまうほど股をカエルのように広げた格好で、赤い手袋をした手をこちらに向かって振っていた。
 正面から見る彼女の顔は――いつもは俯いていてほとんど見えないのだけれど――思った以上に美人だ。
 午後四時の柔らかな日差しの下で、彼女はとても柔和な表情で微笑んでいるのだった。

「――さて、調子はどうかしら?」

 チェン先生にそう訊かれて、ぼくは我に返り、視線を窓の外から先生の顔へと向き直した。

「相変わらず、です」とぼくは、答えた。

「そう? 『調子は相変わらず』、と」

 チェン先生はいつものように、ぼくが座るリクライニングチェアの横にあるスツールに座って、声をだしながらカルテにそう書き込んだ。

「相当つらそうな顔、してる」

「しってます」とぼくは、言った。

 実際、このクリニックに通いはじめた頃でもすでに相当ひどい顔つきをしていたのだけれど、いまではさらに、目は落ち込み、頬は痩け、身体はぎすぎすと痩せ細っていて、もともとのぼくからは、まるで人相が違ってしまっていた。

To be continued.

 

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終末の唄_036

 マスクの男は目だけを動かして、診察室の様子をゆっくりと見回した。
 それは、何もかもが白い部屋だった。男はその純白の中にあって、自分だけが唯一の黒い一点のシミのように思えた。

「どうしたの? うまく説明できない? それとも、自分でもどう言っていいのか、よくわからないのかしら?」

 少し開いている窓から、春待ちのまだ冷たい風が吹き込み、ベージュのカーテンを揺らした。
 チェン先生はスツールから立ち上がり、静かに窓を閉めた。

「とりあえず、その大きなマスクも、取ってくれないかしら? 声が聞き取りにくいわ」

 けれど男は、マスクだけは取ろうとはしなかった

「だめなの? そう。まあ、いいわ」チェン先生はスツールのところに戻り、再びそれに座って、言った。

「それじゃあ、もう一度訊くわよ? あなたの症状を、説明できるかしら?」

 マスクの男はさっき質問されたときと同じように、黙り込んでいた。
 そして、からからに乾いた喉を少しでも癒そうと、唾をごくりと飲み込んだ。

「さて、よわったわねえ。
 これじゃあ、カルテも書けないわ」

 チェン先生は音もなく足を組みかえて、言った。けれどその口調には、それほど差し迫った感じはなかった。
 男はおもむろに頭を指差した。

「シャンプーをしろと言うのね? ええ、もちろん。それがわたしの仕事ですからね。
 だけど、あなたがなぜここにきたのか、それを知っているほうが、わたしの治療は効果があるのよ?
 ここは、だれもが簡単にこれる場所ではないわ。あなたもよくわかっているとは思うけれど。
 だから、ここにくるひとたちはみんな、それなりに深刻な悩みを持っているわ。あなたもきっとそうなんだと、わたしは思うの」

 マスクの男は、チェン先生を見つめたまま、また黙り込んだ。
 チェン先生は真っ白な白衣の下に、胸元が開いたクリーム色の柔らかそうなシルクのブラウスを着ていた。そのブラウスの中では、白いきめ細かな肌はより透き通っていき、段々と透明になっているのではないかと思われた。

 ふたりが沈黙している間、どれくらいの時間が過ぎたのだろう?
 この白い部屋の中では、何もかもがとても静か過ぎて、時間は完全に止まってしまっているかのように男には思えた。
 チェン先生がどれだけ待っても、いくら促してみても、マスクの男はそれから先はひとことも話さなかった。

「いいわ」

 チェン先生はカルテをデスクの上に置き、両手をあげた。カルテの角がゴム製の黒猫のおもちゃに当たって、音もなく転げた。

「ねえ、こういうこころの病を治療するのには、とても長い時間が必要なの。
 今日、あなたが何も言いたくないのなら、それはそれで、仕方のないことなのよ? いつかあなたが自分から、どうしたいと言えるようになるまで、わたしは待つことにするわ。
 だからゆっくりと、少しずつ、いっしょに治していきましょう? 気長にね」

 チェン先生はスツールから静かに立ち上がると、再び窓際へいき、カーテンを閉めて、シャンプーの準備をはじめた。

To be continued.

 

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