talk show -13ページ目

終末の唄_035

 マスクの男G市駅のターミナルを出発したときには、バスには何人かの乗客が乗っていたのだけれど、山に入る手前の橋を渡る頃には、そのほとんどが降車していて、山のクリニックへ向かったのは彼と若い女のふたりだけだった。

 その彼女はクリニックに着くと、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、男の前を横切ってバスを降り、赤いダッフルコートの裾を揺らせながら、先にクリニックの中へと消えてしまった。

 マスクの男は初診の受付を済ますと、待合室のベンチに座って、自分が呼ばれるのをじっと待った。
 彼はその間もずっと、頭に被ったフードやマスクを取ろうとはしなかった。
 待合室には彼以外には、だれもいなかった。診察は完全予約制なので、めったにほかの患者と顔を会わせることはないのだろう。
 アイボリー色のスリッパが、入り口に整然と並んでいる。その先から、清潔なブルーのカーペットが診察室へと続いている。
 ガラスブロックを透かして入ってくる淡い光が、コンシンネの細い葉を柔らかく照らしている。
 かすかなシャボンの匂いが、宙に溶け込んでいる。
 そして男はふうとひとつ、息を吐いた。

 どうやら診察が長引いているみたいだ。
 バスに乗り合わせていた、あのおかっぱ頭の若い女が診察室に入るのを見てから、もうかれこれ四十分くらいはこうして待たされている。
 それとも、このクリニックの診察時間はこれくらい当たりまえなのだろうか?
 そう思ったとき、診察室のドアが開き、彼女が出てきた。
 見たところ、とくに変わった様子はなく、彼女は先ほどと同じように、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、俯いたまま男の前を通り過ぎていった。
 そして、マスクの男が呼ばれた。

「どうぞ、そこに座って」

 チェン先生が向かい側のチェアを差して、言った。
 マスクの男は言われたとおり、ベージュ色の革張りのリクライニングチェアに座った。

「どうか、そのフードを取ってくれないかしら?」
 
 チェン先生は両腕を腰のあたりにあてて、よわった顔をしている。
 男はそう言われてもすぐには動こうとしなかったけれど、しばらくすると仕方なく黒いウィンドブレイカーのフードを頭から背中の方へとずらした。
 するとその中から、中途半端な長さに伸びたよれよれの髪と、大きなマスクに覆われたロバのような極端に面長な顔が現れた。
 眉毛と目は少し垂れぎみで、一見おとなしい感じにも見えるのだけれど、瞳の奥には何か不吉なものを隠し持っているように、チェン先生には見えた。

「どうもありがとう。
 さて。まず、症状を聞かせてもらえるかしら?」

 チェン先生は新しいカルテを手にして、男に訊いた。
 けれど男はそう訊かれても、またも黙ったままだった。

To be continued.

 

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シンネンのキブン

はぼたん
『はぼたん』
happy new year
今年のキブンは・・・
「庭にあるものすべてうつくし」イギリスの諺

終末の唄_034

 男はコーヒー牛乳のパックの口を開け、そこにストローを差し込んだ。
 そしてストローのもう片方の端を大きなマスクの下にくぐらせて、喉を鳴らして一口飲んだ。
 そのあと新聞を開け、三面記事を見る。
 リトルリーグの試合中に起きた殺人事件のことが、大きく取りあげられている。
 男はその記事を読んだあと、少し震えている手で新聞をぐしゃぐしゃと丸め、そばにあったゴミ籠に乱暴に投げ入れた。
 そしてまた、ストローをマスクの下にくぐらせ、もう一口コーヒー牛乳を飲んだ。

 マスクの男がふと気づくと、腹を空かせて痩せこけた野良犬が、身体を引きずるようにして、目の前を歩いていた。
 男はさっきコンビニエンスストアで買ったドーナッツを半分に割り、それを自分の足下に放り投げた。
 黒く汚れて、少し臭うその野良犬(もともとは白い毛並みだったのだろう)は、舌をだらりとのばし、よだれをだらだらと垂らしながらそのドーナッツに近づき、しばらく警戒してそのまわりをくるくる回ったあと、辛抱しきれなくなって、そのドーナッツに飛びついた。
 野良犬はがつがつとドーナッツにかぶりつき、あっという間にぜんぶ平らげてしまった。そのあともその野良犬は、地面にこぼれたドーナッツのクズをその長い舌でぺろぺろと舐め続けた。
 近くのベンチに座っていた老婆が、その光景を見て微笑んでいた。
 マスクの男が残りの半分のドーナッツを野良犬に差し出そうとしたとき、男は突然、痙攣でも起こしたかのようにぶるぶると小刻みに震えだした
 その震えは一分ほど続いて、そのあと何事もなかったかのように、すうっとおさまったのだった。
 男はドーナッツを犬に差し出だす仕草をした。
 野良犬はさらにだらだらとよだれを垂らし、薄汚れたそのしっぽを大きく振って、くうんくうんと小さく鳴いた。
 そこでマスクの男はもう一度、自分の足下にドーナッツを放り投げた。
 野良犬は今度は警戒することもなく、先ほどと同じようにドーナッツに飛びついた。
 するとマスクの男は――ビリヤードのキューを鋭く突き出すように――右足の踵で犬の頬骨の辺りを思いっきり蹴りつけた。
 骨が砕けるような鈍い音がして、野良犬は道路の上へどさりと転げ出された。
 犬はしばらくそのままヒクヒクと身体を痙攣させていたけれど、どうにか立ち上がると、口から血を垂らしながら、よろよろと駅の裏の建物の影へと消えていった。
 マスクをした黒い奇妙な男が一瞬にして引き起こした戦慄の場面を目の当たりにして、先ほどまでベンチで微笑んでいた老婆は、恐ろしさに震えながら、その場からそそくさと立ち去っていった。
 すると、男はまた、先ほどのように、ぶるぶると震えだし、そしてしばらくすると、その震えはおさまっていた。

 そのあと、マスクの男は疲れきったように、ベンチでうなだれて座っていた。
 そしてただ、両手のこぶしを苛立たしく、ちからいっぱい握りしめているのだった。

To be continued.

 

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