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終末の唄_041

 この中庭は、森からの風がよく通る。
 その風が通るたびに、乾かしたとはいえ、洗いたての髪がとても冷たく感じた。
 ぼくはこちら側から病棟を見るのは、これがはじめてのことだった。建物はどこもかしこも白く、とても無機質で、無関心に見えた。
 ぼくが今日の最後の患者だったので、診察室の中は明かりが消され、薄暗く、もうだれもいないようだった。
 それを確かめるように、一頭のコウモリがぱたぱたとその窓の前をひらめいていた。


「ところで、ぼくに用って、何なんですか?」

「ああ、そうやった、そうやった。肝心のことをわすれてたわ。
 どうや? メシでも食いながら――っていうのは? 
 わてが、おごったるさかい。なあ?」

「ええ、まあ。いいですけど」

「よし。ほな、いこか。
 ほら、はよせんと、もう最終のバスがでてまうでえ」


 山を降りきって、橋を渡ったすぐの停留所で、月兎とぼくはバスを降りた。

「何食おうか? そうやなあ、寿司でもええか? あ、いや、寿司いうてもあんまり期待せんといてや? 回転寿司のことやさかいな? ぐへへへへへ」

 月兎は、アリスのキュートな顔とは似つかわしくない下品な笑い方をした。

 ぼくは月兎のいくままに、あとをついていった。
 彼は大きな通りを人混みをかき分けるようにしばらく進むと、おもむろに細い、寂しい路地に入っていった。
 いったい、こんな路地裏に寿司屋なんかあるのだろうかと思ったそのとき、目の前に一軒の小さな回転寿司屋が現れた。
 自動ドアを開け、紺色ののれんをくぐり、店の中に一歩足を踏み入れると、必要以上に強烈な酢の匂いがぼくの目と鼻を刺した。
 この店、大丈夫なのか? と思わずぼくは眉をひそめる。
 店の中はそれほど広くもなく、全体的に茶色い色調でかなり古ぼけた印象だ。それでも夜の六時をまわり、店はわりに混み合っていた。ぼくらの前にも二、三組、席待ちをしていた。

「ちいっ、四組待ちかいな」

 月兎はそう言いながら、慣れた手つきでウェイティングシートに名前を書いた。
 それから赤いビニルシートのソファに腰かけた。

「ここ、こう見えても、なかなか美味いんやで? 場所が目立たんわりには、けっこう流行ってるやろう? 口コミと、リピーターのおかげやで。だからいつも席が埋まってて、こうして待たなあかんねんや。
 まあ、それだけ美味いっちゅうこっちゃ」

 月兎は下品によだれを拭きながら、言った。

 しばらくすると、ぼくらは空いた席に案内された。
 月兎は席に座るや否や、すかさず赤い手袋をとり、インターフォンのボタンを押して、生ビールと赤出しと茶碗蒸しをふたつずつ注文した。
 そして、深緑色のプラスティックのコップにお茶のパックを入れ、カウンターから突き出している水栓からお湯を注ぎ、割り箸とてふきんをふたりの前に並べた。
 彼はその間にも、レーンを流れてくる皿に細心の注意をはらい、狙っていた皿を次々と四皿もテーブルの上に並べているのだった。慣れて、とても手際のよい、無駄のない動きだった。

「さあ、さあ。遠慮せんと、どんどんいってや?」

 と言って、月兎は運ばれてきた生ビールをごくごくと飲んだ。
 そしてそこでやっと、赤いダッフルコートを脱いだ。

「それじゃあ、いただきます」

 ぼくも、レーンを流れてきた鉄火巻きの皿をとった。
 そのひとつをしょうゆにつけて口に頬張ると、なるほど、とても美味かった。

To be continued.

 

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終末の唄_040

「やあ、やあ、ずいぶん待ったでえ」

 ぼくが治療を終えて中庭の方へいくと、赤いコートの彼女は、まださっきと同じようにベンチに座ってぼくを待っていた。
 時刻はもう五時過ぎで、空はずいぶん薄暗くなっていた。

「ぼくに何か、用でもあるの?」

 ぼくは、いつもとずいぶん様子の違う彼女に、そう訊いた。

「そうなんや。あんたはんに、用があるんやでえ」と彼女は、言った。

 その声は確かに、若い女の子の声なのだけれど、話し方やトーンはまるで中年のおじさんのようだった。

「ちょこっと、ここに座らへんか? ささ、おいで、おいで」

 彼女はベンチの左側に寄って、ぼくの座る場所をつくった。

「――うん」ぼくはその空間に、とりあえず座った。

「ところで――。あんたはんも病気の方、だいぶきついみたいやけど、今日の治療はどうやった? ちょっとはマシかいな? 
 そやけどあの先生、ほんまべっぴんさんやろう? わて、もうたまらんわあ、ほんまに」

 彼女がそう言いながら身悶えするように天を仰ぐと、おかっぱ髪の中から彼女の顔がはじめてはっきりと見えた。
 大きく見開いたきらきらとした瞳、くっきりとした眉、高い鼻筋、歯並びがよく、愛らしい口元。
 とってもキュートだ。

「じつは、今日から新しい治療法を試してみたんだけれど、まだうまくいかなかったみたいだね。
 いくぶんは、気分はましなんだけれど。
 先生は『気長に治しましょう』って、言ってる」

「そやなあ。気長に治さなしゃあないわな、こういうのは。
 まあ、そのうちきっと、ようなるって。あんたはんも、アリスも、な」

「アリス――て?」

「ああ、アリスっていうのは、この女の子の名前や」彼女は自分を指さして、言った。

「でも、いまあんたはんとしゃべくってるこのわては、アリスやないで? いや、身体はアリスなんやけど――んもう、ややっこしいなあ。
 つまり、身体はおんなじやけど、人格が違うってことや。
 ああ、挨拶が遅れたけどな、わては月兎いうんや。年齢五十一歳、れっきとした紳士なんやで? どうぞ、よろしゅうに」

「あ、ええ、こちらこそ、よろしく」

 ぼくは、以前柿ピーが、彼女は多重人格者だと教えてくれたことを思い出した。
 道理で。妙に変な話し方はするし、股を広げて座るわけだ。

「月兎さん、でも、股はそんなに広げない方がいいよ? アリスがかわいそうだ」

「ああ、これは失礼、失礼。わてとしたことが。ついつい無意識に地がでてしもうたわ」

 と言って、月兎はそそくさと股を閉じ、上の方にまくれ上がったスカートを膝の方に引っ張った。

To be continued.

 

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終末の唄_039

 チェン先生は、そこまで説明するとスツールから立ち上がり、カーテンを閉めに窓まで歩いていった。
 ぼくは先生の背中を追い、そしてそれを追い越して、もう一度窓の外を見た。

 多重人格のあのおかっぱ頭の彼女は、まだ中庭のベンチに股を広げて座り、ぼくに手を振っていた。
 変な感じだな。
 カーテンが閉められると、白い部屋はとたんに薄暗くなった。

「さあ、いまから、意識して何かみたい夢を考えて。
 つよく、つよく、思うのよ」

 チェン先生はそう言うと、ぼくのチェアを回転させ、ゆっくりとリクライニングさせた。
 そしてぼくの顔の上に柔らかいタオルを置き、あの不思議な感触の液体を頭に垂らすと、シャワーの湯を静かにあてながら、やさしくシャンプーをはじめた。

 チェン先生の指はまるでセラミックでできているように、つるっとしていて美しい。
 あれだけ繰り返し繰り返し洗髪を続けていると、普通は多少なりとも荒れたりするものだ。
 けれど彼女の手は、不思議と荒れてはいないのだ。
 ぼくは以前に一度、そのことについて彼女に訊いてみたことがあった。なぜ手荒れしないのか、と。

「ただ、そういうふうにできているからよ。わたしの指は」とチェン先生は、言った。

「困るでしょう? わたしがシャンプーできなくなっちゃったら。だから、ただ、そういうふうにできているの。
 あなたたちを癒し続けるために、決して壊れてしまわないように、ね」

 しばらくシャンプーをしてもらったあと、ぼくはチェン先生に、訊いた。

「でも、どんな夢を思えばいいんですか?」

「何でもいいのよ? あなたの夢ですもの。
 あなたのみたい夢を、考えればいいのよ。
 そしてこれからは、眠るときにはいつも、何かみたい夢を思うのよ? つよく、つよく。必ずね。
 それが、新しいディシプリン(訓練)よ」

 突然そう言われても、みたい夢をすぐに考えつくことがぼくにはうまくできなかった。
 この上なくいいシャボンの香りを嗅ぎながら、ぼくの意識はしだいに薄れていく。
 ひびの入った薄氷が、砕け落ちていくみたいに――。
 その中で、ぼくは必死に考え続ける。

 ディシプリン、ディシプリン。

 何かうってつけの夢はないものか。
 そして、やはりこれしかない、とぼくは思う。
 〈銀色の男〉と戦う夢をみよう、と――。

To be continued.

 

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